極楽鳥
「亮兄ぃ!! 早くー!!」
甲高いマナの声で亮は振り返った。そこには土手の上から青々と生い茂って揺れる草花と一緒に、勢いよく腕を振るうマナの姿があった。
マナの細い身体とその背後に広がる群青の空のコントラストが、薄紫の生地に淡い桜模様を施した着物を一層引き立たせて見せる。
「たくっ、おいマナっ!! そんな風に腕振ったら『はしたない』ってまた先生に怒られるぞ!!」
「大丈夫だよ亮兄ぃ。ここにはマナと亮兄ぃしかいないんだし、早く。早く!!」
土手に着くとマナが亮の腕に手を回し、愛くるしい顔で頬をすり寄せてきた。
「どうしたんだ? 今日はやけに機嫌がいいな」
「うん。だってあれ見てよ亮兄ぃ」
「アレ?」
マナが向けた指先に、亮は一瞬我が目を疑った。そこには遥か昔に無くなった故郷の千本桜が並んでいた。まだ幼かった頃、母に手を引かれて歩いた桜並木、優しい鼻歌の混ざる風と舞散る桜の花びらを見つめる母の面影が一瞬頭をよぎった。
「…なんで? ここに…」
「ほら亮兄ぃ、行こうよ。早く」
「あっ、ああ…」
マナに促されるがままに、土手を下り桜並木の道を歩き始める。こみ上げる土の匂い、頬を撫でる温かい風、そして見覚えのある桜木たち、間違いなくここは故郷の千本桜だ。
懐かしさに浸りながらも、二人はその中を手をつなぎ進んでいく。
舞い散る桜吹雪が先の終わりを分からなくさせているように、この時間がこのままずっと続いてくれたらと思ってしまう。
「亮兄ぃ、マナこんな綺麗な桜初めてみたよ。こんな綺麗なトコしってたらならマナ、もっと早く教えて欲しかったな。彩姉ーぇたちには絶対秘密にして、毎年亮兄ぃと二人だけで来ようね」
「…そうだな」
そう言えば今年の花見は近くの公園で亮が場所取りを任せられていたけど、公園の管理組合から亜民の場所取りはお断りと言われたんだ。結局宴会している人たちを横目に、皆で公園内を散歩して終わっただけだった。
彩音は不機嫌そうな顔で悪態をついていたけど、それでもマナや楓は楽しそうに落ちる桜を手に取ってはしゃぎ、その姿を見る亮も十分満足できていた。
ただ、いつかもっと綺麗な桜を見せてあげたいとも思ってもいた。
「いつか、マナに見せたいと思っていたんだ。ここの桜は桜海と言って、舞い上がる桜の花びらが大海原の波模様に見える事からそういう名が付いたんだよ」
「うん。マナ知ってるよ」
「えっ!? ちょっと待てマナ。どうして知ってるんだ?」
「う~んっとね…どうしてって言われても、あの人が教えてくれたから」
マナが一本の桜の方に指先を向けると、そこに木陰から人影が見えた。
誰だろう? と亮が思ったの同じくらいにマナが続けた。
「あの人ね、マナにいろいろな事教えてくれたの。桜の事や花の名前、虫や動物に天気の事なんかも、マナの知らない事をいっぱい、いっぱい教えてくれたんだよ。でね、あとね。何でかしらないけど、亮兄ぃに会いたいっていってんだよ」
「俺に? どんな人?」
「うんとね。マナ初めて見る人だけど、ちょっと綺麗な人だけど少し悲しい目をしてた。先生みないな感じかな。あと亮兄ぃと同じ匂いがするの、何でかな?」
亮が近づくにつれ、聞きなれた鼻歌が耳に届いてきた。一歩ずつ近づくにつれ亮の心が騒ぎ出す。
まさかそんな筈はない。っと思っても、自然と進む足に力が入る。
「それにマナね…亮兄ぃと一緒にこんな綺麗な桜が見られてマナとってもうれしいんだよ」
「そうか」
「でもね。マナ…ここから先には行けないの…」
急にマナの声が下がった。
「えっ!?」
「約束したの、あの人が亮兄ぃをココまで連れてきてくれたら…亮兄ぃを助けてあげるからって。だからマナ…約束…ココから先には行けないの…」
「おいマナ…それどういう意味だ…助けるって一体?」
困惑する亮の背中をマナが押し出した。
「おっとっと」
よろめきながら亮は彼女の前で足を止め恐る恐る顔を上げる。だがそこにいたのは在りし日の母の顔では無かった。
「…あんただったのかよ…酷いよな。そんな鼻歌唄って…本当に母さんかと思ったじゃないかよ」
その彼女はゆっくりと笑みを浮かべると囁くように口を開いた。
「君の記憶に残っていたモノだ。それに私もこんな形でまた逢うなんて予想外だわ。こうして話をするのは2年ぶりかしら。もっとも私には時間と言う概念は無くなってしまったけどね」
「あれ? この前、夢で会っただろう。覚えてないのかよ?」
「それは私じゃないわよ、君の良心が作り上げた私の幻影よ。煉獄の狭間に漂う私が君の潜在意識に一度も入った事なんてないわ。でも君の中で私の欠片が贖罪の形としていい方に導いてくれてるようだから結果としては上々ね」
「どうしてマナに頼んだ?」
亮の鋭い視線が彼女を捉える。
「君が素直に私にあってもらいたかったから。鬼門を開き酒呑童子に落ちる寸前の所を救うことができたあの子なら、君は大人しく心を開いてくれると思ったからね」
「…望…お前…マナに、俺の正体を話したのか?」
その問いに望はゆっくり首を横に振ってみせた。
「いいえ。ただ。あの子を救うために与えた君の血が、あの子の魂と融合したのは事実よ。おそらくあの子は何らかの形で感じ取ってるはずよ。本人がそれを理解してるかはわからないわ。でもそれをわかった上で君の側にいたいと思ってるのかもしれないわね」
「そうか…」
「健気ね。世間ではこれを『リア充』って呼ぶようね、お互い相思相愛なら付き合えばいいのにあの子の気持ちにちゃんと答えるべきよ」
「うるせぇ!! 大きなお世話だ!! お前いつから俺の恋愛相談員になったんだよ!! っていうか早く本題に入れ」
赤面する亮の動揺ぶりに、思わず口元を手で覆いほくそ笑む。
「ふふっ、弟に苦戦してるようね。もっとも宿鬼の状態で上宮院の陰陽師に勝てるはずもないし、私が手をかすわ」
「断る。本気で殺そうと思えば、今すぐにでもアイツを殺せる」
「ダメよ。それじゃ2年前の繰り返しよ。それに君が人を殺す事をあの子が望んでいるとでも思ってるの」
「じゃあどうすんだよ」
「だから私がいるのよ。それにこれは私達家族の問題よ。私の影を追い求めるあまりにバカ狸達にいいように利用されてる愚弟を、これ以上見てるわけにはいかないわ。姉として一度引っ叩いてやらないと。姉としての勤めを果たすだけよ」
力の入った瞳に気圧され、亮は唾を飲み込んだ。
「そっちこそ殺す気じゃないだろうな?」
「それ冗談のつもり?」
そらに視線が鋭くなる。
「…そうか、それじゃ姉弟喧嘩はそっちに任せるよ。一つ貸しだ」
「喧嘩じゃないけど…でも任せなさい。ちゃんと躾けてあげるわ。それと、貸しじゃないわよ。君あっての私でもあるのだから」
心臓を抜き取られたまま膝を付く亮は、壁に背中を預け天を仰いていた。その瞳には生気はなく血の気の引いた顔に唇が微かに動いていた。
鼓動が停まった心臓を上下に投げながら遊ぶ法鬼は、一人甲高い声を上げていた。
「あっはっはっはっはっはっはっ―えっ? 何っ? 金魚みたいに口をパクパクさせて何が言いたいのかい。こんなハズじゃなかったって言いたいのかな。それとも僕が最強だって言いたいの? あっ、そうかそうか分もわきまえずに刃向かってゴメンナサイって。そんな事わかってるよ。一ついい事を教えてあげるよ。お前の敗因は弱いくせに僕に反抗したことだよ。大人しく従順な犬のように尻尾振って従ってればよかったのに、僕に噛み付こうとしたのが運のつきだったのさ。でも安心しなよ。お前には聞きたいことがあるから、それまで殺さないであげる。ただし価値がなくなったらゆっくり八つ裂きにしてあげるからね。それまで楽しみにまってなよ」
自分の力に酔いしれる法鬼。
強敵を倒した者だけが味わう事ができる勝利の味が、彼の自尊心を興奮させ身ぶるするほどの快感を与えてた。
しかし、笑い続ける彼の足下から小さな生き物達が湧き出ているのも知らずに。
「法鬼様!!」
道士の声と同時に無数の黒い蟻達が法鬼の膝下に群がり覆いつくしていく。
今までとは違う何かを法鬼も感じ取っていた。
「へっ、まだ僕と遊びたいようだね」
「あの男…なぜ『縛蟻』を? 陰陽師でもないのになぜ式神を出せる…しかもあれは喰蟻の式神、あんな式神…蟲の式神…まさか…?」
「あっはっはっはっ、そうだよ。そうこなくっちゃね。楽勝過ぎてつまんなかった所だよ。式神が使えるなんて驚きだけど、そっちが式神を使いたいなら僕は手加減しないから。本気で相手してあげるからね」
指の間に黄色い符数枚を挟み唱える。
「我、すめらぎのみぎの鎮座にて、八紘照らす光とならん、鎮魂唱える、そのモノたちを示せ」
符が指を離れ空を舞うと、球体となり眩く発光しはじめ、その光に照らされた蟻の軍勢は黒い霧となって消えていく。
「さあ、次は何かな。出し惜しみはナシだぜ」
蟻達が全て消滅すると、亮のポッカリ開いた胸からコバルトブルーのような液体が流れ出してきた。それはゆっくりと流れ落ちながら、白い蒸気が上っている。まるで水を掛けられた溶岩流のようだ。
やがて意思を持った生き物のように一箇所に集まると、そこに羽を広げ上半身が女性の巨鳥が現れた
「かっ…迦陵頻伽…まさか…どうして…あの男の中から…」
「あははっ面白い、まさか極楽鳥を殺れる時がくるなんて思ってもみなかったよ。今日は僕にとってサイコーな日だね」
眼を見開き驚く道士とは対照的に法鬼は余裕の表情を崩していなかった。
再び護符を出し印を切ろうする法鬼に向かって、迦陵頻伽が羽をひと扇ぎすると無数の真紅の光矢が両手両足に突き刺さった。
「ぐう゛ぅぅっ」
唸りの混ざった叫び声を上げ、初めて苦痛に顔を歪ませた。無数に刺さった光矢を抜く間もなく法鬼は反撃に移ろうとする。
「イってぇーな。お返しだぁ!!」
地面に護符を落とすとそこから甲冑姿の青鬼が姿を現した。大鬼とはまではいかないが、法鬼の頭一つ分ほどの背丈に太刀をこしらえた姿からは異様な殺気を醸し出していた。
「義玄、その人面鳥を焼き鳥にしろ。羽一枚残すんじゃねぇーぞ」
義玄は黙ったまま頷くと太刀を抜き、黒色の刃に血管のような紅い筋が広がる刀剣を構えた。
瞬きよりも早く太刀を振り上げ踏み込んだ。
そして迦陵頻伽を完全に太刀の間合いに捕らえると、袈裟懸けに振り下ろした。
-殺った-
そう確信した法鬼だったが、次の瞬間我が目を疑う光景を目撃する。
刃が切り裂く風切り音が響くと同時に義玄の身体が黒い霧のように消滅した。
「なっ!?」
何が起こったのか理解出来なかった。自分の半身ともいえる式神が消滅したのだ。これをどう理解し納得できようか。
まったくの予想外の展開になった。今まで式神を倒した強者はいたが、義玄を倒した者は今だかつて存在しなった。それはこの義玄が強いだけではなく、800年以上継承される法鬼の式神だからだ。義覚・義玄この2対の式神を失ったとき、法鬼の名も消える。
法鬼はこの時初めて背筋に悪寒を感じた。
この隙を迦陵頻伽は見逃すはずがなかった。動かぬ法鬼の身体を足爪で掴むと、そのまま壁に叩きつけた。
脳震盪で気を失いかけた法鬼の身体に今度は爪を食い込ませた。大人の親指ほどの爪先がゆっくりと皮膚を破り骨が軋みだした所で悲鳴を上げた。
「うぐぎゃや゛や゛や゛や゛ゃ゛ゃ゛ゃ゛!!!!!!」
全身に走る激痛。
止まぬ悲鳴。
戦うべき相手ではなかったと悟った所で、既に遅かった。
勝てぬ相手に挑み、その実力の差を骨身に染みた所で待っているのは敗北以外のなにものでもない。
それは即ち死を意味する。
「おっ…お前は…なん…なんだ…?」
振り絞りながらの問いに迦陵頻伽は表情一つ変えず、ただ眺めていた。楽しむわけでも意味ありげに思っているわけでもなく、ただ眺めているだけだ。
まるで捕まえたアリを指で摘んだまま、ゆっくりと圧殺していく様子を何の感情もなく眺めている子供のように。
「法鬼様!!」
道士が手首に巻いていた数珠をちぎると、無数の弾丸のように向かっていく。
これで倒せない事はわかっている。それでも一瞬でも気をそらしてくれたその隙に法鬼を救い出す事はできる。
上手く撤退できれば後はどうとでもやり直せる。道士にとって法鬼の命を救うことがなによりも最優先すべきこと。
そんな期待はすぐに消えた。数珠の弾丸は迦陵頻伽の手前で消失した。
迦陵頻伽がゆっくりと道士の方へ顔を向けると、その深淵のように黒く深い瞳に見つめられた。
その瞳は『邪魔をするな!!』と訴えているかのように、道士は身動き一つ出来なくなった。
「おっ、俺を…ここまでおっ…おいつめて…勝った気でいやがるのか…まってろよ……すぐに…焼き鳥にしやるぜ…」
道士の方に気をとられている内に法鬼は指を鳴らし破壊念術を発動させた。
鈍い音と一緒に身体に食い込んでいた爪先が折れ、片腕が自由になった。
ここぞとばかりに法鬼は迦陵頻伽の首めがけて破壊念術を発動させた。
ゴキッと音が鳴り迦陵頻伽の顔が180度回転した。
殺ったと思った法鬼だったが、すぐに迦陵頻伽の顔を元にもどると破壊念術は無駄だったと気づいた。
「くそっ、なら…祓い給い、清めた―ゴホッ…」
唱え言葉の途中で、再生した爪先が法鬼のノド仏に突き刺さった。
突き刺さったノド仏からゴボゴボと血の泡が沸き、下顎を痙攣させながら必死にパニックになるのを抑えている。
みるみる顔から血の気が引き、唇が紫に変色していく。気管を突き破った爪先が気道を塞いでるのだ。
ノドを潰れて声を失くしては術は発動されない、ましてや呼吸することも出来なければ最早戦闘不能である。
気道を塞がれても心臓は激しさを増し脳は酸素を大量に消費し始める。供給されるべき酸素が切れ、酸欠状態に陥った法鬼は次第に意識を失っていく。
ココに来て初めて迦陵頻伽が顔を近づけてきた。
「浅い傷を負わせただけでは仕返しされる恐れがあるわ。だから戦うときは残酷で非情な行為を繰り返し、復讐される心配がなくなるまで徹底的に攻めるべき。とっ教えたはずよ朋定」
薄れゆく意識の中で鼓膜を揺らすその声だけは、ハッキリとわかった。
それは約2年ぶりに聞いた法鬼の姉、冴鬼望の声だった。
みなさん、お久しぶりです朏 天仁です。更新が遅れに遅れ本当に申し訳ございません。大変長らくお待たせしまいました事反省しております。
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