バッド・タイミング
外の熱帯夜と違い地下の気温は低いままだ。蛍光灯の灯りに身体を照らされる村岡は、冷たい空気でかじかむ手に息を掛けながらある人物を待っていた。
約束の時間はまだ迎えてなくても、手持ち無沙汰に腕時計をチラチラ確認している。
『あーあー、時間が勿体ないねぇ。時間に正確なのは関心するけど、どうせ待つならもっと暖かい場所で待てばいいんじゃないの。外の方が暖かいんだし。それに、こんな無駄な時間を費やすなんて聞いてないぞ。これで向こうが遅刻なんてしたら僕の時間を返してくれよな』
村岡の襟元から見える伝心札から法眼の言葉が直接頭に伝わってくる。ここに到着した時から法眼と道士の姿が見えず、代わりにこの札が貼られていた。いつのまに貼ったのか関心するしたが、これを貼る意味が分からなかった。
「お前は少し『辛抱』という意味をもっと経験した方がいいぞ。これくらいの事でダダを捏ねるなよ」
二人共術を使って姿を隠してはいても、恐らく村岡の近くにいることは間違いないと思った。
『僕はダダなんてこねてないよ。愚痴をこぼしてるだけさ』
「同じだろう」
『何言ってんだよ、全然違うじゃん』
「どう違うんだ?」
『ふっ、言葉が違うでしょう』
「そう言うのを屁理屈って言うんだよ。クソガキ」
最後だけ小言と一緒にため息で吐き出した。
『そうそう、この札の説明まだ言ってなかったけど。僕達に話時は声に出さなくても頭の中で話くれればわかるから、こっちに遠慮してわざわざ囁かなくても大丈夫だからね。捨て犬さん』
全部聞かれていたのか。そう思った村岡の右眉がピクリッと動くと、バツが悪そうに頬の古傷に指を掛ける。
「なあ、一つ聞いていいか?」
『だから声に出さなくてもいいってば。人の話聞いてないのおじさんは?』
「いいんだよ。声に出したほうが俺にとっては一番いいんだよ。それよりもだ。どしてお前達は姿を隠してる? まさかこれから来る相手を知って臆病風にでも吹かれた」
半分冗談混じりに言ってみる。法眼達が携わっている陰陽道の事は詳しくないが、これから来る相手の事は村岡にも知識があった。
だが、彼らと法眼たちの間柄については詳しくなかった。せっかくだから向こうとの関係について知れたらばなと、軽い気持ちで尋ねてしまった。
『村岡殿』
今後は道士が加わってきた。
『村岡殿は我々陰陽師について少なからず知ってはおりますが、それでも我々の社会につてはまだ認識が浅いと思います。また、我々の事を軍部の人間が深く知ろうとするのは私の立場上あまりおすすめは致せません』
道士の口調に緊張が混ざる。
「周りくどい言い方しなくてもいいぜ、道士。ようはそれ以上聞くなって事だろう」
『なんだ、わかってんじゃんか。だったら話が早いよね』
『法眼様。何もそんな言い方をおっしゃらなくても、村岡殿は知らなかったのですか』
「そうそう、俺は何も知らなかったんだよ。だからこんな俺にもお前たちが話せる範囲で俺に説明してくれたら有難いんだけどな。どうだい道士」
『軍部内でも決して混じり合わないモノもある。とっ、言えばわかりますね』
その言葉で村岡は納得した。五行法印局は終戦後、戦争に関わった陰陽師一派に対する粛清を率先して行なった。当然、納得がいかなかったと考える陰陽師たちがいてもおかしくない。昔から日陰者扱いされてきた冴鬼家や他の陰陽師たちの中には、不満を募らせている輩も多いはずだ。
「なるほど、表面上は忠実でも腹には不満を溜めてるってわけか。どこの組織も似たり寄ったりだな」
『そんな単純な事じゃない』
「なんだ。やけに喰ってかかるな。ひょっとしてそれ以外にも何かあったのか」
『…おっさん。五行法印局についてどの程度知ってるの?』
「おいおい、これでも俺は諜報局の人間だぞ。戦後アイツ等がどんな事をしたのか他の連中よりかは詳しいと思っているぜ」
やけに突っかかってくる法眼に、村岡は相手にしない風な口調で続けた。
「簡単に言えば戦後すぐに行われた国家解体の際、占領国側から迫られた『国法建統治接収法』をかわす代わりに、国政に陰陽道の力を持ち込ませない為に管理監督執行権を任せられた独立行政機関の一つだ」
ここまでは、諸官庁に入局している人間ながら誰でも知っている事だ。戦前に陰陽道の力を軽視していた占領国軍は、陰陽師達の猛攻に日に日に苦戦を強いられていた。それまで三日で終わるような作戦が、陰陽師がいた事で半年以上も進軍が停止ししたり、なにより地の利を生かされた戦術や多種多様な式神や戦神の出現に何度も膝をついた。それでも何とか戦争には勝利を収めることができても、被害の甚大さから占領国のお偉方の間では素直に喜ぶ事はできずにいた。
そんな強大な力を見せられたら、当然その力を封じようとするのは目に見えていた。建前上は占領国の息がかかった者たちによって今も陰陽師達は縛りを受けている事になっている。
だが問題はこの後に続く関係者の間でも、ごく限られた者にしか知られていない極秘事項が存在する。
「戦後、突然五行法印局はかなり大掛かりな陰陽師達の粛清を始めた。軍部に関わった陰陽師の一派を何の前触れもなく捕まえると裁判もなしに密殺した。表向きは病死や事故死なんて都合のいいように処理してるが、それでも関わった当事者以外の親子兄弟、ましてや身内までも粛清の対象にした。まだ生まれがばかりの赤ん坊にまでも手に掛けたほどだ。いくら占領軍に見せるための格好が必要だとしても、やりすぎなんだよ」
村岡の表情が少し険しさを見せる。
「しかも、根絶やしにした陰陽師家の禁書法や術式書までもを没収していった。噂だと、その密書を条件に占領国と有利な取引材料にしたって話だ。今でも奴らが強権を維持できるのは、その時の事があったからだと言われている。俺が知ってるのは大体このくらいだな」
ここまで簡単に説明したつもりの村岡は、口さみしさにタバコを探してみるが見つからず残念そうにため息をもらした。
『ふっ、その程度かよ。おっさんもいいようにマインドコントロールされてんだね』
「どういう意味だ」
『村岡殿。対外とはいえ情報が命と言える局の人間なら知っていると思いますが、情報とは自分で調べた情報と、他人が調べた情報とでは差異が生まれます。その差異を細部にわたって裏をとり調べ尽くした情報こそがより真実に近いはずです』
「何が言いたいんだ。これでも俺は実際に粛清の現場に立ち会った事が何度もあって、この目であの凄惨な光景を目に焼き付けたんだ。自分で見た情報ほど確かなものはない」
『まあっ、実際に見たのは事実だろけど、見た情報が強すぎて他の情報を都合のいいように歪めて肉付けしてるみたいだ。ねえ、道士』
法眼が少し呆れた口調で話す。道士のほくそ笑む声が村岡の耳に入ってきた。
『はい、そうですね。まだ少し時間があるようなので、お話してもよろしいしょうか?』
『別にいいんじゃないの。このおっさんもう組織に捨てられちゃってんだからさ。ここいらで、その曇った目を晴らして上げなよ』
完全に小馬鹿にされる村岡だが、ここはあえて何も言わずにいた。それはこの二人は自分の知らない情報を持っている確信していたからだ。実際、村岡は自分が見てきた現場の以外は調査報告書の資料以外なかった。関係者からの聞こうとしても徹底した秘密主義に守られ思うように行かず。それ以上に下手に嗅ぎまわって上司から再々にわたり釘を刺された事も何度のあった。
村岡にとって陰陽師から情報が聞けるまたとないチャンスであることに間違いない。ここは大人しく彼らの情報に聞き耳を立てる事に徹しようと決めた。
『村岡殿は確か先の大戦でレッドクロスをはじめ、対幻獣戦や対魔術戦を経験されてきているはずです。経験してわったでしょうけど、自衛隊の近代兵器が全く聞かない敵を相手にして、その力の差を痛いほど痛感したことでしょう』
「ああ、知ってるとも。始めてレッドクロスを相手にした時は地獄だったよ」
当時の記憶と一緒に村岡の顎にある古傷がうずき始める。それまで自分が考えていた戦闘という常識が覆り、訓練で練り上げ進化させてきた戦術が意味をなさない現実を前に、多くの部下や上官たちが倒れていった。
『その中でも、北海道最後の激戦区だった根室防衛線であなたは始めて武装陰陽師を見たはずです。あれは表向きには残された部隊の救助と撤退援護でしたが、実際はただの実戦訓練でしたから』
「…やはりそうだったか…」
村岡の目が少し遠くを見つめる。
「戦闘中、旅団司令部から連隊長宛に送られた緊急暗号文を見た保坂補佐官が、怒りと困惑の入り混じった顔で電文を見ていた。これは何かあると思っていたし、実際彼らが俺たちを救助しに来たわりには、ほとんど手をかそうともせず何かを待っている感じだった。実際残された部下達は撤退できたが、いろいろと腑に落ちない点があったよ」
『それはそれで難儀でしたね。結果として北海道での防衛戦は敗退と言う結果でしたが。後の対馬奪還作戦では、彼らはその能力を存分に発揮して勝利を収めました』
「なあ、道士よ。そんな昔話くらい俺も知ってる。問題はさっき言った差異の部分についてだろう」
『その通りだ。道士の話はまどろっこしいよ。僕の貴重な時間がもったいないだろう。要するに粛清の本当の目的は陰陽師じゃないって事だよ』
「っ!? 本当かそれは?」
それは、あまりに突拍子もない事だった。
今まであの粛清に関していくつかの噂程度の話はあった。武装陰陽師の一派が戦後の混乱期に乗じて新たな国家統治を画策している。や、武装陰陽師は戦中に占領国と手を結んだ二重スパイ組織だった等という話をいくつか聞いた事はあったが、粛清自体が虚偽だったとは事に村岡は驚いた。
『へえー、その様子だと本当に知らなかったんだね。それじゃーあの播磨のタヌキオヤジはおっさんの事、信用してなかったって事か』
「まさか…そんな…」
『村岡殿、気を確かに』
『そうそう、そんなに動揺しないでよ。さっき言い忘れたけど、その札は念を通じてこっちに知らせてくるけど、感情も一緒に伝わってくるから、そんなに心臓を動かして気持ち悪くないの』
「いや。正直信じられない。あれだけの所業を行なって……驚いたといった方が正確かもしれん」
向こうに全て伝わっているならここは隠す必要はないだろう。最初は驚いた村岡だったが、すぐに頭を切り替えた。
にとっても
「…それじゅ…何を一体隠したかったんだ」
『そうそう、そこなんだよ問題は。アイツ等が隠したかったもの、それは『歩く災悪』だよ。それも組織化された無敵の集団さ。いや…無敵と言うにはあの当時ではまだ無理があるな。でも十分役目は果たしていた』
「だからそれは何なんだっ!! それを聞きたいんだよっ!!」
直ぐに確信が知りたい村岡はつい焦ってしまった。情報収集において焦りは禁物。それは自分が欲しい情報だと相手に教えているようなものだ。
しかし、村岡の心配をよそに法眼は気にする素振りも見せずに続けた。
『事の発端は、戦前に京都総鎮守上宮院奥ノ院に封印されていたある生物の『死骸』が盗まれた事だ。それが一体どんなルートをたどったかは知らないけど、最後に自衛隊幕僚内部にあった『楯の会』の手に渡っていたのさ。最初は自分達の手で調査・研究をしてたど、深刻な問題が発生すると、我が『源洲裏陰陽道十三家』の一派と共同研究を持ちかけた。その過程で生まれたのが、『戻り鬼』と呼ばれる獣。でもそれは余りにも不完全過ぎていてコントロールするのが難しかった。でも直ぐに戦争が始まり敵の物量の前に実戦投入が開始した。その最初がおっさんがいた根室防衛戦だよ』
「ちょっと待て、あれは…俺が見たのは間違いなく人間だったぞ」
「おっさんが見たのは僕が言った獣じゃないよ。たぶん見たのはおっさん達と守ろうとしていた源洲裏陰陽道の巫女達さ、本来のゴミ掃除は獣に任せて自分たちはデータを集めに勤しんでたってことさ。不完全な獣だったけど、兵器としは十分効果があったようだよ」
法眼の話に、村岡はゴクリと唾を飲んだ。自分が今まで知りたかった情報が次々発せられる。
『法眼様、先ほど―』
『次に誕生したのが、より完全体に近い人型の兵器さ。材料は人間を使って生成される。楯の会の連中はそれを『桜の獅子』と読んでいたよ』
「それは聞いたことがある。たしか…武装陰陽師の部隊名だ」
『そうなのか、僕は月ノ宮家の誰かが最初に言ったと聞いたけど。まあっそんな事はどうでいいか。話が長くなりすぎて時間が勿体無いから、まとめるよ。五行法印局が設立された本当の目的は、戦後生き残った『桜の獅子』達の抹殺と、その子供達の捕獲が目的だったのさ』
「子供!? 子供がいたのか?」
『殺されたのは武装陰陽師じゃなく、おっさんが見てきたのは『桜の獅子』と楯の会と一緒に『桜の獅子』を匿っていた陰陽師の一派だよ。しかもその粛清をした張本人は同じ陰陽師の一派で、五行法印局の幹部連中全員は同族殺しの末今の地位に付いたのさ。一派が違えども僕たちにとっては裏切り者に変わりはない。これで僕達が姿を見せない理由がわかっただろう。素であったらそれこそ命の取り合いになっちゃうから。今はまだそんな事に貴重な時間を取られたくないしね』
法眼の説明が終わった所で村岡が口を開いた。
「お前たちが向こうを嫌っている理由がわかった。だが、なぜ桜の獅子は殺されなければならなかったんだ。彼らを殺す動機は一体何だったんだ」
村岡が一番知りたいのはそこだ。過程と結果までは知ることができたが、最初の動機がわからなかった。
『………それは話す必要ないだろう。おっさんが知りたかったのは何故僕達と向こうが犬猿なのかが知りたかったんだろう』
「身内殺しで爪弾きにしてるって事か」
肝心な所は話さずに質問を交わされた。それよりもさっきから道士が静かにしていることが気になった。
『それでおっさん。僕からも質問だよ。おっさんはこれからどうするつもりなのさ?これから来る相手がどんな奴なのか知ってるんだろう。上手く立ち回れる自身はあるの? そもそも何で五行法印局なのさ』
「それは俺たちじゃ播磨局長とやりあっても勝算が無いからだ。いくらお前の力が一騎当千に値しても、人海戦術と物量の前には簡単に敗れる。だったら戦う相手をチェンジさせてやればいい。それも相当厄介な相手をな」
『どういう段取りでやる』
「道士が言ってた、この関東周辺の結界が破れた話。あれはレッドクロスじゃない。おそらくこの国の結界術式に精通してる別の組織の仕業だ。それも五行法印局が知らない裏の密教術式だろう。関東周辺の結界が破れた事はまだ公になってない。いや、それ以前そんな醜態向こうは必死に隠したがっているはずだ。相手を特定し.ようと大きく動けば目立ってしまう。そこで俺たちがその調査をして、変わりに関東支部の五行法印局に播磨局長達の相手をしてもらう」
村岡の頭の中には今後の展開が広がっているようだ。
『だけど向こうがおさっさんの話、簡単に信じると思う。鼻で笑われるに決まってるだろう』
「心配するな。そのためにL-211がある。俺の証言と生きた証拠を見せれば向こうだって納得せざる得ないだろう。俺はもう組織に捨てられたんだ。今更義理を建てる道理はない」
『そんなに自身あるならまかせるよ。だけど、それで姉さんの情報にプラスにならなかったら、その時は…分かってるよね?』
「心配するな。今回の事は多分お前の姉に繋がっているはずだ」
『その根拠はなに?』
「勘だ。俺の勘がそういってる」
『………まっ、もう相手が来たようだからここから先は任せるよ。交渉が上手くいくことを期待する』
「着たか。任せとけ。向こうも時間通りだな。時間に正確なのは良い事だ」
深く息を吸い込み気合を入れる。一筋縄じゃいかない相手に村岡の身体に熱が篭る。
奥の扉が開き、和服を羽織った老人が見える。五行法印局関東支部を担当している藤原一二三統括局長が姿を見せた。
一瞬でここの空気が変わり、村岡の腕に鳥肌が立つ。だが、臆すれば全て水泡に帰す。動じる素振りを見せることなく村岡も近づいていく。
『そうそう。さっきおっさんが言ってたL-211とか言う少女の事だけど、道士が脱走した挙句に敵に捕まった。って、言ってるよ』
「なっ…何ぃっ!!!!」
思わずそう叫んでしまった。最高のタイミングに最悪のニュースが重なった瞬間、村岡の容易ならざる交渉が幕を上げた。
こんにちは、朏 天仁です。先月が更新無しという結果をしてしまし。誠に申し訳ありがません。今後は最低でも月一更新は行いと思いますので、どうか変わらずご支援の事よろしくお願いし致します。m(__)m
 




