重い送迎
「いや~、ホントっ助かりました。あの炎天下の中次のバス待ったら、ほんっと干からびていたとこでした」
そう言って、亮は運転席のご婦人にお礼を言った。
「別にかまわないわ。娘がいつもお世話になってるんだし、それに『たんぽぽ』まではちょうど帰り道ですし、そんなに遠慮なさらないで。それに亮君がすこし具合悪そうだったから」
柔らかい言葉で話すと、チラリっと、バックミラーごしに亮と目が合う。この運転しているご婦人の名は荻野里子と言って、荻野美花の母親だ。
何故こんな状況になってしまったかと言うと、バス停で午後のバスを待っていた亮の所に、偶然美花を乗せた車が通りかかったのだ。
事情を説明すると、荻野里子は亮を『たんぽぽま』で送ってくれると言ってくれた。さすがに炎天下の中を1時間近く待つのは酷で、亮は荻野里子の心遣いに甘える事にした。
「ええ、ちょっと偏頭痛がして、でも、別にもう大丈夫です。暑さに少しまいっただけだと思います」
「そう、ここ最近急に気温が上がってるし、ニュースでも熱中症で倒れる人が報道され始めてきたから、亮君も気を付けないと」
「はい、ありがとうございます」
言葉と一緒に運転席から流れるエアコンの風が、里子がつけている香水の香りを漂わせてくる。名前まではわからないが、その甘い香りに亮の気持ちがほんわりと和みだす。
だがその和みをブチ壊すかのように、少女が助手席から身を乗り出し大きな瞳を亮に向ける。
「そうそう、美久の学校でも昨日部活の先輩が熱中症で倒れたんだよ。最近じゃ室内熱中症ってのもあるらしいのよ、亮さんの所は大丈夫ですか?」
「うっうん、今のところは『たんぽぽ』の方は大丈夫だよ、元女医の玲子さんがしっかりしてるから・・・うんうん」
「へぇー、そうなんだ。あっ、ちなみに私の事お姉ちゃんから聞いてます? 私妹の美久って言います。はじめまして! それで何か聞いてます?」
「いっいや・・・聞いてないな。そもそもみっちゃんに姉妹がいたんなんて今知った所だし」
「えー聞いてないんだ。お姉ちゃん何にも話してないんだ。それじゃ美久がいろいろ教えてあげる。あっその前にお姉ちゃんの事さっき『みっちゃん』って言ってたから、美久の事は『くみちゃん』って呼んでいいよ!」
「美久っ! はしたないわよ、ちゃんと席に座りなさい」
「えーいいじゃんお母さん。ちょっとくらい」
「ダメよ。危ないからちゃんと座りなさい」
「ちぇっ、はいはいわかりましたよ」
里子のおかげで亮の尋問はひとまず区切りが着いた。
元気一杯の声量と興味津々の態度を向けてくる美久の気迫に、亮は押される一方だ。こう言う性格は『たんぽぽ』にいる神山彩音にそっくりでも、彼女の相手は苦手だ。
美久は美花の妹であるが、亜民ではなくごく普通の市民で町内の学校に通っている。顔も声もそっくりだが、例え一卵性の双子でも、性格までもが一緒という訳ではない。そして問題の姉は後部座席で亮の隣に座っている。そう、この車内は運転席に母親の里子、助手席に妹の美久、そして後部座席に亮と美花がいる。
亮はセンター内の美花しか知らないが、彼女は控えめで大人しい性格だ。言うべき事は言うしやるべき事はちゃんと実行する性格だ。だから車内で黙ってうつ向いている美花は、ひと目で様子が変だと気づく。
「なあ、みっちゃん。さっきからどうしたんだ? 何っかずっと黙ってるけど」
「・・・うんうん、別に、きっ気にしないで・・・」
シャツの裾を握っている手がさらに白くなり、頬が深紅に染まりだした。
「おい、本当に大丈夫か? 顔が真っ赤じゃないか、熱中症じゃないか?」
「だだっ大丈夫よ。気にしないでって、ちょっと暑いだけ。えっ・・・エアコンの効きが悪いみたい」
肩が上がり、美花の顔がさらに下へと落ちる。
そこにシートベルトを閉め、顔を後ろに向けながら、二人の会話にまた美久が割って入ってきた。しかも今度は亮ではなく、姉の美花に対して意味深な口調で話してくる。
「あれ~、お姉ちゃん! さっきとテンション全然ちがくない? 美久とさっきまで亮さんの話してた時なんて、結構ノリが良かったかのに。どうしちゃったのかなぁ」
「美久!黙って!」
「わー怖いわ~お姉ちゃん。怖い、怖い」
「何だ、俺の事を話してたのか?」
「えっ!? あっ、あの・・・そのね、その・・・あの、あの・・・」
「どうした? 声が変だぞ?」
「そっ、そうそう、今日の事を・・・ね!」
「今日の? ああぁあれか。そうだな、一応家族には話しといた方がいいしな」
「・・・・・・亮さんって意外と鈍感なんですね」
「えっ?」
美久が呆れた顔のまま亮に視線を向けている。
「もー亮さん、お姉ちゃんのこと少しは察して上げて」
「・・・? 何を―」
亮が訪ねようとしたその時、突然車が十字路の交差点をカーアクションさながらのドリフトをかけ、車体が大きく右に振れた。
「うわぁわぁわぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
タイヤの擦れる音と凄まじい遠心力に亮の体が横に飛ばされ、隣の美花の身体をシートに押し倒した。と言うより、強制的に押したをさせられたに近い。馬乗りに覆いかぶさった状態から、二人の鼻先が微かに触れると、慌てて亮が体を起こした。
「ごっごめん、だっ大丈夫か? みっちゃん」
「うっぅぅ・・・・・・・・ぅぅ・・・・・・・・」
美花は何が起こったのかわからず、軽いパニックを起していた。それゆえ亮の声がまったく聞こえていない。
「ごめんなさい亮くん。ちょっと道を間違えそうだったから思いっきりハンドルをきってしまったの。ケガはないかしら」
明らかにワザとドリフトをやったに違いない里子が、バックミラーで後ろの状態を確認す。
「俺は大丈夫です。それよりも安全運転でお願いします」
「ふふっわかってるわ、安全運転よっ・・・ねぇ!」
「ふぐぁ」
再び車体が右に大きく振れ、今度は最悪にも美花の胸元に顔が埋まる。
「ふが・・・ぷはぁ・・・」
柔らかい。などと考える余裕はなく、慌てて体を起こす。
「ちょっと里子さん! いい加減にしてくだい! 危ないでしょう!」
軽く怒りを声に混ぜながら亮が訴えると、今度は里子でなく美久が口を開いた。
「あー!! 亮さんだいた~ん。お姉ちゃんの胸どさくさまぎれに揉んでる。やぁらしい~!!」
「えっ?」
その指摘を確認した亮は青くなった。亮の左手がそれほど大きくはないが、発育途中の美花の胸をおもいっきり鷲掴みにしている。
さすがの美花も美久の説明で自分が今何をされているのか理解した。顔全体が深紅に染まり唇がワナワナと震えだす。
「がっ・・・ごっご、ゴメンみっちゃん。決して・・・ワザとやったわけじゃないんだ・・・こ、ここれは・・・里子さんの運転でこうなってしまってっであってだ・・・その、なんと言うか、その・・・」
必死に説明より言い訳に近い状況説明をしてくる亮にたいして、いまだ胸を掴まれている美花が口を開いた。
「いっ、いい加減はなして下さい・・・」
「へぇっ、あぁ、ごめん」
手を離すと、美花は起き上がり両手を胸元を押さえると、ゆっくり亮から離れる。明らかに警戒している。
さすがに言葉がでない亮は、美花と顔を合わせないように視線を外に向ける。手にはまだ美花の胸の感触が残っている。もし美花に視力があったら間違いなく、変態を見るような冷たい視線を向けて来るはずだ。美花は何も言わず、荒い息遣いに肩が大きく揺れている。
互いに距離を開いたまま数十秒の沈黙が車内にながれる。
「大丈夫よお姉ちゃん。服の上からだったんだから、そんな感触なんてわからないから」
「うっ、うるさぁいぃ!」
「まぁ、美花ったら。別に胸のひとつやふたつ揉まれたぐらいいいじゃないの、揉まれて嫌な人じゃないでしょう。いつもあんなに嬉しそう話してる亮くんなんだから」
「うるさぁいぃ! うるさぁいぃ! うるさぁいぃ! 二人とも黙って! もう黙ってたらぁ!」
真っ赤な顔に、震える声。こんな動揺した美花は見たことがない、と内心思いながら亮は3人の会話を黙って聞いている。
「取り敢えず・・・早く帰りたい・・・」
小さく呟くと、グンっと車のスピードが上がり出す。
「ちょっ、ちょっと、お母さん。なんでスピード上げるの?」
心配した美花が訪ねる。
「前の信号が変わりそうなのよ。美花以外はしっかり捕まって!」
「ちょっと! なんであたしだけ?」
答えが帰る前に車は信号機のある交差点に猛スピードで侵入すると、今までで一番大きなスリップ音を出しながら、左へと車体が曲がる。
「きやゃゃゃゃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、ふがぁ!」
白煙を出しながらドリフトする車を、交差点で待っていた数人の通行人が、口を開け目を点にしながら、顔だけで追っている。そしてタイヤの焦げた匂いだけを残し、車ははるか向こうへと消えていく。
一方の車内では新たな問題が勃発しようとしていた。
「ねぇ、ねぇ、さっきのスゴかったよね。お姉ちゃ・・・ん? おっおおおおおおおおおぉ! これはスゴい事になってるわ!!」
後ろを向いた美久が見たものは、亮の股間に美花の顔が埋まっている光景だった。
「スゴイ、スゴイわ! お姉ちゃんやるわね。スゴ過ぎるわ!」
予想外の展開に美久のテンションがいっきに上がり出す。
「そんな大胆な事ができるなんて、美花も大人になったわね」
里子も笑を浮かべて楽しんでいる様子だったが、後ろの席では重い空気が漂ってた。
未だ固まった状態のまま、自分の股間に顔を乗せている美花に対し、亮はどうしていいのか分からず困惑していた。
「お、おい・・・」
声を掛けると、美花はゆっくりと身を起こして何事もなかったように席に戻った。しかし、直ぐに口元を押さえると、こみ上げる嗚咽に震えだした。
「美花?」
「お姉ちゃん? 大丈夫?」
面白半分で見ていた里子も美久も、姉の予想外の展開に我にかえった。
「みっちゃん、これは事故だ。気にすんなよな」
その言葉を聞いた直後、糸が切れたように美花が泣き出してしまった。
「ふぇえええええん、もう嫌ぁ!! 嫌ぁ!! ふぇぇぇええええええん、えっぐ、えっぐ、ふえぇぇぇぇぇん」
見えない両目から大粒の涙が溢れ出し、鳴き声が車内に響きわたると、一気に車内が気まずい雰囲気へと変わってしまった。
さすがの二人も悪いと思ったのか前を向いたまま何も話そうとしない。亮も何か声を掛けようとするが、どう掛けていいのかわからず言葉が出てこない。
その後は、美花の鳴き声と険悪な雰囲気のまま車は進み。『たんぽぽ』へと到着した。
「あ、ありがとうございました」
車から降りお礼を済ませると、亮は気まずそうにドアを閉めた。運転席の里子は窓越しに手を振っている。美花の方に目をむけると、泣き止んではいるが顔を下に向けて何の反応も示さない。むしろ亮にとってはその方がよかった。変に気を使われたら亮の方も気疲れしてしまう。ここは早く家に帰って落ち着いてもらった方がいいと思っていた。
里子に手を振り返すと、車がゆっくりと発進する。さすがにもうあんな運転はしないだろうと、思いながら車が向かいの角を曲がると、亮は深くため息を漏らした。
「何だこれは、俺・・・なんにも悪いことしてないのこの罪悪感は・・・・・・後でちゃんと謝っとかないとかな、はぁ、次からはちゃんとバスに乗り遅れないようにしと・・・」
フルートのカバンを持ち直し、気持ちを切り替えた亮は『たんぽぽ』の方に向き直した。
軽度対応型施設『たんぽぽ』は法人施設ではなく、民間経営で行っている個人施設になっている。施設自体は、青崎施設長の叔父さんが経営していた病院の保養所を貰い受けている為、わざわざ新しく建てずにすんでいる。
外見は二階建ての洋館風の建物で、裏庭に新しくテラスを増設している。残りの庭を家庭菜園として使っている。
職員は施設長と管理人兼主任の2人だけで、後は亮を含めた亜民の寮生4人の計6人が一緒に暮らしている。
「ただいま」
綺麗なステンドガラスの装飾が施された玄関を開けると、長い木の廊下が奥へと続いている。靴を脱ぎながら荷物を床に置くと、廊下の向こうからドタドタと黒い物体がこっちに向かってくる。
「ヤバっ!?」
その足音に亮が気づいた頃は時すでに遅し、長い黒髪に緑の和服を着た少女が亮の腹めがけ勢いよく飛び込んだ。
「ぐへぇー・・・・マ・・マナ・・・・」
モロに頭突きをくらい、背後のドアに背中が張り付く。昼飯をまだ食べていなくても、今朝食べた物までも吐かせるくらいこの頭突きは強力だった。
「亮兄ぃーお・か・え・り・!!」
しっかりと亮にしがみつき、顔を上げてニッコリと笑を向けたのは『星村マナ』だった。
こんにちは読者の皆様。本投稿に大分時間を掛けてしまって申し訳ありません。
今回は最後の方にようやく星村マナがでてきました。(本当はもっと早く出す予定でした)f(^-^;
今回はちょっと重く苦しい話から、ちょっと息抜き感覚で冒頭を書いてみら、思ってたほど長くなってしましました。
まだまだ話は続きますので、読者の皆様今後もどうかよろしくお願いします。m(__)m