スティグマ~たんぽぽの子供たち~ 番外編その④3.5曹と九十九鬼
土の匂いと、刺すほどの冷たい外気を顔に受け男が目を開けた。ぼんやりとした景色の向こうに揺らめく明かりが何なのか最初はわからなかったが、やがてピントが合ってくると焚き火だと気づいた。
焚き火から目をそらして辺りを見渡すと、焚き火の横に座っている人間がいる事に気づいた。思わず口を動かして声を出そうとするが、おかしな事に声が出せなかった。逆に、喉の辺りから乾いた音が聞こえてくる。
ようやく男は自分の喉から息が漏れている事に気づいた。
次第に呼吸が荒くなるのと同時に喉から響く乾音も強くなっていく。
「おっ、ねぇ。生きてる。コイツまだ生きてるよ!!」
焚き火の側に座っている一人が振り返ると、隣に座っているもう人の人間に声を掛けた。
「驚いた。アラサルシに襲われて、てっきり死んだもんだと思ったが…凄い強運だな」
「ねぇ見て、『ここはどこなんだ?』って顔してる。喉を食われたから声が出ないんだよ長老どうせ助からないよ。楽してしてあげよう」
「待てアラサルシに襲われ助かったのなら、宿命を承ったはず。ワシらが勝手に決めてはならん、コイツが決める事だ」
2人の会話を耳にしている間、男は自分の身体を確認していた。少しでも頭を動かせは背中に痛みが走り、手を顔に近づけようとすると手首から上が無かった。
この時、自分の体が左腕を僅かに残して四肢が引きちぎられている事に気づいた。
「ヒゥ…グゥ…ウゥ…ヒグゥ…ゴホッ、ゴポッ」
精一杯悲鳴も喉からわずかにしか出ず、それも次第に血痰と混じり激しくむせ込んだ。
何で、どうして、何があった。その疑問が頭を巡り、目の前にいる2人に助けを求めるように視線を投げ掛けるが、2人はまだ議論をしている。
「長老…やっぱり楽にしてあげよう。例え助かってもアラサルシの食われた身体…もう殆ど残ってないし、このまま生かしても可愛そうだよ。アタシが見つけなかったらこのまま死んでたんだし」
「ならんっ!! 勝手にカムイ・モシリ送るなどあってはならんことだ。それに、こうなったのはワシらしにも責任がある。エシャラをアラサルシにしてしまった責任がな。これはその罪滅ぼしでもあるのだぞ」
「じゃあ、どうするのさ長老。このままこの人を向こうに返したら、アタシ達の事がバレちゃうよ、隠しておくなんて出来ないよ」
「ワシに考えがある。チェカム、人食刀を使う」
「長老…まさか、この人を死骸に堕とすの?」
「ああ、せめて失くなった所だけでも戻してやらねば」
「でも、でも…長老」
「せめて、選択はさせてやる」
男には2人の会話が耳に届いているが、目がかすれ視界は殆ど見えいない。それでも黒い影が自分の方に寄ってくるのが見えて、それが隣まで来るとゆっくりと話始めた。
「本来なら死んでいた。だが生きていても死ぬほどの苦しみが待っている。それでもお前は生きたいか?」
男には何の事なのかわからなかった。一体何を話しているのか、自分がどうしてここにいるのかさえ考えられないくらい思考は停止していた。
ただ、この長老が言う『生きたい』と言う言葉にだけは反応できた。
「死ぬより辛い人生が待っている、それでもお前は生きたいのか? 生きたいなら瞼を2回閉じろ。1回ならこのままカムイ・モシリに送ってやろう」
この理解できない状況が続いている中で、死にたくない。その思いだけは強く抱いていた。男は残る力を精一杯出してゆっくりと2回瞬きをした。
「よし、では生きろ。伝承を唄う者よ」
次の瞬間。強烈な痛みと共に胸に熱い何かが突き刺さるのを感じると、男の意識はそこで途切れた。
「おいっ!! 起きろ!! 起きろって、38号!! 起きろよ!!」
「うぅっ、うるせぇな!! わかった、わかったよ」
睡眠中だった38号は、乱暴に肩を叩かれ少し不機嫌そうに目を覚ました。目をこすりながら眠気眼の視界に入ってきのは浅黒い肌に厳つい顔をした47号の顔だった。
西暦2020年1月14日、長野・群馬県山岳の県境付近某所にある陸自の極秘訓練施設に、38号達を乗せたバスは到着した。訓練所内にある未整備の駐車場に停車すると、開いた入口からフェイスマスクを被った体格のいい男たち数名が勢いよく乗車してくると、機密保持のためバス全体を覆っていた暗幕を乱暴に取り外した。
場所の特定をわからなくする為とはいえ、ここがどこなのか大体の検討はついているしバスの乗客は彼らが全員陸自の隊員であることも知っていた。今まで何度も繰り返してきた光景に誰ひとり驚くこともなく次にくる人物を待っていた。
「ったく、毎度毎度ご苦労なこった。ここにS何ていねぇってんだよ。こっちはただでさえ丸1日地球を半周して、その足でココまで来たんだぜ。茶の一杯ぐらい飲ませろってんだよ」
「…うるさいぞ。移動中に休息できただろう、2時間近く休めれば上々だ。愚痴をこぼすのは弛んでる証拠だ。」
「おいおい…38号よ。立派な言葉痛みにしみるよけど、よだれを垂らしながら言われてもな。キタねぇーから拭けよ」
「よだれ?」
38号は服の袖で口元を拭った。
「気持ちよく寝てたじゃねぇかよ。いい女の夢でも見てたのか? あっわかった!! 向こうでいい女とヤったのを忘れられなかったんだろう。アラブの女は皆腰が抜けるほどパワフルだからな」
47号の揶揄いを半分聞き流しながら窓ガラスに映った自分の顔を見る。酷い顔がそこにあった。中東の砂漠で焼かれ黒くなった肌に、深いシワが創傷のように顔に刻まれ、角刈りにした髪の3分の2は白髪になっている。目下の消えないクマを見た所で自分がもう57歳になった事を思い出した。自分だけでなく、周りの顔なじみの者たちも随分歳を食ったていた。
「いや、…悪夢だったよ」
「バカ言うなよ。悪夢はこれから始まるんだよ」
「ハッ、そうだな。そうだったよ」
38号がため息と一緒に軽い笑みを見せる。悪夢はこれから始まる。だが実際に38号の悪夢はもっと昔、40数年前から始まっていた。
あの12月の北海道から始まった悪夢は決して覚めることなく38号にとり憑いて離れなかった。それはまるで呪いのように。
「…まったく、こんな時に昔の夢を見るなんて。最悪だぜ…まったく」
「あんっ!? 何か言ったか、38号?」
「ああ、言ったさ。これが最後であってほしいってな」
「それは、ここにいる誰もが同じだよ」
「オイっ!! そこの2人、口を閉じておけ。お前たちだけだぞしゃべっているのは!! 遠足じゃねんだぞ、黙って座ってろ!! 後で喋れないくらいシゴいてやるからな!!」
バスの中央付近にたっていた隊員が注意を飛ばした。周りを見渡してみると皆腕を組んで静かに座っている。
軽く頷いてから2人とも皆と一緒に腕を組んで静かに待つことにした。
「ふんっ、若造め」
「声からしてまだ若いな、多分20代後半の陸曹辺りだろう。教育隊のシゴキ口調そのままだし、今回が初なんだろう。ここは大人しく慕ってやろうじゃないか」
「いっちょう遊んでやるか」
「やめておけ、余計面倒になる。それに―」
突然、場の空気が一変した。極度の緊張が辺りを包み込むとバスの入口から使い古した戦闘服をきた男が姿を見せた。
「来たぞ」
「わかってる」
全員がその男に注目した。
「これがいつもの指令事案なら今更説明する気はない。だが今回諸君ら海外組を召集したのは国家の安全保障に危機が迫っているからだ。諸君らには特別任務が与えられる」
その言葉に全員がザワめきたった。
「注目ッ!!」
先ほどの注意した若い隊員が大声を上げた。それだけ皆動揺していたのだ。
「諸君らに下った命令はたった一つ。完璧な戦闘兵を仕上げること、ただそれだけだ。諸君らの新しい身分証はこれより配布される資料と一緒にある。各自、自分のプロフィールを5分以内覚えること。5分後に回収員にファイルを渡した後は、新しい自分になること。以上だ」
挨拶もなしに説明だけ終わると質問は一切受け付けないまま、男はすぐにバスから降りて行ってしまった。
「完璧な戦闘兵を仕上げる? 言葉は違うがいつもの事だろうが。38号、どう言う意味だと思う?」
「さあな、それよも俺が気なったのは『安全保障に危機が迫ってる』の言葉だ。やっぱり日本で戦争が始まるっていうあの噂は本当だったんだ」
「まあ、要するに俺達はハッパを掛けられたってわけだ」
「相変わらず単純だなお前は」
話の途中で、白いA4サイズ程の封筒を渡れた。中を確認するとカード型顔写真入りの身分証明が一枚と、またっく知らない名前と生い立ちが記載されたプロフィールシートが入っていた。38号は一度だけ文章に目を通すと、それを封筒に戻した。すでに38号には文章が頭に入っているからだ。
「お前って…いつも早いよな」
「ああ、今回の俺の名前『東郷源八郎』だって。歳が同じだけで後は全部違ってる。そっちはどうだ」
「俺は『徳島耕三』だよ。もっとマシな名前にしてほしかったんだが、今回は何一つ合ってなかった。暗記するのが大変だ」
この時全員の身元が番号から名前に切り替わった。38号は東郷源八郎、47号は徳島耕三という名に変わった。
5分後、時間ぴったりに回収員が黒い服を広げ一つ一つ渡された資料を回収し始める。全員の回収が終了すると、今後は一人ずつ名前を呼ばれてバスを降りて行った。
多方、その先に自分たちが受け持つであろう訓練隊員がいるに違いない。これから42日間を掛けて訓練隊員達を一つの殺人機械に育て上げなくてならない。それが東郷達『黒い旭日旗』の任務なのだ。
やっと、自分の名をよばれた東郷はバスを降りた。降りてすぐ頭に袋を被らされ、案内役の隊員の肩に手を置いて進んでいく。
いつもの事だ。訓練所以内はいつも袋を被る事が決まっている。東郷は何度も来ている場所であっても、訓所以内はどこに何があるのか把握しきれていない。知る必要はないし、むしろ知りたくもなかった。
「いいぞ」
やっと顔から袋を外されると、吸い込んだ外気から血生臭い匂いが鼻につく。周りを見渡すと小さな部屋に東郷と一緒に来た隊員の他に、迷彩服を着た白髪の少女が立っていた。
「…女性自衛官!?」
「彼女が今回の任務対象者だ。後はまかせる。15分後にまたここに来るからそれまで挨拶をしておくように」
それだけ言うと、隊員は部屋を出て外から鍵を掛けた。東郷がいる部屋は宿舎で2人1組で生活する部屋だった。ここで42日間この少女と生活を共にするというのか、しかも宿舎の部屋は全部外から鍵がかけられる構造になっていて、皆『牢獄』と読んでいる。
2人っきりになってから微妙な空気が漂う。この状況は東郷にも予想外の展開だ。普段なら習志野の空挺団や、松本の山岳レンジャー隊員の猛者達がここにいるはずなのに、よりもよってこんな華奢な身体をした少女が今回の訓練対象者だったとは。
ここがどんな所なのか知っている者として、とてもじゃないが未だに信じられずにいた。目の前にいる少女はどう見てもまだ子供にしか見えない、こんな少女を殺人機械にしろという命令が何かの間違いであって欲しいと思っている。
「今日から42日間お前を訓練する事になった『東郷源八郎』だが…ここがどういう所なのか知ってるのか?」
少女は黙って頷いた。少女の白髪が目立ってそっちに目が向いてしまったが、変な事に少女は目をつぶっていた。
「お前? WACだよな?」
「はい、そのようになっている筈です」
「階級は?」
「3.5曹です」
「なるほど」
3.5曹とは実際には存在しない階級、すなわち存在しない隊員という意味だった。別の意味として非正規隊員と言う意味もある。自衛隊を動かす事ができない場合い投入される秘密部隊、今回はその隊員の訓練なのだと東郷は理解した。
「それじゃー何で目をつぶっている。つぶったままだとこっちの顔がわからないだろう。ちゃんと目を見てこっちを見ろ」
「目を閉じているのは、良く見えすぎてしまうからです。本来見なくていいモノまでもよく見えてしまうので、目を閉じているくらいが丁度いいのです」
早速上官への反抗が現れた。
「指導1だッ!!」
東郷の拳が少女の右頬に打ち込まれた。衝撃で半歩後ろに下がると唇と鼻から流血した。まだ幼気な少女に手を挙げて若干の心が痛んだが、これも訓練と思いすぐに割り切ることにした。
「オレは、目を開けろと言ったんだぞ。開けろ」
「…はい。ですが、驚かないで下さい」
口元を袖で抜ると、少女はゆっくりと目を開いた。
「その目…」
開いた目が上官に向けられる。そこには赤い瞳孔をした2つの眼球がしっかりと東郷を捉えたていた。
「あれッ!? 意外と驚かないですね。里のアイツに見せたときは結構驚いたのに、それとも始めてではなかったですか?」
その瞳を見れば誰もが驚くだろう。それが普通だ。だが、東郷は別だった。何故なら―
「3人目だ」
「えっ」
「お前で3人目だよ。あの時と同じ死神の目をした奴を見たのはお前が3人目だ」
「そうでしたか……」
少女は始めて苦笑したような顔を見せた。思っていたより違った反応をされて困ったような顔にも見える。
「…でも、最後に見たのは大分昔ですね。ああ、なるほど一度死んだ。そうですね」
「何でそれを知ってる? お前…誰だ?」
「私の名は月宮巴です。以後お見知りおきを、九十九鬼さん」
「!?」
それは、だれも知らないはずの東郷の本名だった。
皆さんこんにちは、朏天仁です。今回は番外編を載せさせて頂きました!
いかがだったですか? 多分、誤字脱字があって読みにくいと思いますが、見つけ次第修正していきますのでご了承下さいm(_ _)m
でわ、次回またよろしくお願い致しますヽ(´ー`)ノ




