スティグマ~たんぽぽの子供たち~ 番外編その③新しき日常
朝霜が晴れようやく朝日が眩しく里を照らし始めた頃、里の外れにある弓道場の射場で月宮巴が一人矢を放っていた。射場から遠的場(約60m)の矢道の先に、一円玉よりも小さく見える的目掛け一矢が飛ぶと、的の中心に見事命中した。
続けて2本目、3本目とも見事中心に命中した。
「ふーぅ」
やや不機嫌そうな溜め息を出すと、さらに4本目の矢を弓に掛ける。目を瞑ったままゆっくりと狙いを定めると、独り言のように呟いた。
「椿姉さん、遊ばないでください」
「あら、気づいてたの? 相変わらず目を閉じてる割にはよく見えてること」
巴のすぐ横まで忍び寄っていた彼女の名は久家椿、巴の白の弓道着とは対照的に黒の弓道着を着ている。年齢は20歳ぐらいでまだ幼さが残る温厚な顔立ちだ。目立つ特徴としてはショートヘアーの茶髪と爪にマニュキュアをしている。どう見ても都会の雰囲気が漂っていた。
そんな彼女がこっそり巴を脅かそうと思ったようだが、最初からバレていたようだ。
「椿姉さん? いつ帰って来れられてのですか?」
「昨晩よ、丁度入れ違いだった見たいね」
「そうですか…」
「なーに、その態度は!? 久しぶりに会ったわりには不機嫌そうじゃないの? 大学の追試でちょっと遅れるって言ってたけど、ちゃんと正月前には帰るって言ったでしょう。そんなにふくれないでよ、ちゃんと約束は守ってるから」
「別に怒ってなんていません」
「怒ってんだ?」
「なっ、椿姉さんがそう聞くから」
「私は不機嫌そうって言ったのよ。怒ってるなんて一言も言ってないわ」
「うっ、…そうやって私を揶揄する所が嫌いなんです」
「あはははっ、ゴメン、ゴメン。そんなに本気で怒らないでよ謝るから、それでその不機嫌な原因は何なの? あんたがそこで気を乱すなんて珍しいからね」
椿は会話を続けなら矢を弓に掛け引くと、呼吸を止め放った。風切音を立てながら矢は大きく的を外れ的場の土盛りされた垜に突き刺さった。
「あっちゃーぁ、やっぱり腕が落ちちゃってるね。こりゃー戻るのに時間がかかるわね」
「椿姉さんならすぐですよ。それに『山雀』を使わずによく当ててるほうです。菘や綾達なんて、すぐに『山雀』を使いたがるのよ。式神に頼りすぎたら修行にならないわ」
「あの子達はまだ子供じゃない。始めて自分の式神が持てたから嬉しいのよ。私も最初そうだったし、巴ちゃんも…は違ったっけ。その身体だから知らないものね」
「…ええっ」
寂しそうに一言返すと、巴は四本目の矢を再び弓に掛け放った。今度も的の中心付近に命中した。
「そうだ。椿姉さんにお願いがあったの。例の体術『月鎌流居合体術』の続き、教えてもらいたいんです。いいかしら?」
「別に構わないわよ。『里流れ』の私はちょうど最近体も鈍っていた所だったから、午後の稽古の時でいいかしら」
「ええ、お願いします」
巴は軽くお辞儀をする。
「それにしてもおかしな事よね、七夜の里の鎮守様が月鎌の里の技を教わってるなんて」
椿の言葉で巴は昨晩の出来事を思い出した。
「私たちの技は主に式神や霊力を陰陽道に組み入れて術式を進化させてきました。でもそれだけはダメなんです。私たちの術は魑魅魍魎達に効いても、対人に対しては脆弱だったんです。だから人体破壊の忍術と白兵鬼戦を目的に編み出された『月鎌流居合体術』がどうしても必要なんです」
「それって、昨日巴ちゃんが殺めそこねた外の人間の事? お館様や鎮守頭達が言っていたわよ」
巴はバツが悪そうに表情を曇らせた。
「…ええ、確かに心臓を射たし手応えもあった。でも無傷だった。そして小柄で2度刺したけど殺せなかった…」
「単に防刃ベストか何かを着てただけでしょう。最近のはよく出来てるって言うし」
可能性としては一番高い筈だが、巴は首を横に振る。
「あとで服を確認したら、ただの布切れで出来た服だったの、他にそれらしいのは見当たらなかったわ。あの人間普通じゃないわ」
「それで、月鎌流ってわけね。私ちょっとその外から来たって言う人間に興味がでてきな、この後で会ってみようかしら」
「いけませんっ!! 椿姉さんがあっ、あんな不埒者…など、あっ、会って…会ったりして何されるかわかりませんから」
巴の慌てた様子に椿は驚いた。こんなに耳まで真っ赤にして動揺している巴の姿を今まで見たことがなかったからだ。
一体昨晩に何があったんだろうと考えたが、巴の赤面を見ている内に逆に興味が湧いてきた。
「はっはあーん、さては今朝から機嫌がよろしくないのはそれが理由だったのね。わかった!! その人に何かされたんだ。それで-」
話の途中で椿の言葉が止まった。背中に戦慄が走ると、ちょっと悪ふざけが過ぎたと椿は唾を飲み込んだ。理由は普段巴の閉じている目が半分開き椿を凝視しているからだ。
「もしかして、怒ってるの?」
「はい」
「あんた…一体何されたのよ…?」
「…ぅ……っ」
巴はさらに頬を赤め下唇を噛んだまま俯いた。何をされたか? それは不可抗力とはいえ服を剥がされ、自分の胸を相手に晒し出してしまった事だ。思い出しただけでも顔から火が出そうなくらい恥ずかし出来事だ。
それを説明する事など、ましてや他の人に知られる事など恥ずかしさの極み。絶対に口が裂けても言えなかった。
「私、これで失礼します!!」
「えっ!? ちょっと巴ちゃん!!」
巴は弓を掴むと、足早にその場から立ち去って行った。
「まったく。ウブなんだから…ほんと」
一人残った椿は次矢を弓に掛け引くと、温厚な顔が一気につり上がった。
「全部自分で抱え込むと、後で誰も助けてくれなくなるんだらな。あんたのそういう所が嫌いなのよ!!」
放たれた矢は今まで垜に刺さっていた場所とは違って、的の中心に綺麗に命中した。続けて二矢、三矢も中心の円に命中する。先ほどの腕前とはまたっく別人のように変わっている。
「もっと里の仲間を信用しないと、痛い目みるわよ」
椿は冷たい微笑みを浮かべると、四矢目も的の中心に命中される。一矢目の矢の端『矢筈』と呼ばれる所に四矢目の矢尻が当たり、割るように進みながら命中したのだ。
恐ろしいまでの細密射撃を椿は簡単にやって見せた。
襖の隙間から差し込まれる明かりが顔にかかっると、島はゆっくと瞼を開いた。見慣れぬ天井、部屋に漂う木と畳の香り、以前暮らしていた実家の部屋とも、駐屯地の営内舎とも違う情景にまだ夢の中なのではないかと思ってしまう。
山中を逃げ回り、白髪の少女に殺されかけ、満身創痍でもうダメかと諦めかけた時に同じ自衛官に助けられる。どこをどう考えても現実にはありえない事だらけだった。アレが現実だったと俄かには受けれ入れなれなかった。
しかし、島の思いとは逆に右肩と左足から伝わる痺れるような痛みが、昨晩のアレが夢ではなかったと証明していた。
「痛…ッ」
起きる上がると当時に右肩に痛みが走る。手で確認してみると何やら御札らしきモノが傷口に貼られていた。ゆっくりと身体を起こすと軽く背伸びをしてみる。
「おおっ、大丈夫そうだな」
先ほどの痛みが嘘のように消えて、右肩と左足が動かせる。かなりの深手を追ったと思ったが以外にもそうではなかったのかと、考えながらも布団を畳もうと体が勝手に動き出す。
身体に隊での生活習慣が染み付いてしまっていて、どんな状況下に置かれても自然と身体は動いてしまうものだ。
シワもなく綺麗に三等分にたたみ終えると部屋の周囲を見渡した。
差し込まれた光量が強くなり部屋の中が薄明るくなってくると、だんだん周りが見えてきた。十畳程の畳部屋に布団がたたまれたいる。壁は白の漆喰で天井には照明器具は一切なく、コンセント類も見当たらなかった。まるで一昔前に出てきそうな日本家屋そのままだった。
ここでようやく島は自分が着ている服が戦闘服ではなく、紺のサムイを着ている事に気づいた。
「えっ!? いつ着替えたんだ?」
辺りを見渡しても自分の衣類も所持品も見たらたない変わりに、布団一式が置いてある状況だった。
困惑する島に、腹から今一番最優先にしなければならないお知らせが鳴いてきた。
「はっ、腹…減った」
考えみれば丸二日何も口にしていない状態だ。そう思った瞬間肩に重い疲労感を感じ、頭痛も感じ始めた。おそらく低血糖で間違いないだろう。空腹は今しばらく我慢するとして、喉の渇きだけは何とかしたかった。
それは何故か喉の渇きが尋常ではなかったからだ。軽い脱水症状にでも陥ったのいる可能性があり、水分補給が急務だった。
跛をひきながら襖を開けると、冷たい外気が一気に部屋へ入り込み身震いを起こす。考えてみれば今は真冬の12月だ。息をすれば喉が凍りつく程につめたい空気が肺に入ってくる。
指先に白い吐息を吹きかけながら外の景色に目を向けると、そこには地面が白石の砂利に覆われ切り開けた庭が広がっていた。辺りには何本もの巨大な杉の大木がそびえ、その神々しさに思わず息を飲んだ。
不思議と身体が軽くなり、自分の感性が研ぎ澄まされていくような感覚に陥った。
「ゴホンっ、」
その雄大な神秘さを目にしながら止まっている島の横で誰かの咳払いがした。見るとそこには10歳ぐらいの女の子が、白生地に薄い桜色の線で模様され着物を着ている。整えられた艶のある綺麗な黒髪と黒い大きな瞳がじっと島の顔を下から見据えている。
「えっと…あの、おっおはようございます」
ぎこちなく挨拶をしてみるが、少女は反応を見せずにずっと島を見ている。その視線から目をそらしながら言葉を続けた。
「あっ、あの…ちょっと、喉が渇いたんですけど。水ありませんか? 飲みたいんだけど」
「……」
少女は、なおも見つめている。
「…あの…飲み物、なんかないの?」
今度はコップで飲むジェスチャーをしてみると、始めて少女の顔色が変わった。細く小さな指で島の服の袖をつまむと軽く引っ張りながら歩き始める。
「良かった。やっと伝わったか。良かった、良かった」
ミシミシと音が響く狭い廊下を少女に連れられながら進むうちに、自分の肩と足が普通に歩けている事にまだ気づいていなかった。
弓道場から走りながら家に着いた巴は玄関を上がり、奥の居間の襖を乱暴に開けた。そして、荒い息のまま袴の帯を解いて脱ぎ、上着の紐を解くとその場に脱ぎ捨てた。
色白の細く無駄なぜい肉などない身体が現れ、細い腕が髪をまとめ上げる。下着らしいものといえば胸に白いサラシが巻いてあるだけだ。
「よっと」
髪をまとめ上げ終わると、今後はそのサラシを解き始めている。だがその最中に背後で人の気配を感じて振り超えると、そこに着物を着た一人の少女が立っていた。
「何だ、道士か…びっくりさせないでよ。何か用?」
道士と呼ばれるその少女は無言のまま人差指を巴の斜め後ろ側に向けた。その方向に巴がゆっくり顔を向けるとそこにいたのは、部屋の隅でおにぎりを口に入れたまま固まっている島義弘だった。
「…ぁ…ぁ…」
驚きと戸惑いに体が動かない状態で巴の裸体を注視している。巴にしても虚を突かれた状態で固まっていたが、すぐに恥じらうようにしゃがみ込むと、割れんばかりの悲鳴が部屋中に響いた。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァッァァァ!!!!!!!!!!」
悲鳴に驚いた島は銜えていたおにぎりを吹きだし、慌てて巴から視線を逸らしなが喋りだした。
「ごっごっごめん、あの、その、えっと、えっと、喉が乾いてっじゃなかった、その、あの、誤解だ。俺がここにいたのは、えっと、その」
「いやあああっ!! 来るなぁ!! 寄るなぁ!! 近づくなぁ!!」
「おおおっ落ち着いてくれ、なあ。頼むから、えっと、本当に落ち着いて話を聞いていくよ」
「あああぁぁぁもうぉ!! こっち見るなぁ!! 向こう向けぇ!! 向こうをっ!! こっちを見るなよぉ!!」
パニック状態の二人の間に先ほどの少女が入り込むと、両手で島の目を塞ぎだした。
「えっ、ちょっと」
いきなり視界を塞がれたが、島はその手を払いのける事はせずにその状態を受け入れた。その隙に巴は箪笥から着物を取り出すと、素早く着替えを済ませる。
巴が着替え終わると当時に奥の廊下から足音が近づいてきた。
「どうした? 何だ今の悲鳴は誰だ?」
足音の主は月宮誠だった。部屋の状態を見た誠は何が起こったのか理解でずにいる。
「にっ、兄様…こっ、コレは一体どういうことですか?」
「コレとは何だ?」
「この人間の事です。なぜこの人間が私の家にいるのですか? 侵入者は座敷牢に入れるのが普通でしょう。なぜここにいるのですか?」
「落ち着け巴、彼は元侵入者であって今は客人だ。客人を無下に扱うわけにはいかんだろうが」
「でも…しかし、何故私の家にいるのですか?」
「何故と言われてもな。彼は巴…お前の教育係りだからだ」
「へっ!? 今…何と…?」
「近々我々はこの里を出てしばらく外界で暮らす事になった。お前も一緒に来るからそれまでに彼から外界の状況を教えてもらい、知識として蓄えておくんだ」
今後は巴が驚きのあまり固まってしまった。
「道士、その手を下ろすんだ」
誠に言われ道士は言われた通りに手を下ろすと、ゆっくりと後ろに下がった。
「島義弘殿だったな」
「えっ、はい。そうですが」
誠は島の前でゆっくり頭を下げた。
「妹をよろしくお頼み申す」
「えっ、あの、どう意味でしょうか…」
島もまた巴と同じように困惑したまま固まってしまった。
二人の様子を見ていた道士の少女は部屋の入口付近で固まっている巴に近づいた。顔を覗き込むと真っ青な顔色の巴がブツブツと何かを呟いていた。
「ありえないわ…どうして…何で鎮守の私が里を…外界に…何で…どうしてよ…しかもあの男が…一緒に…何で…こんなのって…何で…何で…どうして…」
その様子に道士は無言のまま巴の背中にそっと手を当てた。まるで『ご愁傷様です』と言わんばかりに。
こんばんは、朏天仁です。久しぶりの番外編いかがでしょうか? 最近小説を執筆していて本編と番外編がこんがらがってしまい、大変でした(´д`)
さて、次回は気になっていた本編へと移ります。
GW真っ只中ですが、私にGWは無縁です。このまま小説を書き上げていきたいと思います。
最後まで読み終わりましたら、小説家になろう勝手にランキングを1クリックしていただくと助かります( ´ ▽ ` )
では、読者の皆様。ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます。次回またお会いしましょう(´ー`)/~~




