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招かねざる者

 翌朝、東空からの朝日がたんぽぽの食堂を明るく照らし始めてた頃。台所から蒼崎玲子の規則正しく立てる包丁の音が一日の始まりを告げていた。大きな生欠伸を出しながら、顔を洗いに起きて来た亮は洗面所の鏡に写った自分の顔を眺めてみる。

「…はぁん、ひでぇ顔…」

 再び欠伸を伸ばしたとき、寝不足で頭の重い亮の鼓膜を激しく揺らす怒鳴り声が響いてきた。ただでさえ寝不足で調子が悪い状態なのに、一体どうしたんだと声のする方向に自然と足が向いた。この頭にガンガンと突き刺つような独特な声の主はどうやら彩音のようだ。

 彩音の怒鳴り声ならいつも亮は聞いていたが、声はどうやらリビングの方からだった。頭を掻きながら重たいまなこをこすり様子を伺ってみる。

 多方蒼崎先生と彩音が朝から口論でもしているんだろうと思ってみたが、今回はちょっと様子が変だった。いや、むしろ目の前に異様な光景が広がっていた。

「こらぁー2人とも正座せぇいー正座!」

 そこにいたのは寝巻きを着たままのマナと葵が申し訳なさそうに正座をして、その前には般若のような形相をした彩音が仁王立ちして怒っていた。

 普段の光景とはまったくかけ離れた状況がそこにあり、亮は一瞬自分はまだ夢の中にいるのかと思った程だった。

「まったくマナ! あんたいったいいくつやぁー、もう14にもなって何やっとんのじゃ!! こんなデッカイ世界地図を、よぉ描いたなぁええぇ!! 未だにオネショすなんてぇええ恥ずかしいと思わんのかいな」

「……うぅ、ごめんなさい。彩()ぇー」

「葵!! あんたもあんたや、よりにもよってクズ男のベッドで寝るなんて、しかもマナを抱いて寝るなんて、何て羨ましい…じゃなくて、なんてはしたないんや!! 少しは良識と分別を持たんとアカンでぇ!!」

 それはお前だろう。と亮はツッコミたくなったが、状況がいま一つ飲み込めていないため黙って聞き入ることにした。

 『あやねさん ごめんなさい』と葵はスケッチブックに書いて見せる。一番言われてくないそのセリフを、一番言われてたくない人に言われてる葵だったが、今は反論せずに受け止めている。

「あの…先生。これは一体どうしたんですか? 彩音のやつ、一体どうしたんですか」

 亮は台所で焼きあがった卵焼きを皿に移している蒼崎に訪ねた。どうやら彩音の起こっている原因は3つあるようだ。

 一つ目はマナが亮の部屋のベットで寝ていて一夜を過ごしたこと。二つ目はそこでマナがオネショをしてしまったこと。三つ目は今日の洗濯当番が彩音であり、よりもよって亮のシーツを洗うという余計な仕事増やしてしまったことが彩音の逆鱗を更に激情させたのだ。

 葵に対しては、マナと一緒に寝ていたことを怒っているようだ。

「そういうことだったのか」

「そうよ、だから今は彩音には近づかないようにね。いらぬとばっちりを貰うハメになるから、ご飯ができるまでほっとくのよ」

「はいはい、わかりましたよ」

「それよりも亮君、一つ聞いてもいいかしら?」

「何ですか?」

「昨日マナちゃん達が亮君のベッドで寝てたけど、亮君も一緒に寝たの?」

「寝てません!!」

 きっぱり否定すると、喉元に冷たいモノが押し当てられた。それが包丁と気づいたとき亮は唾を飲み込んだ。

「本当に!? 正直に話した方が身のためよ。後になって白状しても許さないからね。どうなの?」

「…あの、センセェ!? …どうしたんですか? 何かいつもと雰囲気が違うみたいですけど…」

 包丁を向けたまま、目を据わらせ蒼崎の顔が近づいていくる。耳元まで近づけると小さく囁いた。

「昨日、病院から帰ったあとにセンターの神矢朋子ともちゃんから連絡あってね。なんでも亮君が葵ちゃんを食べちゃったっていうのよ」

「えっ!?」

 恐らく昨日葵が見せたがあのスケッチブックの内容だろ。あの瞬間いらぬ誤解を生んでしまったと思ったが、そもそも神山講師と蒼崎先生は元々親友だったのだかたら遅かれ早かれ話は届くと思っていた。しかし、よりもよってこんなにも早く蒼崎先生の所に話が来てしまっていたとは、亮にとっても予想外だった。

「…思いのほか…早かったんでね…」

「それじゃ」

 蒼崎の瞳孔が広がると同時に、包丁の刃が喉に食い込み始める。まずい、このままでは朝食を迎える前に、三途の川を渡るはめになると確信した。

「誤解です!! 誤解ですってばぁ!! 俺は葵に何もしてませんから、あれは葵がまだ日本語に慣れてないまま書いたのを神矢先生がそのまま本気にしただけですから。ホントに何もないですってば!!」

「………よかろう。ただ、マナちゃんの事はどうなの? どう考えてるのよ」

「どおって、別に…」

 更に刃が食い込んできた。

「やぁ、ゴメンナサイ!! ゴメンナサイ!! マナは、マナは大切に思ってますって、妹のように大事に思ってますって」

「は~ぁ、ホント鈍感ね亮君は…」

「どう言う意味ですか?」

「なんで昨日マナちゃんが亮君の部屋に行ったと思うの、今までそんな事あった? あれはマナちゃんの防衛本能の現れじゃないの」

「防衛…本能って!?」

「亮君がどこかに行かないように、側にいたいっていう気持ちの表れなんじゃないかしら、それな昨日の行動もガッテンがいくと思うんだけどなーって、先生は考えてるんだけど。そんな事も…って、亮君にはまだ乙女心はわかんないか」

「俺、男ですから」

「はいはい、それりよりも楓ちゃん起こしてしてくれるかしら。まだ部屋から出てきてないのよ、亮君お願い」

 ついつい存在感の無さで忘れがちにされるが、このたんぽぽには彩音、マナ、葵の他にもう一人風間楓がいるのだ。

 彼女はちょっと特殊な亜民であり、ここに来た経緯も少し複雑だった。亮はあえて蒼崎に訪ねる事はしなかったが、楓の噂はセンターにいても何度か聞いた事があった。

 あくまでも噂話だったが、亜民認定後に両親を殺害して医療少年院に強制入所したらしい。唯一の肉親である兄はその後精神を病んで自殺したらしいとも聞いた。

 こういう噂話には尾ひれがついて大げさになるは事は亮もわかっていたし、第一楓本人とひとつ屋根の下で暮らしている中で、楓が人を殺せるような人間じゃないのは確かっただった。それは、数多の人を殺めてきた亮にはわかりきった事だった。

「はい、起こしてきますよ」

 押し当てられた包丁を戻され、やっと解放された亮が台所を抜けてリビングを通り抜け用途したとき、まだ彩音の説教が続いていた。

 ふいにマナに目を向けると、薄蒼の浴衣を着ていた。たしか昨日はその浴衣と薄桃色の浴衣を着た葵と二人で亮のベットに寝ていたのを思い出した。

 お互いの身体を抱き寄せ、少しだけ襟元がはだけ隙間から僅かに覗かせる胸の谷間と、細く艶のある足をお互いに絡めあわせて眠る姿が脳裏の駆け巡った。

 あの二人の間に挟まって寝ていたら間違いなく一睡も眠れなかっただろう、と思いながら亮は二人を横目でやり過ごした。

 一瞬、マナのすがるような目と合ったが今回はマナが悪いため、そのまま受け流しす。

(そんな目で見てもダメだよ。今回は彩音の方が正しいから、あと少しの辛抱だから我慢しろ!!)

 そう目で言葉を伝えると、亮は2階の楓の部屋へと向かった。

 今にも底が抜けそうなきしみ音を立てる階段を上り終えると、楓の部屋で軽く2回ノックをする。

「………」

 返事がないためもう一度ノックをするが、これも応答がない。2回ノックをしても返事がなかった場合はたんぽぽ内規則部屋に入ることが許可されている。亮もその規則にのっとってドアを開けた。カーテンを開けた窓から射す光が、明るく中を照らしながら部屋の奥に楓の姿がった。

「ああ、またいつものアレか」

 返事がなかった理由はいつものように楓が自分の世界に浸りきっていたためだった。この風間楓は他の亜民とは少し違った能力があった。

 楓は生まれつき知的障害を持っていた。だが両親がそれを認めなかったため、普通の子供と同じようにしつけようとした為に、厳しい家庭環境で自閉症を発症してしまったのだ。年齢は16歳で彩音の一つ下だが、精神年齢は小学校低学年態度しかない。どこにでもいる普通の亜民だがったが、蒼崎玲子が楓を受け持った時に気まぐれで絵を描かせた事で楓の隠された才能が開花された。

 楓は絵を描くことに没頭してしまうのだ。それも尋常じゃないくらいずっと描き続けてしまう。

 以前、丸2日描き続けたときは流石の蒼崎玲子も筆を取り上げた程だった。しかも楓の観察力は凄まじく、ほんの数秒対象物を見ただけでその細部まで記憶する事ができ、それをそのままスケッチブックに忠実に写実する事ができる。

 この能力が見つかった事で、楓の作品は日連埼玉美術協会写実部の特待作品に選出され続けている。表向きの評価は亜民という事で低く評価されているのだが、写実ファンの間では一般写実画の数倍の金額で取引されていると以前蒼崎が話していた。この万年金欠状態の『たんぽぽ』運営に、楓の絵が主な収入源になっているため、皆楓の作業の邪魔だけはしない事が暗黙のルールになっていた。

「楓、先生がご飯になるから降りてきなってさ」

「……」

「なあー、楓ってば!!」

「……」

 やはり楓は自分の世界に張り込んでしまっているため亮の声が聞こえてない。以前は声掛けで気がついていたが、最近はそれだけではダメになっている。ここまでくると、強行手段として楓の視界をシャットアウトするしか方法がない。

 後ろからそっと近づき両手で両目を覆った。

「おい、楓。朝ごは―」

「うはああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 ―パシーンっ!!―


「あら、さっきスゴイ声が聞こえたみたいだけど、大丈夫?」

はひ(はい)らいひょうぷてす(だいじょうぶです)

 楓と連れて1階に戻ってきた亮の頬が晴れ上がっていた。突然視界を塞がれパニックになった楓のビンタを食らったのがハッキリとわかった。

「そう、その様子だと亮君が行ってくれて正解だったみたいね」

ひゃては(さては)ひゃめまひたね(ハメましたね)まっひゃく(まったく)

「いいじゃないのよ。先生だって朝ご飯で手がはなさせなかったんだから」

そのはりにゅは(そのわりには)なひ()しゅてるんてしゅか(してるんですか)?」

 亮の視界には、さっきまでマナと葵を説教していた彩音の上に蒼崎先生が馬乗りになってアイアンクローを食い込ませている状況がそこにあった。

 しかも、マナと葵の浴衣が開けかけていて手で胸元を隠している。二人共怯えた状態でお互い抱き合っている。

「ああ、これねぇー彩音が突然発情しちゃって今落ち着かせている所なのよ。ふっふふふ」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛アカン、アカン、先生ぇアカン!! 出てまう、出てまうってアカン、アカン!!」

 ミシミシと頭蓋骨を締めつけらながら、失神寸前な彩音が悲痛な断末魔の叫びを上げていた。これは亮でもすぐに状況が理解できた。彩音の性格上マナと葵の浴衣姿に欲情し、そのまま押し倒した所を蒼崎先生に捕まったんだと。

 この光景こそ普段からある『たんぽぽ』の日常だと亮は一人頷いた。

「ほらほらみんな、いつまでも立ってないで朝ごはん食べる準備しなさいね。亮君は顔洗って着替える、マナちゃんと葵ちゃんそれに楓ちゃんは着替えてくる。さあ、みんな動いた動いた」

 蒼崎の合図で皆が一斉に動きだ出した。

「おっと、彩音はこのままね。みんなが着替えてきたら手を放してあげるから、それまで先生と一緒だから。ねぇ!!」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 更に蒼崎のアイアンクローが締め上げた。

 全員がそろってテーブルに着いたのはそれから10分もかからなかった。彩音は蒼崎のお灸が聞いたのか、黙ったまま箸を手に持つと『いただきます』と言って食べ始めた。

 朝食のおかずは卵焼きに、昨晩の残りのサラダに二品だった。

 食べ始めてすぐ、いつもなら談笑混じりの朝食なのだが、今日は皆静かに食べていた。

 たまにこういう静かな日もあるのだが、結局皆その静けさに耐えかねていつも先人を切ってしゃべりだす奴を待っているに過ぎなかった。

「大体や、うちがマナや葵ちゃんの寝巻きを洗うんのはいいとしてもや、なんであの臭いベッドまでうちが洗わなぁいかんのや!」

「・・・・悪かったな。臭いベッドで!!」

 確かに臭いといわれてみれば、ここ3日間布団を干した記憶はなく、毎晩自分の寝汗が染み込んだベッドはさぞ臭かっただろうなと、そのへんの所は彩音に悪いことをしたと思った。

「うぅ…別に亮兄ぃーのベッド、マナ臭いと思わなかったよ…ね!」

『うん まなちゃん いいにおい してた』

 どうやら一緒に一晩を過ごせて、2人は親睦を深めたようだ。

 しかし、その会話が彩音の逆鱗に触れることになった。

「おおおおぉぉぉぉぉ――――のれわはぁぁぁぁ、ほんまにぃぃ――反省しとんのかぁぁぁ!!」

 彩音の罵声がマナと葵の鼓膜を揺らすと、さらに強烈なゲンコツが2人の頭に仲良く落ちた。

 ゲンコツをもらった2人は両手で頭を押えると、涙目でもう一度彩音に謝った。

 その光景を朝食を食べてながら見ていた青崎は、そろそろ頃合だと思い助け舟を出すことにした。

「ちょっと彩音、もうその辺でいいでしょう。ほら3人とも早くご飯食べてくれないと片付けられないでしょ」

「先生は2人を甘やかし過ぎや、亮だってズルイや、今までだってマナと一緒に寝たことあるやろうが、うちだって一緒に寝たいのに…」

「あのねぇ、彩音と一緒に寝たらみんな危ない道に入っちゃうでしょう。一緒に寝るのが亮君だからいいのよ」

「何でやぁ!! 不公平やぁ!!」

「ごちそうさま」

 会話を打ち切るように一番最初に食べ終わった楓は、てきぱきと食器を片付けると部屋に戻っていた。楓はいつも一番に食べ終わる。よっぽど仕上げたい絵があるんだろう。

「ほら、みんなも楓でみたいに早く食べちゃってちょうだい、片付けるのは私なんだから、それと亮君今日の予定は? もし手が空くんだったら庭の野菜に竹酢ちくさくをまいといてほしいんだけど、最近虫が多いいみたいだから」

 竹酢とは竹酢液のことで、竹炭を製造するときに出た煙を冷やして集めた液体のことだ。害虫が嫌いな匂いを発しているため、無農薬野菜をしている『たんぽぽ』の家庭菜園にはなくてはならない必需品なのだ。

「はい、別にいいですけど今日はこれから本庄の職安ハローワークに行ってこようと思ってます。午後には帰って来れると思うから、竹酢は帰って来てからでもいいですか?」

「そうねぇ、…まあ午後でもいいわよ。それじゃあー頼んだからね、亮君」

「はい」

 その会話を聞いていたマナは『マナも一緒に行く!』と言おうとしたが、もしここで言うようものなら、また彩音に何か言われる気がして、そのまま飲み込んだ。

「ご馳走様でした。それじゃーこれ片付けたら行ってきます」

 食べ終わった亮は食器を台所まで運ぶと、部屋に戻りバックを手に持ってそのまま玄関まで降りていった。靴を履いて玄関から出ると、いつもみたいに特殊蛍光塗料が巻かれていることを確認してドアを閉めた。

 玄関を出た亮は、昨夜から感じている視線のようなモノを感じていた。

 2・3回辺りを見渡しても、とくに変わった様子は見られなかったが、亮の胸の奥を得体の知れない何かが警告を発していた。

 背中に悪寒が走り、妙な胸騒ぎに襲われる。昨日のボイスの言っていた言葉がよぎったが、戻ってくるまでは葵は家にいるだろうし、こんな真昼間から襲ってくる可能性は低いと思っていた。ただの取り越し苦労だと亮は自分に言い聞かせた。

 数十分後に、亮の胸騒ぎが現実になるとは誰も予想していなかった。

「さあ、後はあなた達だけだから、早く食べちゃって」

 食堂に残った4人の中で、1人マナだけは残念そうな顔で最後の一口を食べおえた。

「はら2人とも、食べ終わったら片付け手伝って。マナちゃんは最後だから葵ちゃんと一緒にお皿洗いを洗って、彩音はテーブルを拭いてちょうだい」

 青崎先生がテキパキと指示をだすと、みんなキビキビと動きながら後片付けを行いはじめた。

 食べ終わったマナは葵は仲良く皿洗い、彩音はテーブル吹きと椅子やクロスの片付けを行っている。蒼崎は残ったおかずを小さいお皿にまとめてから、サランラップを掛けて冷蔵庫にしまい始めた。

 みんなが朝食の後片付けをしていると突然、

―ピンポーンっ!― 

 玄関のチャイムの来訪者を知らせた。その音に気づいた彩音が玄関に向かおうとすると、青崎がそれを止めた。

「いいわよ、私が行くから。彩音はそのまま片付けやっといて」

 蒼崎が廊下に出て玄関に向かっていると、もう一度チャイムが鳴り出した。

「はーい、今あけますから」

 随分と急いでいるお客さんのようだと蒼崎は思いスリッパを履き替える。

「はいはい、今あけますから……どちら様ですか?」

 玄関の鍵を解除した瞬間。勢いよくドアが開いき蒼崎は後ろに飛ばれた。

「キャッ!?」

 入ってきた侵入者は、黒い覆面を被り紺の作業服を着た人物だった。体格からして男だとわかるその人物は、慣れた手つきで蒼崎の口を手で塞ぐと、もう一方の手で持っていたペン型麻酔銃を首に突き刺した。

「むぐっ…!?」

 全てが一瞬の出来事だった。何が起こったのかわからないままの蒼崎は、首に軽い痛みを感じると体中から力抜けていくのを感じた。

(たっ…大変…みんなに、みんなに…知らせな…きゃ…)

 声を発せずに唇を虚しく動かしながら、蒼崎はそこで意識を失った。


 職安の外は今日も暑い真夏日を更新中で、駐車場のアスファルトから熱気が立ち上っていた。職業安定所ハローワークの入口前は様々な年齢層の人達で混雑していて、入口周囲ではオッサン連中が数人たまってタバコを吸っている。

 簡単に言うと、職業安定所とは文字通り仕事を探している人の他に現在求人募集をしている会社の情報を教えて、自分にあった仕事を教えてもらう場所でもある。

「はぁ~、やっぱりダメかなぁ・・・」

 駐輪場内で大きくため息を吐きながら顔を下に向ける。ため息の原因はこの不況の中、一般の市民でさえ一般就職が難しく、ほとんど契約社員が限界なこのご時世に、市民よりさらに下の亜民が勤められる仕事があるわけがない。

 入る前から諦めムードが漂ってくる。しかし、亮にしてみても引くに引けない事情がある。

 それは『たんぽぽ』の経営がギリギリなのだ。ただ飯を食べさせてもらっている身の亮は、いつも肩身の狭い思いを感じていて、何とかして台所事情だけでも楽にしてあげたいと思っていた。

 以前来た時は『どんなキツイ仕事もやります』と交渉しても、仕事自体がないとすればこれ以上交渉の仕様ができなったかのを思い出した。

 今日こそは仕事を見つけなと。気を引き締めてから、カバンに入れた書類を確認している時、突然後ろから声を掛けられた。

「あらら大変ね、やっぱりこっちに来なさいって!」

 聞き覚えのある声に亮は後ろを振り返ると、そこには霧島副教官が立っていた。

 この前と違って、LRAKの代わりに香水の臭いを漂わせていた。しかもスーツを着ている。

「何の用ですか? 失業でもしたんですか? 失業保険の説明会なら今月もう終わりましたよ」

 無愛想のまま話しかけると、再び鍵を探し始めた。

「違うわよ!! 仕事の話があってきたのよ。君がハンターの仕事をやりたがらないのはわかってるわ。でもそれで『はいそうですか』って引き下がるわけにはいないわ。あなたも知ってるでしょう、この前話した通り最近ハンターが犯罪者を殺しまくってることを」

「さあね!! 俺には関係ないことだ」

 普通の生活を望む亮にとってみれば、犯罪者がハンターや犯罪者が増えようが減ようが関係ない話だ。

「どうせ仕事なんて無いでしょう? だったら話を聞くだけでもいいじゃないの」

 亮は手を止めると、霧島の方を向く。

「残念だけど仕事ならちゃんとありますよ。これから帰って畑に竹酢を撒く仕事があるんだよ」

 亮は皮肉を込めてキッパリと言い切った。

「……あのねぇ、そう言うのを屁理屈っていうのよ!! とにかく聞いて、この秋にハンター法の大規模改正が始まるに当たって、ハンターの行動に制限を設けよっていう議論が出始めてるの。でも司法省が頑として拒否の姿勢を貫いてるのよ」

「だから何? 生死を問わず捕まえる特権が最高裁で認めてあるんだから、しかたがないことでしょう」

 亮は呆れた風な顔を桐原に向ける。

「確かにそうだけど、でも殺人を起こしてない犯罪者も一緒に殺されたんじゃあ、犯罪者だって堪ったもんじゃないわよ。バウンティーハンター(私たち)はあくまでも犯罪者を捕まえる捜査官なのよ。このままいったらただの殺し屋集団に成り下がるわ」

「ますます俺には関係ない話になってきたな。さあ、もうどういてください」

 霧島の問いを素っ気なく返した亮は、カバンの中から自転車の鍵を見つけると鍵を外した。

「全員が殺されたんじゃ、検察官も失業しちゃうわよ!! それに君だったらハンターとして、いい手本になると思うから!」

「何で…」

 自転車と駐輪場から出そうとした亮は、動きを止めた。

「何で俺が……いい手本になるんだよ?」

 ゆっくりと霧島へと振り返る。その顔に怒りを含ませながら。確かにハンターとして活動していた時期はあったが、素行の悪い犯罪者に必要以上の暴行を加えたこともあった。決して霧島の言ういい手本になるわけがなかった。

 しかも今は亜民として生活している。亜民のバウンティハンターなんてBH法が施行されてから一度も聞いたことがない。

「あらら、そんなに気になるの? だって国家資格持ってるでしょ!!」

 亮の内心を知ってか知らずか、霧島はふてぶてしい笑みを向ける。

「茶化さないで下さい!! あれはあんたが勝手に持ってきたんだろ!」

「あなたは犯罪者を半殺しにしても、これまで一度も殺しは行っていないじゃない、それに……あなたは『刀帯教官(あの人)』を生きて捕まえてくれた。私がその場にいたら、私は間違いなく『あの人』を殺していたわよ!! だららそれが理由よ」

 刀帯教官の名を聞かされると、頭の中にあの『連続児童誘拐殺人事件』の記憶が断片的に蘇ってきた。

 思い出したくない記憶。忘却の彼方に忘れようとした記憶を思いだし、急に亮の胸が締め付けられ心臓に針が刺さったような痛みを感じた。

「それは誤解です………殺さなかったんじゃない、ただ殺すチャンスを逃しただけです」

 亮は今の心境を悟られないように、できるだけ平静を装いながら答えた。

「でもあなたは殺さなかった、それはすごい事なのよ。私の知っているハンターでまだ人を殺してないのは君をいれて数人だけだがら。だから今の模範となるハンターが必要なのよ」

 都合の良い理由を出してくる霧島だったが、その表情は真剣そのものだった。

「今の若いハンターの考え方を変えるのは、俺じゃなくてあんたの仕事だろ。自分の仕事を他人に任せようとして、なに甘ったれたこと言ってんだよ!」

 いくら頼まれても、今の亮はハンターに戻る気持ちは無かった。

「………そうね、その通りよ。でも言ったでしょう、私はもう教官じゃないのよ。私は今『連邦国家バウンティハンター認定審査会』の役員をやってて、もう第一線にはいないのよ」

「なら戻ればいいだけの話だろ!」

「そうともいかないのよ。私も上に昇ってやらなくちゃならないことが沢山あるのよ、こんなところで遠回りをするわけにはいかないわ」

「へーぇ、要するに自分の理想を満足させる為に、俺を駒として使うわけだ」

 冷めた視線を霧島に向ける。

「まあ~平たく言うとそうね!」

「帰る。じゃあな!!」

 話に嫌気が差した亮は、自転車にまたがるとペダルをこぎ始めた。

「ちょっとまって!」

 咄嗟に自転車の前に出て亮の進路を妨害する。第一線を退いたといっても、このしつこさだけは未だに現役だろう。

「まだ何かあるんですか? いい加減にして下さいよ」

「ハンターに戻るのが嫌なら、また私の助手ってことで協力してくれないかな?」

「またあの時みたいな事はしません、おれはハンターに戻るのが嫌なんじゃなくて、普通に暮らしたいんだよ。これ以上俺の日常を乱さないでくれ」

 今の亮には『たんぽぽ』での暮らしがある。そしてこのまま穏やかに人生を送りたいと願っている。過去の自分に戻って今の生活を維持していく気はサラサラないし、それは亮の本心でもない。

 今の亮は『サクラの獅子の子供たち』の月宮亮に戻ることではなく、『たんぽぽ』の月宮亮でいることを望んでいた。

「いいかげん―――」

 言葉を言い出した途中で、亮の携帯が鳴り出した。

「あらら、携帯鳴ってるわよ」

「わかってますよ!!」

 亮はポケットから携帯を取り出してディスプレイを見ると、そこには『たんぽぽ』にいるはずの楓から着信が着ている。

「もしもし、楓? どうしたんだ?」

 返事をしても携帯から返事が返ってこない。代わりに聞き取りにくい音の他に、誰かのすすり泣くような音が聞こえてくる。

「もしもし楓!! どうしたんだよ? もしもし、もしもし。どうした!!」

「あららーどうしたの?」

 亮の様子から不穏な空気を感じた霧島が話しかけてくる。

『………うぐ………………亮…兄ちゃん………うぅ………ひっく………』

 やっと楓の声が聞き取れたが、その声は震えて泣いているようにも聞こえる、いや間違いなく楓の泣き声だ。

 異様な楓の様子に、今朝玄関を出た時の嫌な予感が亮の中に広がってきた。

『どうしよう…………亮兄ちゃん…どうしよう……マナが…ナマお姉ちゃんが…………ひっく…』

「落ち着け楓、まずは落ち着くんだ。マナがどうした? どうしたんだ一体!? そこに蒼崎先生はいないのか? 今どこにいるんだ? そっちで何かあったのか?」

 亮はまず楓を落ち着かせようとするが、楓の次の言葉に亮は言葉を失った。

「ひっく…………マナが…………マナお姉ちゃんが死んじゃうよ…血が……うぅ…………血が止まらないよ…血が止まらないんだよ…ひっく、たすけて…お願い…………うぅっ…たすけてよ…………亮兄ちゃん、うぐぅ…………マナお姉ちゃんをたすけてよ…ひっく」








こんばんは、朏天仁です。今回は少し文章が長くなってしまいました。さあ、このままラストに向かって突っ走って行こうと思いましたが、番外編の方も仕上げて行かないとなので少しペース配分を考えていかないと、と思います。

 さて、今回の話はいかがだったでしょうか? 次回が気になるとろこですが、次回は2週間後を予定しますのでよろしくお願いします。

 今回も、最後まで読んでいただきましたて本当にありがとうございますm(__)m

 でわ、次回お会いしましょう(´ー`)/~~

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