いじめ
「それじゃお疲れ様です」
「はい、お疲れ様! 気を付けて帰るのよ」
形式的な挨拶を済ませると、亮は足早に教室をあとにした。本当ならもうとっくに帰路に着いているはずなのに、いらぬ足止めを食らってしまったからだ。講習時間が終わってから、神矢講師のマナについての追求(下世な好奇心)に捕まり、昼近くになってやっと解放された。
一時間以上も話相手になったおかげで、普段乗る時間帯のバスに乗り遅れてしまった。急いで下駄箱に貼ってある時刻表を確認しようと、亮の足がだんだん早足になる。
「何とか午前のバスに乗れますように」
亮が木造の廊下に足を踏み込む度、ミシミシと廊下が鳴いている。
最初の頃は、その内この廊下の底が抜けるんじゃないかと心配していたが、慣れてくればそんなに気にならなくなるもんだなと、内心思いながら亮は階段へと差し掛かった。
と、その時。
「あっあの、月宮さん・・・」
「えっ?」
後ろから名前を呼ばれて亮は振り返った。そこにいたのは『さくら苑』に入所している荻野美花だった。
生まれながら全盲である彼女は、グレーの帽子を深くかぶり、白の半袖シャツに黒のハーフパンツの格好をしていた。右手には盲人の特徴でもある白杖を持っている。
彼女は盲人ではあるが、それ以外は普通の生活を送れるため亜民ではあるけれど、一般社会にでて普通の中学校に通う事ができる亜民だ。一般中学校の3年生で、学校に行く時は亜民ではなく、特例市民扱いになる。
「おおっ、みっちゃんか! どうした?」
「実は、あの・・・また・・・やられちゃったの、だから、その―」
「またか、今度はどうしたんだ?」
「ロッカーの・・・鍵なの」
「わかったよ、案内してくれ」
そう言って降りようとしていた階段に背を向け、亮は美花と一緒に廊下に並べてあるロッカーへと向かって行った。
この『都島リハビリセンター』には町内すべてに居住している亜民が利用可能となっているだけでなく、一般市民に対しても格安で門戸を開いている。
理由はこの施設は一応町の所有物であるため、納税者である市民にも利用する権利があるからだ。しかし、無料で利用できる亜民に対して、安いながらも料金を払う市民にとっては面白くない。その為、今回のような問題がたまに起こされる。
どんな社会にもある、イタズラと言う『いじめ』だ。
この施設は盗難防止のため、全てのロッカーは廊下に出されて鍵をかけられている。その為利用者が多いい日は、一時的な通行障害が起きる。
盗難防止には有効かもしれないが、それ以外の目的に対しては不向きだと言える。
「ここ、このロッカーなの」
美花は一番角のロッカーの前で足を止めた。全盲の彼女にとって、角にあるロッカーが一番わかり易いからだ。
「これか・・・・・・随分と陰湿だな。接着剤を入れるなんて、前はガムとか粘土とかを入れるぐらいだったの、これはちょっと無理かもしれないぞ」
美花が利用しているロッカーの鍵は南京錠になっていて、その鍵穴に接着剤が注入されて固まっている。なんとか取り出せないか爪で引っ掻いてみるが、完全に中で固まっているため出てこない。
「その、月宮さん・・・なんとか壊さないで済ませないかしら? 前やってもらったみたいに」
「前のは粘土だったから上手く掻き出せたけど、これは無理だよ」
「そう、そうよね・・・わざわざありがとう、アタシこれから管理の人の所に行ってくるわね。わざわざありがとう、月宮さん」
「・・・なあ、コレ壊してもいいなら開けられるぞ」
「えっ、南京錠なんて壊せるの?」
「ああ、コツさえ掴めば簡単だぜ」
「じゃあ、お願います。管理の人にはアタシから適当に伝えときますから」
「わかった」
亮は南京錠を右手で掴むと、いっきに下へ引いた。
一瞬、ガチンっ!! っと大きな音が廊下に響く。それと一緒に美花の肩が弾んだ。
「ほら、開いたよ」
亮が開閉確認でロッカーの扉をギコギコと動かしてみる。
「すごい! ありがとうございます。月宮さん」
美花は笑顔で頭を下げた。
「いいよ、それより無事開いた事だし、俺もう帰るね、じゃっ!」
「はい、ありがとうございます」
再び頭を下げる美花に目もくれず、亮はさっきの階段へと走り出す。目的は一つ、午前のバスに乗り遅れないためだ。
午後一のバスが何と13時50分発であるのを知っているため、乗り遅れたら遅い昼食が確定になる。
それに今回の事は特別でも何でもない、こういった亜民に対する陰湿ないじめが起きるたびに、皆亮を頼る。理由は簡単だ、何とかしてくれるからだ。
前にも靴を隠された亜民がいて、その子の靴をものの10分で見つけだしたり、トイレに行ったきり戻ってこない自閉症の亜民を、裏山の仮説トイレに閉じ込められていたのを発見したりもした。
亜民同士の中から、何か困った事が起こったら『月宮亮に頼め!』と、言った口コミがセンター内で広がり出してしまい、亮自身もホトホト困り果てていた。
早足で階段を駆け下り、下駄箱へと辿り着く。ポケットから下駄箱の鍵を取り出し、鍵穴に入れた瞬間亮の動きが止まった。
「・・・おいおい、俺もかよ・・・」
今日のいじめは美花だけでなく、亮もターゲットに加えられていたようだ。亮の場合は鍵穴ではなく、下駄箱の蝶番部分にタップリと接着剤が付着している。
「ったく!」
本来なら気にせず、隣の職員室を改築した管理人室で事情を話すべきだが、今の亮は虫のいどころが悪かった。
自分の下駄箱の扉に右手をつけた瞬間、ガッガッガッとスチール製の扉が曲がり出す。否、亮の右手が紙を丸めるようにして扉を曲げているのだ。
恐ろしい程の握力で曲げられた扉が、そのまま蝶番部分から引きちぎられ床に落る。 廊下中に乾いた金属音を響かせると、亮がはっ、と我にかえった。
「あっ、しまった・・・ヤベェーぞ!! どうしようコレ」
無残に破壊された下駄箱を見ながら、左手で目元を押さえる。
「玲子さんに、確実に怒られるなコレは・・・しょうがない、取り敢えずもう帰ろう」
破壊した下駄箱から靴を取り出して履くと、亮はその場を逃げるようにして外へと出て行った。
センターの外は一般的な夏らしく暑い太陽がギンギンと照らし、たった数十メートル先の景色がゆらゆらと歪んで見える。
周りからは耳障りのセミ達が遠慮なしの大合唱で鳴いている。
「暑い、暑い。なんでバス停を近くにつくらなかったんだよ」
愚痴をこぼし、カバンを肩に掛け、歩きながら亮は楽譜をうちわ代わりにして仰いでいる。『都島リハビリセンター』は山の中腹に建てられてはいるが、バス停はその下約1キロ程下った場所にあった。
しかも、日陰になるような木は脇になく、予算の都合上整理されていない足場は、木の根が入り組みながら凸凹道を作り出してしいた。
悪路としかいえない道を、亮は慣れた足取りで歩いている。もちろん誰もがこの道を通るわけでなない、この道は亜民専用山道で一般市民はセンター反対側にある綺麗に整備された道を通って下山する。おまけにそこは定期バスも通行するため、ほとんどの市民は歩かずにそのバスを利用している。
以前は亜民も市民も同じ道を利用していたが、帰り道で亜民達がいじめにあう被害が多発し、センター側が苦肉の策で、この亜民専用山道を作ったのだ。
「ふーぅ、やっと着いたか」
ようやくバス停に辿り着いた亮は、肩に掛けてた荷物をベンチに降ろして、さっそくバスの時刻表を確認する。下駄箱ではゆっくり確認することができずに出てきてしまい、あとは直接バス停で確認するしかなかった。
「おい、ちょっとまてよ、何だよこれは!」
ここでもいじめの延長が行われていた。バス停に貼ってある時刻表が黒いペンキで全部塗りつぶされている。しかも空いているスペースには赤インクで『亜民死スベシ!』『全テノ亜民ハ去勢セヨ!』等と書かれている。
「はあ~、今日はツイテないな。厄日だぜ、まったく」
ため息を吐きながら亮は腰をベンチに下ろした。こうなったらバスが来るま待つしかない、と覚悟した。
しばらく目を閉じ、呼吸を整え瞑想の世界へと精神を切り替える。『たんぽぽ』の蒼崎玲子主任に教えてもらった呼吸療法の一種だ。普段なら落ち着けたのに、今だけは違った。高い湿気に温度、うるさいセミの声で亮の精神は直ぐにかき乱されてしまった。
再びため息をもらした時、センター側からエンジン音が聞こえてきた。亮は目を開けてみるとそれはバスだった。
「ほっ助かー」
ホッとしたのもつかのまで、そのバスはセンター定期便の一般者専用だった。亜民である亮はそのバスには乗れない。乗れなくはないが、もし乗ろうとしても誰かしらに乗車を止められてしまう。亜民は亜民専用バスに乗らなくてはならない、何も悪ことではないが、暗黙のルールが存在してる。
バスが亮のいるバス停前で停車すると、ドアを開けた運転手がマニュアルにそった質問を聞いていくる。
「乗るか?」
無言のまま首を横に振る。運転手がドアを閉めようとしたとき、とっさに亮が口を開いた。
「次のバスはいつ来ますか?」
「もう午前は終わったよ。次は午後だから・・・あと1時間後だ」
「そうですか、わかりました」
このバスに乗れたらと座席の方へ目を向けると、乗客数人が亮を見ながらニヤニヤしている。乗っているのはセンターを利用していた市民の子供たちだ。
「あの、それじゃー運転手さん。それまで何か時間潰しなるようなのって、何か持ってないですかね?」
運転手が側にあった新聞紙を手に取り、無言のまま亮に投げつけてバスは発信した。
「はい、どうもアリガトウね」
バスの後ろを目で追いながら、棒読みでお礼を言う。新聞紙を投げてくれるなら今日はいい運転手だ。普段はそのまま無言で行ってしまう運転手が殆どだから。
早速亮は新聞紙を広げて時間潰しを始めた。週間天気予報、本日の占いから始まり、ごく一般的な政治記事やテレビ欄を見る。が、直ぐに亮の視線がある記事に釘付けになった。
そこには、『本日未明、首都圏と埼玉県の県境を走る国道17号線で、連邦技術研究勤務の一条賢治(26)軍曹の乗った車が、カーブを曲がりきれずにガードレールに衝突、全身を強く打ってまもなく死亡した。一条氏と事故を起こした車内からは大量のアルコールが検出され、警察では飲酒運転による事故とみて捜査している』
とても小さな記事ではあるが、記事と一緒に載せられている顔写真が亮の記憶をよび起こす。
「・・・いっ、一ノ瀬・・・・・・」
その名前を呟くと、今まで思い出さずにしまっていた記憶が蘇る。彼と話した最後の言葉。
『月宮、オレは・・・オレ達は・・・もう許されたない。どんなに綺麗な言葉でいいわけしても、きっと神様はオレ達のしたことを許さないな。なぁ月宮、オレは・・・眠っていても、どんなに強い薬を飲んでも・・・あの子達の声が・・・聞こえちまうんだよ。これは呪いだ。俺たちは呪われたんだよ』
亮が彼の言葉を思い出した瞬間、頭の右側から軽い頭痛が生じ始める。次第にそれは強く脈打つように痛み出す。
「また・・・始まった・・・」
たまらず手で頭を押さえると、そのまま天を仰ぎながら、亮は拳を強く握り締めた。
そして、あの事件を思い出す。自分の人生が狂ったあの日のことを。
どうも朏天仁です。思ってたより早く投稿ができました。さてさて一条氏と亮の怪しい関係が最後できました。この展開がどうなっていくのか(^_^;)実際・・・どうなるんでしょうか。
さて次回はようやく『たんぽぽ』の家族達が登場するかもしれません。そうあって欲しいと思っています。
早く投稿した為、誤字脱字があったかもしれません。実際あったと思います。ですが、ここまで読んでくれましたあなた様に最高の感謝を贈りたいと思います。ありがとうございました!!m(__)m