虎と狗
青白く輝きだした五芒星から幾つもの梵字が鎖のように広がりながら溢れ出ると、それが指揮所の壁全体を包み込んだ。
「何だ? これは? 結界か?」
「さすがは柴崎殿。武装陰陽師と共に戦っただけの事はありますね。ですが、コレはそんな単純なモノではございませんよ。これは澪灘と呼ばれる位置を知らせる式陣です。柴崎殿達の言葉で申すと、GPSと説明すればわかり易いでしょう」
「そうか、それで・・・大丈夫なのかこの結界は?」
その質問に、道士は人差し指を先に向けた。指先の向こうでは何度も五芒星に触れた邪虎の爪が弾かれている。
「あの邪虎を見れば言うまでもない。ですがいつまでも持つわけではありせんので、直ぐカタをつけないといけません」
それだけ告げると、道士は入口の五芒星に近づきながら何かを唱え始めた。そして、手を前に差だすとそこから野球ボウル程の白い発光体が生まれた。
「もののけは闇に巣食うべきもの、退くがいいこの光の届かぬところへ」
道士が白い発光体に軽く息を吹きかけると、それは五芒星を抜け出しフラッシュのような閃光を輝かせた。目がくらむ程の光量に柴崎達は目を瞑る。
「おい、道士!!」
心配した柴崎が声を掛けると、道士はすでに式陣から外に出ていた。しかも、服装も変わっていた。
スーツ姿から、陰陽師が着用する式服と呼ばれる服装に変わっていて、背中には星の代わりに式神を表す梵字が書かれていた。
そして道士が出した発光体は頭上約10メートル程上空で停止している。光量は弱まったが、それでも閃光弾のように辺りを照らし続けていた。
照らされた周囲を見渡すと案の定、ここは敵の結界内であることを確信した。トラックの指揮所は白い砂利が一面に広がった場所で、風も音さえも全く感じられなかった。
「心配には及びません。これは忌火と申して、魑魅魍魎達が嫌う神聖な炎です。この炎の照らすとろこは嫌って入ってこれません」
「そっ、そうか。なら俺もそっちに行く。状況確認をしたい」
「いけません。その式陣から出てはなりませんよ」
「何だと!? どう言う事だ?」
「この忌火は魍魎達が嫌いますが、結界のように絶対に入ってこれないわけではないのですよ。いくつか例外がおります、例えばああいうふうな」
道士が指で示した方向に目を向けると、あの赤い二つの目が柴崎達に向けられている。そしてゆっくりと闇中からその姿を現した。
まずは黒田の心臓を貫いた釜のような爪が現れると、次に青木の頭部をねじ切った長い両腕が見えた。その腕は幾つもの荒縄のような筋肉が螺旋のように重なって太くなり、無駄なぜい肉などは一切なかった。
忌火に照らせれた邪虎の両腕から白い蒸気が音をたてながら吹き出している。おそらく忌火の光に拒絶反応を起こしているのだろう。
やがて、ゆっくりとその姿が道士達の前に現れ、その姿を見た一同は言葉を失った。
「おい・・・なんだありゃ・・・本当にあれは虎ななのか?」
「元は虎の姿でしたのでしょう。1000年生きた邪虎は、食べた鬼達の・・・その姿を似せると言われてきましたが、ここまで変わり果てた姿は私もはじめて見ます」
邪虎の体長は約2m、大人のヒグマ程の大きさで、太い腕に相反するかのように細い胴体をしている。その表面を魚の鱗のような鋼に覆われていて、足は襟巻きトカゲのように細く長い足に腕と同じ赤黒のまだら模様をしている。さらに尻尾だと思っていたのは黄色い蛇で、よく見ると頭蓋骨と背骨が身についている。恐らく殺した鬼の骨を飾りのように身にまとっているのだろう。
そして一番皆を不気味がらせたのはそのグロティスな身体から想像する事ができない頭部だった。何故か頭部は真っ白い女能面の顔をしている。表情を全く変えずに、細い切り目の中から赤い紅一点の瞳が道士達に向けられる。
「・・・ぅぅっ・・・」
流石の柴崎もその姿に身の毛が与奪のを感じた。もし誰かに説明しと言われたら、これを言葉にして説明することは困難を極めるだろう。ただ、この時感じた恐ろしまでの戦慄だけは思い出せる。
「一体・・・どれ程の鬼を食ったんだ。まあいい、できれば相対したくはないが・・・少し調教してあげましょう」
道士が裾から3枚の札と、翡翠の数珠をとし出すと一枚を空へ、残り2枚を地面に落とした。両手で数珠を編み合わせると人差し指を立て呪を囁いた。
「鴆、霜雪、華蓋、 尸棄仏、蘇婆訶」
唱え終わると地上にある2枚札の内1枚が燃えて消失し、そこから水柱が吹き出し瞬く間に白い砂丘が泉に変わってしまった。広がる泉の水が邪虎の身体に触れ出すと、女能面が苦悶顔になり怒号のような雄叫を上げた。
「フウ゛ガガガガガァァァァァァ!!!!!」
さらに大きな雄叫びを上げると、バチバチと青い火花が身体を駆け巡り、邪虎の表情が苦悶から激高にかわった。そして勢いよく水しぶきを上げながら真っ直ぐ道士に向かって突進していく。
「道士ぃ!!」
心配する柴崎の声が響くが、道士はまったく動じることなく笑を浮かべている。
「人も虎も皆同じ、怒りに我を忘れれば行動は単純明快。脅威にあたらず。唵」
猛スピードで向かってくる邪虎に、中指を立てて唱えると空の札が同じように燃えて消失した。そして、白い小さな燕が4羽現れると、それぞれが邪虎の足に着くと『封』の文字に変わり消滅した。
「ガガル゛ル゛ア゛ア゛ア゛アアァァァァァァ!!!!」
甲高い叫びを上げながら邪虎は前のめりに倒れ込んだ。道士まで1mも無いほどの距離だが、邪虎はもう足を動かす事が出来ず、恨めしそうな目で道士を睨んでいる。
「いくら邪虎でも、東方守護天王の持国天法封陣は破れまい。大人しくしていろ、まずはお前が食した鬼達を成仏させて無駄な力を削ぎ落とすとするかな」
道士は動けなくなった邪虎に、無数の人紙の束を舞散らせた。振りかかった人紙が一枚一枚燃えながら消滅していくと、邪虎の体がだんだんと小さくなっていく。
「さあ、お前の仲間がどんどん昇っていくぞ」
すでに勝敗は決したかに見えた状況だが、ここに来て道士の様子が変な事に柴崎が気づいた。
息づいが荒く、顔色も悪く見える。術の使い過ぎかと思っていると、道士が苦しそうに胸元を掴み出した。
「おい道士!! 大丈夫か? どうしたんだ?」
「・・・平気です。この結界内の環境が私に合わないのです。ご心配にはおよびません。それより早く柴崎殿達を戻さないと、もう時間が持たない」
「何を言ってるんだ? もう邪虎は倒したんだろ、そんなに急がなくても大丈夫だろ。」
「倒した? 何を申しているのですか・・・そもそも私が邪虎を倒せる筈ないでしょう。私にできるのはせいぜい時間稼ぎだけです。」
「何を言っているんだ? もうすでにー」
「甘いですよ柴崎殿、あの邪虎がこの程度で死ぬわけないでしょう。まだもう少し動きを止めておかないと、我が主に負担をお掛けしてしまいますから。私が受けた任は柴崎殿達を連れ帰る事です。邪虎を倒す事ではありません」
手から解いた数珠を使ってその場で九字を切り始めた時、すぐ後ろに冷たい気配を感じた。
「道士ぃ!!」
柴崎の声より早く、道士は自分の身体に重たい衝撃を受けるのを感じると、右側によろめき膝を着いた。すぐに自分の身体に何が起こったのかを理解したが、それよりも道士が驚いたのはその相手だった。
同じ邪虎がもう一体出現していた。しかも女能面の口に道士の左腕を咥えて。
「くっ、うかつだったか・・・まさかもう一体邪虎がいたとは・・・」
あえて平静を保っているがさすがの道士もこれには困惑していたい。元々結界の内は術をかけた術士だけが召喚獣や聖獣を扱えるが、その数は一人一体しか召喚できない。それは西洋術式でも同じなずだが、今目の前の現実は同じ結界内に2体の地獄の召喚獣が存在している。その事実を素直に受け入れる事が出ないなかった。
考えを巡らせてるさなか、道士は弱っていたもう一体の邪虎の様子がおかしい事に全く気づいていなかった。
いつの間には持国天法封陣で動かなくなっていた脚に力が戻り、人紙が消滅することなく、体から剥がれていく。
女能面の口元がゆっくり横に裂けると、唾液を含んだ鋭い牙が光った。赤い瞳が道士を捉えると、真っ先にその喉笛に食らいついた。
「うぐぅぅ」
道士の右手が術を切ろうとするが、今度は右手首から上を持って行かれた。2体の邪虎にとって道士はもう敵ではなく、ただの捉えられた獲物に過ぎなかった。
「道士!! 野郎!!」
すかさず柴崎のショットガンが火を吹くと、魔弾が邪虎の脇腹に命中した。しかし硬い鱗の邪魔され魔弾が弾き返される。
「くそっ!! ダメだ硬すぎる」
仲間の援護無なくしく、そらに牙が深く喉に食い込むと道士の腕が力尽き下に落ちた。その光景を見ていた柴崎は奥歯を噛み締めながら溢れ出る怒りを必死抑えていた。ここで我を忘れて結界を出れば自分も餌食なる。残った藤本を誰が守るのか、結界が生きているうちに無事に帰還す方法を考えるべきではないか、などの自問自答を繰り返す。
「クソッソタレが!!」
考えるよりも先に体が動き、再び銃口を邪虎に向けた。
「やめなさい。魔弾の無駄ですよ」
標準を定めたとき横から伸びた手に銃口を下げられた。柴崎が相手を確認すると、そこに何故か道士がいた。今まさに食べたれている道士と柴崎の隣に現れた道士。柴崎は理由がわからなかった。
「えっ、道士? なんで・・・おまえ、あそこに? えっ!?」
「まあ見てなさい」
その場で道士が軽く手を叩くと、邪虎に食われている道士が一瞬で無数の黄金色の蝶達に変化して散っていく。
「やはり人紙を建てていて正解でしたね。さすがに邪虎2体とは難儀でしす、敵の力も未知数。こちらがまだ不利ですね」
「おい・・・道士、大丈夫なのか?」
「ええ、ご心配にはいりませんよ。さてこれからが本番です」
袖をまくりあげた道士の腕に、様々な梵字の刺青がありそのうちの一つに指を重ねてから五芒星を切りだした。
空間に白い五芒星が描けれると、いつの間にか足元の泉が消えもとの砂に戻っている。
「そこにいるのでしょう。もう隠れるより出てきたらどうですか? それともそんなに私が怖いのですか」
道士の言葉に、前の邪虎2体が横にズレると、奥の闇から人が現れた。
「怖い? この私が。それは何の冗談かしら、この私がたかが陰陽師の狗ごときに臆するのなど笑止千万だわ」
そこに現れたのはセーラー服を着た月宮薫だった。
「あなたがこの邪虎の術士ですね。2体同時の召喚術式、さぞ名だたる名家のご出身でしょう。それだけの力を持ってこれだけの惨事を起こしたとなると、さすがに五行法印局が黙っておりませんよ。ここはどうか引いてもらえませんか」
「アハハハハハハハハっ!! 私をどこぞの陰陽師と思ったか、バァーカ!! 私が邪虎で邪虎が私そのもの、ここは結界じゃなくて私の世界にお前たちをゲスト招待してあげただけよ。目障りだったから少し遊ぼうと思っただけだったけど、随分と余興も過ぎちゃったわね。」
薫がパチリと指を鳴らすと、さらに奥から5対の邪虎が現れた。
「おい、嘘だろう・・・」
思わず後ろの柴崎が息を飲む。
「さあ、そろそろ餌の時間ね。式神の肉はどんな味なのかしらね」
薫の冷たく刺すような瞳に、道士の凍りついた顔が映り込む。
管理人室の牛島から連絡を受けた亮は葵にお願いを出した。
「葵、ちょっとここで待っててくれ。すぐ済むと思うから。そのあとでちゃんと話しを聞くから」
葵が頷くと亮は管理人室から出て下駄箱に向かった。上書きを履き替えないまま外に出ると、ロータリーの向こうのベンチに座る人物を見つけ近づいた。
ベンチに座っているのは白髪に細身に、手に茶封筒を持った男性だった。年齢は50代で堀の深い顔に、眉間のシワと切れ長の目がどことなく亮に似ている。
亮と目を合わすと、隣に座るように合図を出す。そのまま亮は隣に座ると、お互い顔を見ぬまま話し始める。
「久しぶりだな亮。元気にしてたか?」
「ええ、元気でしたし、普通でしたよ」
「昨日、薫から話しは聞いてるな?」
「・・・はい」
「なんて聞いた?」
「薫からは『戻らない気なら、力ずくでも戻らせる』って聞きました。だけど俺を舐めるなよ、そっちが来るなら俺は容赦しねぇぞ」
「ふふっ、そう熱くなるのは巴そっくりだな。『力ずく』とはそう言う意味じゃねぇよ。酒呑童子の血が『渇き』を欲するように、運命という『宿命』によってお前が戻ってくるとういう意味だ」
「どういう意味だよ。それ」
「お前、白い八咫烏を見たただろう」
「・・・・・・」
「見たんだな。ならそう言う意味だよ。あと・・・そうそう、これを渡しておきたくてな。お前もそろそろ入用だろう、せいぜい歪な人間生活を送ってみろよ」
差し出された茶封筒を開けると、中に一枚の紙が入っている。
「まさか」
出してみると、それは亮の戸籍謄本だった。戸籍には父・義弘、母・巴と記載されている。
「叔父さん・・・」
「正真正銘お前の戸籍だよ。お前が別の生き方を選ぶんなら、存分に運命に抗ってみろ。俺が伝えたかったのはそれだけだよ」
こんにちは、朏天仁です。今回の「虎と狗」はどうだったでしょうか? よみにかったらゴメンなさい。m(__)m
今回で33話と迎える事ができました。これも読んでくれている読者の皆様方のおかげです。今後もよろしくお願いします。




