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暗雲

 7月5日、宮古島リハビリセンターの音楽室では神矢講師のレッスンが始まっていた。前回と違って二重奏ヂュオではなく、亮のソロ演奏を神矢講師が聞いている状況だ。

「う~ん、もう少し出す息を太くして。お腹からしっかり出すのよ」

 亮が吹くフルートの音を聞きながら講師の神矢指摘が飛ぶと、今度は唇の形を広く変えて中音域の『シ』の音を出す。

「ダメダメ、今度は息が入ってないわ」

「先生、やっぱりまだ中音域は無理なんじゃないですか」

 いくら練習しても『ド』から上の『シ』の中音域が出せない亮は、ついにをあげ始めた。

「何言ってるの! こんなことで弱音を吐いてどうするの、フルートは中音域が出せて初めてフルート本来の良い音色を奏でることができるのよ」

「いや、あの・・・・俺が言ってのは、この前低音域を始めたばかりなのに、もう中音域を練習するのは早いってことですよ」

「うんうん、そんなことないわよ。だって坊やはさぞ隠れて練習してきてるんでしょう。なんたってアタシの授業を無断欠勤をする余裕があるんだから。さーぞかし実力を身につけてるんでしょう?」

 顔を嬉しそうにニヤニヤさせて、嫌味ったらしい言葉で突っついてくる。昨日の霧島の一件で講習を始めてサボってしまった事を十分反省しているとはいえ、神矢の言葉はどことなく痛い所に突き刺さる。

「うっ・・・それは・・・」

「それに前回上手くなるとっておきの方法も教えてあげたんだし、上手くなってなくっちゃおかしいわよねぇ!! ねぇ!! ねぇ!!」

「確か・・・・好きな人を見つけろ。とか、何とかでしたっけ?」

「まぁー、そうね。そうは言ったけど・・・アレは何なの?」

 神矢の興味は教室の後ろで座っている葵の向けれられた。一人静かに待っている葵と目が合うと、不思議そうに首を傾けてみせる。亮と一緒に教室に入ってきたときはてっきり新しい亜民の子かと思ったが、新しく『たんぽぽ』に入所した新人と聞いて、神矢は関係を知りたくてしょうがなかった。

「ねぇねぇ後ろの子、あの子誰なの? ひょっとして坊やの彼女? 彼女ができたのぉ? そうね、そうなのね! だからこの前休んだんだのね。二股なんて若いっていいわねぇ」

 途中から声を落とし、ヒソヒソと亮に話しかけながら肘で脇を軽く突いてくる。

「先生ぇ、葵に聞こえますよ。それに二股ってなんですか」

 すでに神矢先生の興味は、亮の後ろで椅子に座ってこっちを見ている葵だった。

「そう葵って言うのね、どう見ても外人にしか見えないけど日本人なの? あの可愛らしさなんてもうーマナちゃんがいるのに坊やには勿体ねいわね。火遊びはほどほどにしなさい」

「ちょっと先生!! 完全に誤解してます。葵は見学に来ただけで、マナは俺の妹ですよ。そんな昼ドラみたいな設定を勝手に作らないで下さい」

「アタシってね、しつこい男は嫌いだけど、ドロドロしたのは好きなのよ。特に修羅場なんて大好きよ。その時はリアルタイムで見せてね」

「その時って何ですかぁ、その時って!! それに先生の好みなんて知らないですよ!!」

 盛り上がる二人の会話のを遮るように袖をツンツンと引っ張られる感じがして亮が振り返ると、そこにスケッチブックに文字を書いた葵が立っていた。

 スケッチブックには黒いマジックペンで『なにを はなしているの?』と書かれている。

「あら! ごめんなさいね。坊やがいつまで経っても男としてはっきりしない所があるから、先生ちょっと注意してたの」

 葵はどういう意味なのかわからないらしく、また首を右に傾けてみる。

「ちょっ・・・・・先生なに言ってるんですか! 明らかにそんな話してないでしょう。妄想をふくらませないで下さい」

「あっ! そうだわ、ちょうどいい機会だから本人に直接聞いてみましょうか。葵ちゃん、蒼崎玲子っていう人知ってる?」

 葵はコクリと頷く。

「アタシねぇ、その蒼崎玲子って人のお友達なんだけど、葵ちゃんにいくつか質問していいかしら?」

 少し間を置いて考えたあと、一回だけ頷いた。

「そう、それじゃあ葵ちゃんにとって、ここにいる坊やはどんな存在なのかな?」

「ちょっと!? 何聞いてんですか?」

 慌てて亮が割って入ろうとすると、葵はスケッチブックに『とくべつ やさしいひと』と書いて見せた。

「う~んとね、もう少し具体的に」

 期待してた結果を得られなかったのか、直ぐに神矢は聞き直した。

「先生もういいですから、早くレッスンの続きしましょう」

 亮がなんとかしてこの状況を変えようとするが、その甲斐無く葵は神矢の質問に答えてスケッチブックに『みんな すきなひと』と書いて見せる。

「う~ん、そうじゃないんだよね。どう説明したらいいのかなぁ・・・・もうちょっとわかりやすく、う~ん・・・・」

「先生。葵はまだそんなに多く言葉を覚えてないんだから、無理強いはよくないですよ。さぁっ練習しましょう」

「じゃっじゃっ、みんなは坊やの事どう思ってるの?」

 神矢先生の質問に葵が深く考え始めると、葵は頭の中に昨日彩音が言っていた言葉を思い出し、それをそのままスケッチブックに書き出した。

 葵が自信たっぷりの顔でスケッチブックを神矢先生に見せるが、それを見た神矢は一瞬硬直した。そしてゆっくり亮へ軽蔑混じりの視線を向けてきた。

 「亮君・・・あなた・・・いくら若いって言っても、この子はまだ子供なんだからさァ・・・・ホドホドにして上げないとね」

「はぁ!?」

 意味が分からず、亮が葵の書いたスケッチブックを見ると、そこには『まいにち へやで やさしく からだで ちょうきょうにする おにいちゃん』と書かれていた。

 その瞬間、いっきに亮の顔から血の気が引く。

「先生ぇ! 誤解です! 誤解です! 完全な誤解ですから!」

 慌てて誤解を解こうとするが、すでに神矢先生はハンカチを目に当て、シクシクと小さく肩を震わせて泣いている。

「亮君は・・・亮君はまだ、奥手な感じがして・・・まだ子供だと思っていたのに・・・こんなに早く大人になっちゃうなんて・・・・・・しかも、こんないたいけで無垢な女なの子に・・・そういう・・・プレイを・・・先生悲しいわ・・・ああぁちょっと頭が痛くなってきたわ」

 葵が書いた変な説明によって、神矢は完全に変な勘違いをしている。しかもまた勝手に脚色まで加えられて。

「先生ぇ、本当に誤解なんですってば!」

「いいのよ坊や、そんなに否定したら・・・たんぽぽのあの子達が可哀想じゃないの。それに・・・男の子だもんね、先生・・・万が一の時は・・・あなたたちの将来・・・ちゃんと応援するからね。だからちゃんと責任とりなさいね」

「ちょっと待って!! 先生落ち着いて、ねぇ・・・ねぇ・・・・・・ほら少し落ち着いて俺の話を聞いてくださいよ」

「いいのよ、いいの・・・・気を使わなくても、先生・・・大丈夫だから、これでも先生は自分でも少しは理解ある人間だって思ってるから」

「いいえ・・・あきらかに大丈夫じゃないから。とりあえず話しを・・・・・・話を聞いてくださいって・・・先生ぇ!」

 葵の誤解に嘆いている神矢と、その誤解を必死に説こうと右往左往している亮の姿、そしてこの元凶の張本人である葵が何も分からない様子で2人のやり取りを眺めている光景は、これはこれで奇妙な光景でもある。

 しかし、そんな奇妙な光景をまぬかれざる者達も眺めていた。

 亮たちがいる都島リハビリセンターから直線にして約11キロ地点にある『葉山』の中腹に、三脚に超光学望遠レンズをセットして全身を狙撃手スナイパーが使用するようなギリースーツに身を包ん男がいた。

 望遠レンズがなければ完全に周りの自然に同化して、一般人にはまず見つけれる事は不可能だろう。

 男が僅かに指先を動かすと、レンズに映り込んだ亮達を一枚一枚撮り始める。ある程度撮り終わると今度はファインダー上に『転送中』と表示が現れ、咽喉マイクがついた無線機インカムの通信スイッチが入る。

「こちらフクロウ。L-211と思われる対象2の目標を確認。画像の自動転送開始。送れ」

『こちら巣箱。現時点での対象2の判断は精査中。現状観察を継続せよ。送れ』

「こちらフクロウ。了解!! ・・・・・・追伸報告、対象1、2が帰り支度を始めた模様。指示を待つ。送れ」

『こちら巣箱。了解した。そのまま監視継続せよ。現在建物周囲に回収班のクマタカが待機中。対象が建物を立た時点で回収作業開始。フクロウはそのまま後方支援に移れ。送れ』

「こちらフクロウ。了解した」

 フクロウと呼ばれた男は、部屋を出ていこうとする亮にもう一度ピントを合わせると小さく呟いた。

「悪く思うなよ。こっちも仕事なんでな」


 お昼の鐘音が上郷町に響き始めた頃、『たんぽぽ』では蒼崎玲子が一人難しい顔のまま、亮の入所ファイルに目を通していた。

 昨日の亮の様子が気になりファイル棚から引っ張り出して調べて見れば見るほど、気になる事が増えていった。まず第一に戸籍がないのに、書類上では『中野中央病院産婦人科』で生まれた事になっていた。早速電話を掛けてみると病院は存在していたが、産婦人科は昔も今もないとの事だった。

 更に、記載されている小中高の学校全てに在籍した記録が全くないのだ。次第に蒼崎の頭に疑惑の念が生まれはじめた。

「亮君・・・あなた一体誰なの?」

 作成された書類は町役場で作成された公文書であるため、亜民認定審査会に報告の連絡をしてもそれっきり音沙汰がなかった。

 こうなったら亮の部屋を調べに行こうと立ち上がった瞬間、机上の電話が勢いよく鳴り出した。直ぐに受話器を取ると、それは待ちに待っていた亜民認定審査会からだった。

「お待ちしてました。それで・・・どうなんでしょうか?」

『・・・・・・結論から申しますと・・・今回ご連絡で指摘されていた亜民の書類についてですが・・・』

「はい」

『その・・・まったく問題なし、との事でした。これで今回の件に関してのこちら側に―』

「えっ、えっ、ちょっと待って下さい!? ちゃんと確認してもらえたんでしょう。それならー」

『申し訳ありませんが、これで失礼させていただきます。でわ』

「えっ、ちょちょっちょっと待ってよ!!」

 一方的に電話を切られてしまい、蒼崎はため息を漏らした。

「どうなってるのよ一体!?」

 電話の相手は明らかに様子がおかしかった。だがおかしいと思った所でこれ以上蒼崎にはどうする事も出来なかった。

 もう一度受話器を取り、ダメもとである番号に電話した。それは亮の身元引受人である母方の叔父『月宮 誠』の連絡先だった。

 何度もコールが鳴るが一向に出る気配がない、これもダメだったかと思って受話器を戻そうとした瞬間、コール音が切り替わり別に所に転送された。

 もしかしたら繋がるかもしれないと思って待ってみると、やがてコール音が止まり若い女性の声が受話器から聞こえたきた。

「はい、どちら様でしょうか?」

「えっと、あの、そちらは月宮誠さんの携帯電話でよろしいでしょうか?」

『そうですが、どちら様ですか?』

「私は軽度対応型施設のグループホーム『たんぽぽ』で月宮亮くんの支援担当をしてます蒼崎と申します。実は本日ご連絡差し上げたのは亮くんの事で、身元引受人である叔父の月宮誠さんに早急に確認してもらいたい事があって電話しました。月宮誠さんはご在宅でしょうか?」

『申し訳ございませんが、この電話の持ち主である誠は今現在電話に出ることができません。折り返しこちらでご連絡致しますのでご用件を申して下さい』

 落ち着いた物言いの声に混じって、乾いた連続音が一緒に受話器から伝わってきた。どこかで聞いた音だと蒼崎は思った。

「いえ、これは亮くんの個人情報にあたる事ですので、失礼ですが第三者にお話するわけにはいかないのです。折り返しかけていただいた際にご本人に直接お話致しますので」

『そうしますと、早くても夕方以降になると思いますが宜しいですか?』

「構いませんよ、あっそうだ。できれば私の携帯にかけてもらえると助かります。番号を言いますね」

『ご心配には及びませんよ。こちらで把握ておりますから、大丈夫ですよさん。誠が戻りましたらご連絡致します。では失礼します」

 蒼崎が受話器を戻すと、ふとある疑問が浮かんだ。

「あれ? 私・・・名前言ったかしら?」

 深く考え込むのはやめようと頭から振り払うと、今度は別の事に気がついた。さっき受話器の向こうから聞こえてきた乾いた連続音。忘れもしないアレは銃声だ。それもあの特徴ある音は第二次極東戦争中に、まだ子供だった蒼崎が嫌というほど聞いたAK-47(カラニシコフ)の音で間違いなかった。

 フラッシュバックのように忘れていた戦争の記憶が蘇り、蒼崎の心に重く暗い影がのしかかってきた。それと同時に亮に対して疑念の思いが一層深くなっていった。

 今まで一緒に暮らしてきた大人しく気弱な月宮亮と言う人間が、まるで自分の知らない別人のように思えてならないのだ。

「亮君・・・本当のあなたは、なんなの・・・」

 書類の右端にある亮の顔写真を見つめながら蒼崎は訪ねてみた。

こんばんは、朏天仁です。今回タイトルで『暗雲』を付けさてもらいました。これはこの次からいよいよ物語の確信へと進んでいきます。過去がない亮に、謎の一団が待ち構えている今後の展開はどうなっていくのか? 次回をお楽しみください。

さて、今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。本当に感謝感謝の連続です。これからも本作をよろしくお願いします。m(__)m

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