葵の手
むき出しの鉄筋コンクリートの柱に『B2』とペイントれた地下駐車場。広いフロアー全体に一台の黒い車しか止まっていない。ここは元日本連邦埼玉支部のバウンティーハンター委員会本部だ。一年ほど前から解体工事が進み、すでに5階建ての建物は取り壊され、残っているのは僅かな人しか知らない臨時地下作戦本部と駐車場だけだった。
主を失った建物は時間という流れの中でゆっくりとその姿をすり減らしていき、水道管から漏れ出た水滴がコンクリートの壁に水模様を絵描きながら、着々とカビとコケを増やしている。
そのせいでもあり、静かに終わりを迎える駐車場に車が止まっている状態は、周りから見れば異質な存在でもある。
しかも、運転席にはちゃんと人の姿が見える。フロントガラスから黒いシルエットの影が見えると、ボッっ小さな灯りがついて消えた。中の人物がタバコを付けたようだ。
少し開けた窓の隙間から紫煙が漏れ、駐車場にタバコの匂いが漂ってきた。運転手がハンドルを指でトントン叩いていると、一台の白い車が入口から降りてきた。後ろのバックドアの角が大きく凹んでいる。
ゆっくりと隣に停車すると中から現れたのは霧島千聖だった。ドアを閉めるとそのまま隣の車へ乗り込んだ。
助手席に座ると、お互い顔を向き合わせないまま話し始めた。
「思っていたより早かったな。ひょっとして一日ぐらいは拘留されると思ったんだが、随分と派手にやったようだが、結局はそのバッチのお陰か?」
「あらあら、ホンっト相変わらず耳はいいんだから。そんなに耳がいいならワザワザこんなテストしなくてもよかったんじゃない。報告書に目を通しておけばあいつの能力の高さはわかってもらえると思ったけど。おかげで余計な出費になったわ」
「ふんっ、相変わらずのジャジャ馬だな・・・それに、いくらお前の推薦といっても、例外を認めるわけにはいかんな。このプログラムに失敗は許されん。そいつの実力がどうなのか見極める必要がある。まあ今回は予定外の試験で想定外の事態も加わったが、まずまずの結果だったな」
「それじゃー」
霧島が一瞬だけ視線を向けるが、ちょうど男の顔全体に影が掛かり確認する事が出来ない。唯一確認できたのはタバコを持った手だけだった。
声と体格からして年輩の男であるには間違いない、それにお互い知り合いのようだ。
「待て! まずまずの結果だったと言っただろう。紙媒体の資料をいくら読んでも本質まではわからない。まだまだ知る必要がある。それに候補者はコイツ一人だけではないんだぞ・・・あと8人もいるだ。その中からさらに吟味して5人に絞るんだから、まだまだ根気がいる作業に違いない」
「ちょっと待ってよ。8人ってどういうこと? 候補者は全部で10人のはずよ。何があったの?」
「なんだ知らんのか? 山口の候補者はガンが再発して辞退した。神奈川の候補者は死んだ。以前捕まえた賞金首がムショを出所してそのお礼参りでな。ハンターの個人情報強化が今後の課題になるだろう」
「そう。それで候補者の補充は・・・しないわよね」
「当然だ。あまり表沙汰にできないからな、ここでもし気づかれてもしたら2年越しの計画が水泡に帰す。残りの8人に期待するしかあるまい」
前髪をかき揚げながら霧島は大きくため息をもらした。
「あいつらが一番嫌がるのは権力と地位を奪われる事。だから一筋縄じゃいかないことぐらい覚悟してたけど、まさかここまで根が深いとはね・・・それで、今のところ一番の候補は誰?」
「一番の優良候補は京都だ。コイツに期待しよう。過去に正当防衛で賞金首を2人殺してしまっているが、捕縛率90%以上を叩きだしている、加えていうのなら来年には国家バウンティーハンターに昇格が決まっている」
「私の報告書ちゃんと目を通したの!! まだ殺し0で国家資格を持ったハンターがいるでしょう。なんで第一候補に上げてないのよ!!」
不快感を表すような強い口調を吐きながら、霧島もタバコを取り出した。
「もちろんだとも。お前は随分とあのガキに固執してるんだな。何かあったのか? ああそうそう、そう言えばお前達はあの『大宮事件』の関係者だったな。同情はせんぞ。それにこの『月宮亮』だとか言うこのガキはどうもきな臭い、そもそも戸籍が無く、5歳以前の存在した記録がないのに、どうしてハンター訓練所に入学できた。過去がない人間ほど危ない奴はない。だからこそ慎重に調べてるんだろう、何が問題なんだ」
「確かに入学当時はいろいろと変な噂はあったし、人を傷つける事を微塵も躊躇しない冷酷な奴でもあったわ。でも・・・それでもあいつは―」
「それにコイツは候補者の中で一番若い、若いっていうのは道を間違えるリスクが高い。本来ならプログラムから外れているはずだ、それなのにコイツは選んだ根拠はなんなんだ」
車内にしばしの間があいて、タバコの煙をワザとらしく大げさに吹き出した霧島は、思案顔のまま小さく呟いた。
「・・・あいつを・・・元教官を殺さなかった・・・」
「なんだって?」
「別に、カンよ」
「カン!?」
「そうよ、女のカンよ。あいつなら絶対やる。間違いないって」
その言葉を聞いた男の方は、大声で失笑した。
「ハッハッハ・・・まさかお前の口から『カン』なんて言葉が出るとはな。ようはお前の自己満足か、いいだろう。お前のそのカンとやらが本物かどうか確かめてみたくなった。ただし、使えないと判明した時点で即プログラムは終了だぞ。いいんだな?」
「そんなのわかってるわよ。でもあいつは大丈夫よ。ちゃんと『未来』をもらえたんだから」
「・・・そうはそうと、ようやく改正の草案が運営委員会に提出されたぞ。順調にいけば9月に成案が通って、今年度中に連邦議会で正式に審議される。それも集中審議だ。前回の反省を生かし今回は族議委員達に上手く根回しができたからな」
「本当!? これでやっとスタートラインに立てるわね。このままバウンティーハンターを政府の犬で終わらせてたまるもんですか。私たちはこの日本連邦の治安を守る『第5勢力』にならなければ、これまで犠牲になった仲間たちに顔向けできないわ」
「そうだな、私やお前達が対立せずに団結できているのは死んでいった仲間の執念によってだ。ちゃんと恩を返さんといかんな」
男の言葉に霧島は無言のまま頷いた。そして膝の上には力強く拳が握られていた。
ほとんどの現代人は熱帯夜の夜にエアコンを使用して安眠な夜を過ごしているだろう。たとえ夏場一ヶ月の電気代が平均月の二ヶ月分に相当しても、それは仕方がないと割り切って生活している。中にはエアコンを使わない人もいるが、電気代を押さえる一方で室内熱中症の危険性が一層高まってしまう。
ここ『たんぽぽ』では生活困窮の為、エアコンの使用は極力控えている。しかし、ここ最近の殺人的とも言える熱帯夜のせいで夜間エアコンの使用が許可されることになった。しかし、いくら室内熱中症を予防する目的でも好きなだけ使えるわけではない。
そこで必然的な男女差別が生まれた。比較的体力がある亮の部屋は風通しが良いが、これは偶然そうなったわけではなく、風通しが良い事はその分エアコンの使用は必要ないという意味だった。窓を開けていれば滞りなく風が吹き抜けていく。これで室内熱中症は予防できるが、それでもエアコンの冷気には程遠かった。
外の生暖かい風がカーテンを揺らし、殺風景な亮の部屋で溜まった空気を入れ替えていく。薄い掛け布団を一枚だけ掛けて寝ている亮の顔に、大粒の汗がいくつも出来上がっては流れ落ちている。
呼吸が荒くうなされながら亮は寝返りをうつと、突然目を覚ました。
乱暴に布団を剥いで起き上がると、顔面蒼白のまま大量の汗が下へと滴り落ちる。さらに呼吸が荒くなると、腹の奥から熱く不快なモノが重力に逆らいながら登ってくるのを感じ両手で口を押さえた。
そのまま勢いよく部屋を飛び立つと、真っ暗な廊下を慣れた足取りで駆け抜けながらトイレのドアを乱暴に開けた。
顔を半分便器突っ込みながらリバースを繰り返す。口の中が酸っぱくなり胃の中が空っぽになっても気分不快はさらに強まり、それが更に亮を苦しめた。
これが亮の亜民認定を決定づけた診断名、Post Traumatic Stress Disorde略してPTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。
「うぅっう・・・なんで・・・なんで、ちゃんと死なせて・・・くれなかったんだ・・・」
どうしてこうなったのかちゃんと理由があった。亮が『たんぽぽ』に来て二週間後、マナが魚住真司達に襲われそうになった時、助けようとしてこの力を使ってしまった事があった。当時は力の制御が効かず無意識に使用してしまったため、危うく魚住達を殺してしまうところだったが、その夜に今回と同じ事が起こった。
今回は、昨日の荻野美花を助けた時と今日の襲撃を合わせて2日連続で力を使用してしてしまった。フラッシュバックのように『大宮事件』の光景が繰り返され、感覚までもが当時に戻るだす。そして幾重に襲ってくる感情の波に亮の精神は過剰反応を示すと、今回のような身体症状となって現れてくる。
「・・・ごめん・・・なさい・・・ごめん、なさい・・・」
誰に語るでもなく、ただ一人便器に呟く亮の背中にそっと誰かの手が添えられる。おそらくマナだろうと思って振り返った先には、マナではなく葵の姿があった。心配そうな顔で亮を見つめている。
「ごめんね、葵ちゃん。心配しちゃったかな・・・でも大丈夫だから、すぐよくなるから・・・もう大丈夫だから」
気丈に振舞う亮に、葵は一枚のメモを見せる。そこには『りお たすける』と書かれていた。
「えっ!? どう言う意味だ」
疑問を投げ方た亮の胸元に、葵はそっと右手を当てると宝石のように潤んだ瞳で直視する。その瞳に気圧される亮だったが、次の瞬間。葵の唇が動き何か言葉を話そうとする。声は出ないが、何かを亮に伝えている。
胸元に当てられた手が熱を帯び、やがてその熱が全身へと広がっていくのを感じると、今まで苦しかった体の異変が嘘のように消えていった。そして何故か身体が軽くなり重たかった気持ちまでもが楽になってしまった。
「何をしたんだ? 葵ちゃん?」
呆気にとられた顔をしている亮に、葵はもう一枚紙を出して渡した。そこには『たすけて おねがい わるいおおかみがくる』とだけ書かれていた。
こんばんは、朏天仁です。第30話いかがだったでしょうか? 亮の病気と葵のミステリアスな印象が最後残ったと思います。
そして最後の葵の言葉に亮はどう答えるるのか? 今後の展開が気になるところですね。
今回で30話を無事に掲載する事ができました。これも読んでくれている読者の皆様方のおかげです。今後も掲載が続いて行けるように頑張っていきますので、よろしくお願いします。
最後に今回も最後まで読んでいただきまして、誠にありがとうございます。m(__)m
 




