その瞳
「うぅっ・・・うぐぅ・・・はっ、はあぁ・・・はあぁ・・・」
全身を刺すほどの痛みで西野良平は意識を取り戻した。彼の目に飛び込んできたのは、大木に衝突し大きくUの字に曲がったワンボックスカーだった。窓ガラスが全部割れ、タイヤの1本がカラカラと虚しい音を立てながら回っている。
「一体・・・何が・・・どうして?」
ゆっくりと立ち上がり呆然とその光景を見ている西野の鼻に、嗅ぎ慣れたキツイ臭いが漂ってきた。大破した車のエンジンから漏れ出たガソリンが車体周辺に溜まり始めている。
少しでも離れないと危険だと判断して辺りを見渡してみると、自分のいる状況が理解できた。西野が立っている位置は、山道の脇から少し入った雑木林だ。そこは傾斜のゆるい斜面で所々に地面が抉れ、草木が折れ曲がりった跡が続くその先に大破した車がある。
おそらく道をそれた車が回転を繰り返しながら車体を地面に擦りつけ、その拍子に割れた窓から飛び出たのだ。あのまま車内にいたらと思うと、それを考えただけでも西野はゾッとした。
だんだん意識がハッキリしだすと、同時に痛覚もハッキリ感じ始める。
「痛っ!」
急いでその場から離れようとした時、右足に激痛が走った。確認すると右足が膝の所でくの字に曲がっている。膝が抜けてしまったているのだ。
「ひいいいいいぃ、何だよコレ! コレぇ!!」
自分の足の状態に驚き、悲鳴を上げながら尻餅をついた。
「あぐぅ!」
今度は左肩に激痛が走った。診ると肩が脱臼して下に垂れ下がっている。また悲鳴を上げそうになり、奥歯をグッと噛んで飲み込んだ。叫ぶのは後して取り合えず上の道路までたどり着くことだけを考えた。
泥だらけな全身を襲う痛みをこらえ、満身創痍な体を引きずり何とか道路へとたどり着いた。道路上には砕けた車の残骸が辺り一面に散らばって、キラキラと輝いている。
その先で大きな塊が2つ横たわってるのが見えた。霞む目を凝らしながら見ると、それは先程まで一緒にいた田嶋と加持の2人だった。
道路に横たわる2人を見て、西野はようやく何が起こったのかを思い出し始めた。
数分前、バス停に着いた3人は昨日の続きをしていた時、偶然にも知り合いの荻野美花に見つかってしまった。その後、田嶋が嫌がる美花を車に詰め込んだ時、突然現れた男に加持を吹っ飛ばされたと思ったら、田嶋がその男に発砲。慌てて車を発進させた所まで思い出した。そして記憶はあの車内へと変わっていく。
神民山の入り組んだ道を颯爽と走り続けている車内では、2人の焦り声が飛び交ってる。
「なっ、何で銃なんて持ってるんですか!」
「うるせぇ! 黙って運転しろ!!」
「このままじゃ、俺達みんな人殺しですよ! 先輩戻りましょうよ、すぐに救急車呼んで・・・加持先輩も残したままですよ」
「黙ってろ! いいから走らせとけ!!」
「でも・・・でも・・・」
「いいから運転しろ!!」
2人とも予想外の出来事に動揺し、正常な判断を出せずにいた。田嶋にいたっては、弾が相手の顔面に命中したのをハッキリ見てしまいパニックを起こしていた。
「くそ、何なんだよアイツは・・・一体・・・俺は悪くない、あんなのがいるからだ。俺は悪くない。悪くないんだ。クソッ! クソッ!」
田嶋がブツブツと呟いていると、美花が突然暴れだした。
「おほふぇて おほふぇてほぉ」
手足を縛れた状態でも必死に体をバタつかせ、抵抗を見てる。だがその行為は田嶋のパニックを余計に助長させるだけだった。
「うるせぇ!!」
「ふぐぅ」
美花の頬に田嶋の拳が落とされた。さらに2発、3発と続く。
「だいたいテメェーが、テメェーさえ現れなかったら、こんな事になんなかったんだよ! オメェーのせいで俺は人殺しになっちまったじゃねぇかよ! どうしてくれんだよこの粗悪民が!!」
美花の顔を容赦なく殴り続ける。既に美花は抵抗するのをやめただ打たれ続けている。
「先輩やめてください! そいつ死んじまいますよ!」
「うるせぇ!! テメェーは黙って運転しとけぇ!」
西野の制止に大声を張り上げる田嶋はすでに理性が欠けていた。殺人という大罪を犯した事で、彼の思考回路は麻痺してしまったのだ。
その証拠に美花を殴るのを止められずにいる。だがその時、田嶋の携帯が鳴り出した事で彼は殴るのを止めた。
動かなくなった美花は鼻血を流し、顔半分が腫れ上がった状態で気を失っている。
我に帰ると、おもぐろにポケットから携帯を取り出した。液晶画面に『非通知』の文字が現れている。
「誰だ?」
『あ~もしもし、オマヌケ三馬鹿トリオのボスさんですか? 大変な事になりましたねぇ~、なっちゃいましたねぇ~』
「テメェー誰だ? 何で俺の携帯を知ってやがるんだよ?」
『何でって? そりゃ~君たちがマヌケだから知ってるんだよ』
電話の相手は軽い口調で話し始め、それが田嶋を苛立たせる。
「ふざけるなぁ!! こっちはテメェーとおしゃべりしてる暇なんてねぇんだよ。じゃな」
『待って待って、助けてあげようとしてるだけだよ。これから私の言う事を聞いて実行してくれさえすれば、君達は無事に帰れるわ。ああそうそう、君が撃った彼ねぇ死んでないから安心しなさい』
「何だと? どういう意味だそれ?」
『いいから、私の言通りにしなさいわかったわね。まず最初に君達が拉致ったその子をそのまま外に捨てなさい。いいわね』
「ちょっと待て! いきなり掛けてきやがって、どうもオメェーは信用できなねぇな。一度も会ったことねぇのに俺達のことを知ってるふうじゃねぇかよ。テメェーひょっとして警察かなにかか?」
『それジョークのつもり? 笑えないわよ。まあいいわ、時間がないけど一つ教えてあげるわ。一度もあった事ないっていうのは君の勘違いよ。一度あったてるわよ。ほら、今回の件を依頼したとき君に前金と一緒に銃を渡してあげたじゃないのよ』
「おっ、お前!? あの時のか!」
『思い出してくれたかしら』
「だったら話が早えな。今回の仕事は途中だけど俺は降りるぜ。簡単なはずだったのにリスクが高くなりすぎた。聞いたな!! 俺は降りるからな!! わかったか!!」
田嶋は声を震わしながら怒鳴り声を上げる。一刻も早くその場から逃れたい一身で携帯を握り締めていた。その表情は崩れ額からは汗が流れ落ちる。
『・・・ああ、別に構わないよ。 こっちとしては依頼はすでに達成されてるし、君が予想以上の結果を残してくれたから私としては大いに満足してるわ』
「・・・はぁ!? そりゃーどういう意味だよ」
『それは・・・あっ・・・もう無理、時間切れね。あとは祈りなさい』
電話がきれた瞬間、ガタンッ!! と何かにぶつかったようなデカイ音と共に車体が揺れた。次の瞬間、運転していた西野の悲鳴が田嶋の耳に飛び込んできた。
「ううおおおおおはははははぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
悲鳴を上げた西野が急ブレーキを踏むと、タイヤが音を立てて停止する。すかさず田嶋が前を覗き込んだ。
「何やってんだよ! 早く車を・・・だっ・・・・・・」
目の前の光景に、続く言葉を出せなかった。
「かっ加持っ・・・」
そこにいたのは、ヒビが入ったフロントガラスに逆さまにへばり付いた加持の姿だった。目は虚のまま口を小さくパクパクと動かし血を垂らしている。一瞬車で跳ねてしまったのかと思ったが、加持はあのバス停に置いてきたはずだった。天井が大きくへこんでいる事から、信じられない事に上から落ちてきたのだ。
田嶋も西野も同じ事を考えたが、それを信じていいものか迷っていた。人間一人をどうやって空から降らすことが出来るだろうか。ゴリラ並みの腕力があっても不可能だ。
「何だよこれ? 一体・・・何の冗談だよ? なあ?」
「わっ・・・わかりません。わかりませんよ・・・何で・・・こんな・・・」
2人が困惑している間に、また天井でガタンっと音が響いた。
「ひひぃぃぃぃっ」
悲鳴を上げた西野が力一杯アクセルを踏み込むと、エンジンが唸り声を上げてタイヤが高速回転する。が、車はその場から1㎝も進まず、擦り続けるタイヤの白煙が上げるだけだった。
「何やってんだよ! もっと力入れろよ!」
「やってますよ。アクセル全開にしてますって!」
「何! もっとよく踏め! 早く出せぇ!!」
いくらアクセルを踏んでも車が進む事はなく、モクモクと白煙が登るだけだった。
「くそっ! 何なんだよ一体!」
2人の口論が続いていると、車の振動でフロントガラスにへばり付いていた加持の体が、ゆっくりと地面にズレ落ちた。軌跡のような血の跡ができあがり、それを見た田嶋は西野をおいて車から出ようとする。
ドアに手を掛けた瞬間、バキッと頭上で音がした。見ると天井を人間の腕が貫いていた。腕が戻ると今度は開いた穴に指をかて、天井を剥がし始める。
「なっ、何だよコレ? はははっ・・・こりゃ一体・・・なんの冗談だよ・・・」
あまりの恐怖に田嶋は泣きながら笑う事しか出来なかった。車の天井が薄いアルミホイルのように乱暴に引き裂いていく。やがて一人が通れるほどの穴が出来上がり、そこから伸びた手が田嶋の顔面を掴むと一気に外へと持っていかれた。
「うぎやややゃゃゃ!!!! バケモノォぉぉぉ!!」
外に連れて行かれた田嶋の断末魔のような悲鳴が響くと、バキッゴキッと何か硬いモノを砕く音が車内に聞こえてきた。
「もう嫌だ! 助けてくれぇ! うぅっ・・・」
それを聞いた西野が逃げようと運転席のドアを開けようとしたとき、バックミラー全体に巨大な球体が映り込んでいた。それは黄金色に輝く爬虫類の様な目だった。
それを見た瞬間、西野の身体は硬直し指一本動かす事が出来なくなった。車の外に得体の知れない何かがいる。その恐ろしい何かはわからないが、ドアを開ければ間違いなく殺されると西野は悟ったのだ。
全身から汗を噴出し、服の上からもら鼓動を感じる事ができる。死の恐怖が西野の身体を包み込んでいた。
恐怖で身体がビクビクと震えだすと、自分の真後ろで音がした。何かが車内に侵入した気配を感じ、さらに鼓動が速くなる。振り返る事が出来ずにいると、目先のルームミラーに人影が写った。
そこにはさっき田嶋に頭を打たれた男、月宮亮が写っていた。亮はゆっくりと開けた天井から車内に入ってくると、後部座席で気を失っている美花の首元に指をあてて、心拍と呼吸を確認しているようだ。それが終わると美花の身体を両手ですくい上げる。
そして再び入ってきた場所から外に出ようとした時、ミラー越しに西野と目が合った。
西野はたまらず目をギュっと閉じたが、瞼を閉じても亮の赤い不気味な瞳が焼きついてしまった。この時西野は自分の死を覚悟した。
だが亮はそんな西野を無視するかのように、美花を抱いたまま天井から外に出ると、そのままセンターの方へと消えていってしまった。
人の気配を感じなくなった頃、車内に一人残っていた西野がゆっくりと目を開けた。身体が動き、急いで後ろを確認して誰もいない事を確信した。
ようやく緊張の糸がほどけ、安堵の気持ちになると自分が失禁していることに始めて気がついた。
「ははっははは・・・ふははっふははははぁ・・・あはっはっはっはっはっはっはっはっはっ」
自分が生きている喜びと、不甲斐なさの感情が押し寄せ引きつったように笑い出した。しばらく笑い続けてようやく落ち着きを取り戻すと、ふとっ何気なく外のバックミラーに目を向けた。
「ひいっ!」
西野の顔に戦慄が走った。そこにはさっきよりも大きな黄金色の瞳が西野を捕らえていた。この怪物は最初から西野を獲物として選んでいたのだ。おそらく亮は自分が手を下すまでもなく、この怪物に殺らせるためあえて手を出さなかったのだろう。
「あっ・・・ぅっ・・・あっ・・・あっ・・・」
声が出せず西野の口がカチカチと震えだす。再び襲った恐怖に目から涙を流しながら後悔した。学校の不良友達の先輩からいい小遣い稼ぎがあると紹介され、ついて来たてみらら亜民排斥運動のバイトだった。最初は気が進まなかったが、だんだん学校や家での憂さ晴らしにやるようになってきていた。だけど自分がこんな災難にあってしまうとは、できることならあの時に戻りたいと西野は強く思った。そして脳裏に母の顔がよぎった。
「おっ、おっ・・・お母さん・・・」
西野が一言呟くと、バックミラーに写っていた瞳が消える。瞬間、車全体に強大な衝撃が走り車が奥の山林へと飛ばされる。
「うわわわわわわわぁ!!!!!!!!!」
激しい衝撃と音が山に轟き、身体をバラバラにされそうなくらい上下左右に引っ張れながら車は回転を繰り返しながら、山林へと消えていった。
ここでやっと全部思い出した西野は、自分が生きてる事に驚いた。あれ程の事故や脳裏に焼きついたあの瞳の恐怖がフラッシュバックのように蘇ると、その場で再び失禁しながら笑い出した。
「ははっははは、ふははっふははははぁ、あはっはっはっはっはっはっはっはっはっ」
笑い続ける西野の耳に、遠く響くサイレンの音が幾重にも重なり聞こえてくる。やがてサイレンの音に西野の笑い声は掻き消されていった。
こんにちは、朏 天仁です。
前回の続きですが、最初できた下書きは思う所がなく、最初から書き直しました。そしてら本日掲載が間に合うか冷や汗ものでした。(゜д゜lll)
さてさて、ようやく、亮の力が徐々に開放されてきました。今後の展開に注目していきたいと思います。
今回もここまで拝読してくれましたあなた様には本当に感謝を送りたいと思います。これからもどうぞよろしくお願い致します。m(__)m




