家族(前)
蒼崎玲子の乗った車が『たんぽぽ』に戻ってき時、あたりはすっかり薄暗くなっていた。すぐ前の外灯が付き始め、その下を高校生数人が乗った自転車が通り過ぎていく。
車を降りると昼間の猛暑の影響なのか、日が沈み気温が少し和らいでも湿気だけは変わらず肌にまとわりついてくる。
後部座席からスーパーの袋を引っ張り出すと、助手席から降りた銀髪の少女に呼びかけた。Tシャツにハーフパンツを履いているが、サイズが合わずブカブカの格好が彼女の細身を強調している。
「すっかり遅くなっちゃたわね。ごめんなさいね、ちょうど今日が買い出し日だったのよ。時間がなかったから葵ちゃんの日常生活品は明日一緒に買いに行きましょう。寝巻きとかは誰かのを借りるとして、1日ぐらいどってことないでしょう。さあ、これ降ろすから手伝って」
葵と言われた少女は無言のまま両手で袋を持つが、見た目以上の重さにグラッとよろめいてしまった。
「あっ、気をつけてね。『たんぽぽ』だと食べ物は水の次に貴重なものなのよ、だから運ぶときは十分気をつけてね葵ちゃん」
葵は一度頷いた。それが彼女の『わかりました』の返事だろう。
二人が砂利をただ敷き詰めただけの駐車場を抜けると、すぐに『たんぽぽ』の玄関前に出た。
「さあ、今日からここがあなたの新しい家になるわ。ちょっと個性が強い仲間達がいるけど、大丈夫だから、みんな優しい子ばかりだから心配しないで」
蒼崎の言葉に葵は頷いてみるが、それでも不安の表情が消える事はなかった。
「そんなに不安にならなくても大丈夫よ、さっき言った通りその買ったスケッチブックを使えば大丈夫よ。ああそれと、早いうちに言葉の勉強とかしないと。しばらくは忙しくなると思うから、それじゃー我が家へようこそ!!」
玄関の扉が開くと、中の明かりが葵の顔を照らし始める。一瞬眩しさに眼を細めるが直に葵の瞳が大きく見開いた。
病院の保養所を改築した際に壁やドアに彫られた彫刻や、いくつかの装飾品はそのまま残していたため、モダン風な空間に木製の落ち着いた雰囲気を醸し出している。
葵は一瞬でここを気に入った。
「まあ、それほど綺麗ってほどじゃないんだけど、さあさあ早いとこ荷物を置いてきて、みんなに自己紹介しないとだから、上がって上がって」
きれいに靴をそろえて上がった葵の素足は、乾いた泥と砂が残っていてさらに、親指の爪を何かで切ったのか血の瘡蓋ができている。
元医者の蒼崎は、すぐに葵のその爪先に目が留まった。
「みんなの紹介が終わったら足の処置をしましょう。ちゃんと処置しないと化膿したら後がたいへんだしね」
頷く葵を確認すると、蒼崎は廊下の向こうから聞こえてくる声に耳を傾けた。この時間帯は食堂にみんな集まっている時間だ。早速葵を紹介しようと食堂のドアを開けてみる。
「ただいま~みんな遅くなってゴメンねぇ」
蒼崎が中に入ろうとすると、彩音が勢いよく飛びついてきた。
「せんせぇ~、うち汚されてもうたわぁ!! あそこにおるクズ男にやぁ、あいつ早う山に捨ててこないと、マナ達もその毒牙の犠牲になってしまうで」
「ああ、はいはい。それじゃ犠牲になった彩音はさっそくカウンセリングを受けてもらう為、周防先生のクリニックに入院してもらおうかしらね」
「なぁっ!? そらアカンで、そんなん無しや無し」
「その前に彩音、さっき担任の先生から連絡があったんだけど、あなた学校で作った作品を勝手に持ち出したみたいね。前に約束したのを忘れちゃったのかしら? 約束破りはどうするんだっけかな」
「・・・えっ、あの・・・うち、ちょっと用事思い出しらからちょいと失礼しますわ・・・」
苦笑いを浮かべ、その場を逃れようとする彩音の襟首に、蒼崎の手が伸びた。
「待ちなさい! まったくあんたって子は、その場で正座!」
「ひぇぇ、堪忍や、堪忍してや先生ぇ! ほんの出来心なんやぁ」
「おだまり! ほら早く正座しなさい」
「ひぇぇ」
頭を抑えられたまま床に正座をさせられた彩音に、葵が物珍しそうな目を向けていた。
「あれ? 先生その人誰ですか?」
葵に気づいたマナが尋ねると、食堂にいた亮と楓、彩音も葵の方を向きだした。
「みんな、新しい家族を紹介するわね。今日からここで一緒に暮らすことになった『槙村葵』ちゃんよ。みんなー仲良くしてあげてね!」
「なんやて?」
「新しい家族?」
「新人さん?」
「・・・・・・」
毎月財政難なここ『たんぽぽ』の施設に、突然家族1人が増えたことは驚く事だが、それ以上にみんなが驚いているのは、この槙村葵と言う少女の容姿だ。
いくら日本人名であっても銀髪の長髪に透き通るような碧い瞳、顔立ちはどう見ても東洋人ではなく外国人にしか見えない。
「おおー先生ぇ新しい子ですか、葵ちゃん! うち神山彩音やよろしゅうな!」
早速葵に彩音が興味津々に手を伸ばして握手を求めてきた。葵が恐る恐る手を伸ばそうとすると、彩音は素早く葵の手を握りながら力一杯自分に引き寄せ抱きしめる。
「うーん、かわいい子やな。ついに『たんぽぽ』も、ぐろーばる化っちゅうもんになってきたっつうことやなぁーうんうん。まだ日本の生活には慣れなくてたんへんやろ」
さっきまでと打って変わった彩音の行動に葵はただ目を丸くしている。しかも彩音は今日マナにしようとして拒否された頬擦りをこれでもかというくらい擦りつける。
「うちがいろいろ教えたるでぇーなっなっそれがええやろ、ならさっそくうちの部屋にあるメイド服に着替えて―」
何を思ったのか、彩音はその場で葵の服を脱がせようと手を掛けようとする。だが、素早く蒼崎の平手打ちがいい音と一緒に彩音の頭に落ちた。
「いいかげんにしなさい。彩音」
「・・・・・・はい」
うずくまって悶絶に耐えている彩音をほっといて、食堂に集まった皆が順番に自己紹介を始めた。
「はじめまして、星村マナです。よろしくね、葵ちゃん」
「わたし・・・風間楓・・・・・・よろしく」
「俺は月宮亮だ。よろしくな」
亮の名を聞いた瞬間、葵の顔色が変わった。真っ直ぐに亮の顔を直視しながら、何かを話そうと口を動かしている。
その様子を蒼崎が注視しながら眺めている。
「どないしたんや? 葵ちゃん。そっちの番やで? 早よう自分で自己紹介せんと」
彩音が不思議そうな顔をして話すと、蒼崎が口を開いた。
「あっ! ごめんね皆。言い忘れてたんだけど、葵ちゃんは失語症で自分では言葉が話せないのよ。でも皆の言ってる言葉は理解できているから大丈夫よ、少しコミュニケーションに問題がある子だけど仲良くしてね」
「なぁーんや、そうだったんかいな。うちてっきり恥ずかしがり屋かと思って心配してもうたやないか、でも、まぁー言葉が話せんちゅうことは、さぞ不便やろうなぁ・・・・うちが一番の友達になってやるさかい、安心しいやぁ・・・ムッフフフフフ」
彩音の恐ろしい視線を感じたのか、葵は蒼崎の後ろへと避難した。
「彩音・・・くれぐれも変なことは考えないようにね」
蒼崎が手前でゲンコツを作り彩音に向けると、その気迫に身の危険を感じてか、観念した様子で手を上げた。
「じょ・・・・・・冗談や・・・・・・先生ぇー冗談やで・・なぁ」
「一応、葵ちゃんは言葉を話す事は無理でも、文字を書くことはできるから皆もこれからは葵ちゃんとよく筆談してあげてね・・・・・・それと、くれぐれも彩音は変な気を起こさないようね」
「ちゅうことは、悲鳴は上げられんっちゅうことやな、ムフフ」
蒼崎の再三注意に彩音は全然納得してない様子に見えるが、それでも皆は新しく入ってきた葵に対して、悪い印象は持ていないようだ。
亮が来たときは3人とも挨拶を済ませると、クモの子を散らせたように逃げて行ったのに、やはり同姓とういうだけでこうも態度が違ってしまうのかと亮は思った。だが、態度が変わらない人もいた。
「それじゃ・・・私・・・部屋に戻ります」
指でメガネを押し上げ、肩まで伸びるバサバサ髪の楓が部屋に戻ろうとする。もともと楓は食事や風呂以外で部屋から出ることはめったに無いし、軽度の知的障害と対人恐怖症を患っていて、人が多いこの空間は彼女にとって『苦痛』以外の何者でもないのだ。
年齢は16歳だが、精神年齢は10歳程度だ。たんぽぽにはマナの次に来た少女で、楓は他の亜民と違って才能に恵まれた子でもある。
「あらそうね。じゃあ楓、夕食の準備ができたら呼びにいくから、それまで部屋で自由にしてていいから。といってもまた絵を描いてるんでしょう、また腱鞘炎にならないようね」
楓が頷いて居間から去ると、後に残ったのは亮を含めて4人だけになった。
「それじゃさっそく夕飯の準備に取り掛かるとしますか・・・彩音は、私と一緒に夕飯の準備手伝ってちょうだい。今夜は葵ちゃんの歓迎会よ」
「えー先生ぇ、うちこれから葵ちゃんと親睦を深めようと思ったのに・・・・・・亮、あんた今日うちの身体をもてあそんだんやから、あんたが手伝いや」
彩音の言葉に亮は一瞬ギクリとしたが、すぐに反論した。
「ちょっ、ちょっとまてよ。それは彩音が勝手に勘違いしてるだけだろ、自分だけ被害者になるなよ」
「なんやてぇー亮あんた、うちが知らん間に自分の部屋にうちのマナ連れ込んで傷もんにしておきながら、そう言うんかぁ」
彩音の一方的な思い込みの訴えに、今度はマナが赤面しながら反論する。
「ちょ・・・・・・ちょっと彩姉ぇーマ・・・マナ・・・マナは何もされて・・・・・・ないし、それにマナは彩姉ぇーの物になった覚えなんてないもん。そっそれに亮兄ぃーは彩姉ぇーと違って優しくて・・・ちゃんとマナのリクエストに応じてくれたり、気持ちよく布団で寝かせてくれただけだもん」
何だか誤解を招きそうな発言が飛び出すと、案の定その言葉に彩音はその場で凍りついた。
「や・・・『優しく』・・・リ・・・『リクエストに応じる』・・・・・・『布団の中でチョメチョメしてくれた』・・・だぁとぉ!!」
「おいちょっと待て! チョメチョメってなんだよ、チョメチョメって! そんなの一言も言ってないだろが」
「・・・マナ、あんたいつからそんな子になったんや・・・・・・うちのマナがあんたみたいなクズ男に調教されてしもうた・・・コラぁーどう落とし前つけるきやぁー」
大声で吠えながら彩音が亮に向かって迫る。
「ちょっと待て、誤解だぞ。そもそも彩音が今想像しているようなことは、間違っても起こってないからな」
「えぇぇー亮兄ぃ、『間違っても』って何? 何なの?」
彩音の次はマナが亮に迫る。
「えっ・・・だからマナ『間違っても』って言うのは、だな・・・そのー何だ・・・」
「マナと亮兄ぃーは、そういう間違いが起こってくれないの?」
「ちょっと待て、マナ・・・・・・マナは一体おれに何を期待してるんだ?」
その時、居間いる3人は重苦しい空気と指すような強い視線を感じた。彩音や亮達を黙られせる殺気にも似た強烈な気配の主は蒼崎だった。
「ふがぁっ」
「彩音ちゃん・・・手伝うの、手伝わないの・・・どっちなの? ねぇー彩音ぇぇ」
彩音のこめかみにアイアンクローをする蒼崎の瞳の奥が、一瞬ギラリと光る。
「ててて、手伝いますー・・・いややわぁー先生ぇーそんなに怒らんといてな」
「これ以上、私を楽しませないでね彩音ちゃん」
「は・・・はいな、すぐ準備しますわ」
「それと亮くん、悪いけどちょっとドレッシングが終わっちゃったから、近くのコンビに行って買ってきてくれないかしら」
「は、はい、別にいいですよ」
「あっ、じゃーマナも、マナも行く」
「駄目よ! マナちゃんは葵ちゃんの足の手当てしてちょうだい、救急箱が奥の引き出しにあるから」
「・・・はい、マナわかった」
「あの、先生ぇ、そろそろ手を離してや、いっ痛いで」
「ダーメ、あんたはこのまま台所まで一緒に行くのよ。そしたら離してあげるから」
「ひぇえええええ」
彩音の顔を掴んだまま2人は奥の台所へと入っていった。
「それじゃー俺も行ってくるかな」
「亮兄ぃ、行ってらっしゃい」
葵が玄関に向かおうとする亮の後を追おうとするが、すぐに腕をマナに掴まれる。
「どこ行くの? 葵ちゃん足の手当てしないと」
葵は少し困惑した顔を見せるが、亮が玄関から出て行ってしまうと、渋々頷いた。
「よっと」
玄関の扉を開けると、生暖かい湿った風が身体にまとわりつく。外はもう真っ暗でLEDの街灯が通りを照らしている。昼間うるさかったセミの声の代わりに、鈴虫の静かな鳴き声が通りに響いている。
その通りを歩きながら亮は虫たちの音に耳を済ませる。ほんの数年前、亮の耳に聞こえていたのは鼓膜を破らんばかりの砲声に、やまない銃声と悲鳴だった。
ふと昔の頃の記憶が頭をよぎった亮は、下を向き大きく深呼吸をついた。
「忘れろ、もう終わったんだ・・・んっ?」
ふと、誰かの気配を感じて顔を上げると、前方の電柱に高校生らしき面影が見える。さらに近づいてみると近所の高校の制服を着た女子高生が立っている。長い黒髪をツインテールに結び、細い腕に似つかわしくない大きなボストンバックを肩に担いでいる。
あまりにもアンバランスな格好が目に留まった亮が、その女子高生の顔を見た瞬間驚いた。
「かっ・・・薫? お前、薫か?」
「はい、お久しぶりですね、兄上」
そこに立っているのは、亮と同じ『月宮』の名を持つ『月宮薫』がいた。
新年明けましておめでとうございます。朏 天仁です。
今年初登校が遅れてしまって申し訳ありません。
さてさて、今回ついに葵登場です。そして亮の兄弟(?)ともしく人物登場ですね。これからどうなっていくのか今後の展開が気になっていく所ですね。(^_^;)
次回は1月の下旬頃を予定してます。最低でも月一投稿はしていきますので・・・
それでは、ここまで拝読してくださいました読者のあなたに感謝を送りたいと思います。今回も読んでくれましたありごうございます。<(_ _)>
でわ、次回お会いしましょう。




