裏切り者
日本連邦の東京霞ヶ関は連邦政府を統治する中心地であり、それを象徴するかのように無数のビル群がそびえ建っている。
真夜中を過ぎてもビルの明かりは星の数ほど灯っていた。無数にあるビル群の中に周りとは少し違ったビルが一棟建っている。6階建て全てのガラスにスモークが貼られ、3、4階の『賃貸オフィスあり』と貼られた階には何故か明かりが灯っている。しかもベランダには中華鍋くらいのパラボラアンテナも設置されていて、人がいないはずの階におかしいくらい人の生活感が感じ取れた。
一般人が見れば少し違和感のあるビルだが、プロの諜報員が舌を巻くほど中の情報が一切漏れない徹底振りが施された要塞ビルだ。
全ての窓ガラスに特殊な電磁盗聴波防護シートが貼られ、内部の通信網は独自のネットワークサーバーを地下に構築し、規格外のファイヤーウォールで守られている。
しかもこのビルの電力は静止衛星上にある送電衛星から送られてくるマイクロ波によって電力を確保している。ベランダに設置されていたパラボラアンテナは実はマイクロ波の受信機になっていて、そこからマイクロ波を電力変換しているのだ。
これは宇宙太陽光発電システムの技術が応用されていて、太陽が存在する限り半永久的に電力を確保できる構造になっている。外界からの電力供給が独立しているため、万が一送電線や発電所がテロや災害で損傷を受けてもこのビルだけは電力の影響を全く受けないのだ。
そのビルの中では、外の静寂と打って変わって騒然としている。30人ほどが入る一般的なオフィスの中を分厚い書類の束を抱えた男たちが右往左往と走りまわり、鳴り響く電話、罵声、怒号が飛び交っている。
その渦中の中で、唯一軍服を着た男が中央の机に座っている。男は真っ赤な顔で怒鳴り声を上げている。
机を叩き、受話器に向かって罵声をあびせているこの男の名前は村岡賢三。
日本連邦東京本部対外戦略局の局員で階級は三尉。40代前半の中肉中背、角刈り頭で眉間に深いシワを寄せていた。
生粋の軍人一家の出でもあり目立つ特徴として、左頬から首の付け根まで伸びる裂傷痕だ。
「バカヤローッ!! 市ヶ谷の連中は何しってやがったんだ。演習じゃあねんだぞ。何のためにテメェらが今まで訓練して来たと思ってやがるんだ。今この時のためだろう、ああ。ふじゃけんじゃねぇぞテメェは」
『ハッ! 申し訳ありません。ですが三尉、我々の元に降りてくる情報があまりにも、その、不確定要素が多く、精査するに時間がかかり過ぎるのであります。それに、この失態は市ヶ谷の人事部のミスです。我々にその責任を―』
「言い訳はするな! 聞きたくないし、聞いたって何とも思わんぞ!!」
『ですが三尉、こちらの人員にも限りがあります。一条の奴は、ずっと前からこの計画の準備をしていたに違いありません。演習期間中の我々の盲点を付くとは、半年やそこらでは無理なことです』
「そんな事は言わずともわかっとるわ! 2年近くあいつと一緒の相棒を組んでいたのに、今まで潜入捜査官だと疑いもしなかったお前が言うな!」
『お言葉ですが、相棒を疑わないのは当然であります」
「貴様、上官の俺の意見に文句があるのか?」
『いいえ、そのようなことは決して…ですが……部隊内でのことでもあり、そのことは―』
電話の相手は言葉を濁したが、言っている事はもっともだと村岡も理解していた。
しかし、この想定外の状況化の中ではどうしようも出来なかった。
「まあいい、不問にしておく。奴はまだこの東京からは出ていないはずだ。全ての公共交通機関をはじめ、ヘリまで出動しているんだ。見つかりませんでした。では通らんぞ」
『ハッ! 理解しております。ですが、衛星さえ使えれば30分足らずで発見できたはずなのに、一条の奴、まさか衛星コードまで入手していたとは、敵ながら見事です』
「関心している場合か!! 貴様らに残された時間はあと3時間も無いんだぞ、もし奴が国境を越えて隣国に逃げ込んだりしたら、今後の我々の追跡がさらに困難になってしまうだろう。そうなる前に奴を見つけて、<あれ>を回収しろ。わかったな!」
相手の返事を聞かず、勢いよく受話器を戻した。
「クソ、クソ、クソッタレが! どうしてこうも状況が最悪の方向に向かうんだ。クソが」
苛立ち、無意識に貧乏ゆすりが始まる。
少し落ち着こうと一度深呼吸をしてみる。だが回りを見渡せば、みな誰も彼も同じ状態だった。電話越しに頭を下げる者や、早口の英語で怒鳴っている者、ここにいる全員が電話や情報確認に追われ、誰一人冷静に周りをみてる者はいなかった。
「まったく、とんでもない事をしてくれもんだぜぇ」
ため息を一緒に漏らすと、机の電話が再び鳴り出した。
静かに受話器を取った村岡は、相手の声を聞いた瞬間表情が強張った。それは今一番聞きたくない相手からの電話だったからだ。
『ワシだ。話がある、すぐに上がって来い』
それだけ言うと、向こうから電話を切ってしまった。
「はあ~、とうとう死刑判決かよ…」
ガックリと頭を垂らし、受話器を戻した村岡はポツリと呟いた。そしてそのまま騒然とする部屋を後にすると、一人エレベータホールへと向かって行った。
局長室とプレートが掛かったドアの前まで来ると、村岡は一度大きく深呼吸をした。
「さて、いくか」
意を決し、ノックも無くドアを開けて中に入る。
部屋の中は暗く、部屋の広さもわからない。
一つだけ灯っているライトが、奥の人物を頭上から照らし、人型のシルエットを作り出している。
その背後にはズタズタに裂けた、連邦国家前の旧日の丸国旗が掲げられている。
奥の人物は口元で組んだ手に顔を乗せているが、ライトの影で表情がうかがい知れない。
薄く見える顔の輪郭にシワの凹凸が分かるくらいで、後はこの人物は男という事だ。
男はノックも無く入ってきた村岡に注意することなく。ただ一言、
「とんだ失態だな」
低音でかすれた声に、村岡は深く頭を下げた。
「……申し訳ありません。播磨局長今回、このような事態を招いた責任は全て私にあります。連邦軍事法廷でいかなる処分が降りようと、あまんじて受け入れる所存であります」
「顔を上げろ。まずは、貴官の報告を! 簡潔にな」
「ハッ、今回の状況を招いた一条軍曹は秘密裏に全衛星コードを入手し、広域多目的情報収集衛星群の目を潰し、総合演習中で人員が減った第5研究所に進入。偽造パスと研究員一人を使い、収監中のL-211を連れ出すことに成功。現在は所在不明であります」
「ほう」
「なお、奴に加担した研究員はゲート付近で遺体を確認。そこから逃走ルート割り出し、第2警務隊に追跡を行っております。ただ、奴はまだこの東京近郊にいることは間違いありません」
「そうか…あの状況から、発生後たったの3時間でここまで部隊展開できるとは、貴官が優秀なのは理解できた」
「ハッ、ありがとうございます」
局長の言葉に、最悪な方向は回避できたと村岡は軽く安堵した。
「それで、入手したとされる衛星コードの漏えい元は?」
「目下捜査中であります」
「協力者の関係は?」
「捜査中であります」
「特秘級のL-211の情報を、一条軍曹は何故知っていた?」
「それも、捜査中であります」
「では、ここ3ヶ月間の一条軍曹の通信履歴の確認は?」
「それも、捜査…あっ…」
村岡は、一番重要な情報を見落としていた事に気がついた。もう言い逃れはできない。すでに播磨局長は村岡のミスに気付いている。
下手に言い訳をすれば、さらに立場が悪くなる。長年の経験から村岡はそう判断した。
「申し訳ありません。見落としてしまいました。すぐに通話履歴の確認と、サーバーに保存されている音声ファイルの捜索を行います。朝までには結果をご報告できるかと」
「いいや、それはもういい。こっちで調べがついている。それに、もう彼を追う必要はないのだよ」
「そっ、それは…どういう意味でしょうか?」
村岡の心拍数が一段と速くなる。
「言葉通りだよ。今回の件に関して、発生直後に亡霊犬を放った。ワシの勅命でだ。そして40分ほど前報告を受けた。先に結果を言えば一条軍曹を射殺した。あと数分もすれば貴官の部下が彼の遺体を発見するだろう」
「…いいえ、もう来ております」
ポケットから出した村岡の携帯が、ブルブルと鳴り続けている。
「ほっほう、貴官の部下も優秀だな」
表情は見えなくても、播磨の言葉からは軽い皮肉が込められている。村岡は表情に表れない程度に奥歯を噛み締めた。
「さて、本題に入ろうか。貴官をここに呼んだのは、何も今回の失態について責任を追及するためでわない。貴官の班だけで、ある極秘任務を受けてもらいたい」
「ハッ、喜んで。どういった任務でありますか?」
播磨局長は机の引き出しからICレコーダを取り出すと、スイッチを押した。
「これは彼が亡霊犬の追跡を交わし、再び発見されるまでの携帯の通話記録だ」
スピーカからは軽い雑音が混ざった声が響きだす。
『はぁっ…はぁっ、はぁっ、うぅぅ……こちらタジカラオ、作戦は成功した。アマテラスは無事…だ』
スピーカから聞こえる声は、間違いなく一条軍曹の声だ。どこか負傷していのか、今にも消えそうな声を必死に出しているようにも聞こえる。
『ご苦労。では予定通りアマテラスを回収ポイントへ、そこで落ち合おう』
『それは、…無理だ。もう…無理だ、俺はもう・・・・・・』
『では現在地を言え、我々が回収に向かう』
『それも…無理だ。ア…アマテラスは…野に、もう……野に放った。へっへっへっ、がはぁ、ゴホォ、ゴホォ』
『何? どういう意味だ、ダジカラオ?』
『あいつらも、あんたらも…目的は同じだろ。アマテラスを…また岩戸に閉じ込める…あいつは…あいつは、ゲホッ。ゲホッ…・・・北欧神話のおとぎ話を信じて…おまえ達のエゴの為に…これかも閉じ込める事は…知ってる。ケホッ。おっ、俺は許された、俺の魂は…はぁ、はぁ、アマテラスに…許されたんだ。だから、だから…・・・はぁっ、はぁっ、渡した、あいつに未来を、はぁ、はぁ、自由にした。アマテラスはもう自由になった』
『愚かなことをしたな、我々はすぐにアマテラスを見つけ回収する。我々の力を侮ったな。お前の行動は、結局は無駄な努力だったな』
『そうはどうかな…はっはっはっ、アマテラスの向かったさきに、強力な番犬がいるぜ。あんたらの組織が束になっても勝てないぜ、気を付けることだ。あれは、あいつは…』
『……そうか、もういい』
『はっ、はっ、はぁ……っ』
一条軍曹の声がだんだん小さくなると、突然一発の銃声が鳴り、音声が終了した。
「以上だ。警視庁への根回しは既に完了した。一条軍曹の問題は解決、だが―」
「わかっております。直に電話の相手、及びアマテラスの捜索続行を開始します」
「ふむ、意気込みは結構だが。事態は悪い方へと向かっているのだよ」
「それは、どういう意味でありますか?」
「先ほど、外務省経由で来た情報によると。どうやらアマテラスの情報が漏れたようだ。ルーマニア王国の『東方シオネス十字教会』から、神父と登録不明のシスター2名が日本連邦に向けて飛び立ったそうだ」
「なっ、……なんですって。あの東方シオネス十字教会が、わが国に」
その名を聞いた瞬間、村岡の頬の古傷が軽くうずき出した。
「そうだ、早ければ明日の夜には到着するだろう」
「奴らが、来る」
村岡は、無意識に頬に手を当てていた事に気づいた。指でゆっくりと傷跡をなで始めると、かつて彼らと対峙した時の記憶がフラッシュバックのように蘇ってくる。
第一次極東戦争中に、北米統合幻導師団の中でも特に残酷な部隊の一つであった東方シオネス十字教会。自らの魂を聖獣と同化させる事によって、無尽蔵に術式を発動させる黒装束の神父と、異端者を慈悲無く皆殺しにする武装シスター。彼らの力を世に知らしめたのが、開戦後日本海進行に伴い、前哨戦の対馬に14人の神父と23人のシスターが投入され、わずか2日で対馬を制圧したことだった。
捕虜になった8割の島民を皆殺しにした事は、終戦まで公にされることはなかったが、同盟軍の中からは、その残忍性から『黒鐘の赤い十字架』と呼ばれるようになった。
村岡は大戦中、二度彼らと戦いその圧倒的な強さの前に多くの仲間を失い、成すすべなく領土を蹂躙され続けた悔しさを、未だに忘れてはいなかった。
また、連中の強さを一番よく知っているだけに、今回の任務継続が困難になることが予想された。
「我々の作戦に、想定外の問題が発生しました。今後の作戦事態にも、大まかな変更も余儀なくされるでしょう」
「貴官の心配はもっともだ。実戦経験から過小評価はしてないだろうが、今回は問題ない。連中には陰陽師を相対させる。リスクは最小限になるので安心しろ」
「陰陽師を…馬鹿な! っあ、失礼しました。ですが、陰陽師は―」
驚きを隠せない村岡に対して、播磨は微笑を浮かべている。顔に影がかかっていてもハッキリわかる程に。
「無理です。確かに奴らにとっても陰陽師は天敵といえるでしょう。しかし、彼らは軍人ではありませんし、第一『五行法院局』の役人どもが黙っていませんよ」
「問題ない。今回、五行法院局は一切関与しない。安心したかね。後で後方支援要員として、一人来ることになっている」
連邦内の陰陽師を総括する機関『五行法院局』は、世界でも屈指の力を持つ陰陽師達を政治、軍事、外交に利用されないよう監視監督する目的で設置された独立機関だ。
大戦の当初は軍事的不干渉を理由に中立を保っていたが、幻獣達の圧倒的な力の前に、自分達の聖域に危機を感じ始めると、一部の陰陽師一派が軍部と協力し武装陰陽師として前線に投入され始めた。
終戦後、武装陰陽師は禁忌を犯したとして、一族末端にいたるまで粛清されてしまった。その為、五行法院局の許可が無い限り、陰陽師を今回の任務に使用することは不可能に近い。
「どういう事ですか? 我々に黙って協力する陰陽師がいるのですか?」
「詳しくは教えられんが、全ての陰陽師が連中のいいなりになるのを望んでいるわけではない、っとだけ言っておこう」
「しかし、それでも万が一今回の作戦が表に出たら我々全員が国家反逆罪で銃殺ですよ」
「くどいぞ! そうならない為に優秀な貴官を指揮官にしているのだよ。詳細については後ほど連絡するとして、早急に部隊編成を行いL-211を回収せよ! もし失敗すれば、日本の真の独立は遥か先に遠のくだろうな」
「ハッ! 了解しました。では局長、失礼します」
敬礼を済ませると、足早に部屋を出る。ドアを閉めたところでどっと重たいものが体に伸し掛かってくるのを感じると、村岡は大きな溜め息を漏らした。
「とりあえずは、無事でなりよりだった」
自分に言い聞かせると、腕時計で時間を確認する。時刻は午前3時を変えようとしていた。
「もうすぐ夜明けだって言うのに、おれの夜明けはまだ先のようだな」
下のオフィスに戻りながら、村岡は携帯を取り出した。
「俺だ。一条軍曹の捜索は終了だ。指揮本部は解散だ。それと藤本と柴崎の班に本部に戻るように連絡しとけ、…ああそうだ。別の任務だ」
部下と連絡を取りながら、村岡は当分先逢えないであろう娘の事を考えていた。




