◆あ…、忘れてた。
「全くぅ…。みずくさい子だよね…」
厨房の中に入り、ランチ用の皿を片付けながら葉月は小さく口を尖らせた。
僕はいつものように、ティータイム用のシフォンケーキの支度に取り掛かりながら、やや不機嫌さを漂わせる葉月のぼやきに耳を傾ける。
「…ほんの少し前までは、隠し事なんてしないで何でも話してくれたのになぁ…」
寂しそうにため息をつきながら苦笑いを浮かべる葉月を見て、僕は、
「…僕は充月君の気持ち、何となくだけどわかるよ」
材料を混ぜ合わせた生地をリング状の型に流し込み、予熱を入れ終えたオーブンに入れて、一息つく。
そんな僕に葉月はアイスコーヒーを差し出して、
「それって、どんな気持ちなのよぉ…」
全く理解できないという顔を向けて、返答を待っている。
僕はアイスコーヒーを一口飲んで息をつき、
「充月君も男だってことだよ」
早朝に見た彼の真剣な眼差しを思い出したら、自然と口元が緩んだ。
「んんっ? 何? それじゃあ全然答えになってないじゃないっ!」
葉月は不服そうな顔と声を僕に向けるけど、やんわりと笑みを返して終わりにした。
いくら大事な葉月にでも易々と言うつもりはない男心があるってことだ。
大事な気持ちだからこそ、軽はずみに口にしたくない言葉ってあると僕は思ってる。
「…とにかく、僕はしばらく2人を見守ってやろうと思う。できることをやりながら、ね」
曖昧な言葉で申し訳ないと思いつつ、僕は葉月にそれ以上は追及しないで欲しいな…と願いをこめて小さく笑った。
「…洋二がそう言うなら、私も2人を見守ってみる」
多少の不服感は残しつつも、葉月は納得しようと僕に歩み寄るように小さく笑顔を見せてくれた。
事情が全くわからない蒼ちゃんの男性恐怖症。しかも大人限定ってちょっと特異な感じに戸惑いを隠せない葉月の不安な気持ちは充分理解できる。
実際僕も不安だから。
蒼ちゃんの身に一体何が起きたのか…。
男性恐怖症という言葉に対して、僕は正直あまり想像したくない事を浮かべてしまう。
異性を怖がるって事は、相当ショックな出来事を受けなければ、あまり縁のない感情だと思うから…。
「ねぇ、洋二…」
葉月は珍しく真剣な顔で僕をじっと見つめて、
「…はじめ君には、事情を話しておいたほうがいいかもしれないね…」
…しまった。
角度を変えると結構危険な存在である、ウチの常連のはじめ君の存在を忘れてた…。
僕は思わず苦笑いしながら、
「そうだな…。はじめ君にはきちんと話しておかなきゃ…」
後に面倒なことになりかねない。
遠慮無しなあの物言いと、フレンドリーさと、好奇心の旺盛さは、蒼ちゃんや充月君の気持ちには逆作用してしまう恐れがある。
オーブンから漂うシフォンケーキの甘い薫りと共に、タイマーがケーキの焼き上がりを告げると、カフェの出入口のカウベルが来客を告げた。
ティータイムの15分程前の来客は、一々顔を確認しなくてもわかる人…。
「はじめ君が来た…」
葉月は、一瞬不安な顔を僕に見せたけど、
「いらっしゃーい」
と、カウンター越しにはじめ君に笑顔を見せて、いつものように挨拶で迎えた。
「葉月ちゃん、こんにちは~♪ 今日も変わらずかわいいね」
はじめ君は、にこやかに笑って葉月を見つめた後、
「やあ、オーナー。相変わらず存在が邪魔だね」
お決まりのおちゃらけ混じりでいて、やや本音混じりの牽制に僕はいつものように苦笑い。
「今日は、ドリンク何にする?」
お冷やと紙おしぼりを出して、葉月ははじめ君に尋ねた。
「アイスティーがいいな…ん? 葉月ちゃん、なんか今日、ちょっと空気が違うな。何かあった?」
…はじめ君は、鋭すぎると思う。
さすが漫画家志望だ。観察眼が冴えすぎてるなと、僕は盛大にため息をつきたくなった。
「もしかしてっ、オーナーと喧嘩したとかっ♪」
ウキウキした声を発したはじめ君に、
「喧嘩なんかしないわよぉ…今日もラブラブです」
葉月はやれやれと嘆息して、アイスティーの準備に取り掛かった。
「なーんだ…つまんね」
はじめ君は小さく舌打ちをして、ニッコリとした笑みを僕に向けて、
「…で? 何があったの?」
そう言って、グラスの水を一口飲んだ。




