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summer visit  作者: 河野夜兎
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◆彼女の気持ち2

 僕が葉月と喧嘩したのはいつだったろう。

記憶の引き出しを探ったけど、そんな思い出は見当たらなくて。


 ひょっとしたらこれは喧嘩だったのかな…?

辛うじてそんなふうに思える出来事は、あったかな? 考えてみたけど、喧嘩というよりは、僕が至らないから目一杯叱られたという感じにしか思えない出来事だったような…。


 葉月に関してだけではない。

僕は、今まで人との争いは尽く避けて生きてきた。

波風の立たないように。相手を理解するべく事のみに努めよう、自分自身の気持ちを前に出す事はしてこなかった。


 喧嘩というのは、互いにわかりあう為の気持ちのぶつけあい。頭ではなんとなく理解は出来ているけど、実経験を経ての理解は持っていない。

そんな僕が、実際に喧嘩をしてしまった人達にどんな言葉をかけたらいいのか。



「ソラ子、お前凄いじゃん。ケンカ出来るくらい充月の事はちゃんと信頼出来てんだなぁ」

「え…?」


 そう言って笑うじめ君に、蒼ちゃんは泣きじゃくるのを止めて、きょとんとした目を向けて呟いた。


「ケンカするってのは、中々結構難しい行為だよな? だって、お互いに自分の嫌な部分だとか、わかって貰いたい痛い部分とか、理解したい気持ちをぶつけな合わなきゃいけないわけだろ? こういう事って、相手を信じよう気持ちや勇気、デッカい興味だとか、ちゃんと関わり合いたい結び付きの気持ちがなきゃ出来ないもんだよな?」


 はじめ君は、「なあ?」と僕に視線を向けて笑ったけど、


「…すみません。僕にはそういう経験はないです」

 実経験のない僕が解ったような相槌を打つのはどうも違うと感じて、そう一言だけ告げた。すると、


「は? マジで? なに? マスターって葉月ちゃんとケンカした事ないの?」

 はじめ君は、驚いた顔で僕を見つめた。


「ないです」

「一度も?」

「はい…そういう記憶は見当たりません」

「へー…。まあ、でもなんとなく納得できる」


 はじめ君は、

「マスターって店でもちょいちょい葉月ちゃんに一方的に説教されてるもんな。それを苦笑って謝ってるような関係図が出来上がってる感じだからなぁ」

 俯き加減でそう言って肩を揺らして笑いながら、

「やれやれ葉月ちゃん、舵取り大変そうだなぁ。きっと発散しきれない小さいストレスを溜めながら過ごしてるんだろうな」

 ため息混じりに頷いた。


「余計なお世話です。てか、はじめ君はどうなんですか? 色々と理解が広そうだから、そりゃ経験は豊富なんでしょうけどね?」

 意地の悪い質問だとわかっているけど、はじめ君だって人の心中お構い無しにずけずけと入ってくるんだ。僕にも尋ねる権利はあるだろうと思った。


「んー? 女とケンカの経験?」

 はじめ君は些か勿体ぶるように僕と蒼ちゃんとに交互に視線を流した後に、


「ないっ。んでもって、貴方は一体何を考えてるかわけがわからないって言われてフラレたのがここに来る切っ掛けになって今に至るってとこかな」

 ははっ、と笑ってうんうんと頷いた。


「…はじめさん…、失恋したんですか?」 

 蒼ちゃんは驚いた顔で僕を見つめたけど、そんな事は初耳だったので、

「僕ははじめ君が何故波音で働く事を選んだのか、実は知らなかったんだ。失恋なんて初耳だった」

 苦笑いしてそう言ったら、はじめ君は大きなため息をついて、

「だってマスターはぶっちゃけあんまりオレに関心ないだろ? だからわざわざ話す理由はないと思ったし」

 僕を見て小さく笑んだ。


「いや、関心がないわけじゃ…、ただ、色々ずけずけと聞くのも失礼かなと思って…」

 苦笑いする僕に、


「つーかさ。オレ、マスターのそういうとんでもなく遠慮がちな性質に時々無性にイラっとするんだよな。その果てしなく受け身な性質を少しなんとかしないと、いつか絶対に不誠実な奴だって葉月ちゃんに誤解されてトラブると思うわけよ」 


 はじめ君は、


「女にフラレたあの日のオレみたいにね」


 少し真面目な顔でそう僕に言った。


「あの…その話、少し詳しく聞いても…いいですか?」

「えー…、でもなぁ、今はオレよりソラ子じゃね?」


(…なら、そんなに気になるモノの言い方しなきゃいいだろ。それに遠慮がちな性質云々文句言ったのはそっちだし…)


 腑に落ちない。だけど、確かに蒼ちゃんの事が優先なのは正しいと思い、僕は苦笑いして黙した。


「…あの、私も、詳しく聞きたいです。はじめさんのフラレた話」

 蒼ちゃんは少しカウンターに身を乗り出すような姿勢ではじめ君を見つめた。


「…ソラ子、お前、時々オブラート忘れるよな?」

「あっ!…ご、ごめんなさい」

「ぷっ、いいよ。そういうソラ子が面白いから、ちょっと突っ込んでみただだけだから」

「え…、お、面白いですか…?」

 少し顔を赤らめて、まさか、という表情を僕に見せた蒼ちゃんに、


「…ごめん。ちょっと面白い」


 僕はなるべく失礼にならないように控え目に笑おう努めたけど、


「マスター、我慢、ヨクナイ」

 カタコトな外人みたいな口調を披露して笑い出すはじめ君につられて、笑いが堪えられなくなってしまった。


「もうっ!! なんですかっ!! 二人して酷いっ!!」

 蒼ちゃんは怒りながらもとても自然で柔らかな表情で、


「笑ってないで、早くフラレた話してくださいよ!」

「ソッ、だから、そこオブラートっ」

「ぶっ――」

「もうっ! はじめさんっ、結構めんどくさい人ですねっ! マスターっ! 笑うなら遠慮しないでくださいっ! 余計に恥ずかしいです!」

「めんどくさいとか言うなっ!」

「だって! すごく話したそうなのに、勿体ぶってるんだもん!」

「うはっ、やべっ、バレた?」

「バレバレです」

 蒼ちゃんまで笑い出す始末。

しばらく笑った後で、はじめ君は、


「よしじゃあ、話してやろう。オレの暗黒の歴史をな」


 そう言って、懐かしげに目を細めて笑みを浮かべた。

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