◇ランチタイムの見学
明日から洋二さんの店を手伝えることが決まり、今日はもう帰るつもりでいた俺達に、
「ふたり共、せっかく朝早くからこっちに来たんだから一緒にお昼くらいは食べていきなよ~っ♪」
そう姉に引き止められて、ランチタイムの仕事を見学がてら、俺達は昼食をご馳走になることとなった。
人で店内が賑わうランチタイム。俺と蒼は入り口左側の二人用の席で店内の様子を眺める。
なるべく人目に触れないように、蒼は入り口に背を向けて座る。少し不安そうな顔を見せたが「北村が正面にいてくれるから大丈夫」と小さく笑ってひとつ頷いた。
入り口右側には雑誌や新聞が整理されてるこげ茶色の木製の本棚と、葉が細長く、少し背が高い観葉植物が置かれている。
横に広い出窓から見えるのは、人で賑わう海水浴場の景色。
出窓に並ぶ水色のガラスポットには薄緑が綺麗なポトスが植えられてて、なんとなく目を癒してくれるような気持ちになった。
カウベルが鳴ると、姉はとびきりの笑顔でお客さんを「いらっしゃいませ~」と出迎え、無駄のない動きでトレイに氷水とおしぼりを乗せて運んでいく。
姉のアイボリーのカフェエプロンのポケットにはボールペンと伝票が挟まれた板。
お客さんから注文を受けると、颯爽とカウンターへ歩き、厨房の洋二さんへと明るく張りのある声でオーダーを通す。
蒼は横目でチラチラと厨房内の洋二さん姿を追っている。
「…洋二さん、悪い人じゃなかっただろ?」
俺の問いかけに、
「…わかんない」
蒼はやんわりと首を左右に振り、小さな苦笑を見せた。
「やっぱ…怖いか?」
「うん…。少しだけ…。でも、大丈夫。今日は私、気持ち悪くないし震えてない」
両手を胸の辺りにかざして、握ったり開いたりして安堵の色を見せた。
「それってさ、結構大きな進歩だよな」
何だか嬉しくなって、思わず声のトーンが上がってしまった俺を数秒見つめて、
「…北村は、本当に変わり者だね」
蒼は少し俯いて照れ笑いを浮かべた。
「今でも不思議だよ…。こんな私の隣に北村がいてくれることが…とても不思議…」
蒼の照れ笑いが、みるみるうちに申し訳なさげな苦笑へと変わる。
「別に不思議でも何でもないだろ?」
俺はテーブルに頬杖をつきやれやれと蒼に笑みを向けた。
慌ただしく鳴るカウベルに反して、どんどんご機嫌な声でお客を迎えいれる姉を目で追いかける。
ランチに来る客層は、結構若い人が多い。カウンターに向かう中年層はきっと常連だろう。姉を「葉月ちゃん」と呼び、姉もなんの抵抗もなく料理を運ぶ合間合間に世間話しをして笑ってる。
小さい頃から人見知りが激しくさほど活発ではなかった俺とは反対に、姉は近所で有名な人懐っこいじゃじゃ馬だった。
その明るさと活発さで年寄りにしこたま可愛がられてたっけな…。
「北村ぁ…」
蒼はつぶやくように俺の名前を呼ぶ。
「ん? どした?」
姉に向けた視線を蒼へと戻すと、
「北村のお姉さん、ずっと笑ってて疲れないのかな…?」
蒼の視線も、いつの間にか洋二さんから忙しく、楽しげに動き回る姉に移っていた。
「いや、あの人は万年箸が転んでも笑ってるタイプの人間だから、疲れないだろ…」
「…いいね、お姉さん。きっと毎日楽しいんだろうなぁ…」
ため息混じりの蒼の寂しげな顔を見たら、自分に対しての不甲斐のなさが急に込み上げてきた。
(俺は蒼にたいした笑顔を与えてやれないもんな…)
トレイをカウンターに置き、お客さんと会話を楽しみながら受けた注文の品が出て来るのを待ってる姉の後ろ姿を見る。
出来上がった料理の皿をトレイに乗せた後に、厳しい表情を緩めて小さく笑みをこぼし「よろしく」と姉に声をかける洋二さんを見る。
姉を送り出すと洋二さんはまた少し厳しい表情に戻り、厨房内で忙しくフライパンを動かしてる。
「いいなぁ…。大変そうだけど、何だか楽しそうだ」
蒼は厨房の洋二さんを見つめて微かに笑みを浮かべた。
「…いや、お前はフロアの手伝いだから」
再度やれやれという笑いが込み上げた俺に、
「明日…私は一体何回転ぶだろう…」
蒼は眉間にしわを寄せて口を尖らせた。
「…その前に、ちゃんと『いらっしゃいませ』が言えればいいな…」
小さく吹き笑ってやったら、蒼は「うぬぬぅ…」と唸り、
「いらっしゃいませくらい言えるっ! 北村っ、私を甘くみたら大ケガをするぞ」
頬を赤らめて膨れっ面で俺を睨み付けた。
「まぁ、互いにケガのないように気をつけてやろう」
込み上げる笑いが止まらない俺を見て、蒼はますます顔を赤くして悔しげに唸り声を上げた。
(きっと大丈夫だ。姉ちゃんもいるし、俺もちゃんといるから)
確信なんてものは無いし、大した力も俺には無いはずなのに、この時、元気な蒼を見て不覚にもそう決め込んでた。




