◆ゆっくりでいい
昨夜から降り始めた雨は、夜が明けてもまだ降り続いてる。
天気予報によれば、昼前には雨はあがるらしいけど、本当に止むのだろうかと疑いたくなるような降雨量だなと小さなため息が出た。
充月君は夜も遅いし、今日は定休日ということもあり家に泊まって貰う事にした。
昨日はかなり遅い時間まで話したから、まだぐっすりと眠っているだろう。
葉月もまた、同じように熟睡中だ。
普段は僕のほうが朝起きが苦手だから、葉月より早く起きるなんてちょっと変な感じだけど、今日はどうにも眠りが浅くてベッドの中は落ち着かない。
睡眠は諦めてリビングでゆっくりと過ごそうと思った。
(蒼ちゃんは、ちゃんと眠れたんだろうか…)
昨日充月君とケンカ別れしているような状態だ。きっと、複雑な心中で色々な考えを巡らせているだろう。
(電話…してみようか…)
アイボリーのソファーの前、背の低い木製のテーブルの上に置いた携帯を手に取り開き、電話帳を開く。
蒼ちゃんの名前をクリックして発信ボタンを押そうとしたら、携帯から着信を報せるメロディーが鳴った。少し驚いて誰からだろう? 名前を見たら、
「はじめくんだ…」
朝から電話が来るなんて珍しいと思うと同時に、何か良からぬ事が…と、心配な気持ちも沸いてくる。
「もしもし…」
少々躊躇いがちにお決まりの挨拶を電話口に向けると、
『ねえオーナー、今日は定休日のはずだよね?』
そんな質問をされた。
「はい」と定休日である事を告げると、はじめくんは、
『だよね? でもさぁ、店の前に蒼ちゃんが立ってるんだよね?』
そう言って、小さくため息をついた。
「…すみません。すぐ店に行きますので、それまで彼女を…」
『ん。了解』
「あの…くれぐれも…」
『わかってる。ちゃんと距離を保って接するから』
はじめ君の少し真面目な声色に僕は心の中で小さく安堵して、
「すみません…じゃあ」
通話ボタンを押して携帯を閉じ、僕は身支度の為に2階へ急いだ。部屋着から普段着のシャツとジーパンに着替えて、ベッドで眠る葉月に目を遣った。
(…まだ起こさないでおこうか…)
充月君もいる事だし黙って行くのはなんだか気が引けた。
「葉月」
僕は名前呼んで、葉月の肩を少し揺すった。
「う…ん…何?」
「ちょっと店に行ってくるから」
寝ぼけ眼で僕を見る葉月に一言声をかけると、
「どうしたの? 忘れ物?」
ベッドから起き上がり、僕にそう尋ねてきた。
「ついさっきはじめ君から電話がきた。店に蒼ちゃんが来てるって」
「え? 蒼ちゃんがお店に?」
今日は定休日なのに…。つぶやく葉月に、
「事情はちょっとわからないけど、とにかく店の前にいるみたいだから、行って来るよ」
「待って、私も――」
「葉月は家にいて。充月君を頼むよ」
僕は葉月の言葉を遮りそう告げた。ほんの数秒考えた顔の後に、
「わかった。蒼ちゃんのことは洋二に任せる。でもなにかあったら、必ず連絡してね」
葉月はベッドから出て僕を見上げると、小さく笑った。
「うん、ありがとう。必ず連絡するって約束するよ。じゃあ、行ってきます」
僕も小さく笑い返して、部屋を出た。
雨の日の海岸線はどこを見渡しても起伏の無い灰色だ。
空と海の境目もよくわからないくらい、どこか不安な気持ちになるような霞んだような灰色の景色の中、僕は少しスピードを上げて店を目指した。
几帳面な性格の彼女が定休日を忘れるなんてことは間違いなく無だろう。
まだまだ短い付き合いだけど、それだけは自信を持って言える。
「少しは気持ちの拠り所になってるのかな…」
消化できない気持ちを少しでも解く場所として選んで頼ってくれるならば、不謹慎かもしれないけどやっぱり嬉く思った。
もしそうでなく、ちょっとした気まぐれだとしてもいい。
彼女が自らの足を動かしたことが大事なんだから。
車を走らせ店に向かうと、入り口の小さな軒下に蒼ちゃんは俯いて立っていた。
その少し離れた花壇の前にはじめ君は傘をさして立っていた。
少し強めの雨を受け、ワイパーが忙しなく行き来するフロントウインドーからでは二人の表情ははっきりとは見えないけど、いつもへらへらと笑ってるはじめ君が、些か困り顔をしいてるように見えた。
僕の車に気付くと、少し安堵したように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
入り口の前で一旦車を停めて、
「おはよう」
蒼ちゃんに声をかけると、
「…おはようございます…」
雨の音に混じって、小さく弱弱しい声が耳に届いた。その声は微かに震えを帯びていて。
「待っててね。すぐに入り口を開けるから。はじめ君、すみませんでした」
視線をはじめ君に向けると、いつも通りの笑みを浮かべて、無言でゆっくりと首を振った。
駐車場に車を止めて、裏口の鍵をあけ、冷房を入れながら入り口へと向かい鍵を開ける。
「さ、入って…」
蒼ちゃんを中に入れようとすると、はじめ君も当たり前のように中に入ってくる。
「…はじめ君…今日仕事は?」
念のため苦笑いして尋ねると、
「んもう、オーナーったらぁ♪ オレの休みはアイビーの休みと同じだってわかってるくせにぃ♪」
おちゃらけて笑うはじめ君を見て、
「あぁ…そう…でしたっけね…」
全くこの人は…。空気を読んで帰る気なんて全く無いなと更に苦笑いがこみあげた。
そんな僕をちらりと見て蒼ちゃんは、
「ごめんなさい…定休日なのに…」
そう呟いて視線を床に落とした。
(やっぱり定休日だってわかってて来たんだ…)
「いいんだよ。さ、飲み物準備するから座って」
厨房に入る際、不謹慎ながらも思わず小さな笑みがこぼれそうになるのを堪えて、蒼ちゃんにカウンターに座るように告げた。
「オーナー、オレ、メロンクリームソーダがいいな♪」
当たり前のようにカウンターに座り、にこやかに注文をつけるはじめ君を見て、ちょっと顔が引きつりそうになった。そんな僕に、
「オーナー、私に飲み物の仕度をさせてください…」
蒼ちゃんはそう言って厨房に入ってきた。
きっと、じっと座っていると、何となくでも居心地の悪さを感じてしまうんだろうな…。
「じゃあ、お願いします。僕はアイスティーがいいな。蒼ちゃんは?」
そう告げると、
「私も…アイスティーにします」
グラスを三つ取り出し、いつものように手際よく仕度を始めた。
「なんか、すっかり厨房にいる事に違和感無いって感じだなぁ」
はじめ君はテーブルに片肘をつき、蒼ちゃんを見て楽しげに笑みを浮かべて、
「夏休みが終わったら、寂しくなっちゃうんじゃない?」
僕に視線だけを向けて様子を窺ってきた。
「そうですね…寂しくなりますね…」
一言つぶやいて蒼ちゃんに視線を向けると、黙々と作業をしている手を止めて、俯き加減のまま小さな笑みを浮かべた後、はじめ君に視線を向けて、
「はじめさんも…夏が終わったら、アルバイト終わるんですよね…?」
そう尋ねた。
「うん。オレも夏限定の人だからね~」
はじめ君は、ははっと笑って、
「ここ一帯はすごく居心地がいいからさ、限定にしとかないと…ねぇ?」
そう言って蒼ちゃんに視線を投げた。
それに応えるように小さく頷いて、蒼ちゃんは、
「メロンクリームソーダ、お待たせしました」
カウンターにそっと差し出して、
「夏が…アルバイトが終わったら、はじめさんはどこにいくんですか…?」
再度質問を投げた。
「んー…。な い しょ ♪」
そう言って笑った後、
「なぁんてね。バイトが終わったら、また元の実家暮らしに戻るんだよ~♪」
憂いたようにも見える小さな笑みを浮かべてクリームソーダを飲んだ。
「はじめさんて…ほんとに不思議な人ですね…」
蒼ちゃんはくすっと笑って僕に「どうぞ」とアイスティーを差し出した。
「ありがとう。そうだね…、不思議な人だよね…」
(不思議というよりは、掴み所のない人だと思うんだけどな…)
僕はアイスティーを受け取り、苦笑いを浮かべてしまった。
「いや、不思議なんていっこもないよ。そこらにウジャウジャいる、ただの凡人だから♪」
おちゃらけて笑うはじめ君を見て、
「はじめさんは…」
蒼ちゃんは真っ直ぐにはじめ君に視線を向けて、
「帰る場所…ちゃんとあるんですね…」
安堵だろうか…、慈しみを感じるような笑顔を浮かべたように見えた。
「キミは? どうなの?」
はじめ君は笑みを絶やさず、しかし少しはっきりとした口調で、真っ直ぐに蒼ちゃんを見て、尋ね返した。
「…どうでしょうか…わかりません…」
伏せ目がちで小さく笑って呟いた。そんな蒼ちゃんに、
「まあ、ね。別に無理して探すもんでもないと思うけどね」
そう言ってスプーンでアイスをすくい、「ね? オーナー?」と僕に笑いかけた。
蒼ちゃんは返答を窺うように僕を見上げて少し不安げな顔を見せた。
「帰る場所かどうかは別として、この店が少しでもキミの心安らぐ場所であれば、僕は本当に嬉しいよ」
本当は、ここが帰る場所でいいんだよと言いたいけど、きっと蒼ちゃんには望んで帰りたい場所がある。
そう思ったら、易々とそんな事は言えなかった。
「…私…アイビーが大好きです…」
蒼ちゃんは俯き、呟いて、照れ隠しのようにアイスティーにささるストローを口にくわえた。
(参ったなぁ…)
彼女のたった一言で、こんなにも胸が熱くなるなんて…。
「オーナー、泣きたいなら、肩貸そうか?」
はじめ君はくっくっと息を詰めるように笑った。
「…すいません。絶対に嫌です」
否応なしに浮かんだ僕の苦笑いに、蒼ちゃんは堪えきれなくなったのか、くすくすと肩を揺らして笑みをこぼした。
…良かった。
彼女が笑ってくれて、本当に良かった。




