◆糸を解く2
地元で自営業をしていると、やっぱり地元で起きた事というのは多かれ少なかれどこからとも無く耳に入ってくるものだ。
それが興味のある事ならば記憶としてはっきりと頭に残ってるけど、差ほどでもないことならば記憶の引き出しの片隅にかろうじてしまってあるくらいのものだ。
その引き出しが永遠に開けられることがないものは沢山あるだろうし、ふとした事で簡単に開いてしまうこともあったり。
去年の夏を思い出す。
確か町の南側にある住宅街に住む、ティータイムの常連のお客様数名がシフォンケーキを食べながらこんな話をしていた。
『うちの子供の学校の若い教師が校内で自殺した』
という事だ。
表向きの理由は心の病気だけど、本当の理由は生徒と深い男女の関係になり、何らかの形で関係を持っていた生徒に裏切られたのを苦にして、命を絶ってしまったんだとか。
生徒は実は身ごもっていて、相手に了承もなく勝手に堕胎したとの噂だとか、実は他にも数名の男と関係があって、亡くなった教師は玩ばれてたらしいとか、そんな憶測を交えた話で盛り上がってたっけ…。
葉月は、そんなお客様の会話に酷く嫌悪感を抱いた表情を浮かべて「ああいう事平気でベラベラと喋るオバサンにはなりたくないわ…」なんて言ってたっけ…。
どこの学校の話なのかはわからなかったし、それを特に知りたいとも思わなかった僕は、小耳に挟んだ程度で受け流した。
葉月もそれに近い感じだった。
だけど数日後、葉月は
「実はね、先生が亡くなったってあの話、充月の学校の話だったみたいなの…」
と、僕に話した。
どうやらそれについての保護者への説明会が行われたらしいと。
葉月が「らしい」といったのは、亡くなった先生が直接充月君には関係の無い、上の学年の教科担任の先生だという事で、説明を受けたのは先生に関わりを持っていた生徒の保護者のみで詳しい事はわからないという事からだ。
在学している充月君は当時1年生で「そうらしいけど、よくわからない」と、そのことについて何も話す事はなかったみたいだ。
冷たい言い方だけど関わりがなければ残念だけどその程度で、偲ばれる事なく人の死は受け流されてしまう。
そして、記憶の隅へ隅へと追いやられて忘れていくものなんだなと、僕は改めてそう思った。
まさか、それが1年後の今に繋がるなんて……。
「死んだ先生は、蒼の所属する部活の顧問だったんです…」
充月君は、伏せ目がちでそう呟いた。
教師は3年の美術の教科担任だったそうだ。
歳は26。小浦という名前の男性教諭で、とても物静かで、若いわりにちょっと近づき難い雰囲気の人だったらしい。
当時美術部員は新一年生の蒼ちゃんと一緒に入部した彼女の友人を含めて10名程の小さな活動世帯だったけど、顧問である先生は上級生徒に「気味の悪い奴」と囁かれ、好かれていなかったと充月君は話してくれた。
「唯一顧問と親しく話す事ができたのが、まだ何も知らない新1年生だった蒼と、蒼の友達だったんです」
その当時充月君は蒼ちゃんの隣のクラスで、事件が起きてそれが校内に広がるまでは中学で学区の違う蒼ちゃんの存在自体知らなかったらしい。
「だけど部活の先輩から、小浦は生徒から無口で何考えてるかわかんなくて気持ち悪いって嫌われてるという話を聞いてるうちに、蒼の友達は先輩達と同様に小浦と接することを避けるようになって。だけど蒼はそういう差別みたいなことは好きじゃないからって、普通に接してたんだって…。それが原因で友達と仲違いして、先輩からも煙たがられて、部内で孤立してしまったんです。そうしたら、小浦は孤立した蒼に付き纏うようになって…」
充月君は、唇をかみ締めて数秒黙り込んだ。そんな彼の苦渋の表情を見て、葉月もまた辛そうな表情で「辛いなら、もう話さなくていいから…」と言葉を向けた。
だけど、充月君は首を横に振り、
「一番辛いのは俺じゃなくて、蒼だから…」
そう一言述べた後、
「日に日に付き纏い行為が酷くなっていく小浦が怖くて仕方なくて、だけど誰にも相談できずに、どうしたらいいか一人で悩んでたって。結果、夏休みを機に蒼は部活をやめる事にしたって。だけど、部活をやめても、小浦の行為は止まらなかったって…」
行く先々に待ち伏せる小浦に、我慢の限界を超えた蒼ちゃんは「これ以上こんな事を続けるなら、親や学校に全て話すし警察に届けもだす」と言ったらしい。
「そうしたら小浦は、蒼に…もう、付き纏わないって約束したって。…その3日後に…」
早朝の美術室で、彼は自らの手で命を断ち切った。
学校の裏掲示板に、つくり話の恋物語と、まるで彼女に宛てたような遺書と、恋物語を真実と思わせるよう合成された画像を残して。
以前はじめくんが僕に送ってきたアドレスは、きっとその掲示板に関係する事だったんだろうなと思った。葉月が始君のメールを削除したのは正解だったかもしれない。
まだまキャパの狭い僕だから、酷な情報を先に頭に入れてしまうことで起きる弊害だってきっとあると思うから。
冷静になろう、なろうと言い聞かせるかのように、僕らに話そうと努めてくれる充月君を見て、葉月もまた懸命に堪えて耳を傾けている。
痛みを受けた当人と同じ痛みを感じる事は無理だ。同じように苦しいだなんて僕は思い上がりだと思ってる。
だけど、大切な人が悲しんだり、苦しんだりすれば、その量や大きさに差異はあれど心に痛みを感じてしまうものだ。それを懸命に堪えて話すことの辛さ、それを聞き入れる事の辛さは簡単な言葉では言い表せないな…。
それぞれの気持ちを考えると胸が痛んだ。
だけど、僕はなるべく自己感情に流されないようにと自分に言い聞かせた。
こんな時だから、いつもに増して冷静にならなくては。
なんだかそう思わずにはいられなかった。




