◇曇り2
一体どれだけ頑張れば報われるんだろう。
目の前の諦めた様な蒼の顔を見て、そう思わずにはいられなかった。
一度軽く縫い合わせただけの傷口は、ほんの些細なことで簡単に開いてしまう。
体がその痛みを鮮明に覚えていればいるほど傷口が開くことを恐れて自己防衛が過剰になる。
心の傷口だって同じだ。
蒼は、自分が傷つきたくない?
それとも、人を傷つけたくない?
…きっと、両方だ。どちらの痛みも知ってるから。
蒼をみてると、やたら臆病でうまく誰かに気持ちを伝えられなかった小さい頃の自分を思い出す。
明るくて、ひまわりのような姉と反して俺は人見知りが激しくて、中々人と繋がりがもてなかった。
いつからだろう…。どんなきっかけがあったのかもわからないけど、俺は気がついたら誰かに頼るとか甘えるとか、そうゆうのが全然できなくて、何でも自分ひとりでやるんだって思うようになってた。
そんな中、とにかく姉は苦手…と言うより、はっきり言って大嫌いだった。
いつも両親の愛情とか笑顔なんかをひとりじめしてたのは姉で、俺なんかはいつだっておまけみたいなもんで、誰の視界にも入らない、ちっぽけな存在なんだって思ってたから。
別に親に何をされたわけでもなく、きっと分け隔てなく育てられたはずなのに何でそう思ったのか…。
気づきたくない気持ち。口に出したくない気持ち。
ホントは身近にいる誰かに気づいてほしい気持ち。
だけど、それを口に、外側に出す勇気がなかった。
「助けて」とか、「さみしい」とか。
俺は、そんな言葉が極度に苦手になった。
特に姉には、どんな些細なことでも頼むとか、頼るとか甘えるなんてことを頑なに拒否した。
姉は、どんな時でも俺に笑顔で手を差し伸べてくれたけど、俺は尽くその手を振り払った。
ほんとは悔しかったんだと思う。姉という人は欲しいものをなんでも簡単に手に入れてしまえる幸せな人だと思ってたから。
姉が笑えば周りの人も嬉しそうに、幸せそうに笑う。そんな姉のいる世界が眩しくて遠かった。
俺とは全く違う、ころころと自由に変わる表情もめいっぱいの笑い顔も泣き顔も、怒った顔も、そのすべてが眩しくて羨ましかった。
日向に咲く向日葵のかげに隠れた日の光の当たらない、光合成のできないやせ細った草みたいな俺。
いつからか、自分のことそんな風に決め付けてた。
だけど、ある日気づいたんだ。いつも明るく笑ってる姉は、実は俺の知らない場所で沢山悩んで沢山泣いてたってこと…。
そうゆうのがわかったから、姉に対して意地をはるのはやめた。
でも、やっぱり素直に頼るのは得意ではないけど。
「私がいることで、誰かにかけなくていい迷惑をかけるのも、もういやだ…」
「何が迷惑かけるのが嫌だだよ…」
ため息と同時に苛立ち混じりの言葉が落ちた。蒼はそんな俺の態度に腹立たしさを感じたのか、うつむいた顔をあげて唇をかみ締め、睨んできた。
んな視線むけられても怯むもんかよ。
「お前がそう思えば思うほど、周りはお前を気遣って余計に心配して過剰反応するんだっていい加減理解しろよ」
俺は、蒼を見据えてそう告げた。
「…俺くらいにはどんなことでもいいから話してくれよ。なんで俺にまで遣わなくていい気を遣おうとするかな?」
「だって! 誰だって身内の悪口みたいな事言われて気分良く話が聞けるわけないじゃん!」
「お前は姉ちゃんの悪口が言いたいのかよ…」
「違う! 違う! 違うっ!!」
蒼は首を横に振りながら搾り出すような声で叫んだ。
「だったら、悪口とか消極的に考えるのはやめろよ。歩み寄る為には自分の中の疑問だったりひっかかりは口に出して伝える。それが大事だってお前だってわかってるはずだろ?」
せめて俺だけには、深部のお前を隠さずにみせてくれよ! じゃなきゃ、一緒にいる意味がないじゃないか!
俺は、つくり笑いのお前が見たいわけでもないし、表面だけなんとなく元気なお前が見たいわけでもない。
いつだって、どんな時だって、ほんとのお前を近くで見てたいんだよ!
だから逃げるわけにはいかない。大事だから真剣なんだ。
「北村には私の気持ちなんかわからないんだよ!」
両手を握り締めて、大声で叫ぶ蒼は、今にも泣き出しそうで。
胸がきりきりと痛む。こらえろ! 今は大事なことを大事な人に伝える時だろ!
「わかるわけないだろ! お前はいつも大事なことを言葉として発してないから!」
「!!!」
俺の声に、蒼は目を見開いて唇をかみしめた。
「頭ん中で考えてるだけで、気持ちを発する事無くどうせわかって貰えないって、勝手にネガティブに決めつけて、勝手に人のことシャットアウトしてんのはどっちだよ!」
「うるさい…」
「本当は人と繋がりたいのにどうせ伝わらない、拒絶されるって勝手に思って! ビビって表面だけ平気なふりしてほんとに伝えたい言葉を発してないのはどこのどいつだ!」
「うるさいっ! うるさいうるさいうるさいっ!」
蒼は、激しく首をふって、俺の言葉を追い出そうとする。
ふざけんじゃねえよ!
「お前が耳塞いで俺の声を遮ったって、俺はお前に届くまで何回でも言ってやるからな!」
聞こえないふりしたって無駄だ。恥ずかしさふっ飛ばしてこんな至近距離で目いっぱい叫んでんだから。
「あの日約束しただろ! 俺はお前にウザいとか思われたって、絶対に係わる事をやめないって!」
「!!!」
「姉ちゃんだって、洋二さんだってきっともっとお前と関わりたい、仲良くなりたいって思ってる! それに心底お前の事心配してんだからな!」
「そんな事一々念押されなくても嫌ってほどわかってるよ! わかってるけど!」
いよいよ堪えきれなくなって、蒼は焦げ茶色の瞳から大粒の涙をぼろぼろとこぼした。
ごめん。こんな不器用な接しかたしかできなくて、ほんとにごめん。
だけど、もう、何も言わずにただ後悔するのは嫌だ。
誰かとぶつかる怖さから目を逸らして諦めて逃げるのももう嫌だ。
「だったら! 心配されたくないなら! 思ってる事伝えろよ!」
抱える事情の大小はどうであれ、心を開いて想いを誰かに伝えるのは怖いってことは、俺にだって理解できる。
だけど、
「どんな言葉だって、全てお前の中から生まれた大事な大事な気持ちなんだよ」
それを押し殺して生きてくなんて、間違ってる。
「うまく伝わらないもどかしさはある。でも一生懸命伝えるを重ねていけば、きっと伝わるんだよ」
「怖いんだよ…。もう、大事なものを失くしたり、好きな人に嫌われて、ひとりぼっちで痛い思いするのはもう嫌だ!」
「もうひとりぼっちだなんて思うな!」
言葉と共に、蒼を胸に引き寄せた。
「…ひとりぼっちなんだよ…」
蒼は搾り出すようなかすれた声を発して俺をおしのけた。
「家に帰ったら、私はひとりぼっちなんだよ…」
「……」
「日中の楽しいことがまるで夢みたいに感じるくらい、思い出したら悲しくなるくらい…。アイビーから離れたら、私は…ひとりぼっち」
酷く弱弱しい声なのに、怖いくらいはっきりと耳に届く蒼の声に、俺は返す言葉を失ってしまった。




