◆思い出す僕
(これは面白いな…)
蒼ちゃんの作業を見て素直に感心して、思わず無言で頷いてしまった。
アルミホイルを器用に切り抜き型を作り、トースト用のパンに乗せて、僕の方へ一度顔を向けて(どうでしょうか?)と伺いを立てる視線を投げた。
僕はそんな蒼ちゃんに、笑顔で(うん、いい感じだね)と頷くだけの返答をする。
最近はこうしたアイコンタクト的なやり取りが少し出来るようになってきた。これはなんとも嬉しい進歩だと思う。
蒼ちゃんは小さく安堵の息をついた後に「よし…」と小さくつぶやいて、トースターへパンを入れてゆでたまごとオレンジジュースの支度に取り掛かった。
通常ならば茹でたままの状態で出すところだけど、蒼ちゃんはたまごの殻を丁寧に剥き、ペティーナイフで中央に山形の切れ目を入れながらたまごを回していく。
山形の切れ目を一周させ、ゆっくりとたまごを半分に分けると、茹でたまごは綺麗な花の形になる。
(可愛いな。これは女の子ならではの発想だよな。僕にはちょっと思いつかないことだ)
こうした部分は本当に勉強になるし、刺激を与えて貰えて嬉しくなる。
ずっとひとりで仕事をしてたら絶対に気付けない新しさだなとも感じて、僕は再度無言で頷いた。
白いプレートに紙ナプキンを敷き、ゆでたまごを置き、グラスに氷を入れてオレンジジュースを注ぐと、トースターからパンが焼けた音が鳴る。
蒼ちゃんはトースターを開けてパンにかぶせたアルミの型を外して、僕に向かってにんまりとした笑みを浮かべた。
(お、これは…中々)
僕もその出来栄えに思わず隣でにんまりを返してしまった。
何より嬉しかったのは、彼女が舞花ちゃん――お客様の為に試行錯誤をしてここにたどり着いたという成長が見れたことだ。
ためらいなく正確に切れ目を入れる包丁使いといい、下書き無しでなんの戸惑いもなくアルミホイルを切り型をつくる作業といい、どれも簡単そうに見えるけど実は結構難しい作業だと思う。
きっと彼女は色々考えながら、陰ながらの努力と練習を重ねてたんだろうなということがよくわかる。
蒼ちゃんを見てたら、昔の事を色々思い出してしまう。
僕が産まれる前からこの店があり、父と共に働く母は、僕を小さいうちからどこかに預けて仕事をするのが嫌だったと話してくれたことがある。確か小学6年の頃だったかな…。
結果、僕を連れて店に行くことで育児と仕事を両立させる方法を選んだと笑ってた。
僕が1人っ子という事もあり、なるべく人見知りにならないようにと、色々な人と接する環境に置きたいという思惑もあったらしいけど、大人に囲まれて育った結果、歳が近い子がちょっと苦手になってしまって、中々友達ができない事を母は悔いてたっけ…。
物心がついた時から僕はアイビーにいて、ここが僕の安らぎの場所で大好きな遊び場だった。
古い常連さんは僕が歩き始めた時くらいからの人で、波音の女将さんである千鶴さんなんかは下手な親戚より近い人だったりする。
フロアにいて、お客様にお冷やを出すと「偉いね~」と誉められたり、母に笑顔で「ありがとう、助かるよ」と抱きしめて頭を撫でて貰えたり。
そうした嬉しいが少しずつ重なって、僕はこの店の手伝いがどんどん好きになっていった。
初めて厨房に入ったのは、確か小学3年の冬休みだったと思う。
母のいるフロアは好きなように出来たけど、何となく厨房には入ることが出来なかった。
厨房はちょっと特別な世界だと小さいながらにも感じてたからだ。
父は芯は強いけど、母と同じように明るくおおらかな人だ。
だけど、調理する時の顔はまるで別人のように真剣で。
正確で小気味の良いリズムを刻む包丁の音。
熱したフライパンから上がる弾けるような音に、まるで炎を操るかのような手捌き。
透明なパフェグラスに装飾されるフルーツの細工。
そのどれを見ても凄くて、父は実はもしかして魔法を使ってるんじゃないかと思ってたくらいだ。
カウンターの隅っこで父の仕事を見ていたら、ふと視線が合い、父は笑って僕に手招きをしたのが初めて厨房に入ったきっかけだった。
別世界へと足を踏み入れて、かなり緊張した僕に父は「厨房に入ったらまず1番に手洗いをするんだぞ。これはとても大事な約束だから忘れるなよ」と真剣な顔で言った。
僕はしっかりと頷き、手洗いをして父の元へと歩いた。すると、
「これ、剥いてみるか?」と、父は僕に人参とピーラーを差し出して笑った。
本当に嬉しかったな…。
たかが人参1本の皮を剥くという単純な事。だけど父と同じ場所に立ち、初めてひとつの仕事を任されたって事を感じて、僕は心の中で大喜びした。
それから日々少しずつ調理に携わる為の練習を始めた。
いつか、父と一緒に厨房で仕事がしたいという気持ちがあったからだ。
それが叶ったのは、中学2年の冬休みだった。
それまでは簡単な調理はさせて貰えたけど、核となる部分は絶対に手を出してはいけないって、父にずっとダメ出しされてた。
あの日僕は、父に初めて敬語を使って頭を下げた。あるひとつの決意をして。 店が終わったばかりの厨房内で、僕は父に、
「僕にデミグラスソースの作り方を教えて下さい!」
と頭を下げた。
僕の言葉に対して、
「デミグラスソースはうちの看板だ。それを教えてくれって事がどういう事か、お前は意味を理解して言ってるのか?」
父は普段見せない厳しい顔で僕を真っ直ぐ見据えた。
「父さん、僕はアイビーで厨房の仕事がしたいです。手伝いじゃなく、父さんみたいにちゃんと仕事がしたいんです!」
僕の決意表明に父は、
「お客様に出す料理を作り、幸せを提供するという事は、一朝一夕では絶対に出来る事じゃない。日々努力して『心構えや、自分の理想を現実にできる為の技を磨く事』の積み重ねが大事だ」
父の声はとても静かだけど、とても強い声だった。
「自分の理想、積み重ねを投げ出さない覚悟はあるか?」
少し語気を強めて、まるで僕の心を見つめるようにそう問いかけた。
その言葉で感じた。
僕は店を継ぐ覚悟があるかを問われたのだと。
その時僕は14歳の子供だったけど、両親が晩婚者で周りの友達の両親よりもずっと歳が上だっていう事に理解はできてた。
母が38、父が40の時に漸く出来た一粒種だって、何度も聞かされてたから。
父は54。僕が20歳になる4年後には還暦を迎える歳になる。気持ちは若くても体力的にはどうだろうか? これから歳を負う毎に、1人では絶対に大変になってくるだろうっていうことも何となく感じるところもあった。
僕の気持ちはもうすでに固まってた。
父のような人になりたい。この店の厨房で、父のように沢山の人が笑顔になれる料理を作りたいって。
作り続けていきたいと。
あの時、僕がした「はい! 一生懸命がんばります!」って言葉の後に僕に見せた父の穏やかな笑顔は、今でも忘れられない。
そして、その翌日、僕は父と一緒にデミグラスソースを作った。
(蒼ちゃんを見てると、色々と思い出すなぁ…)
彼女の真剣な横顔を見てると笑みが自然と浮かんでしまう。
「できた」
焼きあがったパンに軽くバターを塗って、仕上げに舞花ちゃんが大好きなメープルシロップをかけて、蒼ちゃんオリジナルの特製モーニングが完成した。
少し緊張した顔でプレートを両手で持ったがしかし、回れ右をする寸前に蒼ちゃんは少し強気な表情に戻り、舞花ちゃんを見つめて小さく笑みを浮かべて、
「モーニング、おまちどおさまです」
カウンターにそっとプレートを差し出した。
葉月と充月君は興味津々で舞花ちゃんの隣に立ち、
「うわっ♪」
「ぉおっ!」
プレートを見つめ、ほぼ同時に目を見開き声をあげた。
「……」
舞花ちゃんはトーストを見つめて、目をまん丸くさせて数秒黙り込んだ後に、
「ね…ね…ねこにゃんだ…。パンにねこにゃんがついてる」
そうつぶやき頬を赤らめて、目を輝かせた。
「すご~い♪ 焼き型付きトースト、すごくか~わいい~っ♪ これ舞花ちゃんの大好きな、ねこにゃんだよね?」
葉月は浮き上がった声で笑いかけた。舞花ちゃんは、まん丸な目を輝かせて葉月に顔を向けてひとつ大きく頷き、
「舞花ねっ、ねこにゃん大っ好きっ! も~ぅっ! なにこれっ! 超~か~わい~い~っ!!」
プレートを見つめて軽い興奮状態になっている。
「は~ちゃん! みてみて~っ! ほらっ、ゆで玉子がお花になってる~ぅ♪」
「わっ♪ 本当、お花だ~♪ かわいい~♪」
舞花ちゃんはゆで玉子を持ち上げて葉月にかざしてみせた後に、ぱくりとそれをほおばり、
「ん~っ♪ 超ヤバ~い♪ うま~い♪」
ご機嫌な声をあげた。
「ぇ? なに? ねこにゃん? それ、なんかのキャラクターか?」
充月君は蒼ちゃんに問いかけた。
「ねこにゃんは、今巷の女子に人気の癒し系キャラクターだよ」
蒼ちゃんは充月君にそう返答して、啀み合いを忘れてキラキラと笑顔を輝かせて、トーストに焼かれたねこにゃんと呼ばれるまん丸と三角を組み合わせたような猫の焼き型を見つめる舞花ちゃんを眺めて、ふわりと表情を柔らかく緩ませて笑みを浮かべた。
これもまた初めて見る笑顔だった。
喜び、安堵、達成感。
どんな言葉を浮かべても陳腐に感じてしまうような、純粋に、赴くままに放たれた、とても自然で綺麗な笑顔だ。
普段見せる彼女の小さな笑みは、どこかしら愛想笑いのような不自然さを感じる部分がある。
蒼ちゃんの事情がまだ何もわからないままという事もそう感じる理由のうちに入ってる事は否定できない。
僕がこの10日彼女と接して思った事は、感情の起伏が少ない――つまりは心に線を引かれての表面上だけの浅い感情しか蒼ちゃんは僕らに見せてないということだ。
それだけでも彼女にとっては大変な事なのかもしれないけど、そんな表面的な現状維持では良くないんじゃないかと僕は思う。
苦手な人や事柄に平気なふりは時には必要だ。
だけど、それはここでは、僕らの前ではなるべく使って欲しくないと僕は願ってる。
この場所ではなるべく閉じ込めてる気持ちや感情を解放してあげて欲しいと願ってる。
だけど良かった。
こうして彼女の感情の綻びが見られる事も僅かだけどできてる。
大丈夫だ。きっと蒼ちゃんはもっと成長できる。
だって、誰かが喜ぶ顔を見て、こんなに綺麗な笑顔を浮かべることができるんだから。
「パンも超~うんま~い♪ さっすが舞花のライバルだねっ!」
舞花ちゃんはトーストをぱくつきながら、蒼ちゃんを見つめて、
「くぅぅぅう~♪ なんか燃えてきたぁああ~っ! 舞花もがんばって、そらに絶対にナイスコーデ♪ って言わせてやるしっ!」
高らかに宣言した。
「はんっ、せいぜい返り討ちにあわないようにセンスを磨くことだな」
蒼ちゃんは余裕の笑みを浮かべて、鼻を鳴らした。
「舞花、絶対負けないもんっ! 大人になったら絶対にファッションモデルになるんだからっ! そんで、みっくんのお嫁さんになるしっ!」
「ぇ…? 嫁…?」
充月君は小さく呟いて、苦笑いして蒼ちゃんに助けを求めた。
「北村の嫁になりたいなら、牛乳を飲め。北村は貧乳が嫌いらしいからな…」
蒼ちゃんはニヤリと笑って充月君を見た。
「ちょっ! お前っ! 今朝の事まだ根に持って――」
充月君は慌てた態度を見せた後に、はっとして葉月にちらりと視線を向けた。
「え…みっくん、貧にゅー嫌いなの? わかった! 舞花、牛乳飲むっ!」
決意表明する舞花ちゃんの頭を「舞花ちゃん、えらいっ♪」と撫でて、
「さて、充月君。…その話、お姉ちゃんもうちょい詳しく聞きたいなー♪」
葉月はにっこりと笑った後に、充月君に鋭い視線を投げた。
僕の隣で蒼ちゃんは小さく「ふっふっふ…ざまぁみろ」と笑み呟いた。
…やれやれ、全く…。




