◆経過
彼女達が店の手伝いに通う日が今日で10日目になった。
二人共に初めての職業体験ということもあり、日々戸惑う事ばかりだろうし、何より店は書き入れ時だ。
毎日の業務を乗り切る気力は、繁忙期に慣れた僕や葉月よりも消耗がかなり激しいんじゃないかと思ってた。
だけど二人共に良く頑張ってる。特に蒼ちゃんは僕が驚きを隠せない位の成長ぶりだ。
厨房内での作業はとても丁寧で、段取りの要領も得てきたし、作業スピードも格段に上がってる。
2日目にはお客様に出すドリンクを。
3日目にはランチタイムの盛り付けだけではなく、パスタを茹でたり、フライを揚げたりと、調理のほうも任せることができてる。
元々毎日料理を作っているという調理の基礎がしっかりしているという事もあり、とにかく飲み込みが早い。
逆に順調に行き過ぎてないだろうかと、彼女を見て僕は時々不安になるけど、数年ひとりきりだった厨房に僕以外の人がいて、一緒に作業をするという今がとても楽しかったりする。
だけど実はひとつだけ、大きく引っかかる事があったりもする。
それは、彼女が手伝いを始めてから必要最低限しか厨房内から出ない事だ。
蒼ちゃんが厨房から出るのは、手洗いに行く時と昼食の時だけ。
休憩時でさえも厨房内から出ることがないのだ。
…10日経ったのに。
いやまてよ。よく考えろ。
…彼女からしたら、まだたった10日しか、が正解だな…。
(結果成果を急いでるのは彼女ではなく僕のほうだな…)
彼女を見てると、もっとこうであればと個人的な欲が出る。だけどそれは出すべきではないと自分自身にしっかりと釘を刺した。
蒼ちゃんは契約を交わした従業員ではなく、あくまでも手伝いをしてくれてる娘なんだから。
本来の目的は彼女に厨房の仕事を仕込むことではなく、蒼ちゃんが持ってしまった『恐怖感』を少しでも取り除く手伝いをする事だから。
彼女の細部を見落とさないように見守らなければ。
僕には大分免疫ができたように見えるけど、本心はどうだろうか?
我慢して、無理してないだろうか?
店の常連さんとは、徐々に打ち解け始めて、時々談笑もするようになった。
でも、どうだろうか?
だけど彼女は、本当に笑ってるんだろうか…。
「オーナー、…オーナーっ!」
蒼ちゃんの声にはっと我に帰る。
「モーニングの仕込み、終わりました」
ボールに入れたゆで卵を両手に持ち、訝しげに僕を見上げる蒼ちゃんは、
「…オーナー、お疲れですか…?」
僕に向けて気遣いの言葉をポツリとこぼした。
「あ、いや…。ごめん、ちょっと考え事を…」
苦笑いしてランチ用のサラダの仕込みを続けたら、
「オーナー、今日は舞花のモーニングに出すトーストにこんな事をしたいと思いついたんですが」
随分と気合いの入った顔で、蒼ちゃんは僕に説明をしてきた。
「へぇ…なるほど考えたね。うん、いいかもしれない」
やってごらんと告げると、
「チビザルめ…今日こそ…ギャフンと言わせてやる」 蒼ちゃんはポツリと呟き、楽しげに準備に取りかかった。
(ギャフン…て…)
僕は俯き笑いを堪えて包丁を動かしながら、
(舞花ちゃんのこと、蒼ちゃんに任せたのは正解だったかな)
心の中で小さく安堵した。
店内、厨房共に開店時間を待つだけとなり、僕らはいつものように休憩に入る。
カウンターには葉月と充月君が並んで座り、姉弟と向かい合わせて僕と蒼ちゃんは厨房の中に立つ。
「お疲れ様です」
慣れた手つきで僕らにドリンクを出し、小さく笑みを浮かべる蒼ちゃんに、
「な~んか、蒼ちゃん凄く余裕が出てきた感じよね~♪」
アイスコーヒーで喉を潤しながら笑みをこぼす葉月を見て、蒼ちゃんは
「まだまだです…」
そう言いながらも、嬉しそうに小さく微笑んだ。
「充月君もね。まだ10日めなのに、しっかりとフロアの手伝いができるようになってる」
そう言いながら充月君を見ると、
「姉ちゃんがバイトを始めて10日めの時より、今の俺のほうが良く動けてたりして」
ふふんと笑って横目で葉月を見た。
「何よ…、その自意識過剰な生意気な言い方…」
言いつつも、若干動揺が隠せない葉月は、アイスコーヒーに刺さるストローを忙しなくくるくると回して口を尖らせた。
「が…頑張ってたよ。…うん」
思い出し笑いを堪えて僕は、一言フォローしたけど、
「…それ、全っ然フォローになってないわよ!」
葉月は更に口を尖らせた。
「葉月さんがドジだったなんて、想像できません」
蒼ちゃんはそう呟きアイスティーを飲んだ。
「葉月は前向きなドジだったからね。お釣を間違えても、観葉植物に蹴躓いてトレイをひっくり返しても、全然めげずに笑ってた」
「ちょっ! 洋二っ!」
余計なことを! と言いたげな顔で葉月は僕を睨んだ。
「ぶっ――!!」
充月君は葉月の隣でオーバーな吹き出し笑いをして、
「やべぇ! 姉ちゃん俺より酷えし」
ケラケラと笑って手を叩いた。
「……」
蒼ちゃんは無言で苦笑いを浮かべた。
「昔の事なんだからね! 今はそんなドジはしないんだからね!」
そう言いながら苦笑いする葉月に、
「今の葉月があるのは、あの頃の葉月があったからだよ」
あの頃より大人びた葉月の顔を改めてみつめたら、僕らが進んできた時間の流れをやたらと感じてしまった。
「本当に、良く頑張ってくれてる。今こうして店が続けられてるのは、公私共に葉月が傍にいてくれるからだよ」
小さく笑ってそう告げる僕を見て、葉月は満足げに笑ってアイスコーヒーを飲んだ。
「公私共に…か…」
充月君は少し俯き小さく呟いた。
「だったらさっさと津山さんになっちまえばいいのに…」
そんな言葉をこぼして、顔を上げて横目で葉月を伺う。
気持ちを伺えるチャンス到来と、僕はちょっと身構えた――その時、
カランカランと勢いよく出入口のカウベルが鳴り、
「みっく~~ん♪ おはよ~っ♪」
元気な声と反して僕の隣で、
「来たな…コザル…」
蒼ちゃんはひとつニヤリとして小さく呟いた。
……やれやれ。




