◆信じて、わけて欲しいな…
キッチンから聞こえる葉月の歌声と、食器を洗う音を聞くのが好きだ。
本当なら食事の後片付けくらいは二人で、若しくは僕がと思ってたりもするけれど葉月は、
『ここは私の場所なんだから立ち入り禁止~♪』
と、そこに立つことを許可しない。だから僕はダイニングテーブルに座り、キッチンから聞こえる賑やかな歌声を耳にしながら、コーヒーを飲み食後を過ごしてる。
母がそこにいた頃をふと思い出したりしながら。
母もいつも鼻歌混じりでキッチンに立ってた。
…そういえば、父も家では全く料理はしなかったな…。
「ねえ、洋二」
食器を布巾で拭きながら、葉月は振り返って僕を呼び、
「定休日に充月と蒼ちゃんを家に呼ばない? 一緒に夕飯どうかなぁ?」
そんな提案を投げ掛けた。
「そうだな。充月君はまだ家に呼んだことがないし…。蒼ちゃんがもう少し僕らに慣れた頃合いを見て誘ってみようか?」
僕の言葉に葉月は、
「蒼ちゃんと一緒に夕飯作るってのもいいかも♪」
むふふっと楽しげな含み笑いをして洗い終えた皿を持ち、食器棚へ歩く。
「少しずつ楽しいが増えるといいな~♪」
そう言って、再度鼻歌混じりで食器を拭き始めた。
その時、テーブルの上の僕の携帯が振動して、誰かからメールが来たことを告げた。
「…誰だろう」
滅多に飛んでくることのないメールに対してひとつつぶやきながら携帯を開くと、送信者は…
(はじめ君だ…)
一瞬小さな苦笑が込み上げそうになりつつも、受信したメールを開いて内容を目で追った。
『ここにアクセスしてみて。蒼ちゃんの男性恐怖症の原因は間違いなくこれ』
その文章と共にホームページらしきURLが添付されてた。
(はじめ君、調べたのか…)
添付されたURLを見つめて、アクセスをすることをためらって画面を見つめること数秒。
何となく携帯の隙間から葉月を伺うと、案の定…僕を無表情でじっと見つめてた。
思わず作り笑いを浮かべてしまった僕に、葉月は更に無言でプレッシャーをかけてくる。
決して悪いことはしてないけど、まるで条件反射のように罪悪感に似た感情が沸いてくるようで、作り笑いが否応なしに苦笑いへと変わる。
「……」
葉月は無言のまま僕のいるダイニングテーブルまで歩いて来ると、膨れっ面を浮かべて「貸して」と言いたげな顔で僕に右手を出した。
「…どうしたいかは葉月が決めたらいいよ…」
僕はそう告げて、携帯を渡した。
葉月は画面を見つめて眉間にしわを寄せ、忙しなく親指を動かした後、
「削除したから」
一言告げて僕に携帯を差し出した。
「私は充月や蒼ちゃんの口からいずれちゃんと聞けるって信じてるから。こんなふうにコソコソと勝手に調べるなんて最低よ…」
葉月なら絶対にそう言うと思った…。
(まずいな…これはますます拗れそうだ…)
ため息を落としそうになりつつも、なんとか堪えて、
「きっと予防線のつもりだったと思うよ。悪気があったわけじゃ…」
「悪気がなければ何をやっても許されるの?」
葉月の鋭い言葉が僕に投げられた。
「充月は昨日私達にちゃんと言ったでしょ? 今は聞かないで欲しいって」
真剣な葉月の瞳がゆっくりと潤んでいくのがはっきりとわかる。
「『今は』って事は、いつかは絶対話すからって想いをこめたあの子の言葉に隠れた気持ちを、私達はちゃんと信じてあげなきゃ…」
微かに震える声や、込み上げる気持ちを一旦飲み込むように、ひとつ息をつき、
「あの子はね…充月は人に頼みごとだとか、頼るとか甘えるって事が昔から凄く苦手だったのよ…」
葉月は小さな苦笑を浮かべて語り出した。
「…小さい頃から人見知りが激しくて。差し出した手を膨れっ面で振り払うような意地っ張りで…。いつもなんでも自分で決めて行動してた子なの。誰にも何も相談なんてしないで全て自分で…」
愁いた瞳が再度潤みを帯びていく。
「そんな充月がお願いしますって…頭を下げるなんて。きっとただ事じゃないんだなって、いくら鈍感な私でもわかるわよ…」
微かに震える声や昂ぶる気持ちを飲み込むように、葉月は息を詰める仕草を見せた。
僕は椅子から立ちあがり、そんな葉月を胸に包み込んだ。
「大丈夫だから…」
そう告げて少しだけ両腕に力を込めた。
「…僕を信じて欲しいな…」
僕が発することができたのは、情けなくもこんな陳腐な言葉だった。
僕は大した力にはなれないかもしれない。だけど分け合える感情は悲しい事であれ嬉しい事であれ、少しだけでも僕にくれたらいいなという思いを込めた。
「…いいのかな…?」
葉月は小さな声でつぶやいた。
「私は…洋二に貰ってばかりで…いいのかな…?」
そんな葉月の言葉を聞いて僕は、
「貰ってばかりなのは、僕のほうだよ…」
思わず脱力して笑みがこぼれた。




