◇初日終わり
なだらかに時間が過ぎていくようなティータイムが終わり、閉店の時間が訪れた。
姉と俺はフロアの掃除。 洋二さんと蒼は厨房内の片付け。それぞれの持ち場の作業を済ませて、俺達の手伝い初日が洋二さんの「お疲れ様でした」という声かけで終わりを告げた。
4人でドリンクを交えての軽い談笑の後、
「明日もよろしくお願いします。今日は初日で疲れただろうから、ゆっくり休んでください」
洋二さんは俺達に笑みを向けて労いの言葉をくれた。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
蒼と声を重ねて、頭を下げると姉は、
「明日は1時間早くじゃなくて、10分前でね」
思い出し笑いをしながら俺を裏口まで見送って、
「お疲れ様~♪ 気をつけて帰ってね~」
自転車にまたがり走りだした俺達に手を振った。
とても夕方なんて思えない、眩しい青空から照りつける容赦ない日射し。
初めてのこと尽くしでの疲労感、そして冷房の効いた店内に1日中いたこともあり、その暑さを何倍にも感じる。ペダルをこぐ足がダルくて思わず苦笑いしてしまう。
隣で自転車をこぐ蒼もどうやら俺と同じ――いや、蒼のほうがきっと俺よりも数段疲れてるだろう。
外気の暑さと反して、顔色が少し悪そうだ。
「大丈夫か…? 少し休むか?」
俺は自転車を停めて、少し遅れて自転車を走らせる蒼を見た。
「……」
無言でブレーキを握り、自転車を停めた蒼は、苦笑を混ぜた顔で深いため息をひとつ地面に落として、
「疲れた…」
ぽつりとつぶやいてスタンドを立てた。俺もスタンドを立てて、疲労感丸出しの蒼に歩み寄り、
「初日からちょっと頑張り過ぎてないか?」
蒼の頭を軽く叩きたくなったけど、それはやめて、少し撫でた。
「私はがんばるって決めたら、目一杯がんばる性格なんだよ」
蒼は俯いたままだけど、微かに揺れた肩で笑ってるってわかった。
「知らなかったのか? 私がそういうタイプの人間だって」
俺を見上げて、まるでイタズラしたような笑みを浮かべる蒼に、
「…知ってる。やりたいことに対しては無茶しやがる。融通がきかない不器用なタイプだってな」
加えて我が強いし、我慢強い。そう思ってるけど、それは言わないでおこう。
「それから、料理がうまい。これは新しい驚愕の発見だった」
海側へ体を向けて堤防に腰を下ろす蒼にそう告げた。
「驚愕…。失礼な…」
蒼は海を見つめ、口を尖らせてそうつぶやいたけど、
「料理…好きなこと言えなくて…ごめん」
その顔は、苦いんだか照れくさいのか。判断つけがたいものだった。
「別に謝ることは――」
「だって、北村怒ってた」
俺の言葉を遮って、蒼ははっきりとそう言い放った。
「いや…怒ってな――」
「嘘だ。怒ってた」
言葉と共に向けられた、真っ直ぐで真剣な焦げ茶色の瞳は、俺に言い訳を考える隙間も誤魔化す隙も与えてくれない。
「…スマン…。俺が知らないお前を突然知って、ちょっとだけイラっとした…」
外気の暑さではない熱が底から登ってくる。
「…洋二さんと笑ってるお前を見て……結構イライラした…」
恥ずかしくて苦笑いが込み上げた。
「それから、俺より仕事がきちんとできるお前にちょっとだけイライラした…」
自分の劣等感を守りたい人に曝け出すことが、こんなにも照れくさいことだったなんて…。これも新しい発見だな。
「本当はすごく辛かったよ…」
蒼は再度海へと視線を遣り、そうつぶやいた。
「オーナーと肩が触れた時、震えそうになって息を詰めたし、お客様に声をかけられた時は少し吐き気がした…」
蒼は記憶を辿りながらゆっくりと、
「平気な振りは苦しかった…でも…」
俺に視線を向けて、
「北村が失敗しながら一生懸命フロアで頑張ってたから。だから、私も頑張れた」
そう告げた蒼の顔は、とても穏やかで。
「…お前…、よく俺を見る余裕があったな…」
自分が1日どんな酷い働きっぷりだったかを否応なしに思い出し、顔が急激に熱を帯びた。
「…厨房では、オーナーのやることを見てるだけって事ばかりだったから」
蒼は、少し伏せ目がちで小さく笑った。
「いや…、俺にはすげーテキパキ作業してるように見えたぞ」
「そう見えたのは、オーナーのこと運びが上手だからだ。私はただ指示に従って動いてただけ」
そう言って蒼は、ひとつ短い息を落とした。
「充分過ぎるくらい気を遣われてるってわかってる…。葉月さんにもオーナーにも。だから…」
蒼は途中で話すのをやめて海を真っ直ぐ見つめた。熱を含む風が、撫でるように蒼の前髪をゆらす、その横顔は、なんだか泣きそうな顔に見えた。
「はじめさんは面白い人だったな…」
「え? 何?」
蒼が何かつぶやいたけど、声が小さ過ぎて聞き逃した。
「なんでもない」
蒼はクスクスと小さく肩を揺らして、
「よし、もう大丈夫だ」
立ち上がり堤防から降りると、
「アイスが食べたい! 北村のおごりで!」
自転車のスタンドを払い、走りだした。
「おごらねーよ!」
断片的な蒼のつぶやきに、何となく煮え切らない気持ちが残った。だけど、空元気をみせたあいつにこれ以上無理して突っ込んでくことができなかった。
(まぁ、初日だからな…) そう思って受け流すことにした。




