◆何となく嫌いになれない人
はじめ君が何となく嫌いになれないのは、同志的な何かを感じたからかも知れない。
口数が少なく、笑むことでどことなく身をかわしながらコミュニケーションを取ろうとする僕と対極して、はじめ君はフランクで会話のキャパも広い。
一見したら広く浅く軽い人とも取れがちだけど、実は考察、洞察力共にかなり鋭かったりする。
それはきっとはじめ君が進みたいと思い歩いてきた、歩き続けてる道から得た彼自身が鍛え上げてきた、或いは鍛え続けている武器であり防具でもあるのだろうと、時々そう思ったりする。
彼との出会いは2年前の7月半ばだった。
真水の匂いを含むしっとりとした弱い風。天候不順の薄曇りの空を映し出す少し重い波を背にして、防波堤に胡坐をかいて、はじめ君はこのアイビーを見つめていた。
かいた胡坐の上にはスケッチブック。右手には鉛筆。店や辺りを見渡してはスケッチブックに視線を落として黙々と鉛筆を動かしてた。
初めて見る顔だなと思ったけど、ここは様々な人が予告なく訪れる観光町だから、ここで働く僕にとっては当たり前に普通の出来事で、別段違和感はなかった。
絵描きのたまごか、趣味の人かな…。
きっとはじめ君を見ての第一印象はその程度だったと思う。
裏口から店内に入り、開店の準備を始めようと、僕は店の入り口の鍵を開けてドアを開け放った。
開けたドアの道路を挟んだ正面には、はじめ君がいて、カウベルの音に釣られるように走らせる鉛筆を止めて僕に視線を向けた。
「うっわ! オーナー本当に若い! 女将さんが言ってた事って、てっきりジョークじゃないかなと思ってたんだけど!」
はじめ君は僕を見て、悪びれることなくそう叫んだ。
僕はそんなはじめ君を見て、波音の女将である千鶴さんにされていた前ふりを思い出した。
『近々ウチに期間限定住み込みのバイトさんが来るから、洋二君、よろしくね』
(なるほど、彼が波音で働くことになった藤原さんか…確か僕よりひとつ年上だっけ…)
そう思い、小さな笑みをひとつ向けて軽く会釈した僕を見て、はじめ君はかいた胡坐をやめて、堤防から降りてこちらに小走りに近寄ってきた。
(…やけに曇り空の似合う人だな…)
はじめ君を間近で見て結構はっきりとそう感じた。なんて言うんだろう。雨に濡れた柳の木のような…そんなイメージの人だなと。
「ねえ、オーナーって歳幾つ?」
長い前髪から少し覗かせた、やや細めの瞳を弓のようにしならせるような笑みを浮かべて、はじめ君は僕に尋ねた。
「もうじき二十歳になります。貴方は…波音のアルバイトさんですよね?」
返答と共に、僕は小さな笑みと質問を返した。そんな僕の問いにはじめ君は目を見開いて、
「へー、よくわかったね。そうだよ、今日から8月末まであそこでお世話になる、藤原はじめです。よろしく」
にかっと笑って波音を指差し、そう自己紹介した後に、
「オーナーってさ、なんか見た目ちょっと作り物みたいだな」
本当に悪びれることなく、笑顔と共に一言、さらりと僕に言い放った。
僕は少々の苛立ちを押し込めて苦笑いを浮かべ、
「…どういう意味ですか?」
(初対面なのに、随分と失礼な奴だな)
そう思ったけど、揉め事を嫌う僕はなるべく冷静にと口調を穏やかに保つ。
「空気はいい人っぽいけど、秘めたるはなんとやらってね~」
挑発的な笑みを携え、酷く曖昧で自己完結な言葉を投げられた僕は、勿論返答に困った。
「笑って回避する奴って、どっか裏で歪みが生じたりするでしょ? そういう軌道修正って結構大変じゃない?」
「……」
なんなんだコイツ。まるで人の心を覗くような事を…。
図星に近いはじめ君の言葉に、僕は思わず無言で眉間にしわを寄せた。
「だけど不思議だよな~」
はじめ君は視線を僕から少し上に向けて、
「この店から、すげー良い空気を感じるんだ。なんつーかさ、こう、包まれるようなね…」
はじめ君は、ふっと表情を緩めて、まるで店を慈しむかのような笑みを浮かべた。
「スケッチしてるとさ、そこに宿る何かを時々感じたりすることがあるんだ。この店からは、穏やかさと温かさを感じる」
恥ずかしげもなく、はじめ君はそうはっきりと僕に告げた。
「今は貼りぼてみたいな作り物の匂いのする君が、本当のオーナーになる時が来たら、この店はどんな姿になるんだろうな」
はじめ君は「楽しみだな」と僕に真っ直ぐな瞳を向けてにっこりと笑った。
そんなはじめ君を見て、僕は戸惑う事を抑えて「はぁ……」とつぶやき、やんわりと笑う事しかできなかった。
今思えば、はじめ君に見抜かれてたんだなと…。 店を継ぐって自ら望んだ事なのに、こんな歳で店を切り盛りしなくては…いや、やらされてると、どこかストレスを感じていながらも、笑みを浮かべなければいけない日々に感じてた行き場のないフラストレーションを。
誰の期待に応えるのか。そんな事ばかりが先行してたりもした。
本当に頼りなく情けない自分を隠す為に演じる、作ったような情けない自分の姿が以前の僕にはあったし、今だってそんな自分がいる。
だけど、あの頃と違うのは、あの頃より確実に作り笑いが減ったという事だ。
端から見たら酷くぎこちない、不器用な笑みかもしれない。時々バカみたいにテンパり、言葉がでない時もある。
だけど、あの頃より僕の感情は生きていると感じてる。そう思えるようになったのは、いつだって変わらない笑顔の葉月がいたからだ。
守っているつもりが実はま守られていた。そんな自分の弱さを認めたら、霧がかった視界が晴れていくのを感じたんだ。
相変わらず僕は口数が少ないけど、考える視野も、出す言葉も、笑みを浮かべるコミュニケーションも、あの頃とは全然違うと感じてる。
今朝、はじめ君に
『オーナーってやっぱり嫌いだわ』
そう言われて、どこか嬉しかったのは、きっと作り物みたいな僕が、中身を持つ人として動き出したことを彼が察知して、思わず漏れた本音だろうなと思ったからだ。
種は違えど、僕もはじめ君も『作り続けて進んでいく者同志』だから、明確な言葉を交わさなくても、互いにどこかわかりあうことができる部分がある事は決して否めない。
だから、僕は、はじめ君が何となく嫌いになれない。
「…どしたの? ボーッとして。俺を見つめて卑猥な妄想してた?」
はじめ君は僕に視線を向けて、いつも通り肩を揺すり、息を詰めるように笑いだした。
「そんなわけないでしょ!」
思わず声を荒げて全力で否定したら、
「ムキになるところが怪しいな…」
はじめ君はますます笑う始末。
「え…、何?…もしかしてそういう三角関係なの…?」
フロアで充月君が葉月に問いかける声が耳に届いた。
「違うよっ!!」
「違うわよっ!!」
葉月と声を重ねて再度全力で否定した。
「本っ当、からかい甲斐あって面白いよね? この人達」
はじめ君は、ケラケラ笑って蒼ちゃんに尋ねた。
「…は…い」
俯いてひとつ返答する蒼ちゃんの肩も、ふるふると揺れていた。
「よし、笑った」
はじめ君は蒼ちゃんを見て、にかっと笑ってアイスコーヒーを飲んだ。




