◆笑顔
「蒼ちゃん、休憩のドリンクお願い」
モーニングタイムが終わり、賑やかだった店内に静寂が戻る午前11時過ぎ。
初日ということもあり、あたふたしながらフロアを右往左往していた充月君は、ちょっと疲れてる感じがした。
蒼ちゃんはというと、お客様が減っていく度にプレッシャーから解放されるのがはっきりと見て取れて、静寂の戻った今はやんわりとだが、笑みまでもを浮かべて中々元気そうだ。
「8分目…?」
グラスにアイスコーヒーを注ぎ入れ、僕にこれでどうかな? という伺いの視線を向け、返答を待つ。
「お、ちゃんと8分目。よくできました」
笑みを向けると、蒼ちゃんは俯いてにんまりと笑って、小さな声で「よっし」とつぶやき、残り2つのグラスにもアイスコーヒーを注ぎ入れた。
最後に自分用のアイスティーを作り終えると、
「…ドリンク準備できました」
小さく笑んで僕に一言告げた。
そんな彼女の笑みを見ると、また距離が少し縮まった感じがして、思わず僕もつられるように小さく笑んでしまった。
そんな僕をちらりと見て、蒼ちゃんは頬をほんのりと赤らめて、にんまりと笑って俯いた。
(うん、何だかいい感じだな…。でも、数時間でここまで打ち解けるきっかけって、何かあっただろうか…)
厨房の中での数時間をざっと思い返してみたけど、きっかけというきっかけは見当たらなかった。
まあ、しかし、彼女が僕をなるべく警戒せずにリラックスして仕事を手伝ってくれることはとても喜ばしいことだし、このまま少しずつ距離が縮まり、先に繋がるきっかけになれたらなと願いつつ、見守ることにしようと思った。
「充月君、葉月、ちょっと休憩入れようか」
フロアに向かい声をかけると、葉月は待ってましたと謂わんばかりの笑顔で「はいは~い♪」とスキップしながらカウンターに戻ってくる。
その後ろで(いい歳こいて恥ずかしい…)と言いたげなじと目を葉月に向けた充月君は、早歩きで葉月を抜かそうとするけど、抜かれまいと、葉月はダッシュするという暴挙に出た。
「ちょ! 姉ちゃん! さっき店内は走るなって俺に言ったじゃねーか!」
「それはお客様がいる時に限りだよ~♪」
いち早くカウンターにたどり着き、椅子に腰を下ろして葉月は、にししっと笑った。
「そういう事はちゃんと説明してくれよな…」
不服そうな苦笑いを浮かべて、充月君も椅子に腰を下ろした。
…充月君も緊張から解放されて口数が増えたみたいだ。しかし姉弟のやりとりは中々面白いな。
(二人共性格が良く似てる感じがする)
どちらも負けず嫌いみたいだしね。
姉弟で言い合いするなんて、一人っ子の僕にはちょっと羨ましい光景だったりもする。
「…お、お疲れ様です」
蒼ちゃんは、照れくさそうにカウンターに向かい合わせた葉月にアイスコーヒーを出してつぶやいた。
「ありがと~う♪ ぉおっ! 2回目にしてきれいに8分目っ♪ 蒼ちゃん、中々筋が良いじゃな~い♪」
葉月はグラスに注がれたコーヒーの量を見て、蒼ちゃんを褒めた。そんな葉月の言葉に、目を見開き嬉しそうににんまりと笑って「ありがとうございます」とつぶやいた後、
「お疲れ様です」
充月君にもアイスコーヒーを差し出した。
「サンキュー。うん…8分目って…やっぱ微妙過ぎてよくわかんねぇな…」
グラスを受け取り、充月君は苦笑いを浮かべた。
「…もう北村にはドリンク作ってやらないっ! 北村はこれから自分でコップに注いだ水でも飲んでろっ!」
蒼ちゃんは口を尖らせて鼻を鳴らした。
「つーか水じゃねーよ、お冷やだよ」
充月君も負けじと鼻を鳴らした後、クスクスと楽しげに笑いだした。
「まあ、偉そうに。あんただって、さっきまで水って言ってたくせに~」
葉月はぷっとひとつ吹き笑いして充月君にニヤニヤとした笑みを向けた。
「…姉ちゃん、そういうこと言うなよ…」
充月君はばつが悪そうにつぶやき、苦笑いした。
「…オーナー…、お疲れ様です」
蒼ちゃんは照れくさそうに僕にもグラスを差し出した。
(…受け取っても大丈夫だろうか?)
一瞬躊躇したけど、何だか蒼ちゃんは戸惑いなく自然と差し出してくれた感じがしたから、その流れに従うように受け取ってみることにした。
「…ありがとう」
なるべく手が触れないようにと思ってグラスの上部を掴み受け取り、渇いた喉にアイスコーヒーを流し入れる。
そんな僕をじっと見つめてる瞳は、早朝の力のこもったキツいものではなく、何かを期待してるような、はたまた何かを求めるような瞳に見えた。
…もしかして。
「蒼ちゃん、…お客様のドリンクは、残念だけどまだ早いよ」
僕はグラスを置き、笑みを携え蒼ちゃんにそう告げた。
「…まだですか…」
俯いた顔から落胆の色がはっきりと見えた。そんな蒼ちゃんを見て僕は、
「お客様のドリンクはまだ無理だけど、昼の賄いを作るのを手伝って貰えると助かるんだけど」
僕の言葉に、蒼ちゃんは結構な勢いで顔を上げて、
「賄い! やります! やらせてください!」
なんとも嬉しそうな顔を僕に向けた。
「…なぁんか、いい感じで仲良くなってるね」
葉月は僕らを見て嬉しそうに笑いながら、
「良かったね、洋二。正直妹ができたみたいで嬉しいでしょ?」
そう言って、アイスコーヒーを一口飲んだ。
「そうだな…。一人っ子の僕としては妹って結構憧れの存在だからね」
僕は笑みを浮かべて葉月にそう告げた。
「私も兄がいないから…」
蒼ちゃんはそうつぶやき、小さく笑みを浮かべた。
「…やっぱり弟より妹なのか…恐るべし、妹パワー」
充月君は口元を小さく歪めて小さく鼻を鳴らした。
「ドンマイ♪ いいじゃない、充月にはこんなにステキなお姉ちゃんがいるんだからさっ♪」
葉月は眩しい笑顔を充月君に向けたけど、
「…俺は、もっと優しくておしとやかな姉が欲しい」 諦め顔で葉月を横目で見て、ため息を落とす充月君に、
「ほぉ~ぅ…。これで顔拭いて、目を覚まさせてあげようか?」
葉月は、ニッコリと笑って、ダスタークロスを手に取った。
そんな姉弟のやりとりを見て、僕の隣で蒼ちゃんは、クスクスと楽しそうに笑った。
(いい笑顔だな)
僕は横目で蒼ちゃんを見て、ホッと息を落とした。




