◇feel satisfied
「充月、伝票が違うよ。5番テーブルのお客様に先に出さなきゃ」
モーニングを運ぶ俺を呼び止めて、姉は伝票を差し出して少し厳しい声を向けた。
「…ごめん…」
伝票を受け取り、2番テーブルへ向けた足を、360度回転させて、5番テーブルの方向へと進める。
テーブルの隅についてる銀のナンバープレートを確認して、
「お待たせいたしました」 アイスコーヒーとモーニングの皿をギャルっぽい女性三人組のお客さんに出す。すると、
「ごめん…ストローくれるかな?」
その中の1人が俺を見上げて苦笑いした。
「あっ! すいませんっ!」
慌ててカウンター横の収納ラックへ戻り、ストローを3つ取出してお客さんの元へと早歩きで向かう。
「すみませんでした。お待たせいたしました」
ストローを差し出すと、不愉快な顔ではなく「ありがとう」と温かい笑みを返されたので、安堵混じりで再度頭を下げて踵を返した。
(確か一番奥のテーブルのお客さんが帰ったような…)
テーブルを片付ける為にそっちに向かうと、そこはもう綺麗に片付けられていて、客を迎える準備は万端だった。
(くそ、早ぇな…)
カウンターで常連客のちびっこと楽しげに話してる姉を見て、ため息がこぼれた。
初日とはいえど、正直俺はもう少しうまく仕事がこなせると思ってた。
ウェイターって仕事は大して難しくはないなという甘い考えがあったのは否めない。
何故かというと、姉は人なつっこさや明るさはピカイチだが、根は結構鈍臭い人間だってわかってたからだ。そんな鈍臭い人間が何年もこの仕事を続けてるなんて、正直こなす仕事が大して難しくないからなんだろうなと思ってた。
勿論それだけじゃない。洋二さんの存在があっての事ってのは謂うまでもなくだけど。
ちょっと決めつけて姉を、仕事を見下していた自分が情けないなと感じてしまった。
(蒼は、どうだろうか…)
厨房に視線をやると、蒼は洋二さんと何かしらの作業をしていた。
(…楽しそうだな…)
…なんだろ…。
今ちょっとイラっとしたような。
「充月、ちょっと」
カウンターにいる姉が俺を呼ぶ声にはっとして視線を厨房から離して、姉のもとへと向かうと、
「2番テーブルのお客様がもうすぐお帰りになるから、レジよろしくね」
そう告げた矢先に、2番テーブルのお客さんが立ち上がり、こちらに歩いてきた。
(…なんでもう帰るってわかるんだ?)
思わず眉間にしわが寄りそうになるのを堪えて、レジに立つと、
「あ、そうだ。コーヒーチケット、もうすぐ無くなるよね? 一冊お願い」
年配のお客さんは、財布を取出して気さくな笑みを俺に向けた。
「チケット…、あ…、すみません。えっと…」
慣れない指でチケットの金額を打ち、代金を貰い、
「ありがとうございました」
と、頭を下げた。
カウベルが鳴り、お客さんがドアの向こうへと消えた時、
「しまった!」
自分がおかした大きな失敗に気付く。
「…チケット買った人の名前がわかんねえ…」
さっきのモーニングの支払いもチケットだし! ヤバイ!
「姉ちゃん!」
俺は慌ててテーブルを片付けてる姉のもとへ走り、
「さっきのお客さん、チケット買ってったけど、名前聞いてないんだけど…」
絶対怒られる事を覚悟して、姉に自分の失敗を告げた。
「さっきのお客様は下川さんよ。毎日来るお客様だから、ちゃんと覚えてよ~」
姉はにこやかに笑って、
「チケットの下に名前を書いて、チケットボードにかけておいてね。それから、今日の分のチケット、忘れずに伝票にホッチキスで止めておいてよ~」
…そうだ、チケットだ。ホッチキスだ。
これ、業務開始から何回姉に言われただろう…。
(…ダメだな…全然役立たずだ)
ちょっとへこんだ…。 意気消沈した姿なんて見せたくないけど、歩くと知らず知らず肩が下がる。
「初日なんだから、仕方ないわよ。大丈夫よ、目や体が慣れるまでは中々動けるもんじゃないから」
姉にそう言われて背中をぽんと叩かれた。
「…ごめん。俺…」
「あんたの悪癖だよね。昔っから、打たれ弱いくせにやたら気負いが激しいとこ」
姉は楽しげに笑って、
「ほんっと嫌なとこ似てるわ…」
一言こぼして、
「短時間で全部完璧にできるなんて、思っちゃダメよ~♪ 最初は出来なくて当たり前なんだからさ」
そう言った後に、
「ていうか、ここでバイトを始めた初日の私より、今の充月のほうが、うんと役に立ってるところが ム カ つ く」
姉は俺に小さく舌を出して苦笑いを浮かべた。
「…どんだけヤバかったんだ…?」
俺も思わず姉に苦笑いを返した。
「…あの洋二が悲鳴をあげそうになるくらい…」
そう告げて、思いだし笑いを始めた。
洋二さんが悲鳴…?
ちょっと何があったのか、想像つかないけど、余程の事をやらかしたには違いない。
「沢山の失敗があったからこそ、今の私があるのよ」
そう誇らしげに笑う姉が、ちょっと眩しく見えた。
「がんばれっ! 女性客に愛されるイケメンウェイターになる為にっ♪」
おーっ♪ と右手を小さくあげて張り切る姉を見て、
「別に愛されたくねーし」
やれやれという笑みがこぼれた。けど、失敗で沈んだ心がいつの間にか浮いてた。
悔しいけど、姉は昔の鈍臭い姉ではなく、いつの間にかしっかり者の姉になってたんだなってはっきりわかった。




