◇気になる人
「…あの…」
(誰だ…? この人)
振り向いた目の前に涼しげな笑みを浮かべて立つ、やや長めの黒髪の男の人は、俺の記憶のどこを探っても見当たらなかった。
姉の事を知り、親しげに『葉月ちゃん』て呼ぶってことは、店の常連客だろうか…。
いけないとは思いつつも、いきなり知らない男に声をかけられ、眉間に少しシワが寄る。
「あの…、どちら様でしょうか?」
男の人を探るように見つめてそう尋ねると、
「あー、俺?」
そう言った後に店の並びの民宿『波音』を指さして、
「俺、あそこで住み込みのバイトしてんの。でもって、アイビーの常連」
にこやかに笑って、軽く身のうちを明かした。
(やっぱり常連客か)
「すいません…、俺、今日から手伝い始めたばかりで何も知らなくて…」
とりあえず頭を下げた。
「うん、昨日葉月ちゃんからさらっと聞いた。彼女と一緒に夏休みの間、店手伝うんだって?」
「はい…」と返答し頷きつつ、男の人を観察する。
黒いVネックのTシャツに、カーキ色のカーゴパンツ。なんか見た目ひょろりとして、若干病弱そうな肌の色だ…。
(なんかすげー太陽が似合わない人だな…)
「ねぇ、彼女って――」
「ちょっと! はじめ君っ!!」
カウベルの音と同時に、ちょっと怒気を含む姉の声が響いた。
「おっ、葉月ちゃん、おはよー。今日も変わらぬかわいさだね~」
「よっ♪」と手をあげる、はじめ君と呼ばれる男の人は、にっこりと笑って姉に声をかけた。
「…充月、休憩時間だよ。蒼ちゃんがアイスコーヒー入れてくれたから店戻って」
姉は若干ひきつった笑顔を俺に向けた。
「あ、いや…でも」
話しかけられた人は、店の常連さんなわけだから、話の最中に店に休憩に戻るなんて、ちょっと失礼じゃないか?
そんな事を考えつつ姉に視線をやると、
「いいから早く行って」
今度は真顔でそう言い切られた。
「…わかったよ…」
何だかわけのわからないまま、姉の迫力に気圧されて、俺ははじめさんに会釈して店内へ戻るために踵を返した。
「またね、弟クン」
姉の真顔に反するように楽しげな笑みを浮かべて、はじめさんは俺に軽く手をあげた。
(なんなんだ…? わけわかんね…)
小さく息を吐いて、店内に戻ると、カウンターの奥から蒼と洋二さんが横並びでこっちを見てる。
「あれ? 充月君、葉月は?」
「あ、外でお客さんとなんか…」
洋二さんにどう説明したらいいのか躊躇した。
揉めてるってのはちょっと違うような…。でも、和気あいあいと立ち話って感じでもないし…。
思わず苦笑がこみあげた俺を見て、
「はじめ君だな…」
洋二さんは、俯き加減でやれやれと苦笑いして、厨房から出てきた。
(何で相手が誰かわかったんだ…?)
疑問符を浮かべてしまい、はい、と返答ができずに洋二さんに視線をやると、
「ちょっと2人で休んでて」
やんわりとした苦い笑みを浮かべて表に出ていった。
「…どうなってんだ?」
まさか、姉を挟んでのちょっとした三角関係とか…
「…ははっ、んなわけねーか…」
漫画やドラマやあるまいし…。
(つーか、あの人、俺に何を言いかけたんだろ)
そんな事を考えながらカウンターへと歩くと、
「北村っ!」
カウンター厨房側から蒼が俺を呼ぶ。その顔は、上気して結構楽しそうだ。
カウンター席に腰掛けると蒼は、
「お、お疲れ…様」
照れくさそうにカウンターへ手を伸ばして、アイスコーヒーを俺の前に置いた。
「お疲れ、ありがとう」
短く礼を述べて、俺は早速渇いた喉を潤す。
「…どうだ?」
蒼は、俺をじっと見つめて様子を伺うけど、
「え? 何が?」
意味がわからず聞き返す。
「アイスコーヒー…どうだ?」
蒼は若干口を尖らせて再度俺に尋ねた。
「えっ! もしかして、これ、蒼が作ったのか?」
思わず目を見開き、蒼をじっと見つめて返答を待つと、
「作ったんじゃないっ! グラスにアイスコーヒーを注いだんだっ!」
膨れっ面で声を荒げた。
「ちょっ、注いだだけって…」
いや、それでどうだ? と聞かれても…。
「…馬鹿にしたな? 注いだだけって言うけど、これが中々難しいんだぞっ!」
蒼は洋二さんから教わった、ドリンクの量を俺に話した。その顔は熱心でいて、すごく楽しそうだ。
「8分目をクリアしたら、お客様に出すドリンクを任せて貰える事になった」
蒼は嬉しそうにアイスティーを飲んではにかんだ。
「そっか、がんばれよ。…なぁ、洋二さん、近くても大丈夫か?」
先刻、横並びだった2人を思い出して蒼に尋ねてみた。
「…つくしだと思えば、平気だっ」
蒼は小さく笑みを浮かべて鼻を鳴らした。
「ちょっ、お前、つくしって…」
吹き笑いしそうになった俺に、
「北村のお姉さんの彼氏さんの事…どうやって…呼んだらいいかな…?」
蒼は照れくさそうに尋ねた。
「…オーナーでいいんじゃないか?」
(ぶっちゃけ洋二さんとは呼んで欲しくない…って心情は伏せとこう…)
俺は小さく笑って蒼を見た。
「…オーナー…」
蒼は、ひとつつぶやいて出入口に視線をやった。
「つーか、姉ちゃん達、外で何やってんだろ?」
野次馬心がうずく俺の心中を察したのか、蒼は厨房から出て、
「…あそこからちょっと覗いてみたらどうだ」
出入り口横の出窓へと歩き出した。
「いやっ、お前、それは良くないと思うぞ」
…とは言え、俺も忍び足気味で出窓へと歩き、こっそりと外を覗いてみた。
「…北村のお姉さん、何だか怒ってるみたいだな…」
腕組みをして膨れっ面の姉を見て、蒼はつぶやいた。
「…そうなんだよ…、あの男のお客さんを見たら、姉ちゃんすげー不機嫌になってさ…」
はじめさんと姉の真ん中に割って入る形になってる洋二さんは、苦笑いを浮かべて何かを話しているのだが、会話がうまく耳で拾えない。
「…まさか…、つくしのライバル…?」
蒼は再度小さくつぶやいた。
「…いや、よくわかんねーけど…」
俺は苦笑して息をひとつ落とした。
「ヤバイっ! 戻ってくるぞ!」
蒼は慌てた声を出して走り出す。その後に俺も小走りして互いの位置へ戻り、素知らぬ振りで、銘々の飲み物を喉に流し入れた。




