◆1日の始まり
「あ~っ! 何だか緊張してきちゃった!」
店に向かう午前6時半過ぎの車内。助手席の葉月は何だかそわそわと落ち着かない様子で、
「あの子、寝起き悪いからなぁ…。ちゃんと起きれたかなぁ…。電話してみようかなぁ…」
携帯を見つめて、つぶやいてる姿をミラー越しにチラリと見て、僕は小さく苦笑を浮かべた。
「でもでも…」
携帯を開き、口を尖らせ、
「過保護過ぎるかなぁ…」
葉月のつぶやきに、僕は堪えきれずに吹き出してしまった。
「やっぱりはじめ君に言われた事、気にしてたのか」
昨日カフェではじめ君啖呵を切ったわりには…。
葉月は結構言われたことを気にするタイプだからな。
「べっ、別に気にしてないわよ~ぅ…」
ほんのり顔を上気させ、携帯を閉じて小さく鼻を鳴らすけど、どうやら図星のようだ。
「充月君は大丈夫だと思うよ。責任感は強そうだし」
「…責任感なんて強くないわよぉ…。あの子は昔からマイペースで時間にルーズで…。蒼ちゃんに迷惑かけてなければいいけど…」
再度携帯を開き、ディスプレイを見つめてため息を落とした。
「…僕はどちらかと言うと、蒼ちゃんのほうが心配だよ」
昨日見た感じ、17歳にしてはちょっと思考や態度が幼いように思えたし、あまり人と会話をする事も好きではないようだし…。
若干ドジッ娘の匂いもしたな…。今日はどんな手伝いをさせるべきか正直悩むところだ。
「え? 蒼ちゃんは大丈夫だと思うわよ」
葉月は僕を見てにっこりと笑い、
「彼女は中々デキル感じがするっ。能ある鷹みたいな」
「…能ある…鷹…ねぇ…。そう言い切れる根拠は?」
最早苦笑いしか浮かんでこない僕に、
「根拠なんてないわよ。ただの女の勘っ♪」
そう楽しげにそう言い放つ葉月。
「ははは…」
(…その勘はあまり期待できそうにないな…)
僕はやんわりと口元を歪めて小さく息を落とした。
旧道の左手に縦に広がる、僕が小さい頃から変わらない海は、早朝の淡い陽光に照らされて水平線がほんのりと光を含んでキラキラとまぶしい。
左側助手席の葉月をミラー越しにチラリと見ると、唇をきゅっと結んで海を見つめていた。
「きっと大丈夫…。蒼ちゃんは、きっと元気に笑えるようになる…」
まるで自分に言い聞かせるかのように呟く葉月の言葉を耳にして、僕はやれやれと息を落とし、
「葉月、気負いし過ぎずだよ…」
一言声をかけた。
「…気負っちゃってるかなぁ?」
視線を僕に向けてひとつ小さく笑うと、
「…頭ではダメだってわかってるんだけどね…」
ため息をついて、
「はじめ君の言った言葉が、耳から離れないんだよね…」
ぽつりと呟いた。
「心の傷って、時々人の表面上の優しさで更に酷くなる時があるって…。何だかあの言葉が胸に引っ掛かっちゃって…」
複雑そうな顔色で、葉月は再度ため息を落とし、
「…本当はちょっと怖い。蒼ちゃんのこと、ほとんどわからないでしょ?私、いつ、何時地雷を踏んでしまうか…どうしても考えちゃうよ…」
ミラー越しに不安そうな葉月と視線が合い、僕は、
「考え過ぎて慎重に接するよりも、普段通りの葉月でいればいいと僕は思うよ」
左手で葉月の頭をそっと撫でた。
「きっとそれが蒼ちゃんにとって一番いい事だと思う」
人に過剰に気を遣われるって事は、心に荷物を背負ってる時ほど余計に辛くなるって僕は知ってる。
高校に入学して間もなく、母を突然亡くした15のあの日、周りの大人や友人にかけられ続けた過剰な気遣いの言葉や態度は、僕にとっては重荷以外の何物でもなかった事を思い出す。
心配されれば、周りに心配ばかりをかけてる自分が情けない人間だって酷く落ち込んだし、過剰に親切にされれば「人の苦労なんて何も知らないくせにこいつ、ただの自己満足の偽善者だな…」と心の中で毒づいた事だってある。
そんな僕の歪みを正してくれたのは、まだ、ただのクラスメイトで、たまたま隣の席になった葉月だった。
驚くほど前向きで明るい彼女は、迷惑そうな僕の空気なんてとことん無視して、グイグイと僕の心に入ってきた。
若干激しい喜怒哀楽の表情に、良いことも悪いことも気遣いなんて無しのストレートな言葉。
そして、思わず目を細めたくなるような、まぶしい笑顔。
葉月を好きになる事に、時間なんてさほどいらなかったな…。
「私は私のまま…か。…うん、そうだ、そうだよねっ」
葉月は俯き加減の顔を上げて、僕を見つめてキュッと口角をあげ、
「洋二がそう言ってくれるなら、間違いないっ♪」
僕の肩にしなだれかかり、へへっと笑った。
「…葉月…運転中」
僕はひとつ咳払いをして葉月を嗜める。
「やだ…照れちゃって、か~わい~♪」
おどけた声色で、ケラケラと笑い声をあげられると、否応なしに気恥ずかしさが込み上げてくる。
「…いじめないでください」
僕は上気する顔の熱さをごまかすように苦笑いして呟いた。そんな僕を見て、さらに楽しそうに笑う葉月を横目で眺めながら、小さく安堵する。
緩やかな景色から、まだ賑やかさのない静かな朝の観光町にさしかかる。
車内の時計は午前7時少し前。
店まで後数メートルのところにさしかかると、
「あれっ?」
葉月は店を指さして驚き混じりの声をあげた。
「ははっ、どうやらいらない心配だったみたいだな」
僕も思わず笑い声をあげてしまった。
店の前の道路の向かいには、低い防波堤。
その上に腰を下ろして僕らの到着を待っているだろう二人の姿。
「出勤時間よりも1時間も早く到着なんて…」
葉月は感慨深げな、しかし柔らかな笑顔で呟いた後、パワーウインドーのボタンを押して窓を開けて、
「おっはよ~っ! ってか、二人共、早過ぎ~っ!」
静かな朝の町に、元気な葉月の声が響いた。




