表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
summer visit  作者: 河野夜兎
11/53

◇まじないのように…

 平坦な海沿いの旧道を家路に向かい自転車を走らせる。


 鬱蒼とした草が茂る空き地を越えた小さな交差点を右に曲がり、数分走ると道の両脇に住宅街が広がる。その中に蒼の住む家がある。


 蒼の家は元々この界隈の大地主で、この住宅街の土地も全て彼女の祖父のものだったらしい。

 周りの民家とはちょっと違って、広い敷地を囲う黒い木造の塀がやたらデカくて、ちょっと格式の高そうな威圧感を感じる、立派な門構えの日本家屋が蒼の暮らす家だ。

 

 塀から門までの距離に自転車がさしかかると、蒼は「とめて…」と、弱々しい声で俺のシャツの小脇を引っ張る。


 左ブレーキをゆっくりと握り、自転車を停めると、


蒼はのそりと重い足取りで荷台から降りて、俯いて立ち止まってしまった。


「…大丈夫だよ…」

 蒼は俯いたまま作ったように明るい声を発したけど、

「…んなわけねーだろ…」 明らかに震えた声や、震えを懸命に止めるために固く握りしめられた両手を見たら、どんな鈍感なバカでもわかるだろう…。


 蒼の頭をそっと胸に引き寄せると、


「…北村ぁ…、シャツが磯くさい」

 胸の中で微かに笑んだ。そんな蒼の声に、胸が軋んで、言葉が返せなくなってしまう、情けないな…。


「北村ぁ…」

 蒼は俯いたまま再度俺の名前をつぶやいた。


「…がんばれって言って…」

 震える両手で、俺のシャツを掴み、


「…お願い…。がんばれって言って…」 

 弱々しくも強い言葉。

それは、まるで自分を動かすまじないでも求めてるような、そんな切願を込めた言葉に感じた。


「がんばれ」


 本当は、蒼にこんな言葉はかけたくない。

 蒼はこんなに頑張って、自分の苦しい気持ちと戦ってるじゃないか…。


「がんばれ!」


 あんな事件があって、家族から家の恥曝しだと疎外され、孤立する日々を続けて一年近く…。

 悪いのは蒼じゃなく、全てアイツなのに!

 

 蒼に付き纏い、苦しめた挙げ句、当て付けのように逝ってしまったあの男の顔を思い出したら、身体中の血液が沸騰する感覚に襲われる。


「がんばれ!」


 俺には蒼の全てを守る力なんてない、中途半端で弱いガキだ。こうしてずっと辛い気持ちを背負う蒼に、こんな陳腐な言葉しか与えてやれない。悔しいよな…本当に。


 胸の中に包み込んだ、細く小さな身体は、懸命に震えを止め、呼吸を整えようと、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐くを数回繰り返している。


「がんばれ」


 蒼の頭に頬を寄せて、込み上げる胸の苦しさを堪えながら、俺はまじないのように、何度も何度も繰り返す。


 そうするうちに、蒼の呼吸は落ち着きを取り戻し、手や身体の震えも徐々に治まっていく。


「がんばるよ…」


 小さなつぶやきに、力が宿った気がした。


「がんばるよ。もう逃げないって決めたんだから」


 顔を上げた蒼の瞳は少し赤くなって潤んでた。

 

「明日から、新しいことが始まる。北村と一緒に始める、始めたい。だから、がんばりたい」


 小さな光が宿ったかのように、蒼の色素の少し薄い茶色い瞳は真っ直ぐに俺の目を捕えた。


「ああ、一緒に頑張ろう」


 楽しいことばかりではないだろうけど、少しでも蒼が笑顔で前に進めるようにと願いを込めて、俺は小さく笑みを贈った。


「よし、もう大丈夫っ」


 蒼はまだ少しぎこちなさは残れど、笑みを浮かべて俺の胸から離れた。


「大丈夫っ! 歩けるっ!」

 2、3、軽く足踏みをした後、ゆっくりと歩き出した。俺はゆっくりと自転車をひきながら蒼の少し後ろを歩く。


「…♪ …♪」

 蒼が急につぶやくように歌ったのは、アイビーで流れてた姉の好きなバンドのポップなラブソングだった。


 幼な子のような蒼のソプラノにつられるように、俺も自然と歌を口ずさむ。

 門まであと数メートル。

二人でいられるその短い距離を惜しむように、しかし挑むように確実に、蒼は歌いながらも踏みしめるように門を目指して歩いた。


 そんな蒼の小さな背中を見つめて、俺はやっぱり


『頑張れ』って言葉を心の中で唱えてた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ