◇走り始めた二人
「自転車は、自分で転がる車だから自転車!」
俺の自転車の後ろ――つまりは荷台に座り、ソーダ味の氷菓子を片手に突然叫ぶ彼女。
「自分で転がるって、いまいち…いや、全然意味わかんねぇし…。つーか、自転車はきっと」
そういう意味合いで名付けられたんじゃねーだろ…と、俺は盛大にため息をついて、自転車のペダルをせわしなく踏み回す。
歩道と車道の境目であるコンクリートブロックなんて親切なものは皆無、整備無縁な田舎の旧道。
彼女を乗せて走らせる自転車の右側の景色は、山→萎びた旅館→山→空き地→時々民家の繰り返し。
大して目を引くものなどない、退屈な景色だ。
左側は海岸線。
どんな角度から見ても真っ直ぐな水平線は青ではなく、青みを帯びた灰色だ。
境界線上の空は乱雑に擦れた白い雲と、水で絵の具を極限に薄めたような、かろうじて青に見える青。
海岸線には延々と白い砂浜、間隔を置き海へ向かい延びるように積まれたテトラポット。海の近い場所に住む俺達にとっては、なんのことはない、見慣れた景色だ。
「アイス…なくなっちゃった…」
食べ終えた氷菓の棒を咥えながら発しているだろう彼女の淋しそうな声が背中から耳に届いた。
「はいはい、そりゃ残念な」
まるで幼子に向けるように、小さく笑みを含めて短い言葉を彼女に投げた。
きっとその言葉は、風圧にかき消されて彼女には届いてはいないだろうけど。
どこまでも起伏のないなだからかな海沿いの道。ペダルを踏み込み向かう目的地は、俺にとっては一年とちょっとぶりで、彼女にとっては初めての場所になる。
中学から愛用している銀の自転車に彼女を乗せ、『特別な二人』として過ごし始めてかれこれ三ヶ月と半月が過ぎた俺達は高校二年生。
そして現在は、七月終わりの夏休み初頭、午前八時過ぎ。
前籠に彼女の小さなサンダル。時々舗装状態の悪いアスファルトで小さく跳ねる車体と共に、同じリズムでそれも小さく跳ねてる。
あと五分ほど。この繰り返しの退屈な景色を抜けたら二人の目指す目的地。
五分後には、萎びたこの退屈な町から、少し賑やかな海沿いに横並びの観光町へたどり着く。
サーフショップに海の家。売店や小綺麗な民宿に、大型の旅館。そして、目的地である小さなカフェハウスがそこにある。
「止まって!!!」
彼女が大きな声で突然叫ぶ。その声は、不安混じりというより、不安の塊みたいな声だった。
(全く往生際の悪い…)
俺は、彼女に聞こえないように小さく鼻を鳴らして、聞こえないふりをした。
「と~め~~てっっ!!」
背中をグーで叩かれたけど、無視してペダルを回す。
「とめてとめてとめてとめて~~~っっっ!!!」
喚きながらかなり力をこめ俺の背中を乱打する。その声は今にも泣き出しそうで…。
「……」
盛大にため息をついてペダルを回す足を止めて、左ブレーキをゆっくりと握った。
自転車が止まると、一気に暑さが体にまとわりつき、体が熱を上げて汗がじわりと滲む。
彼女は荷台から降りた。しかし早朝とはいえ、日を浴びたアスファルトはやっぱり裸足では熱いようで、ニ、三跳ねると慌てて荷台に飛び戻った。
「ここまで来て、逃げ帰るのか? 蒼」
少しだけ口調を強めて、振り返らずに彼女に一言尋ねた。
「…逃げてないもん…逃げてなんか…」
彼女は萎れた声で呟き、俺の胴に回した両手に、ギュッと力をこめた。
「ちょっとだけ休憩したかっただけだもん…。ちゃんと大丈夫だもん…ちゃんと…」
明らかに上ずってる声を聞いて、やれやれという気持ちをこめて小さく笑った。
「大丈夫だよ」
懸命に堅く握られた白く小さな両手に、右手をかぶせるように乗せて一言、彼女の耳にちゃんと届く音量で声を放つ。
「ちゃんと傍にいるから」
重なる手は直射日光を受けてることもあり、否応なしに熱い。でも、自分のものではない熱――温度を感じられることが、今の彼女の緊張や不安を溶かす最善の策だって俺は知ってる。
「北村ぁ…、私…変な子…。だから…嫌われるかも…」
自信なさげな彼女のくぐもった声に、
「大丈夫だって…。変な奴が大好物な変わり者だって、世の中には結構いるもんだ」
目的地でそわそわして俺達を待っているだろう二人を思い浮かべて、込み上げる吹き笑いを堪えた。
「そんな北村も、変わり者。私なんかのことで、こんなにも一生懸命…」
彼女の両腕に再度力がこもる。背中に感じる彼女からの温度と柔らかさ。
密着されるとかなり暑いし、軽いめまいと動悸におそわれるは、夏のせいだと思いたい…。
「別に…それほど一生懸命じゃない。ただ、自分がそうしたいと思ったことをほどほどにしてるだけだ」
照れ隠しの言葉だとはバレたくないけど、いつもより変に堅苦しい言い方で気付かれるかな…。
俺は、自分自身に小さな苦笑を落とした。
「ありがとう…。北村、私…、私っ!! がんばる~っっ!!!」
自分に気合いを入れるかのように叫び、彼女は自転車を走らせるよう急かした。
そんな彼女に、小さく「がんばろう」って呟き、再度ペダルを踏み込み目的地までの一本道を走りだした。




