06【後】冒険者トーマス
(引きつづき冒険者視点です)
あれは僕が六歳のころ──もう十年以上前だ。
夢の中の女神様の顔やお姿は、きらきら光をまとって綺麗だったことしか思い出せない。
ただ、優しく穏やかな「あなたは勇者になりなさい」の声だけが、はっきり記憶に残っている。「そして魔王から世界を救うの」そう言って彼女の白い手は、僕の左胸に光の玉をそっと押し込んだ。
──流行り病で村の子供たちが次々と命を落とす中、僕だけが奇跡的に回復して生き延びた。
「当ギルドは、はじめてのご利用ですね。冒険者登録はお済みのようですから、初回のお手続きだけさせてください」
受付嬢は優しい笑みを浮かべたまま、手のひらサイズの厚手の白紙をカウンターに置いた。
見た目はもう憶えていないし、声もそっくりというわけじゃない。でもなぜか、自分と齢もそう変わらない彼女のことを、僕は「女神様のようだ」と感じていた。
「あ……はい……」
「ではこちらの登録証に、右手を乗せていただけますか?」
言われるがまま、おずおずと白紙に右手を乗せる。手の甲にぼんやりと浮かび上がるのは、西ギルドで冒険者登録したとき登録証から転写された紋章だった。
「失礼いたします」
「──え!?」
白紙に乗せた手のひらの上に、彼女が自分の手のひらをそっと重ねて来たから、心臓がはねあがって思わず声が漏れる。柔らかくて、温かい手のひらだった。
「あ、びっくりさせてごめんなさい。すぐ終わるから」
言葉通り、二人の手の隙間から一瞬だけ強い光が漏れて、すぐ彼女は手を離す。名残惜しさを誤魔化すようにこちらも手を引っ込めると、白紙だった登録証には文字がぎっしり書き込まれていた。おそらく、西ギルドで登録したのと同じ内容だろう。
「ありがとうございます。こちら保管させていただきますね」
カウンターの向こうで開いた分厚い台帳に、彼女は登録証をぺたりと貼り付けた。魔法的な仕組みが色々あるのだろうけど、知識も素質もない僕にはさっぱりわからない。
「トーマスさん、とお呼びしてよろしいですか?」
名乗ってもいないのに急に名前を呼ばれ、また心臓がはねる。一呼吸おいて登録証の情報だと理解し、僕はうなずく。
「では改めて、当ギルド受付担当のセシルと申します。よろしくお願いしますね、トーマスさん」
セシル。なぜだか、しっくり来る名前だった。
「……で、まだ依頼は一度も受けられてないのですね」
手元の台帳に目を落としながら、彼女は問いかける。そう。この王都に出てきて三月、食堂の下働きで食いつないでいた僕に冒険者としての実績はない。迷い猫探しでも、やらないよりはマシだったのかも知れない。
「それは、その……いろいろあって……」
「よし! じゃあ、今日を一日目にしましょう」
彼女の言葉とほぼ同時に、一枚の紙がカウンター上を右からスーッと滑ってきて、目の前で停まった。見れば例の黒髪の獣人少女が、無表情のまま片手の指を二本立てている。どういう意味だろう。
「クロエちゃん? えっ、この依頼って失敗報告のあった……」
無人の山小屋に住み着いたオーク複数匹の退治。中級冒険者パーティもしくは上級冒険者ソロ以上推奨、と記されている。
オークはでっぷりした巨体に豚頭の魔物。貪欲で怪力の持ち主だ。強さはゴブリン三匹分とよく言われる。
「近くの村が何度か襲われてるし、たしかに急ぎたいけど……トーマスさん、はじめての依頼だから冒険者等級まだ初級だし、許可がないと……」
セシルは腕を組んで形の良い眉を寄せる。その蒼い瞳は、なぜか僕の左胸を見詰めていた。
「いいんじゃないか、その坊やなら」
突然、背後から聞こえる穏やかな声。その瞬間まで、まったく気配を感じなかった。
驚いて振り向くと、さきほど売店前で居眠りしていた白髪のご婦人が立っている。杖はついているけど、背筋は真っすぐしゃんとしていた。
「そうですか」
セシルの声でカウンターに視線を戻す。左右の受付嬢二人が、僕の背後のご婦人に向かって無言で頭を下げている。
「マスターがそう言うなら、大丈夫ですね」
セシルだけは平然とした態度で答え……ってマスター? じゃあ、このご婦人がギルドマスター!?
「ていうかマスター、さっき居眠りしてたでしょ?」
「はて何のことやら」
「ね、トーマスくんも見たでしょう?」
「え!? あ、いやええと、その……」
「いいかい坊や、あれは瞑想だよ瞑想」
「ふうん?」
いつの間にかセシルの呼び方がくん付けになって、また心臓が踊る。
「と、そんなことはどうでもよくて。この依頼、どうします? もちろん難しそうなら、断っていただいても構いません」
後ろから「どうでもいいなら最初から言うんじゃないよ、ったく」とぶつぶつ聞こえ、左側で銀髪美人さんが笑いを堪えるように口元を押さえている。
──なんて、空気が良いんだろう。
「やらせて下さい。村の人も、困ってるんですよね?」
そのせいだろうか。自然に、堂々と答えることが出来た。セシルは微笑んでうなずきながら、依頼書を差し出す。
「ところで、トーマスくんは隣国出身で登録されてるけど、海路でここに?」
「いえ、船は苦手なので陸路で」
依頼書を受け取りながら、不意の問いかけに反射的に答えてしまう。──同時に、いやな記憶が蘇る。
「じゃあ『龍の庭』を越えて?」
「あ、ええと、はい……」
「……ドラゴンは?」
当然、話は西のギルドと同じ流れになる。でも彼女なら、このギルドの人々ならきっと、僕の話を自称勇者様の大嘘と笑いものにしたりはしないだろう。
──襲ってきた大地龍を倒して、縄張りを通りました。
「……必死だったから、よく覚えてなくて……」
「そう。きっと、運がよかったのね」
結局、怖くて真実を口にできなかった。罪悪感と共に依頼書を折りたたんで、懐に仕舞い込む。
まずは、この依頼を成功させよう。そして報告のとき、今度こそ真実を伝えるんだ。
「行ってらっしゃい。気を付けて」
セシルの声に優しく背中を押されて僕は、初めての冒険への一歩を踏み出した。




