04【後】受付令嬢ベアトリス
──悪役令嬢。
語られたあまりに想定外のお話に、思わずベアトリスの顔を凝視してしまう。そこに浮かんでいるのは自嘲めいた片笑みだった。
「そういう女なのです、あなたが助けたのは。それを知っておいてほしくて」
失望したでしょう? 微かな声で彼女は付け加える。
王太子と婚約、ということは王太子妃になるかも知れなかった、ということだろうか。それなら溢れる気品には納得だった。
けれど私が驚いたのはそこだけじゃない。彼女が保護されたのは王都の北、『龍の庭』に隣接する大森林地帯だ。つまり、それは。
「あなたは『龍の庭』を越えて来たと言うの?」
彼女は、あっさりとうなずく。
「ええ。三日分の食料と魔法薬の小瓶だけ渡されて『龍の庭』に置き去りにされました。まっすぐ南に行けば、国を出られるからと」
確かに、二日半あれば歩いて通り抜けられる距離だ。魔法薬で体力回復すれば休憩も最低限で済むだろう。だとしてもそれは──事実上の死罪だ。
「でも、ドラゴンが……」
「すぐに遭いました、大地龍。ほんとうに岩山みたいに大きくて、気付かず目の前まで近付いてしまって……」
そこで言葉を切ると、彼女は思い出すように虚空を見上げる。
「でも近くで見たら傷だらけで。苦しそうだったから、魔法薬を飲ませてみたの」
「え!? 飲ませるってどうやって?」
「牙のすきまから口の中に、こうバーッて全部ぶちまけて」
「そ……そっか……」
「効いたのかわからないけど、目を閉じて寝息を立て始めて。だから、そのまま素通りしてきたの」
「それまでは目を開けてたの!?」
「ええ。我が家の書庫で呼んだ本に、大地龍は比較的穏やかだって書かれていたけど、よく見ると本当につぶらで可愛い目をしていて……」
「へ……へえ……」
さすがに情報──というかツッコミどころが多すぎる。私は左右のこめかみを指先で揉みほぐしつつ、脳内を整理した。
ドラゴンは縄張り意識が強いから、そのまま大地龍の縄張りを通ったなら、他のドラゴンに遭うことなく『龍の庭』を越えられたとしても不思議はない。体に付いたドラゴンの匂いが、他の魔物を寄せ付けなかった可能性も高い。
しかし『龍の庭』を奇跡的に踏破できても、魔法薬をドラゴンに使い切りボロボロに疲れ果てた彼女を、弱者の匂いに敏感なゴブリンどもは見逃さなかった。
──そうして彼女はギルドに担ぎ込まれ、今ここに至る。
「うん。よくわかった」
私はベアトリスの碧の瞳をまっすぐ見詰め返し、言葉を紡ぐ。
「多分だけど、あなた本当は悪いことしてないのでしょう?」
「え……」
ひとつだけ確かなこと。それは彼女が、手負いのドラゴンに自分の命綱の魔法薬をあげてしまうくらい善良だということだ。
その善良さに美貌と聡明さ、そしてクソ度胸と秀でた記憶力まで兼ね備える彼女は、ドロドロ渦巻く貴族社会において誰かの邪魔者になったのだろう。
「どうせ、でっちあげられて悪者にされたんでしょう。それこそ流行りの『悪役令嬢』の物語みたいにね」
ここに担ぎ込まれたときの、碧の瞳を思い出す。誰かの筋書き通りに人生を終わらせたくない。その強い想いが、彼女自身の命を繋いだのかも知れない。
そして、さきほどの自嘲の片笑みを思えば、その誰かは王太子本人……なんてことも有り得そうだ。
以上はあくまで直感混じりの推測でしかないけれど、そういう私の直感やら悪い予感は昔からよく当たる。──まるで天啓のように。
「……どうして? ……誰も……父様も母様も信じてくれなかったのに……あなたは……」
彼女の瞳から、涙がひとすじ頬を伝った。
「でもね、ベアトリス。過去とか、真実とか、ここではどうだっていいの。ほら、私だって秘密があるし」
そうして私は微笑みながら「それに」と付け加える。
「クロエちゃんも、ここに来る前は暗殺者だったから」
「──え!?」
ベアトリスが目を見開いて、私を挟んだ反対側──カウンターの左端で黙々と依頼書の束をめくる、もう一人の受付嬢の横顔に視線を向けていた。
ショートボブの黒髪の頭上でぴくりと動いた三角耳は、彼女が獣人族であることを示している。
「……ね?」
問いかけると、無感情な灰色の瞳を依頼書に向けたままで、彼女はゆっくり片手の指を二本立てて見せた。
この二本指は獣人族の伝説的勇者ラーヴイの兎耳を表していて、ヴイサインと呼ぶらしい。意味は「イエーイ」的なやつと説明されたけど、ちょっとよくわからない。
「受付嬢ベアトリスの物語は、これからでしょ。──ほら、さっそくお仕事」
ちょうどいいタイミングでギルドの扉が開き、若い冒険者が入ってきた。装備を見る限りまだ駆け出しの彼は、遠慮がちにベアトリスの前に並ぶ。
「いらっしゃい、アレックス。こないだの農園のスライム駆除、丁寧でよい仕事だったって依頼主さんから好評だったわ」
ベアトリスは間を置かずに彼の名を呼び、淀みない喋りで依頼の評価まで伝えていた。いちいち台帳を開かずともすべて頭に入っているのだろう。自信なさげだった冒険者の表情が、ぱっと明るくなる。
「……!? ほんとですか!」
「ええ。今度は指名でお願いしたいって。紹介した私までなんだか誇らしいわ。それで、ちょうどあなたの得意魔法を活かせる依頼が──」
その記憶力に裏打ちされた真心からの言葉たちは、まだ何者でもない冒険者の胸に響くことだろう。ギルドマスターが看破した通り、彼女は誰よりも受付嬢に向いていた。
「──行ってらっしゃい。無事に戻るのよ」
凛とした声に送られる冒険者の足取りは、窓口に並ぶ前よりずっと力強かった。




