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第9話 招かれざる許嫁

「ごきげんよう、リアム様。……あら、随分とむさ苦しいところにお住まいなのね」


謁見の間に響いたのは、鈴を転がすような、しかし棘のある声だった。

帝国の紋章が入った豪華な馬車から降り立ったのは、一人の少女。

黄金の髪を縦ロールにし、最高級のシルクで作られたドレスを纏っている。

その姿は、戦火の跡が残るこの街にはあまりにも不釣り合いで、人工的な美しさを放っていた。


セレスティア・フォン・ローゼンバーグ。

帝国の高位貴族の令嬢であり、リアムの「許嫁」を自称する女だ。

彼女は扇子で口元を隠しながら、値踏みするように周囲を見回した。

その瞳には、隠そうともしない侮蔑の色が浮かんでいる。


「遠路はるばるご苦労様です、セレスティア嬢。……ですが、私はあなたと婚約した覚えはありませんが」


玉座に座るリアムが、冷ややかに応じる。

しかし、セレスティアは悪びれもせずに微笑んだ。


「まあ、つれないこと。帝国とロザリアの友好のために、お父様が決めたことですわ。……それに」


彼女は私の方をちらりと見た。

まるで、道端の石ころを見るような目だった。


「そんな泥臭い女を侍らせているより、私のような高貴な華を飾る方が、王としての格が上がりますわよ?」


「……っ」


私は拳を握りしめた。

泥臭い。確かに、私はドレスよりも騎士服の方が落ち着くし、手には剣ダコがある。

でも、それをリアムの前で言われるのは、腹が立つ。

私が黙っていると、彼女はさらに言葉を重ねた。


「言葉を慎みなさい。彼女は私の……」

「あら、ただの従者でしょう? それとも、夜のお相手かしら?」


セレスティアは扇子を閉じて、私の前に歩み寄ってきた。

甘ったるい香水の匂いが鼻をつく。

彼女は私の顔を覗き込み、嘲笑うように言った。


「ねえ、あなた。人の婿を奪ってただで済むと思っているのかしら?」

「……奪ったつもりはありません。私たちは、互いに選び合ったのです」

「選び合った? 愛? ……ふふ、笑わせないでいただける?」


彼女は心底おかしいというように肩を震わせた。

その笑い声が、神経を逆撫でする。


「だって貴族の娘にとって伴侶とは、そうね、例えて言うなら……そう、ドレスのようなものよw」


「……ドレス?」


「ええ。自分を美しく見せるための飾り。……ドレス、あなたは何着持っていらっしゃって? そう、貴族の嗜みですわ。ご理解いただけるわね?」


私は絶句した。

この女にとって、リアムは人間ですらない。

ただのアクセサリー。飽きたら着替えればいい、モノ扱いだ。

こんな女に、リアムを渡すわけにはいかない。


「……撤回なさい」


私の声は震えていた。

自分のことを馬鹿にされるのは我慢できる。

でも、リアムを侮辱することだけは、絶対に許せない。


「あら、怖い。……でも、事実でしょう? 今回の蜂起だって、民衆が勝手にやったこと。リアム様は巻き込まれただけですわよね?」


彼女はリアムに向かって、媚びるような視線を送った。


「あの国の王子――アルフレッドでしたっけ? あの男は馬鹿だから、扱いやすくて助かりますわ。……それに比べて、リアム様は優秀ですもの」


彼女はクスクスと笑った。

他国の王子を「馬鹿」呼ばわりし、利用価値だけで人を判断する。

その傲慢さに、吐き気がした。


「大丈夫ですわ。私、リアム様の最高の伴侶として、家事はお任せくださいまし」

「家事、だと?」

「ええ。……綺麗に掃除して、二度とゴキブリが出ないようにいたしますわ」


彼女はニッコリと笑った。

その笑顔は、今まで見たどんな魔物よりも醜悪で、邪悪だった。


民衆をゴキブリ呼ばわりし、掃除と称して虐殺を提案する。

この女は、狂っている。

これ以上、彼女の言葉を聞いている必要はない。


「……帰れ」


リアムの声が、地を這うように響いた。

玉座の肘掛けに、ピキリと亀裂が入る。

彼の怒りが、物理的な圧力となって空間を歪ませているのがわかる。


「お、お戯れを。私は外交特使として……」

「聞こえなかったか? 私の国から出て行けと言っているんだ!!」


ドォォォン!!


リアムの殺気が、物理的な衝撃波となって広間を揺らした。

セレスティアは悲鳴を上げて尻餅をついた。

彼女の顔から血の気が引いていく。

扇子が手から滑り落ち、床に乾いた音を立てた。


「ひっ……! や、野蛮人! 覚えてらっしゃい! 帝国軍が黙っていないわよ!」


彼女は捨て台詞を吐いて、逃げるように広間を出て行こうとした。

だが、扉の前で立ち止まり、振り返った。

その顔には、歪んだ笑みが張り付いていた。


「……そうですわ。私の婿を辞めると仰るのね。いいでしょう」


彼女は扇子を拾い上げ、パチンと閉じた。


「後ほど、降伏勧告の使者を送ります。……きっと、懐かしいでしょうね」

「……何?」

「ふふ。あなたがかつての師の姿を見て、鼓舞される姿を……陰ながら見守らせていただきますわ」


彼女は高笑いを残して去っていった。

その言葉の意味を、私たちはまだ知らなかった。


*


嵐が去った後の広間には、重苦しい沈黙が漂っていた。

私は深呼吸をして、乱れた心を落ち着かせようとした。

でも、怒りの炎は消えるどころか、ますます燃え上がっていた。


「……リアム」

「申し訳ありません、お嬢様。……不快な思いをさせました」


リアムは額に手を当てて、深いため息をついた。

その手は、怒りで微かに震えている。


「いいえ。……私、決めたわ」


私は静かに告げた。

怒りは通り越していた。今はただ、冷たく燃える決意だけがある。


「あの女には、絶対に負けない。王妃として、女として、そして人間として。……完膚なきまでに叩き潰してやるわ」


私の言葉に、リアムは顔を上げた。

そして、ふっと口元を歪めた。

それは、敵を殲滅する前に見せる、冷酷で美しい笑みだった。


「……ああ、わかったよ。あの女は、たぶん、地獄を見ることになるな」


リアムは愉快げに笑った。

まるで、これから始まる喜劇を待ちわびる子供のように。


「何か、策があるの?」


「ええ。……そうだ、いいことを思いついた。あいつに『最高のドレス』を送ってやろう」


「ドレス?」

私は首を傾げた。

「そんな、魔法みたいなドレスがあるの? 死ぬまで踊り続ける、みたいな」


「ああ、あるさ」


リアムは楽しげに目を細めた。


「……金と権力の亡者にふさわしい、極上のドレスがね」

「え?」

「俺が知りうる限り、あらゆる女を食い尽くした、業の深いヤツさ。……死ぬまで踊り続けることになる」


その声の冷たさに、私は背筋がゾクリとした。

どうやら、私の婚約者は、敵に回すと世界で一番恐ろしい男らしい。


招かれざる客は去ったが、戦いはまだ始まったばかりだ。

私は窓の外、帝国の方向を睨み据えた。

負けない。

私の愛も、誇りも、この国も。

あんな女には、指一本触れさせない。

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