第7話 鉄の女、台所に立つ
古都アルカディアを解放してから、数日が過ぎた。
街は活気を取り戻しつつあったが、その中心にいる「王」は、休む間もなく働き続けていた。
「……っ」
執務室に入った瞬間、私は見てしまった。
書類の山に埋もれたリアムが、こめかみを押さえて、ぐらりと体を揺らしたのを。
窓から差し込む光が、彼の青白い顔色を浮き彫りにしていた。
目の下には薄っすらと隈ができている。
「リアム!」
「おや、お嬢様。……どうされました?」
私が駆け寄ると、彼はいつもの涼しい顔に戻っていた。
けれど、その笑顔はどこか力がない。
隠しても無駄だ。私にはわかる。
彼は、無理をしている。
街の結界維持、帝国の反撃への備え、そして私の「魔力供給(という名の添い寝)」……。
魔力を使いすぎているのだ。
「少しは休んでよ。あなたが倒れたら、誰がこの国を治めるの?」
「ご心配なく。ただの寝不足ですよ。……それに、あなたがそばにいてくだされば、それだけで回復しますから」
彼は甘く微笑んで、私の手を握った。
その手が、以前よりも少し冷たい気がして、胸が締め付けられた。
(……私、守られてばかりだわ)
戦場では背中を預けられるようになった。
でも、日常では?
私は彼に何をしてあげられているだろう。
掃除も、洗濯も、料理も、全部リアムや使用人任せ。
これじゃあ、「ふさわしいお姫様」どころか、ただの「お荷物」じゃない。
悔しい。
私も、彼の力になりたい。彼を癒やしてあげたい。
(私が支えなきゃ。……彼の体を作る、食事から!)
私は拳を握りしめた。
思い立ったが吉日。私は執務室を飛び出した。
*
「……え? 料理、ですか?」
城の厨房。
突然押しかけた私に、料理長――恰幅の良い初老の男が目を丸くした。
彼は元々この城に仕えていた宮廷料理人で、レジスタンスにも協力的な古株だ。
厨房には、煮込み料理のいい匂いが漂っている。
「ええ。リアム……陛下のために、精のつく料理を作りたいの。教えてちょうだい」
「はぁ、それは構いませんが……姫様、包丁を握ったことは?」
「ないわ!」
「……」
料理長は天を仰いだ。
だが、私の腰にある双剣を見て、何かを諦めたように溜息をついた。
「わかりました。では、基本の『みじん切り』から始めましょう。今日のメニューはハンバーグです」
「ハンバーグ……挽肉の塊ね。了解したわ」
私は貸してもらったエプロンをつけ、調理台の前に立った。
目の前には、敵(玉ねぎ)が鎮座している。
皮を剥くのにも一苦労だったが、なんとか白い肌を露出させることに成功した。
「いいですか、姫様。みじん切りというのは、リズミカルにやるのがコツです。こう、トントントン、と……」
料理長が手本を見せる。軽快な音が響き、玉ねぎが細かくなっていく。
なるほど。リズム。
剣術と同じね。呼吸を整え、間合いを測り、一撃で仕留める。
「わかったわ。……いくわよ」
私は深呼吸をした。
そして、腰のショートソードを一気に抜刀した。
「えっ、ちょっ、姫様!?」
「シッ!!」
キィィィン!!
厨房に、甲高い金属音が響き渡った。
それは料理の音ではなかった。完全に、敵の装甲を断ち切る時の音だった。
空気が裂け、衝撃波が周囲の野菜を揺らす。
「……す、すいません。なんでしょう、今の音は」
「みじん切りよ」
私は剣を納め、まな板の上を指差した。
そこには、霧のように細かくなった玉ねぎの山があった。
あまりにも細かすぎて、もはやペースト状に近い。
「なっ……!?」
「包丁は初めてだけど、ショートソードなら使い慣れてるから! こっちの方が早いのよ」
「は、早すぎて見えなかった……! しかも、繊維が……繊維が潰れていないだと……!?」
料理長が震える手で玉ねぎを触っている。
ふふん、伊達に王国最強の騎士と呼ばれていないわ。
次はジャガイモね。マッシュポテトを作るのよ。
「対象確認。……排除する!」
ドドドドドッ!!
「ひぃぃっ!? 戦争ですか!?」
「いいえ、マッシュポテトよ!」
厨房は、凄まじい剣戟の音と、飛び散る食材(綺麗にボウルに収まる)で、戦場のような様相を呈していた。
火加減の調整でボヤ騒ぎを起こしかけたり、塩と砂糖を間違えそうになったり(料理長が必死で止めてくれた)と、トラブルはあったものの、なんとか料理は完成した。
*
その夜。
私はリアムの私室を訪れた。
ワゴンには、銀の蓋を被せた皿が載っている。
心臓がうるさい。
戦場に向かう時よりも緊張しているかもしれない。
「お嬢様? わざわざ食事を運んでくださったのですか?」
「ええ。……今日は、私が作ったの」
「えっ」
リアムの動きが止まった。
彼は一瞬、視線を泳がせ、それから覚悟を決めたような顔をした。
失礼ね。何を想像したのかしら。
黒焦げの何かが出てくるとでも思っているの?
「……光栄です。あなたが作ってくださったものなら、たとえ炭の塊でも……いえ、どんな味でも完食してみせます」
「炭じゃないわよ! ……はい、どうぞ」
私は蓋を開けた。
そこには、美しい焼き色のついたハート型のハンバーグと、雲のように白く滑らかなマッシュポテトが鎮座していた。
湯気と共に、食欲をそそる香りが広がる。
「……ほう。見た目は、完璧ですね」
「見た目『も』よ。さあ、冷めないうちに召し上がれ」
リアムは恐る恐るナイフを入れた。
スッ、と抵抗なく刃が入る。溢れ出す肉汁。
彼はそれを口へと運んだ。
「……」
咀嚼する音が、静かな部屋に響く。
私はゴクリと喉を鳴らして、彼の反応を待った。
どうかしら。味見はしたけれど、彼の口に合うかどうか……。
時間が、永遠のように感じられる。
リアムが、カッと目を見開いた。
「……っ!?」
「ど、どう?」
「……美味い……!?」
彼は信じられないものを見る目で、ハンバーグと私を交互に見た。
「肉の繊維が完全に均一に断たれているため、舌触りが驚くほど滑らかです……。それに、このマッシュポテト。空気を限界まで含んでいて、口に入れた瞬間に溶けるようだ……」
「ふふん! 『高速多段斬り』で刻んだからね!」
「……天才ですか。私の女王は、料理の神にも愛されていたのですね」
リアムは夢中でフォークを動かし始めた。
その顔色が、少しずつ良くなっていくのがわかる。
よかった。
私の剣が、人を傷つけるためじゃなく、彼を癒やすために役に立った。
それが何よりも嬉しかった。
皿が空になる頃、私は意を決して切り出した。
まだ、最後のお楽しみ(?)が残っている。
これをやらなきゃ、お嫁さん修行は終わらない。
「……そのぉ、リアムさん」
「はい? 何でしょう、あまりの美味しさに言葉もありませんが」
「私……料理を殿方に作ったら、やりたかったことがあったんです」
私は残しておいた最後の一切れを、フォークに刺した。
手が震える。
恥ずかしい。穴があったら入りたい。
でも、やってみたかったの!
「え?」
「言わせないでくださいよ! ……ほら、口を開けて!」
私は顔を真っ赤にして、フォークを彼の口元に差し出した。
視線を合わせられない。
リアムは呆気にとられたように私を見ていたが、やがて耳まで赤くして、ゆっくりと口を開けた。
「……あーん」
パクッ。
彼がハンバーグを口に含む。
フォークを通して、彼の唇の感触が伝わってくるようで、私は悲鳴を上げそうになった。
熱い。顔から火が出そうだ。
「……どう?」
「…………」
リアムは口元を手で覆い、深々と溜息をついた。
その瞳は、熱っぽく潤んでいる。
「……味も最高ですが、シチュエーションが致死量です」
「も、もう! 大げさね!」
「いいえ。……おかげで、魔力よりも大切な活力が湧いてきました」
彼は私の手を取り、指先に口づけを落とした。
その熱に、私はまた顔を沸騰させるしかなかった。
鉄の女の初めての手料理は、どうやら大成功だったらしい。




