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第5話 それは「視察」という名のデート

「……ねえ、リアム。これ、本当に『視察』なの?」


私は、自分の格好を見下ろして呟いた。

いつもの騎士服ではない。

リアムが用意した、異国の「ユカタ」という民族衣装だ。

薄紅色の生地に、白い花の模様が散りばめられている。帯は若草色で、背中で大きなリボン結びになっていた。

髪も魔法で栗色に変えられ、可愛らしいかんざしでまとめられている。

鏡に映った自分は、まるで別人のようだった。

戦場を駆ける騎士ではなく、ただの町娘。

それが嬉しくもあり、少しこそばゆくもあった。


「ええ、もちろんです。目立たないように現地の服装に溶け込み、民衆の動向を探る。立派な諜報活動ですよ」


隣を歩くリアムもまた、紺色のユカタを着流していた。

普段のきっちりとした執事服とは違う、少し着崩したその姿は、悔しいほど様になっていた。

襟元から覗く鎖骨や、帯に手をかける仕草。

すれ違う街の娘たちが、頬を染めて彼を振り返るのがわかる。

(……ちょっと、格好良すぎない?)

私は無意識に頬を膨らませた。


「でも……これじゃあ、ただのお祭り見物じゃない」

「おや、不満ですか? よくお似合いですよ。……可愛すぎて、隠しておくのが惜しいくらいです」


リアムはサラリと甘い言葉を吐き、人混みの中へと足を踏み入れた。

今日は街の夏祭り。

通りには無数の屋台が並び、提灯の灯りが夜を昼のように照らしている。

香ばしいソースの匂い。甘い菓子の香り。人々の笑い声。

太鼓のリズムが、お腹の底に響く。

戦場と訓練場しか知らなかった私にとって、それは未知の世界だった。

キラキラしていて、眩しくて。

でも、どこか遠い世界の出来事のようにも思えた。

私は、ここにいていいのだろうか。


「あっ、ちょっと待ってリアム!」


人の波に押され、私はよろめいた。

リアムの背中が遠ざかる。

怖い。

一人で戦場に立つよりも、この平和な喧騒の中で独りになることの方が、ずっと心細かった。

迷子になった子供のような不安が、胸を締め付ける。


「ねえ、ちょっとリアムったら! 手ぇ繋いでよ!」


私は思わず叫んで、彼の手を掴んだ。


「もう! 私こういうの慣れてないから、はぐれたら帰れないよ!」


私は頬を膨らませて、上目遣いで彼を睨んだ。

それは命令というより、不安と甘えが入り混じった、無自覚な「おねだり」だった。

自分でも驚くほど、甘えた声が出た。


リアムは一瞬、目を丸くした。

そして、ふっと優しく目を細めた。


「……承知しました。迷子のお姫様」


彼は掴まれた手を解き、改めて私の指に自分の指を絡ませた。

ガッチリとした、恋人繋ぎ。

彼の手は大きく、剣ダコのある私の手をすっぽりと包み込んでくれた。

その熱が、冷え切っていた指先を溶かしていく。

ああ、温かい。

この手があれば、どこへだって行ける気がした。


「では、絶対に離れないように。……一生、離しませんから」

「えっ……///」

「さあ、行きましょう。あちらに美味しそうな串焼きがありますよ」


*


それからは、夢のような時間だった。

串焼きを頬張り、珍しい果実水を飲み、射的ではリアムが百発百中で景品を総取りした(店主が泣いていたので、景品は子供たちに配った)。

初めての食べ歩き。初めての「あーん」。

普通の女の子が当たり前にやっていることが、こんなにも楽しいなんて。


「楽しい……。こんな世界があったなんて、知らなかった」


私がリンゴ飴を片手に微笑んだ時だった。


「へえ、楽しそうだねぇ、お姉さん」


不意に、行く手を遮られた。

柄の悪そうな男たちが三人、ニヤニヤしながら立ちはだかっていた。

変装していても、私の「魅了」は隠しきれていなかったらしい。

まだ制御の訓練中だ。気を抜くと、こうして無差別に人を引き寄せてしまう。

私の未熟さが招いたトラブルだ。


「俺らとも遊ぼうぜ。その優男より、俺らの方が楽しませてやるよ」

「ほら、こっち来いよ」


男の一人が、私の腕に手を伸ばした。

その瞬間。


バシッ!


乾いた音が響き、男の手が弾かれた。

リアムが、私の前に立っていた。


「……失せろ」


低い、地を這うような声。

いつもの穏やかな彼からは想像もつかない、ドスの効いた声だった。


「あぁ? なんだテメェ」

「私の連れに、その汚い手で触れるなと言っている」

「ハッ! 偉そうに。ヒョロガリが粋がってんじゃねーぞ!」


男たちが凄んでくる。

私は慌ててリアムの背中に隠れた。

(魔法を使う気? でも、ここで魔法を使ったら騒ぎになるわ……!)


だが、リアムは杖を取り出さなかった。

代わりに、彼は冷ややかに微笑んだ。


「忠告しておきますが……私の姫に手を出したことを、後悔することになりますよ。私、本当は高位の黒魔導士なんです」


「はぁ? 黒魔導士ぃ?」

男たちは顔を見合わせ、ゲラゲラと笑い出した。

「馬鹿言ってんじゃねーよ! 頭湧いてんのかコイツ!」

「中二病かよ! ギャハハ!」


リアムは、ふぅ、とため息をついた。

そして、ゆっくりと袖を捲り上げた。


「……そうですね。冗談が過ぎました」


彼は拳を握りしめた。

魔力ではない。純粋な、男としての力がそこに込められていた。

彼は武器を持たない。武器が魔力伝導を阻害するからだ。

ゆえに、彼の近接戦闘は、魔法で強化された肉体による「拳」のみ。

でも、それ以上に。

今の彼からは、「魔法なんて使うまでもない」という侮蔑と、「俺の女に手を出したこと」への原始的な怒りが感じられた。


「あなたがたには、『これ(拳)』で十分です」


「あ?」


ドゴォッ!!


次の瞬間、リーダー格の男が宙を舞っていた。

魔法ではない。

リアムの右ストレートが、綺麗に顎を捉えたのだ。


「なっ……!?」

「テメェ!」


残りの二人が襲いかかってくる。

だが、リアムは最小限の動きで攻撃を躱し、鳩尾に強烈なボディブローを叩き込んだ。


「ぐふっ……!」

「がっ……」


数秒。

たった数秒で、三人の男たちは地面に転がっていた。

リアムは乱れた袖を直し、何事もなかったかのように私に向き直った。


「お怪我はありませんか? お嬢様」

「え、ええ……。でも、リアム……あなた、殴り合いなんてできたの?」

「嗜み程度ですよ。……魔法を使うまでもありません」


彼は涼しい顔で言ったが、その拳は少し赤くなっていた。

私は胸がときめくのを止められなかった。

魔法で守られるのも嬉しい。

でも、こうして「男の体」で、泥臭く守ってくれたことが、どうしようもなく嬉しかったのだ。


*


騒ぎを避けるため、二人は人混みを離れ、神社の裏手にある静かな木陰へと移動した。

遠くから、祭囃子の音が聞こえてくる。

祭りの喧騒が遠のき、虫の声と、二人の呼吸音だけが響く。


「……ありがとう、リアム」

「礼には及びません。当然のことです」


リアムは木に寄りかかり、夜空を見上げていた。

その横顔を見ていると、胸の奥が熱くなる。

今日の楽しかった記憶。守ってくれた頼もしさ。

そして、今この瞬間の、二人きりの静寂。


(……今なら、できるかも)


私は、そっと彼に近づいた。

「訓練」の成果を、試す時だ。

心臓がうるさい。でも、このドキドキを彼にも伝えたい。


「ねえ、リアム」


私は彼の胸に手を置き、上目遣いで囁いた。

浴衣の袖を少し引いて、彼との距離を詰める。

彼の体温が、着物越しに伝わってくる。


「……はぐれないように、もっと強く抱きしめて?」


甘く、とろけるような声。

無自覚な魅了と、計算された誘惑が混ざり合った、最強の一撃。


リアムの体が強張った。

彼はゆっくりと視線を落とし、私を見つめた。

その瞳が、危険な色に揺らめいている。

いつもの理性的な瞳じゃない。獲物を狙う、男の目だ。


「……お嬢様」

「なぁに?」

「ここは外ですよ? ……私を試すのも、程々にしてください」


彼は苦しげに呻くと、私の手を掴み、自分の胸から引き剥がした。

いや、引き剥がそうとして、逆に強く握りしめてしまった。

その手の震えが、彼の葛藤を物語っていた。


「これ以上煽ると……ここが外だろうが何だろうが、理性が持ちませんよ」


「……っ!」


その本気のトーンに、私は顔を真っ赤にして俯いた。

勝ったつもりだったのに、結局ドキドキさせられているのは自分の方だ。

でも、その「余裕のなさ」が嬉しかった。


遠くで、花火が上がる音がした。

夜空に咲く大輪の花の下、二人の影はいつまでも重なっていた。

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