第3話 尋問と鏡写しの真実
「お嬢様。少し、お時間をいただけますか」
朝食を終え、優雅なティータイムを過ごしていた時のことだ。
最高級の茶葉で淹れた紅茶の香りが、部屋を満たしている。
窓はないけれど、魔法で再現された柔らかな日差しが、テーブルクロスに落ちていた。
そんな平和な時間の中で、リアムが改まった様子で切り出した。
「これから、昨夜捕らえたネズミ――帝国の密偵の尋問を行います」
「え……?」
「つきましては、お嬢様にもその場に立ち会っていただきたいのです」
私はカップを置いた。カチャリ、とソーサーが鳴る音が、やけに大きく響いた。
尋問。その響きだけで、血生臭い想像が頭をよぎる。
リアムは過保護なほど私を汚いものから遠ざけてきたはずなのに、なぜ?
「本来なら、姫にはご同行いただかない場所です。……ですが、私の申し上げたことを『理解』していただくために、どうしても必要だと思いまして」
リアムの瞳は真剣だった。
そこには、いつもの甘やかすような色はなく、教師が教え子を導くような厳しさがあった。
彼がそこまで言うのなら、何か深い理由があるのだろう。
「……よくわからないけれど、わかったわ。あなたがそう言うなら」
「ありがとうございます。では、こちらへ」
*
案内されたのは、地下宮殿のさらに奥深く。
華やかな居住区とは打って変わり、冷たく湿った空気が漂う石造りの通路だった。
壁の松明が揺れ、私たちの影を長く伸ばしている。
足音が反響するたびに、心臓が早鐘を打つ。
カビと錆の混じった臭いが鼻をつき、私は思わず袖で口元を覆った。
「ここです」
重い鉄の扉が開かれる。
そこは、石造りの地下牢だった。
鉄格子の向こうに、昨夜の男が縛り上げられていた。
彼はやつれ果てていたが、私たちが入ってくると、ギョロリと目を動かした。
「……何の用だ。殺すならさっさと殺せ」
「威勢がいいですね。ですが、今日は私の主人が見学にいらしています。粗相のないように」
リアムが冷ややかに言うと、男の視線が私に向いた。
その瞬間、男の目が怪しく光った気がした。
「ひ、姫様……! お慈悲を!」
男が突然、悲痛な声を上げて泣き出した。
床に頭を擦り付け、必死に懇願してくる。
「私は無理やり帝国に従わされていたのです! 故郷には病気の母と、幼い妹が……! 薬代が必要だったんです! 頼む、助けてくれ!」
その声を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。
(……可哀想)
なんて哀れな人なのだろう。
彼は悪くない。悪いのは、彼を利用した帝国だ。
病気の家族のために、仕方なく手を染めただけなのに。
彼を助けてあげなければ。
理屈ではなく、感情がそう叫んでいた。
「待って、リアム!」
私は思わずリアムの腕を掴んだ。
「彼は反省しているわ! 殺さないで、助けてあげて!」
「……お嬢様?」
「故郷に家族がいるのよ? こんなに怯えているじゃない! お願い、彼を解放して!」
私は必死に訴えた。
なぜリアムはこんなに冷たい顔をしているの?
この人が可哀想だと思わないの?
私の目には、彼がただの被害者にしか見えなかった。
リアムは静かに私を見つめ、そして男の方を向いた。
「……下級の魅了魔法ですね。死に物狂いで抵抗しましたか」
「なっ……!?」
「ですが、お嬢様への教材としては丁度いい」
リアムが指をパチンと鳴らした。
「解除」
空気が弾ける音がした。
その瞬間。
「うっ……!?」
視界がぐらりと歪んだ。
さっきまで「可哀想」だと思っていた男の顔が、急激に醜悪なものに見え始めた。
いや、顔だけではない。
彼の存在そのものが、生理的に受け付けない。
ドブのような臭い。粘つくような視線。
先ほどの「助けてくれ」という声が、耳元で虫が這うような不快な音に変換される。
「おぇっ……、気持ち悪い……」
地下牢を出た瞬間、私はその場に膝をついた。
胃の腑がひっくり返るような吐き気。背筋を這い上がる寒気。
これが、魔法が解けた後の反動。
そして、私が今まで無自覚に周囲へ与えていた「毒」の正体。
(私、こんなことを……)
アルフレッド殿下が私を「見るだけで寒気がする」と言った理由が、今なら痛いほどわかる。
私は、ただそこにいるだけで、周囲の人たちにこの吐き気を強制していたのだ。
好意を無理やり植え付け、それが拒絶された時の不快感を撒き散らす。
なんて、汚らわしい。なんて、醜い。
「……っ、はぁ、はぁ……」
涙が溢れて止まらない。
自分の存在そのものが、どうしようもなく恥ずかしくて、消えてしまいたかった。
「お嬢様」
ふわりと、体が宙に浮いた。
リアムが、震える私を横抱きにしたのだ。
いつもの優しい温もり。でも、今の私にはそれに触れる資格さえない気がした。
「触らないで……! 私、汚い……!」
「いいえ。綺麗ですよ」
「嘘よ! だって、こんな気持ち悪い魔法を……っ、リアムだって、本当は気持ち悪いと思ってるんでしょう!?」
私は彼の胸にしがみつき、子供のように泣きじゃくった。
怖い。
真実を知るのが怖い。
でも、それ以上に、彼に嫌われるのが何よりも怖かった。
「お願い、リアム……私を嫌わないで……! 捨てないで……!」
見苦しい懇願だ。
でも、リアムは足を止めなかった。
彼は私を抱きしめる腕に力を込め、廊下を歩きながら、静かに、けれど力強く告げた。
「嫌う? ……まさか」
彼は呆れたように、そして愛おしそうに笑った。
「大丈夫です。私は魔法なんかなくても、とっくの昔にあなたに魅了されていますから」
「え……?」
「あなたの魔法が毒だと言うなら、私は喜んでその毒に侵されましょう。……いいえ、もう手遅れですね」
彼は立ち止まり、私の濡れた瞳を覗き込んだ。
その紫色の瞳には、狂気的なまでの深い愛が渦巻いていた。
「姫様の魅了の魔法に、たとえかかっても抵抗しませんし、一生解除いたしませんよ」
「……っ!」
一生、解除しない。
それは、永遠に私の呪縛を受け入れるという、魂の契約のような言葉だった。
魔法がかかっていようがいまいが関係ない。彼は自ら進んで、私という存在に囚われ続けることを選んでくれている。
「リアム……」
「ですから、泣かないでください。……あなたの魔法は、私にとっては至上の喜びなのですから」
彼は私の涙を指先で拭うと、悪戯っぽく目を細めた。
「でも……そうですね。あなたがまだ不安だと言うのなら、証明しましょう」
「証明?」
「ええ。……エリザベート、大丈夫。安心して、ね?」
彼は私をゆっくりと床に降ろすと、一歩下がって両手を広げた。
「また、魅了の魔法を私にかけてみてください」
「えっ……」
「制御できれば、もうそんな恐れは無用になるのですから。……それに、私があなたの魔法をどれだけ待ち望んでいるか、わかるはずです」
彼はニッコリと笑った。
それは、私を信じ、全てを受け入れてくれる「共犯者」の笑顔だった。
私は鼻をすすり、涙を拭った。
怖い。まだ、自分の力が怖い。
でも、目の前の彼は、その恐怖ごと私を受け止めようとしてくれている。
(……やらなきゃ)
私は深呼吸をした。
震える足に力を込め、リアムを見つめる。
さっきの自己嫌悪を、彼への「愛おしさ」と「信頼」で塗り替えるように。
私は、潤んだ瞳で彼を見上げた。
震える声で、精一杯の「誘惑」を紡ぐ。
「……リアム。……私を、嫌いにならないで……?」
言った直後、私はハッとした。
これじゃダメだ。これじゃただの懇願で、「魅了」じゃない。
リアムは「落とすつもりで」って言っていたのに。
私は慌てて首を横に振った。
「あ、ええと……違うの、そのぉ……嫌いなんて言っちゃだめだよね?」
私はもう一度、彼を見つめ直した。
涙で濡れた瞳で、彼の視線を捕まえる。
もっと、甘く。もっと、彼が喜ぶ言葉を。
「……ずっと、私を好きでいてくれる?」
私は小首を傾げて、不安そうに尋ねた。
「……これなら、どうかな?」
その瞬間。
リアムが、口元を手で覆い、ガクリと膝をついた。
「リ、リアム!?」
「……っ、ぐ……」
彼は苦しげに呻き、けれどその隙間から見える瞳は、熱っぽく揺らめいていた。
「……効きますね……。言い直しからの不意打ちは……反則です……」
「え、えっと……ごめんなさい!?」
「いいえ……最高です……。もっと、ください……」
地下宮殿の廊下で、私たちの奇妙な「訓練」は、今日もまた続いていく。




