第17話 鉄の女と公爵領の奇跡
「……終わったな」
父、ヴァイセン公爵の低い声が、戦場に響いた。
目の前に広がるのは、敗走していく帝国軍の背中だけだ。
ヴァイセン公爵領軍、五百。対する帝国軍、三千。
圧倒的な戦力差だったが、結果は私たちの圧勝だった。
「お怪我はありませんか、お父様」
「かすり傷ひとつない。……お前が、前線で暴れまわってくれたおかげだ」
父は珍しく口元を緩め、私の肩を叩いた。
その手は武骨で温かい。
守れた。私の大切な場所を、家族を。
だが、その安堵は一瞬で吹き飛んだ。
「報告! 王都の方角より、火の手が上がっています!」
見張り台からの悲鳴のような報告。
振り返ると、東の空が不気味なほど赤く染まっていた。
「王都が……!」
私は拳を握りしめた。
公爵領は守れた。でも、王都にはまだ多くの民がいる。
それに、腐っても私の祖国だ。みすみす滅びるのを見過ごすわけにはいかない。
「お父様、私、行きます!」
「……行くのか。火中の栗を拾いに」
「はい。……それに、あそこにはまだ、決着をつけていない人たちがいますから」
父は短く溜息をつき、ニヤリと笑った。
「行ってこい。……ただし、必ず生きて戻れ。リアム王が泣くぞ」
「はい!」
私はシルヴィアを連れ、馬を駆った。
待っていて、リアム。今、私が終わらせに行くから。
*
王都は、すでに地獄と化していた。
城門は破られ、市街地は炎に包まれている。
だが奇妙なことに、私たちが近づくと、帝国兵たちは攻撃してくるどころか、道を開けるように下がっていくのだ。
「……どういうこと?」
「お義姉様の気迫にビビってるんじゃないですかー? さすが『鉄の女』!」
リアムの妹であるシルヴィアは、杖を担いで呑気に笑っている。
彼女の明るさに救われるが、状況は明らかに異常だ。
不審に思いながらも、私たちは王城へと駆け込んだ。
「ようこそ、ロザリアの女王陛下」
燃え盛る城の前で、一人の男が待っていた。
ガルディア皇帝だ。
彼は戦場に似つかわしくない優雅さで、私に一礼した。
「……皇帝! あなた、よくも私の国を!」
「おっと、剣を抜くな。余は君を『案内』しに来ただけだ」
「案内……?」
「ああ。君の元婚約者が、面白いショーを見せてくれるらしい。……特等席へどうぞ」
皇帝は悪戯っぽく笑い、城の中へと歩き出した。
罠かもしれない。でも、行かなければならない気がした。
私は警戒しつつ、彼の後を追った。
玉座の間。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
「ひ、ひぃぃっ! 助けてくれ! 私は王子だぞ!?」
アルフレッドが、瓦礫の山となった床に這いつくばっていた。
その横には、髪を振り乱したセレスティアがいる。
そして、玉座に腰掛けているのは――。
「……吟遊詩人?」
あの、リアムが連れてきた吟遊詩人だった。
彼はリュートを爪弾きながら、冷酷な笑みを浮かべていた。
「おめでとうございます。皇帝陛下からの慈悲深いプレゼントです。……お二人は、ここで結婚式を挙げることになりました」
「は……? け、結婚だと!?」
「あなた、馬鹿なことをいうのはやめて! なんで私が、こんな落ちぶれた王子と!」
二人の絶叫が響く。
吟遊詩人は楽しげに続けた。
「選べると思っているのかい? 『死』か『結婚』か。……君たちには、この崩れかけた塔がお似合いだ。一生、二人で慰め合って暮らすといい」
それは、死刑宣告よりも残酷な未来だった。
憎み合う二人が、狭い塔の中で、死ぬまで顔を突き合わせて生きる。
私は息を呑んだ。これが、リアムの言っていた「復讐」なの?
「あ、アルフレッド様ぁ……!」
その時、瓦礫の陰からミナが飛び出してきた。
彼女はアルフレッドに縋り付こうとする。
「ミナ! おお、ミナ! お前だけは……!」
アルフレッドが救いを求めるように手を伸ばす。
だが、その手は空を切った。
吟遊詩人が、ミナの腕を掴んで引き寄せたからだ。
「おっと。君はダメだ」
「え……? な、何を……」
「君は『特別』だからね。……こんな退屈な男には勿体ない」
吟遊詩人は、ミナの顎を指先で持ち上げ、ねっとりとした視線を送った。
「君のような、欲望に忠実で、愚かで、可愛い女性……僕の好みだ」
「えっ……?」
ミナは呆気にとられ、頬を赤らめた。
彼女の本能が、目の前の男の危険な色気に反応してしまったのだ。
「感謝してね? 普通なら処刑だけど、僕が飼ってあげる。……たっぷりと、可愛がってあげるから」
吟遊詩人はアルフレッドに向かって、優雅に一礼した。
「というわけで、彼女は僕が頂くよ。……僕は身を引くから、君たちは夫婦水入らずで楽しんでくれ」
「ま、待て! ミナ! 俺のミナを返せぇぇ!!」
アルフレッドの絶叫が響く。
だが、吟遊詩人は振り返りもしない。
ミナもまた、一度もアルフレッドを振り返ることなく、新しい飼い主に連れられていった。
私は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
止めようと思えば止められたかもしれない。
でも、声が出なかった。
あまりにも鮮やかで、あまりにも残酷な「因果応報」が、目の前で完結していたからだ。
「……満足かな? エリザベート嬢」
隣で、皇帝がニヤリと笑った。
その瞳は、全てを見透かしているようだった。
私は震える手で剣の柄を握りしめた。
この男も、吟遊詩人も、そしてリアムも。
みんな、恐ろしい人たちだ。
燃え盛る王城の中で、私はただ、彼らの「終わり」を見届けることしかできなかった。




