第12話 破戒僧ガブリエルの真実
「帝国の使者、ガブリエル殿の到着です!」
重々しい扉が開き、一人の男が入ってきた。
僧侶の服を着ているが、その着こなしは乱れ、胸元を大きく開けている。
酒の臭いが、謁見の間まで漂ってくるようだった。
かつてロザリア王国の宮廷魔術師長を務め、そして国を売った裏切り者。
破戒僧、ガブリエル。
「よう、久しぶりだな、坊主。……いや、今は陛下とお呼びすべきかな?」
彼はニヤニヤと笑いながら、リアムに歩み寄った。
その腕には、派手な化粧と露出の多いドレスを纏った少女が抱かれている。
アンナと呼ばれたその少女は、媚びるような上目遣いでガブリエルを見つめ、彼の胸板に指を這わせていた。
見ていられないほど下品な光景だ。
「……何の用だ、ガブリエル」
リアムの声は硬い。
師匠であり、裏切り者でもある男との再会。その心中は察するに余りある。
握りしめた拳が、白くなっているのが見えた。
「帝国の慈悲深い言葉を伝えに来てやったんだよ。『降伏しろ。そうすれば命だけは助けてやる』とな」
「断る。我々は二度と屈しない」
「だろうな。お前ならそう言うと思ったよ」
ガブリエルはアンナの腰を撫で回しながら、愉快そうに笑った。
その手つきは、まるで商品を値踏みする商人のようだ。
私は眉をひそめた。
近衛兵たちも、嫌悪感を隠そうともせず、剣の柄に手をかけている。
「そうか。なら、徹底的に叩き潰してやる」
ガブリエルの瞳が、一瞬だけ鋭く光った。
それは、獲物を狙う猛獣の目であり、同時に、弟子を試す師の目でもあった。
背筋が凍るような殺気。
腐っても元・宮廷魔術師長。その実力は衰えていないらしい。
「覚悟しておけよ、若造。……俺を乗り越えられなきゃ、帝国には勝てんぞ」
彼は捨て台詞を残し、アンナを連れて広間を出て行った。
去り際、アンナが私を一瞥した。
その瞳が、演技とは思えないほど澄んでいたのが、妙に心に残った。
助けを求めているような、あるいは何かを訴えかけるような、切実な瞳だった。
*
その夜。
私は自室で、昼間の出来事を反芻していた。
ガブリエル。噂通りの堕落した男。
でも、リアムを見るあの目……あれは本当に、敵の目だったのだろうか。
「……失礼します、お嬢様」
静かに扉が開き、リアムが入ってきた。
彼は疲れたように椅子に腰掛け、深いため息をついた。
その背中は、いつもより小さく見えた。
「昼間は、不快な思いをさせました。……あんな男ではなかったのですが」
「昔は、どんな人だったの?」
「堅物でしたよ。冗談一つ言わず、私を厳しくしつけたものです。……『王たる者、清廉潔白であれ』と」
リアムは懐かしむように、そして悲しげに目を伏せた。
彼の記憶の中の師匠は、今も高潔なままなのだろう。
「だからこそ、信じられないのです。彼が国を売り、あんな堕落した生活を送っているなんて。……何か、理由があるのではないかと」
コン、コン。
その時、控えめなノックの音がした。
私とリアムは顔を見合わせた。こんな時間に誰だろう?
「はい」
「……夜分遅くに失礼いたします。アンナと申します」
扉を開けると、そこには昼間の少女が立っていた。
ただし、派手な化粧は落とされ、地味な侍女服に着替えている。
その素顔は、まだあどけなさの残る、清楚な美少女だった。
昼間の妖艶な雰囲気とは、まるで別人だ。
「あなたは……ガブリエルの……」
「情婦、ですか? ……ふふ、そう思われても仕方ありませんね」
彼女は自嘲気味に笑い、部屋の中に入ってきた。
そして、リアムの姿を見て一瞬驚いたが、すぐに覚悟を決めたように、私たちの前で深く頭を下げた。
「昼間は失礼いたしました。……でも、あれは全て演技なのです」
「演技?」
「はい。……あの方は、そんな人じゃありません! 私たちを……私たちを守るために、泥を被ってくださったんです!」
彼女は顔を上げ、涙ながらに訴えた。
その瞳には、揺るぎない真実が宿っていた。
「私は、家族を失い、絶望して死のうとしていたところを、あの方に拾われました。私だけじゃありません。帝国の圧政下で、多くのロザリアの遺児たちが、あの方に救われたのです」
「救われたって……でも、彼は使途不明金で女遊びを……」
「それが偽装なのです! 莫大な使途不明金は、すべて私たち遺児の生活費や、逃亡資金に使われました。『女を買う』という名目で私たちを保護し、生きる場所を与えてくださったのです!」
リアムが息を呑んだ。
「……馬鹿な。あいつは、たった一人で……汚名を被ってまで……」
あの下品な振る舞いも、悪評も、全ては子供たちを守るための仮面だったというの?
たった一人で、誰にも理解されず、未来を繋いでいたなんて。
その孤独と覚悟を思うと、胸が痛んだ。
「……でも、一つだけ聞かせて」
私は意を決して尋ねた。
彼女の瞳があまりにも真剣で、そして熱っぽかったから。
女としての勘が、何かを告げていた。
「つまり、夜伽はしていないのね? あくまで保護者として……」
「いえ」
アンナは即答した。
そして、頬を林檎のように赤らめて、恥ずかしそうに俯いた。
「……その、愛する人と結ばれることを、陛下と姫様はお咎めなさるのでしょうか?」
「えっ……」
「最初は偽装でした。あの方は私を子供扱いして、指一本触れようとしませんでした。……でも、私が欲しかったんです。あの方の全てが。明日死ぬかもしれない日々の中で、あの方と一つになりたかった」
彼女は胸に手を当て、愛おしそうに微笑んだ。
「私たちは、愛し合っています。……たとえ世界中が彼を破戒僧と呼んでも、私にとっては、世界で一番素敵な旦那様なのです」
その言葉の強さに、私は圧倒された。
年の差も、立場も、世間体も関係ない。
そこにあるのは、ただ純粋な愛だけだ。
彼女は、ガブリエルの全てを受け入れ、共に歩むことを選んだのだ。
「……いいえ。咎めるわけないわ」
私は彼女の手を取り、微笑み返した。
リアムも、目元を拭いながら力強く頷いた。
「……師匠には敵わないな。愛においても、覚悟においても」
「素敵ね。……ガブリエル殿に伝えて。近いうちに、必ず迎えに行くと」
「はい! ありがとうございます、姫様! 陛下!」
アンナは涙を拭い、深く一礼して去っていった。
窓の外には、満月が輝いている。
あの月の下で、不器用な破戒僧と、彼を愛する少女が寄り添っている姿を想像して、私は温かい気持ちになった。
敵だと思っていた男は、最強の味方だった。
そして、最高のロマンチストでもあったらしい。




