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第10話 吟遊詩人と復讐のドレス

「お嬢様は、部屋で花嫁修業(刺繍)をしていてください」


リアムにそう言われて、素直に従う私ではない。

今夜は、あのセレスティアを歓迎する宴が開かれている。

あんな女とリアムを二人きりにするなんて、できるわけがない。

それに、リアムが用意したという「最高のドレス」とやらも気になっていた。


私は刺繍枠を放り投げ、侍女の制服(どこからか調達した)に着替えて部屋を抜け出した。

給仕に紛れて、宴の様子を探るのだ。

トレイを持つ手が少し震える。バレたらリアムに怒られるだろうか。

でも、好奇心と嫉妬心には勝てなかった。


大広間は、着飾った貴族たちで溢れていた。

彼らは帝国の顔色を窺う日和見主義者たちだ。

セレスティアのご機嫌を取ろうと、媚びへつらうような笑みを浮かべている。

その中心で、セレスティアが扇子を揺らしながら高笑いしているのが見えた。

相変わらずの派手なドレス。まるで自分がこの城の主であるかのような振る舞いだ。


リアムは……いた。

玉座で退屈そうに頬杖をついている。

その目は死んでいる。心ここにあらずといった様子だ。

(……頑張って、リアム)

私は心の中でエールを送った。


「あら、可愛い小鳥が迷い込んだようだ」


不意に、甘い声が降ってきた。

背筋がゾクリとするような、艶のある声。

振り返ると、一人の男が立っていた。


息を呑むような美男子だ。

流れるような銀髪に、憂いを帯びたアイスブルーの瞳。

手にはリュートを持っている。吟遊詩人だろうか?

その立ち姿だけで、周囲の空気が華やいで見える。


「君のような美しい人が、なぜこんな裏方に? 手を見せてごらん」


彼は私の手を取り、剣ダコのある指先を愛おしげに撫でた。

その指先は冷たく、滑らかだった。


「……働き者の、美しい手だ。君の人生という物語が刻まれている」

「え、あの……」

「俺の歌を聞いてくれないか? 君だけに捧げる、愛の歌を」


彼の瞳に吸い込まれそうになる。

これは……魔法?

いいえ、違う。これは純粋な「技術」だ。

視線、声のトーン、触れ方。すべてが計算され尽くした、女を落とすための芸術。

本能が警鐘を鳴らしている。この男は、危険だ。


「離れろ」


鋭い声と共に、私の体が後ろに引かれた。

リアムだ。

いつの間にか玉座から降りてきていた彼は、私を背に隠し、吟遊詩人を睨みつけた。


「私の連れに、気安く触れるな」

「おや、これは国王陛下。……失礼、あまりに可憐な花だったので、つい」


吟遊詩人は悪びれもせずに肩を竦めた。

その仕草さえも絵になる。

二人の間に、火花のような緊張感が走る。


リアムが私に耳打ちした。

「お嬢様、部屋に戻っていてくださいと言ったはずですが」

「だって、心配だったんだもの」

「……はぁ。まあいいでしょう。こいつは私が手配した男です」


「手配?」

「ええ。例の『最高のドレス』ですよ」


私が驚いて吟遊詩人を見ると、彼はニッコリとウインクしてみせた。

この人が?

優しそうで、ロマンチックなこの人が、女を破滅させる悪魔?

信じられない。どう見ても、ただの好青年にしか見えない。


「……腕は確かなんだろうな」

「疑うのかい? 俺の過去の獲物を覚えているか?」


吟遊詩人はリュートを爪弾きながら、静かに問いかけた。

その音色は美しく、しかしどこか不穏な響きを含んでいた。


「……?」

「みんな、祖国の敵の女だ。いや、自国の女もいるさ。裏切り者のな」


彼の瞳から、ふっと温度が消えた。

アイスブルーの瞳が、絶対零度の氷のように冷たく光る。

そこには、底知れない闇が広がっていた。


「リリアナはどうだ。辺境伯の娘だ。彼女に罪はなかっただろう」


リアムが低い声で尋ねた。

リリアナ。私も名前を聞いたことがある。

政争に巻き込まれて自害した、悲劇の令嬢として有名な……。

彼女は無実の被害者だったはずだ。


「ああ、あいつか」


吟遊詩人は、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「……あいつが無実だと、王子様は本気で思っていたのかい?」


「なっ……」


「裏で帝国と通じて、父親の毒殺を計画していたのは彼女だよ。俺がベッドの中で聞き出したんだから、間違いない」


彼はニヤリと笑った。

その笑顔は、背筋が凍るほど美しく、そして恐ろしかった。

ベッドの中で。愛を囁きながら、女の秘密を暴き、破滅へと導く。

それが、この男のやり方なのだ。


「俺が処理した女たちに、無実の人間なんて一人もいない。……俺はね、鼻が利くんだよ。綺麗な顔の下に隠した、腐った魂の臭いがね」


彼はふと、遠くを見るような目をした。


「それに……俺は知っているんだよ。『愛人』という立場が、どれほど惨めで、そして甘美なものかをね」


その言葉には、彼自身の過去が滲んでいるようだった。

王室の妾の愛人。そんな噂も聞いたことがある。

もしそれが本当なら、彼もまた、歪んだ愛の被害者なのかもしれない。


リアムが息を呑むのがわかった。

彼は、この男を「道具」だと思っていた。

でも違った。

この男は、リアムすら気づいていない「世界の闇」を見抜き、誰にも知られずに掃除していたのだ。

正義の味方? ダークヒーロー?

いいえ、もっと得体の知れない「何か」だ。


「……食えない男だ」

「褒め言葉として受け取っておくよ」


吟遊詩人はリュートを背負い直し、私の方を向いた。

その瞳に、先ほどの冷たさはなく、穏やかな光が宿っていた。


「だが、安心しな。……いい婚約者を選んだな」


「え?」


「俺がそういうんだからな。……あんたの魂からは、陽だまりのような良い匂いがする」


彼は私の頭をポンと撫でると、セレスティアの方へと歩き出した。

あらゆる女の裏の顔を見てきた彼が、私を「シロ」だと認めてくれた。

それは、どんな鑑定書よりも確かな保証だった。


「さて、仕事の時間だ。……今夜の獲物は、どんな悲鳴を聞かせてくれるかな」


彼がセレスティアに声をかけると、彼女は頬を染めて振り返った。

獲物がかかった瞬間だった。

彼女はまだ知らない。

自分が手に入れたのが、最高のドレスではなく、死に装束だということを。


「……行きましょう、お嬢様」


リアムが私の手を引いた。

私たちは、これから始まる悲劇(喜劇)を見届けることなく、静かに広間を後にした。

あの男が保証してくれたのだ。

私たちの愛は、本物だと。

それだけで、今は十分だった。

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