1ー4 潜む者
「――きろ…起きろ‼いつまで寝てんだ馬鹿!」
「あばばばばば!おはようございますうう!」
「寝ぼけてんじゃねぇよ馬鹿。」
「って何やってんですか!」
「暇だから胸を鷲掴みにしてただけだが?」
シエナに胸を弄ばれていたマリアは、焦ってシエナから少しだけ距離を取ると改めて周りを見渡した。
目の前には鼠の死体が積み上がっており全個体の耳がなくなっていた。これは、依頼主やギルドに対し自分が倒したという証明をする為にシエナが切り取ったのだろう。死体の山の天辺には中古の剣が二本突き刺さっていた。
死体の山の前では白い炎が燃え盛っており、複数の丸い物体が炭と化している最中だった。
「この白い炎は…?」
「あ?おいおい。浄化炎を知らねぇって言うんじゃねぇだろうな?」
「……知ってますよ⁉魔物の死体から魔素を噴き出す要因の魔素袋を燃やすための炎ですよね⁉」
マリアは少し焦ったように返答した。シエナはその反応に少し違和感を覚えるが、それ以上の言及はせず、背中に背負っていた三本目の剣を手に取って再び奥へと進み始めた。
「え?シエナさんどこへ?」
「どこへ?じゃねぇよ。まだどこかに生き残りがいるかもしれねぇし、処理するのは死体だけじゃねーぞ。」
「え?」
「はあ…そんなことも知らないで受けたのか…まあ良い。ついてこい。」
「はい!分かりました!」
マリアは置いて行かれないようにシエナの後を付いて行った。地下道の入り口には鼠の死体の山と白い炎だけが残った。
探索を開始してからかなりの時間が経った。マリアは下水道の空気を吸い続けた結果、大きく疲弊しており、時折シエナが立ち止まらないと追い付けないほどであった。
「おい。早く来いよ。おいてくぞ?」
「待ってくださいよう…この依頼は一日で終わらす依頼じゃないんですよ?」
「ああ、そうだな。どっかの誰かさんが遅れなければ毎日少しずつ潜ってれば、余裕で終わってたな。」
「ううううううう。」
シエナの言葉にぐうの音も出ないマリアはそれ以上喋らずにシエナの後ろをついて行く。シエナが全滅させたのか、ここまで魔物には出会っていない。
そこから更に時間が立ち、あとは鼠と戦った場所に戻るだけとなった頃に、シエナはマリアに話しかけた。
「マリア、道中で魔物の糞は落ちてなかったよな?」
「見てないですが…まさかシエナさんは魔物のフンが好きなんですか⁉」
「んなわけねーだろ‼いいか?アタシたちは魔物駆除だけじゃなく、魔物の死体や汚物の処理も行うよな?」
「…はい。」
「その汚物が無いってのは、良くないことが起こる予兆だぞ。」
「へ?なんでです?」
「そうだな…マリア魔素袋が燃え終わってるか先に行って確認してきてくれ。」
「え?行先は一緒なんですから、私が先に行かなくても」
「行けっつってんだろ?あぁ⁉」
「ひいいいいい!いきますうううう!」
シエナに睨みつけられたマリアは駆け足で鼠の死体が積まれている入り口へ行った。
焼き始めてから数時間が経過していたため、白い火は消えており、魔素袋は完全に炭と化していた。マリアはそれを確認すると手を振りながら大声でシエナに伝えた。
「シエナさーん。魔素袋は全部灰になってますよー。」
「そうかー。じゃあ後ろに気をつけとけよー。」
「はい?」
魔素袋の報告に対しての返答にマリアは首を傾げたが、すぐにその意味に気が付いた。マリアの後ろからカサカサと何かが動く音がしたのだ。
勢い良く振り向くと、巨大なゴキブリが飛び掛かってきていた。
「ひゃああああああああ!」
「ほら、言っただろ?良くないことが起こるってな。」
ゴキブリに驚いて尻もちをついたマリアを守るようにシエナがゴキブリの腹に剣を突き立てて、横なぎに切り裂く。
地面に落ちたゴキブリはもがき苦しんだ末に絶命するが、そこで終わりではなかった。鼠の死体からあふれ出すように先ほどと同種のゴキブリが湧き始めたのだ。
「あばばばばばば!なんですかこの魔物⁉依頼書にはこんな魔物がいるなんて書いてなかったですよ⁉」
「そりゃそうだ。最初は大鼠しかいなかったんだからな。」
「どどどどどういうことですかあああ!」
「お前が別の依頼で手間取ってる間に、処理していなかった魔素入りの糞を食べたゴキブリが魔物化したんだよ。」
「じゃあ…これって…。」
「ああ、お前のせいだノロマ。」
シエナは説明を終えると、ゴキブリの大群を次々と切り倒していった。しかし、中古の剣は次第に切れ味を失っていき、魔物化したゴキブリの固い装甲に弾かれ始めてしまう。
シエナは舌打ちをして三本目の剣を投げ捨てると新しい魔樹棒を咥えて、腕組みしたままその場を動かなくなった。
ゴキブリはこれを好機とばかりに一斉に襲い掛かる、シエナがそのままゴキブリの群れに飲まれる瞬間、へたり込んでいたマリアはシエナの方向へ走り出していた。
「ダメですうううう!シエナさん死なないでえええええ!」
「あ、おい馬鹿!邪魔だよ!アタシに抱き着いてどうすんだ!」
マリアはシエナに覆いかぶさるようにダイブした。マリアは自分が上になることで何とかシエナを助けようと考えたのだ。悪手ではあるが彼女が考えたシエナを助けるための方法だった。
マリアはゴキブリの群れに喰われる恐怖を必死にこらえるため目をギュッと閉じた。運よく自分の肉だけで満足して帰ってくれと願った彼女だったが、一向にゴキブリに喰われる気配がない。試しに目を薄く開けるとゴキブリたちは怯えるように逃げ惑っていた。
「…あれ?なんで…?」
「あれ?じゃない。どけや、アタシは上に乗るのは好きだけど乗られるのは嫌いなんだ。」
「シエナ。良い仲間を作られましたね。身を挺して守ろうとする勇気ある者はなかなかいませんよ?」
「は?こいつが元凶で起きた事だぞ?いい仲間どころか問題児だろ。」
「うううう!そこまで言わなくても良いじゃないですか!」
「そうですよシエナ。彼女は彼女なりに頑張っているのです。マリア…でしたかな?お怪我はございませんか?」
「あ、はい大丈夫…で…す…?」
少し落ち着いてきたマリアは事の違和感にようやく気が付いた。今下水道には、魔物の群れと自分達二人しかいないはずだ。なのに、紳士のような声音の人物が会話に参加している。おかしい。マリアはおそるおそる振り向いた。するとそこには『絶望』がいた。
燃え盛る炎の上半身と強烈な冷気を放つ氷の下半身。体躯は優に二メートルを超えるほどもあるが時折り炎が消えるようにスゥーと小さくなり形を変える。全体的に人型をしており頭部には目・鼻・口のような物もあるのだがこれもまた炎のゆらめきのように絶えず形を変えて表情を読ませない。
「ぴっぴぎいいいいいい!まままままま『魔人』ですうううううう!」
「おやおや、初対面に対する態度じゃありませんね。」
「まあ、しょうがねぇだろ。つかどけって言ってんだろ!」
「ギャフン!」
恐怖で混乱していたマリアの髪を引っ張ってどかすと、シエナは立ち上がって服に着いた汚れを叩いた。
「たく。安心しろコイツは敵じゃねぇよ。」
「うええええ⁉どういうことですかあああ⁉」
魔人。魔素溜まりから突如として現れる、人間のような知識と強力な魔素の力を得た『最悪の存在』と謳われる生物である。一体の個体が、たったの一夜で都市を滅ぼした記録もあり、竜の力をもってしても討伐することは容易いことではない。
そんな魔人に対して「敵ではない」と言われても理解できないのは当然と言えた。
魔人はマリアの反応を無視して恭しく一礼をして自己紹介を始めた。
「では改めまして。炎と氷を司る魔人のヴァンスと申します。お気軽にヴァンとでも呼んでください。」
「うひえ⁉…ぴええええ!」
「シエナ。わたしは今の言葉を存じ上げないのですが。」
「怯えて声が出てないだけだ。ほっとけ。」
状況を整理しきれずに腰を抜かして口をパクパクさせているマリアを見て、シエナはため息を吐きながら魔樹棒を咥えた。ヴァンスがすかさず燃え盛る指を魔樹棒に近づけて、先端に火を点けた。
その後、ヴァンスはすっとシエナの前に出ると腕組をして話し始めた。
「シエナ。残念ながら剣3本では処理しきれませんでしたね。」
「…うるせぇな。こんなに増えてるとは思わなかったんだよ。」
「まったく、魔物の正確な数が分からない時は、質の高いものを買えと言っているでしょうに」
やれやれと首を振るヴァンスにシエナは腹立たし気な顔をした。
「しゃあないだろ、役立たずが買ったやつを立て替えてたら金がなくなったんだよ。」
「ああ…そういう…」
「ちょっと!シエナさん!魔人と親しいってどういうことですかぁ⁉」
「あ、やっと復活したか。」
シエナが振り返ると、マリアは嫌がっていた汚水に腰までつかって、遠くの壁に張り付いていた。
「なにやってんだお前?股まで浸かってたら病気になるぞ?」
「冷静な指摘やめてください!それより説明を求めます!」
マリアはレイピアをヴァンスに向けて、プルプルと震えながら更に距離をとろうと壁伝いに移動した。
そんなマリアを見てヴァンスは顎に手を当ててシエナの方を向いた。
「どうしますか?命令であれば抹殺」
「黙ってろ。話がこじれる」
シエナはヴァンスを手で制してマリアに近づいた。マリアは距離を取るか迷ったが、ヴァンスが動かなかったため、その場で待機する。
「まあ、あれだ。ギルドの奴らには黙ってるんだけどよ。アタシは『魔物使い』の素質があるらしくてな。」
「…魔物使い。…聞いたことがあります。魔物と契約して使役する職業ですよね。」
「そそ。アタシの魔力は上質らしくてよ。あの魔人はアタシと契約してくれたわけ。」
「へーそうなんですねー。…とはなりませんよ!魔人を使役するなんて聞いたことがありません!そもそも魔物使いはこの国にはいないはずです!」
マリアの知識では、魔物使いはガルア帝国に滅ぼされた隣国のアターニャ王国にしかない職業だ。魔物との契約方法はアターニャのごく一部の者にしか伝承されておらず、今現在も国外には流出していない。
「へーよく勉強してんじゃん。」
シエナはうんうんと軽くうなずいた。
「でも、実際にアタシのいうことを聞く魔人が目の前にいるわけだし、ほらこの赤い瞳。信じるしかないよな?」
シエナは挑発的な顔で自分の目を指さす。シエナの目は先ほどまでの澄んだ青色から燃え上がる赤色に変わっていた。召喚師は魔物を召喚中、瞳が赤くなると実家の文献に書かれていることをマリアは思い出した。
「うぐぐぅ…」
言い返したいマリアだが、実際にシエナを慕う魔物がいる光景と赤い瞳を見せられている以上、そう言われると信じざるを得なかった。
「さて、あのノロマはほっといて仕上げと行くか。」
「なんなりとお申し付けください。このヴァンスがご期待に必ずお答えします。」
シエナはマリアから離れると、浄化装置の前で待機していたヴァンスへ指示を出した。
「んじゃ、残った雑魚の処理を頼む。火力間違えて周り壊すなよ?」
「了解しました。」
「後、あの死体はどうする?」
シエナは鼠の山を親指で指さした。ヴァンスは顎に手を当てて考える。
「ふーむ。そうですねぇ。あなたが魔素袋を燃やしてしまいましたし、あまり美味しくはなさそうですが、一応食してはみますかね。」
「オッケー。じゃあゴキブリ殺し終わったら、好きなだけ食べて残りは燃やしといて。」
「了解しました。では二〇分以内に終わらせましょう。行ってまいります。」
「おう頼んだぞ。」
シエナが口から煙を吐きながら手をひらひらと振ると、ヴァンスは恭しく一礼して下水道の奥へと消えていった。
マリアは魔人の姿が見えなくなると、おそるおそるシエナに話しかけた。
「あの…シエナさん…あの魔人は…」
「だからアタシの使い魔だって言ってんだろ?理解力も無いのかよ?」
「信じられませんよう!だって魔人ですよ⁉人間の言うことなんて聞くはずがないですぅ!」
マリアの訴えに面倒くさそうな顔をしたシエナは、短くなった魔樹棒を下水に捨てて新しい棒を取り出してマッチで火を点ける。そのまま昔を思い出すようにヴァンスとの出会いを語り始めた。
「さっきも言ったが、アタシは親がいなくて、ガルバスっておっさんに拾われて育てられたんだが。」
「そうですね。それは聞きました。」
「お前と一緒でな。住んでた村がやられた。まあ、こっちは魔物の大群によってだが、その時、ガルバスは村を守るために戦って死んだよ。アタシは、村のガキや女共と隣の村へ逃げたが、最終的には食料不足でその村を追い出されたわけよ。」
「…そうだったんですね…。」
マリアは申し訳なさそうに目を伏せた。独り身のシエナは守ってくれる人間がいないため、口減らしの第一候補にされたのだろう。そんな悲しそうな顔をするマリアを気にせず、シエナは話の続きを語る。
「んで、放浪してたら遺跡があったから、そこで雨風しのごうと思って入ったわけ。んで、なんやかんやあって、その遺跡にあった封印の石碑を倒してしまってよ。そしたらヴァンスが出てきた。」
「あの…なんやかんやの部分が気になるんですけど…」
「まあ、数十年封印されてヴァンスには力がほぼ無かったみたいでな、アタシの魔力が上質だと知って、好きな時に魔力を喰わせることを条件に契約してくれたって訳さ。」
「私の質問は無視ですか。…まあ、いいです。それで、ハンターになってお金を稼ごうと考えたんですね。」
「いや、ハンターになったのは、ウェルをアタシの女にするためだ。あてもなく旅してた時に、出会ってビビッときたね。ありゃ上質なおっぱ…女だって。」
「えぇ⁉受付嬢の為にこんな危ない仕事を選んだんですか⁉」
「貢げば落とせると思ったんだけどなぁ。」
シエナは少し残念そうな顔をして煙を吐いた。その後はマリアが何を言っても沈黙して煙を吸って吐き出すだけだった。
それから一〇分程経って、ヴァンスが何かを貪りながら帰ってきた。
「ただいま戻りました。」
「おう。お疲れ。何喰ってんの?」
「いえ、変異したゴキブリの魔素袋を食べてみているのですが、外れですね。袋ができたばかりで中身はスカスカです。」
「まあ、少し魔力取り込んで巨大化しただけだしな。」
「あとこちらを渡しておきます。」
ヴァンスは炎の手でシエナに氷を渡した。氷はシエナの手に渡る前に炎で溶かされて中身だけがシエナの手に残った。中身はゴキブリの触角四十二本だった。
「二十一体いましたので殺処分いたしました。鼠の糞も少し残っていたので焼却しました。」
「おう。あんがとな。散らばってる死体も早めに焼いといてくれ。時間が無いからな。」
「了解しました。」
短いやり取りの後、ヴァンスは悠々と鼠の死体に近づきなにやら吟味しはじめた。そして一体を選び取るとおもむろに噛り付いた。しばらく咀嚼した後、軽く首を振ると残った死体をあっという間に焼き尽くしてしまった。
その光景をマリアはただポカンと口を開けて見ていることしかできなかった。




