第2話:ここから始まる第二の人生!
公爵家に戻ってからは、いつでも出ていけるよう急いで支度を整えた。
その後、情報を聞きつけたお父様はカンカンに怒っていた。それも私に対してではなく、クリス王太子に対して。
前日、お父様は「王太子から『婚約破棄』などされたら公爵家の恥だからな」なんて言っていたものの、本当は娘が可愛くて仕方がないのだ。
「全く、殿下は……こんなに可愛いうちの娘を傷ものにしてくれて。絶対許さん!」
「お父様、公爵家のお役に立てず申し訳ございません。着の身着の儘、出ていけと言われないだけ有難いですわ」
「そんなこと、私が言うはずないだろう! 悪いのはあのポンコツ王太子だ。ったく、何も聖女と結婚しなくてもいいだろうに。
そうでもしないと威厳が保てないくらいには、今の王家に対する支持率が下がっているのだろうな」
「フフ、ポンコツ王太子だなんていけませんよ。でも、王家に対する支持率はお父様の仰る通りだと思います」
王家の事情も鑑みると、これが最善なのだろう。私のような貴族の娘一人の体裁など、とても小さなことなのだ。
それでも、まだお父様は怒りが治らない様子だった。昔からとにかく溺愛されていたので、なんとなくこの展開は予想出来ていたのだが……。
しかしこのままでは公爵家の体裁が悪い。事態が落ち着くまで、私は王都の外れの小さな街に住む場所をあてがわれた。私一人ではなく、侍女のケイティも連れていって良いと言われホッとする。「何かあった時のために」と公爵家で保有している魔石や魔道具も、一部持たせてくれた。
次の日の朝。お父様、お母様、レオンを始め、エンフィールド家の使用人達が見送りのために並んでいた。
「お父様、お母様、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。暫くの間、行って参ります。レオン、エンフィールド家のことは任せましたよ」
「エリアナ……何もこんなに急いで行かなくても」
「いえ、何ごとも早い方が良いですわ」
「そうだエリアナ、調理器具まで沢山持っていくと聞いたが、お前は料理をするのか?」
「はい! 以前からずっと料理がしたいと思っていたんです。当分はケイティと私の二人だけですし、私も出来ることは全てやりますわ」
(本当は、前世の食事を再現して、美味しいものを食べたいだけなのだけど……)
私の発言が『健気なお嬢様』とでも見えたのか、涙ぐんでいる使用人までいる。本来は使用人がやるようなことを、令嬢の私がやると言うのが可哀想なのかもしれない。
でも、前世では炊事・洗濯といった家事全般が好きだった私にとっては何ら苦ではなかった。
「それでは、行って参ります!」
私とケイティは馬車に乗り、目的地に移動し始めた。馬車の中で、私はケイティに話しかける。
「ケイティ、あなたまで巻き込んでしまってごめんなさいね。きっとこれまで以上に苦労をかけると思うの……」
「いえ、とんでもないです! むしろお嬢様とご一緒できて、私はとても嬉しいんですよ! それに、殿下がまさかお嬢様に婚約破棄をなさるなんて、もうずっと腹が立って仕方がないです!」
ケイティが自分ごとのように怒ってくれていて、私はつい笑みが溢れてしまった。彼女はいつもポジティブで、私のことを一番に考えてくれている。
家族も侍女も、その他の使用人も、皆良い人ばかりで私は恵まれていたなと改めて思った。
「実はね、もう王太子妃教育から解放されると思うと、ほっとしているの。こんなこと思ってはいけないのでしょうけど」
「お嬢様は本当によく努力されていましたからね……それにしても、新しい聖女様はこれから王太子妃教育についていけるのでしょうか?」
「うーん、それはどうかしらね。聖女としての務めも果たしながら、王太子妃教育まで受けるのはかなり大変でしょうね……でも、やるしかないわよね」
「そうですね。最近また魔獣も増えているようですし、早く聖女様の力で治まると良いのですが」
「そうね、聖女様もいらっしゃったし、きっともう大丈夫よ」
そんな話をしながら、あっという間に王都の外れの小さな街・グラニットに辿り着いた。
グラニットの中でも中心地から少し奥まった場所に、私達がこれから住む家が用意されている。
(夢のセカンドライフ……! あぁ、ここで私は沢山料理をしたり、本を読んだり自由に過ごせるのね!)
と、心中では喜びに震えていた。
この時、無言で感動している様子を横目で見ていた侍女のケイティは、別のことを考えていたようだ。
(あぁ、こんなボロ屋に行かされるなんて……。お嬢様はきっと内心ではショックを受けておられるのだわ! 私が元気づけて差し上げないと!)
そんなケイティの心配に気付きもしない私は、意気揚々と家の中に入っていく。ほとんど使われていなかったようで、中では埃が舞っていた。
「ケイティ、まずはお掃除からね! 早速始めましょう!」
「お嬢様は座って休んでいてください! 私が掃除しますので」
「そういう訳にはいかないわ。これから私達二人の住まいになるんですもの。それに、私は水魔法が使えるから、掃除ですごく役に立てると思うの」
「そう言われてしまいますと……」
土魔法が使えるケイティからすると、掃除や洗濯をするにも川に水を汲みに行くか、水魔法使いの力を借りるしかない。
公爵家の使用人に水魔法を使える者が多いのも、それ故だった。彼女が土魔法使いでも私の専属侍女となったのは、とても優秀だからだ。
「申し訳ないのですが、お嬢様のお力をお借りできると嬉しいです」
「そうこなくっちゃ! 早速綺麗にしましょう!」
「……お嬢様、ものすごく楽しそうですね?」
「えぇ、とっても」
にこりと笑顔を向ける。早速、荷物の整理や雑巾掛けから始めていった。そして、私は無心で雑巾掛けをしながら、前世のことを思い出していた。
***
前世の私、高梨えりなは、毎日社畜のごとく朝から晩まで働いていた。
週末は平日の疲れがドッと出て半日は動けなくなっていたものの、午後になると家を掃除したり、溜まった洗濯物を干したりするととても清々しい気持ちになった。
綺麗になった部屋で美味しいお茶とお菓子を用意して、当時話題になっていた乙女ゲーム「聖女マリアと魔法の国」をプレイするのだ。「聖女マリアと魔法の国」は有名な監督が手がけていたことや、キャラクターや魔法シーンの美麗なイラスト、聖女マリアを取り巻くイケメン達とのやり取りに、多くの女性が虜になっていた。
私も仕事のストレス発散とばかりに、乙女ゲームをやっていた訳だが。ゲームのシーンをこの目で見てみたいという気持ちもあるものの、実際には魔獣との戦いもあり危険も多い。
それに、自分はゲームの冒頭だけ出てくる「脇役令嬢」だったのだ。ここは大人しく、第二の人生を謳歌する方が幸せだろう。
***
「エリアナ様、そろそろご飯を食べに行きませんか?」
「あら、随分と時間が経っていたようね。 ご飯を食べに行きましょうか。グラニットにはどんな食べ物があるのかしら」
私達は掃除がひと段落した段階で、街の中心地にある小さな食堂に向かった。
食堂では野菜スープやパン、焼いたお肉などを食べることができるようだ。それらをオーダーして食べてみると、味気ないものばかりだった。
(そういえば、公爵家の食事も手の込んだものは少なかったかも。それ以上に、ここの食堂は食材を茹でたり焼いたり、簡単なものだけだわ。
日本と同じような食材が揃っているのに、どうしてこんなに料理は質素で不味いのかしら……)
今まではなんとも思わなかった食事に対して、前世で『食べるのも料理するのも好きだった自分』を思い出してからは、違和感ばかりだった。
(卒業パーティーでは美味しいものもあったけれど、一般市民には浸透していないのかも……。
それに、ゲームの方は各地を浄化する旅と、その道中の色恋ごとに集中していたから、食文化までは細かく設定していなかったのかしら)
この国の壊滅的な食文化に気付いてしまった私は、「もっと美味しいものを食べたいわ……!」という思いがムクムクと溢れてきた。
食事が終わって突然立ち上がった私を、ケイティが驚いた様子で見上げる。
「ケイティ! 市場に行って食材を調達しましょう!」
「え!? 今ご飯を食べたばかりなのに、ですか??」
「えぇ、夜は私がご飯を用意するわ。まずは食材を調達しに行きましょう!」
「エリアナ様が料理されるんですか!? あれ、料理されたことはありましたっけ?」
「いえ、(今世では)ないわ」
ケイティはズルッとずっこけていたけれど、その気持ちも分かる。今世では料理をしたこともない癖に、なぜか突然やる気満々で『料理をする!』と言い出しているのだ。
このご主人様は何を言っているんだろう……と思ったに違いないだろう。
ーーこの時の様子を、一般市民に変装した皇太子カイル・フェザーとその護衛騎士・アンディに見られているとは露にも思わなかった。
「なぁ、アンディ。今、エリアナ嬢は『料理をする』と言ったか?」
「えぇ、おっしゃってましたね」
「クク、あんなに突拍子もないことを言うお嬢様だったかな? 私が知っている彼女は、よく学園で本を読んでいるような子だったと思うんだが」
「はい、婚約破棄されて、むしろ活き活きされているように見えますね。自由になって本来のエリアナ様が表に出ているのではないでしょうか」
「そうかもしれないな。それにしても、本当に色んな表情の彼女が見れて楽しいな。あ、市場に行くようだから着いて行くぞ」
「かしこまりました、参りましょう」
***
私とケイティは、早速グラニットの市場に向かった。王都の外れということもあって、グラニットを出れば森があり、さらにその先には草原や山もある。
山の麓にはまた別の集落があり、そこの集落の人が育てた野菜や肉なども市場で手に入れることができた。
(ジャガイモやニンジン、コムギもあるわ。並んでいる物も呼び方も完全に日本語。元々が乙女ゲームの世界だから、そのまま反映されているのね。
逆になんで私は今まで全く気づかなかったのだろう……。)
ミルクのような消費期限が短いものは、魔道具で冷やしながら、風魔法使いによって通常より早く運ばれているようだ。
魔道具自体が貴重なものなので、その分ミルクの値段も野菜に比べると高い。でも、私はどうしても美味しいご飯をケイティに振る舞いたいと思っていた。
(ミルクと根菜類、お肉があれば……シチューが作れるんじゃないかしら! あぁ、それに付け合わせにパンも作りたいけれど、この世界のパンってどうもパサパサしているというか……
よく考えたらイーストやベーキングパウダーが入ってないのかもしれないわ。どうやって手に入れたらいいのかしら)
市場の食材を前に、うーんと考え込む。何かこの世界のもので代用できるものがあれば良いのだが。
前世で一度、自分で酵母を作る方法を調べたことがある。りんごから酵母を作ることもできるのだが、その工程は1週間近くもかかるのだ。気の遠くなるような作業で実際にはやらなかったが、この世界でもそれほど手間がかかる作り方では広まらないだろう。
魔道具で酵母が作り出せるか……いや、それよりもっと植物の方が近いだろうか。酵母菌が増えるのに適した環境といえば、水、栄養分、酸素……。
「あ! 森にいるスライムが酵母菌の役割をしてくれるかも!」
「……え!? お嬢様、市場だけじゃなくてスライムまで取りに行くんですか!?」
「ちょっと実験的な感じだけど。うまく出来なかったら、スープだけになってしまうかもしれないわ」
「お嬢様の常識を超えた発想はどこからやってくるのでしょうか……。でも、私はどこまでもお供します!」
市場で必要な物を購入した私達は、一度自宅に戻り荷物を置いて、スライムが生息する森に向かった。
微生物を食べて自然を浄化しながら生きるスライムは、ますます酵母菌を生み出してくれそうな気がしてきた。素手でスライムを捕まえて、再度自宅に戻りパン作りを始めた。
小麦粉やお水を混ぜ合わせて、ひたすらパン生地をこねていく。スライムのお陰で、酵母菌を生地に含ませることができた。
パンを焼く良い匂いがしてきた所で、ドアをノックする音が聞こえる。
ーーコンコンッ
「あら、誰でしょうか? 見て参りますね」
「えぇ、公爵家の使用人かしら?」
驚くことにそこに現れたのは、学園の元同級生であるカイ様とアンディ様だった。
***