第1話:これが噂の「婚約破棄」でしょうか?
「これってお約束の『婚約破棄』!?」
王太子からの婚約破棄の最中に、前世の記憶を思い出したエリアナ。
さらに、これが前世でプレイした乙女ゲーム『聖女マリアと魔法の国』の冒頭シーンで、自分が冒頭に一瞬だけ登場する脇役令嬢だということまで思い出した。
「この国の平和は、異世界から召喚された聖女・ササキマリア様にお任せするとして、私はパンを作ったりのんびり過ごしたりセカンドライフを楽しんじゃおう!」
……と、思っていたのに、結局聖女の代わりに魔獣を退治したり、その街で料理を振る舞ったりして、みんなを幸せにしていくお話。
※本作品は、他サイトにも掲載しています。
※このフィクションです。実在の人物・団体・出来事などとは一切関係ありません。
満月が光り輝く夜。
ここ、キアラ王国では「国立魔法学園の卒業パーティー」が開催されていた。
この日、私をエスコートするはずのクリス王太子は、なぜか目の前で黒髪の少女と並んで私の前に立っている。しかも会場の中心で。
(何でしょう、この空気は……)
煌びやかな装飾が施された会場と相反するように、水を打ったような静けさと異様な空気に包まれていた。
私とクリス王太子、そして黒髪の少女に対して、全参加者の意識が向けられている。後ろの方で談笑していた者たちも、徐々に中央に集まってきた。
私の背後からは、
「一体何が起きるんだろう?」
「なぜ殿下はエリアナ様ではなく、あの少女と一緒にいるのかしら?」
というヒソヒソ声が聞こえてくる。
私がクリス王太子にエスコートされていない時点で注目の的だというのに。なぜ、さらに注目されるようなことが起きているのか、不思議で仕方がなかった。
そしてクリス王太子は、この異様な空気と静けさに口火を切る。
「エリアナ、君との婚約は破棄させてもらう。昨日異世界から召喚した聖女、マリア・ササキと私は婚約することになった」
「はい……?」
「これは王家の決定事項だ。覆ることは無い」
(……あれ、これってお約束の『婚約破棄』!?)
そんなことが頭をよぎった瞬間、激しい頭痛と共に私の前世の記憶が洪水のように流れ込んできた。そう、前世では『高梨えりな』という日本人で、会社勤めの一般人だったということを――。
***
<遡ること、数時間前>
「お姉様、今日殿下はいらっしゃらないのですか?」
「レオン……そうね、昨日王宮は大騒ぎだったようだし、何か事情があるのかもしれないわ」
自宅であるエンフィールド公爵家のソファに座り、私は弟のレオンと向かい合って話をしていた。
王宮に出入りしている父から、「異世界から聖女の召喚に成功したらしく、王宮は大騒ぎだった。聖女様はマリア・ササキ様と言うらしい」と教えてくれた。
さらに、「まさかとは思うが……王太子から『婚約破棄』などされたら公爵家の恥だからな。エリアナ、くれぐれもそのようなことが無いよう、気をつけるのだぞ」と釘を刺されていたのだった。
「……そんなの、私の力ではどうしようもないことなのに」
「お姉様、どうされました?」
「いえ、何でもないわ。さぁ、そろそろパーティーに向かう準備をしないといけませんね。ではレオン、また後ほど」
魔法学園の卒業パーティーには一部の在校生も参加する予定で、その中に弟のレオンも含まれていた。
私はエスコートなど無くても気にせず一人で行くつもりだったが、心配性のレオンが「僕がエスコートします!!」と言ってくれたので、それに甘えることにした。
時間もあまりなかったので、急ぎパーティー用のドレスに身を包む。私の侍女であるケイティも、心配するように声をかけてくれた。
「お嬢様、殿下はいらっしゃるのでしょうか。せっかくのパーティーですのに、私にはお嬢様を綺麗に仕立てることしか出来ず……」
「ふふ、ありがとうケイティ。でも大丈夫。今日はレオンがエスコートしてくれると言うし、胸を張って行ってくるわ。それに、聖女様がこのキアラ王国に来て下さったことはとても嬉しいことでしょう?」
「そうですね……。私はお嬢様が嫌な思いをしないか、心配ですが……おめでたい席ですし、とびっきり綺麗に仕立てますね! あ、殿下の色はどうしましょうか?」
「そうね、一応入れておきましょう。婚約者ですし」
こういったパーティーの席では、婚約者の目と同じ色をアクセサリー等で差し色に使うのが常だ。クリス王太子の目の色は薄めのエメラルドグリーンなので、それをドレスの差し色に盛り込むことにした。
とはいえ、彼が私の目の色であるブルーを使ってくれるかは、正直自信が無いのだが……。
その後、レオンと馬車で移動しながら、私は「聖女」や「光魔法」について考えていた。
キアラ王国には魔法が存在しており、その種類は火・水・風・土・雷の基本属性に加えて、医師や神官が扱う治癒魔法、聖女だけが扱う光魔法、高位の魔獣だけが扱う闇魔法と8つの種類に分かれている。
また、全員が全員、魔法を扱える訳ではなくいわゆる「無属性」の人もいた。
魔法だけでなく、魔獣を倒した際に手に入れられる魔石や、魔石を応用して作った魔道具といったものもこの世界には存在している。
魔法を使えるのは血筋が影響するのか、貴族であることが多い。私は水魔法をメインに、火魔法も少し扱うことができる。2つ以上の魔法を扱える人は、さらに希少価値が上がるといった具合だ。
(クリス様はなぜか、火魔法しか使えないのよね……。彼のプライドを傷つけそうで、あまり私のことは話さなかったけれど)
もちろん貴族で無くても使える人はおり、魔法を使える者の方が働き口は見つかりやすい。
そして、聖女だけが扱うことのできる光魔法は、この国でかなり特別な扱いをされている。前聖女が亡くなってしばらく経つので、最近は魔獣やそれに伴う瘴気が人々の生活を脅かしていた。
もし聖女がキアラ王国各地を周り、光魔法で各地を浄化すれば魔獣や瘴気の影響も少なくなる。それらが完全に無くなることはないけれど、現状は健康被害を訴える国民も増えている。焦った王家が急いで聖女を召喚したのだろう。
(……いくら魔法が2種類使えるからと言って、光魔法の使い手には敵わないわ。だって、この国唯一の存在ですもの)
クリス王太子のエスコートが無い時点で、少しは覚悟をしてパーティーに参加したはずだった。
でも、いざ目の前で婚約破棄を言い渡されると、目の前が真っ白になるというものだ。ついでに激しい頭痛に襲われて、私は立っているのもやっとだった。
「エリアナ、どうした? そんなにショックだったのか?」
「いえ、あ……はい」
どうやらかなり顔色が悪くなっていたようで、クリス王太子からも心配されてしまう。
婚約破棄のショックというよりも、ここが前世でプレイしていた乙女ゲーム『聖女マリアと魔法の国』の世界の中であり、私がその乙女ゲームの冒頭のみに出てくる脇役令嬢であるという事実に激しいショックを受けていた。
再度、クリス王太子の方に目を向けると、私の目の色であるブルーを差し色に使っていないその服装と、彼の腕をがっしり掴んで立っている聖女・マリアの姿が目に映った。
彼女の名前は「マリア・ササキ」と言っていたし、異世界に召喚させられた日本人なのだろう。黒髪、黒目で、年齢は16才くらいだろうか? 少し幼く見える。
こちらの都合で突然連れてこられて、周りには誰も知る人がいない環境で。彼女が頼れるのはクリス王太子だけなのだ。それはとても心細いと思う。この国の都合に振り回されて、『私達を助けてくれ』と懇願される彼女がだんだん可哀想に思えてきた。
そんなことをあれこれ考えているうちに、私も冷静に状況を捉えられるようになっていた。
そして、一つの事実に気付いてしまったのだ。
(これって考えようによっては、この後の人生は物語に関係なく自由を謳歌して良いということ……!?)
込み上げる嬉しさに顔がニヤけそうになってしまう。だって、血の滲むような王太子妃教育の日々は、本当に大変だったから。
それらをこなしながら、魔法学園でも良い成績を残さなければならなくて。
その他にも王家のしがらみ、他の貴族令嬢からの妬み、嫉妬などの全てから解放されると思ったら、『婚約破棄』は素晴らしい提案なのかもしれないとさえ思い始めていた。
(あぁ、ニヤニヤしちゃダメだわ。今の私は貴族令嬢、はしたないことはできない)
姿勢を正し、クリス王太子に向き直る。
「クリス様。婚約破棄、承知いたしました」
「へ? そんなにあっさり……いや、承知してくれて礼を言う。聖女マリアはこの国で唯一の存在だからな」
私は既にこれからのことで頭が一杯で、クリス王太子の話をあまり聞いていなかった。
(お父様の耳に入る前に、早く公爵家に戻って家を出る準備をしないと。着の身着の儘、追い出されるのだけは勘弁してほしいし……
あ、せっかく自由なセカンドライフが送れるなら、前世で大好きだった料理も沢山やりたいわ! 使ってなさそうな調理器具ももらって行ってしまいましょう!)
「レオン、急いで帰りましょう!」
「え、お姉様!? あんなにアッサリ承知して良かったのですか?」
「善は急げ、ですわ!」
「えぇぇ!?」
驚くレオンと、肩透かしを食らったような顔をするクリス王太子、この場の状況に困惑が隠せていない聖女マリアを横目に、私は一目散に会場を後にした。
同じ会場にいた卒業生からすると『婚約破棄をされたショックで急いで出て行った』と思われたのかもしれないが、事実は全く違う。
最早、どう思われているかさえも気にしていない。
確かに王太子に婚約破棄された令嬢など、同じ年代の男性との結婚はもう難しいだろう。あてがわれるのは訳アリで結婚できない男性か、とうの昔に婚期を逃してしまったお年を召した男性か……前世の記憶を思い出す前の私であれば、泣いて打ちひしがれていたかもしれない。
でも、私は前世の記憶を思い出してしまったのだ。これまでの「エリアナ・エンフィールド公爵令嬢」とは違う。これからこの国で何が起こるのかも、大方把握している。
会場に向かう時は「クリス王太子にエスコートしてもらえない……」という事実で重い空気だったことが嘘のように、帰りは意気揚々とした足取りで公爵家に戻って行った。
その様子をレオンはとても不思議に思いながら、私の顔を見ていたのだった。
ーーそして、この会場で婚約破棄の場面を見ていた男・マリン帝国の皇太子であるカイル・フェザーにとっても、今回の婚約破棄は「僥倖」だった。
「フッ、面白いことになったな。よし、アンディ行くぞ。エリアナ嬢の後を追うんだ」
「ええ、かしこまりました。カイル様」
「おい、この国では“カイ“と呼んでくれ。特に今日のような人が多い場所では」
「失礼致しました、カイ様。では、参りましょう」
護衛騎士のアンディと共に、カイルは急いでエリアナの後を追っていった。
***