愛の代償
どうしたんだ、今日の俺は? 全然いつもと違うじゃないか。いつもの俺ならもっと上手く出来るはずなのに。皆が心配そうに見てるぞ、くそ、そんな目で俺を見るな。俺はあれだぞ、あれ。ずっとこの業界の第一線を走ってきたんだぞ。どんな奴が相手でも最高の結果を出してきたんだ。なのに、なんで今日に限って。相手はペーペーの新人だぞ。本当にどうしちまったんだ、俺の、俺の……。
「はい、カット」
監督の声が飛ぶ。OKの言葉は聞こえてこない。監督もいつもと違う俺の様子に戸惑っているようだ。
「ちょっとお腹が空いてて、元気が出ないなー、なんて、ははは」
少年漫画の主人公のような言い訳を口にしてしまう。少年漫画とは程遠い業界の人間なのに。いや、待てよ、少年の夢が詰まっているという点では同じか。
すぐにスタッフがガウンを持って来てくれる。俺はそのガウンを奪い取ると情けない俺を隠すためにすぐに羽織った。近くの椅子に座り、彼女を眺める。彼女はガウンを毛布のようにして、ベッドに横たわったまま虚ろな表情で天井を眺めている。
都内の一流ホテルにスタッフが演者である俺と彼女を含めて八人。撮影は朝の十時から。今は随分少なくなってしまった単独女優の二時間物の撮影だ。いつもの俺なら超絶テクを駆使して四時間で終わらすのだが今日は撮影が延びていた。
原因は俺の……。
「どうしたんすか、鷲さん、今日調子悪いんすか?」
食べたくもない海老フライ弁当をつついていると彼女のマネージャーであるアキラに話し掛けられた。彼女をスカウトしたのもアキラだ。身の回りの世話から精神的なケアまでこなす代わりに、彼女が受け取る給料の何割かはアキラに渡る。
「あいつが全然感じないから、今回は業界一位である鳶さんを呼んだんすよ」
そうなのだ、彼女はAV女優のくせに感じないのだ。それはもう、車は走らない、鳥が鳴かないと同じレベルだ。更に言うなら野球が下手な野球選手や、ドジじゃないドジッ娘、キックが得意なボクサーと同じ、いや、最後のは違うか。
アキラ曰く、今まではそれが受けていたようだが、そろそろファンのフラストレーションも爆発寸前らしい。そこで俺が呼ばれたのだが……。
俺のあれは冷蔵庫のチルド室の奥に忘れ去られたキャベツのようにしなびれており使い物にならない。いつもは海賊船の竜骨くらいの強度をほこっているというのに。
あれこれと聞いてくるアキラをかわし洗面所に向かう。鏡に映った俺は情けない顔をしていた。童貞達の憧れの的である性王・佐藤鳶の顔ではない。自然と溜め息がもれる。
俺はこの仕事に誇りを持っている。確かに人様から褒められるような仕事ではないかもしれない。だが、時折届くファンレターの『僕も鳶さんのようになって彼女を喜ばしたいです』などの言葉を貰う度に俺はこの仕事をやっていて良かったな、と思うのだ。
だからこそ、俺はどんな時でも全力を尽くしてきた。ローションが足りなくて薄めた無添加のハチミツで代用した時も、親父くらいの年齢の男優に演技指導するはめになった時もだ。
今、ここで俺のあれが元気百倍になるまで待ちましょう、なんてことになったら今まで俺が共演してきた女優さんにも迷惑をかけることになる。
顔をパンパンと叩き気合いを入れる。撮影現場に戻ろうとすると彼女と鉢合わせになった。
あっ、と可愛らしい声を出したと思うと、うつむき顔を赤くしたまま黙っている。
最近、見かける事の少なくなった黒髪を肩まで伸ばしている。肌は長年の間、熟成されていた絹のように滑らかで触れるのをためらう程だ。顔立ちはあっさりとしており、スタイルもさほど良くは無い。だけど時折ぞっとするほどの表情を見せる。多分その他の女優さんでは見られない素とも言える表情が彼女の人気の秘密なのだろう。
うーむ、気まずい。良く絡む女優さんなら「今日の調子はどう?」なんて軽口を交わし合う事も出来るが、彼女とは今日が初めてだったし、撮影も滞っている。共通の話題なんてあるはずがない。
「趣味は?」
沈黙に耐えかねてつまらない質問をしてしまう。この業界にいる人にとってプライベートな事ほど聞いて欲しくない事はないだろう。
「読書です」
へー、珍しいな。AV女優になった理由に自己顕示欲を満たしたくてとか綺麗になりたくて、というのを挙げる人は意外に多い。そういう人は必然的にファッションやエステにお金をかける人が多いのだ。
まあ、そう言う俺は意外に本を読んだりするのだが。顔を知られているので部屋の中にいて出来る事というのもあるが、読書の時の現実が薄れていく感覚が好きなのだ。
俺がそう言うと
「私もです」
と口づけを交わせる距離までに顔を近づけくる。
あー、すいません、と謝る彼女を見て、素直に可愛いな、と感じた。共演相手にそういった感情を持つのは初めての事だった。
最近読んだ本は? 返ってきた答えは俺が最近読んだ本と同じ題名だった。主人公の心理、伏線の張り方、結末の是非。あれこれ話している内にあっという間に休憩時間が終わってしまった。
撮影の時とは違い、彼女の表情はくるくると良く変わった。そんな彼女を見ていると心の中がぽうっと暖かくなっている事に気付いた。
じゃあ、先行ってますね。名残惜しそうに呟き、現場に戻って行く彼女の小さな背中を見つめながら、俺は自分の気持ちに気付き茫然としていた。
なんだ、そういうことだったのか。
俺は現場に戻り、ガウンを脱いだ。すでにベットにスタンバイしている彼女にまたがる。あれは俺の気持ちを代弁するかのようにいつもの覇気を取り戻していた。
「よーい、スタート」
そうだ、俺は彼女が好きだったのだ。顔合わせで初めて見たその時から、その感情は俺に心の中に居座っていたようだ。
感情がむくむくと起き上れば、あれの元気は無くなっていく。だからといってあれを立たせ愛の無い行為に及んでしまえば、感情は擦り切れていく。あちらを立てれば、こちらが立たず、こちらを立てれば、あちらが立たず、というわけだ。
自虐的な笑いが浮かぶ。彼女は何か勘違いしたのか恥ずかしげに笑ってみせた。その笑顔に俺は自分の気持ちを再確認する。
愛の代償は重すぎる。
俺は彼女を抱きしめた。
「カンパーイ、今日はお疲れ様」
監督が乾杯の合図を取る。場所はいつもの居酒屋。業界のトップを走って来て早数年、最近では出演回数も少なくってきた俺をねぎらう為の打ち上げのようだ。だが俺の心はどこか暗かった。
原因は分かっている。いつもは参加しない彼女も参加しており、俺は彼女の横顔ばかり見つめていた。
「いやー、しかしさすが鳶さんっすね、あんなに感じてるあいつ見たの初めてっすよ」
興奮した様子でアキラが話しかけてくる。最初は苦笑いを浮かべながら対応していたが、余りにもしつこいので席を立ちお手洗いに向かった。
トイレを済まし出てくると偶然、彼女と鉢合わせした。
あっ、と小さく声を漏らす彼女。
数時間前と同じ光景だ。違うのは大きくなってしまった俺の感情と彼女の顔が心なしか赤くなっている事くらいだ。
あのっと顔を上げる彼女。深呼吸した後に発せられた言葉は信じがたいものだった。
「私、好きな人としか感じないんです」
言葉の意味が分からず、ぼうっとしている俺に彼女は続ける。
「つまり、貴方の事を好きになってしまいました」
俺もだよ、そう答えたいのに言葉は出てこない。喉はもうカラカラだ。
駄目ですか? と彼女は問う。俺は壊れたおもちゃみたいにブンブンと首を振りながら彼女に近づいた。
払い過ぎた愛の代償がこんな形で戻ってくるなんてな。
俺は彼女を抱きしめた。
さっきよりも強く。
愛を込めて。
ギャグのつもりがこんな事に。
2500字を目安に書きましたがちょっとオーバーしました。
良ければ感想を。