1.嫌われていた彼女
中学3年生のころ、僕はクラスのみんなが大嫌いだった。あの頃のクラスの雰囲気は思い出すだけで反吐が出そうになる。
「ちょっと待って!一人だけもう帰るつもりなの?」
文化祭の出し物の準備で盛り上がっている同級生を尻目に、さりげなく鞄を持って教室を出ようとしたところ、美香に目ざとく呼び止められた。チッと軽く舌打ちをしながら振り返る。
「そうだけど・・・。僕のパートの振り付けは完全に覚えたし、衣装も仕上がってるから・・・。」
「でも、まだ振り付けを完全に覚えられていない子もいるし、衣装も仕上がってない子もいるんだから残って手伝うべきなんじゃないの?ちょっとは他の人のことを考えなよ。」
「あのさあ・・・。僕が一人いてもその子が振り付けを覚えられるわけじゃないし、衣装も手伝えることはないんだから帰ってもいいでしょ。」
「そうじゃなくて・・・文化祭なんだからクラス一丸となって頑張るのが大事なんでしょ。みんなができるようになるまで残って、励まし合って少しでもいいものを作り上げようって姿勢が普通じゃないの?」
美香は腰に手を当てて、いかにも正論を言っているというような表情で僕を糾弾してくる。しかも美香の背後から、他のクラスメートも黙って咎めるような視線を僕にぶつけくる。
その様子を見て僕は「はあ・・・」とみんなに聞こえるように盛大にため息をついた。
まただ・・・。
「当たり前」とか「普通」を押し付けようとする意見、そして集団でそれを強要しようとする同調圧力。僕が一番嫌いなものだ。
「僕がいなくても変わらないでしょ。だいたい、そもそも『一人だけ』じゃないだろ。僕以外にもここにいない人が一人いる。それでクラス一丸って言えるの?」
そう言うと美香は「うっ!」と言って少しひるんだ。そう。この教室には僕を入れてもまだ一人足りない。しかも、いかに美香といってもその子に声を掛けるわけにはいかないだろう。僕は美香がひるんだすきに素早く教室から逃げ出した。
「ちょっと!そんな態度だったら社会に出てからやっていけないよ!」
背中から美香の声が聞こえてくるが無視だ。そのセリフは美香自身の言葉じゃない。どうせあの担任からの受け売りだろう。
この頃の僕にとって不幸だったのは、担任の先生が「クラスの和」とか「チーム一丸」とかをやたらと連呼するひと昔前の価値観を引きずる熱血先生だったことだ。美香をはじめとしたクラスのほとんどは、その先生の影響を受けて、さっきみたいにやたらと『クラス一丸』とか『全員で頑張ろう』みたいな雰囲気を出してくる。
しかも、その先生は僕が所属する野球部の顧問でもあり、野球部でも同じような空気を作ってきた。
この間の引退前の最後の試合もそうだ。試合の前日に、顧問の意を受けたであろうキャプテンが、突然、チーム一丸となるためみんなで坊主にしようと言い出した。
もちろん僕は反対した。
「髪を切って勝てるんだったら苦労はない」
そんな僕の当たり前の意見は、先生とキャプテンの意見に流された多数の前に黙殺された。
しかも、僕だけ坊主にしなかったら試合に出してもらえなかった。それまで不動のレギュラーだったのに。ちなみに最後の大会は初戦でコールド負けした。
試合後、先生に呼び出され、「そんな姿勢だったら社会に出てもやっていけない」と、さっきの美香と同じような言葉で指導をされたが、自分の意に従わない者を排除するようなやり方には反発しか覚えなかった。
「社会に出たらやっていけない・・・ね・・・。」
さっき美香に言われた言葉をつぶやきながら、昇降口に向かってゆっくり歩いた。
「じゃあ、クラス一丸となって一人を排除することが、社会の当たり前なのかね・・・。」
僕はおそらくクラスメートから疎まれてはいるだろうが、いじめられているわけではない。
もちろん、さっきみたいにみんなの前で非難されることはある。だけど、あの子に比べたら僕なんかがいじめられているなんてとても言えないだろう。
昇降口に着くと、ちょうどその子が靴を履き替えようとしているところだった。
「さようなら。また明日。」
「・・・うっ・・・ああ、さよなら・・・。」
その女子、那波は、まごつきながらも何とか小さな声で挨拶を返してくれたが、その声はかすれてた。
おそらく今日一日、ほとんど声を発する機会がなかったからだろう。
彼女は今のクラスになってからずっといじめられている。もっとも身体的な危害を加えたり持ち物を隠すといった、目に見えやすいいじめをするほど僕たちは良識がないわけではない。
ただ、那波には誰も話しかけず、必要最低限の会話すら避け、ほとんど存在しないかのように無視している。
なんで彼女がいじめられているのか理由はわからない。ただ、いつの間にかクラスの中で彼女に話しかけないようにすることが当たり前という雰囲気ができて、それに同調を求める圧力を感じるようになった。
表ではクラス一丸で文化祭の準備を頑張ると言いながら、裏ではクラス一丸となって特定の生徒をはじき出している。
それが、さも「当たり前」「普通」と押し付けてくるという矛盾も、今のクラスを好きになれない理由の一つだ。
ふと見ると、那波は靴を履き替えて、少しぽっちゃりした体を揺らしながら昇降口から出て行こうとするところだった。
「ちょっと待って。一緒に帰ろうか。」
「・・・・え?」
この時、なぜ声をかけたのか自分でもよくわからない。
先生や美香たちの言葉に反発したかったのかもしれない。
彼らが言う正論の矛盾を突きたかったのかもしれない。
ただ、これをきっかけに、クラス中から無視されていた那波は、だだ一人僕とだけ話すようになった。
最初、那波は僕を警戒して訝し気に見ていたが、徐々に心を開いてくれて、やがて遠慮なくしゃべるようになった。
そうすると、那波がみんなから嫌われ無視されている理由が少しずつ見えてきた。
「みんな友達の噂話とか、昨日見た動画とか、ゲームとかそういった俗っぽい話しかしない。矛盾だらけの世の中の問題を考えようともしないで、かりそめの快楽に目を奪われて家畜のように生きている。そんな人たちと仲良くしたくない。」
なぜ他のクラスメートに話しかけないのかと聞いた時、那波が興奮しながらこんな風にまくし立てたことを覚えている。
つまり、那波にとっては自分だけが特別で、周りの人はみんな俗物であり、俗物だから世の中が誤っていることに気づかず、そんな世の中を自分が変えてあげるべきだと本気で信じている痛い奴だったのだ。
僕は那波と距離を置くべき理由に気づいたが、それでも那波と話すことはやめなかった。
僕が那波に話しかけることで、クラス一丸やチームワークを標榜して押し付けてくる先生や美香たちの矛盾を的確に突いているという実感があったからだ。
美香からは、はっきりと「那波さんと話して大丈夫なの?」と言われたことがあったが、「仲間外れを出すことがクラス一丸なのかよ?」と返すと絶句していた。
いつも正義面をしていて正論ばかり繰り返す美香に一泡吹かせることができて溜飲が下がる思いがした。
もっとも僕としては、特に那波と親しくなりたかったわけではない。考えが偏っていることは那波も他のクラスメートと同じだったし、外見も異性として惹きつけられるものはない。
だから、美香たちへの当てつけのように話しかけて、これみよがしに会話をすることはあったが、それ以上に深入りはしなかったし、卒業した後は一切連絡を取らなかった。
★★
あれから15年以上経った。31歳になった僕は、中央官庁からの出向で地元の県庁に着任した。この県に戻ってくるのは、一時的な帰省を除けば、大学進学のため上京した18歳の頃以来だ。
「矢島さん、お久しぶりです!私のこと覚えてますか?」
「もちろん、今は宮崎美香さんだよね。」
「はい、職場では、いまだに旧姓の山本を使ってますけど。中学の頃以来ですね。」
着任早々、僕の席に近寄って話しかけてきた同僚の女性は、あの中学のクラスメートだった美香だ。僕が着任した政策企画部総務課での部下にあたる。
近所の事情通である母の話によると、5年前に結婚して二児の母らしい。
「それで、来週の土曜日に部でバーベキューを企画しているんですけど・・・もしよければ歓迎と親睦を兼ねて矢島さんにも参加いただきたいんですが・・・どうでしょうか?」
「もちろん!ぜひ参加しますよ。みなさんとお話しできるのが楽しみにしてます!」
「よかった・・・。じゃあメールで案内を送りますね。」
美香はほっとしたように席に戻って行った。話しかける際に不安そうな様子だったのはおそらく僕の中学時代の尖ったイメージが残っているからだろう。
社会人になって8年あまり、僕はあんなに尖っていた中学生の頃とは別人のように丸くなり人間関係に対しても如才なくなった。
もちろん、本心では、せっかくの週末を職場のバーベキューなんかに潰すのはあり得ないと思っている。だけど、仕事を円滑に進めるためには、こういったイベントにも表面上は喜んで参加することも必要だとちゃんと理解し、内心を表に出さない配慮くらいできる。
特に県庁には、僕みたいな中央官庁からの出向者をよそ者として煙たく思っている人もいるだろうから、積極的に親睦を深めることもミッションの一つだ。
★★
「いや、やっぱり外で食べる肉はおいしいですね!僕が肉焼きますから、あっちでゆっくりビールでも飲んできてくださいよ~!」
「えっ!いや、悪いですよ。」
「いやいや、遠慮なく。肉焼くの好きですから!」
土曜日、美香が企画したバーベキューは郊外にある牧場型のテーマパークで開催された。家族参加もOKであるため、思ったよりも大所帯のようだ。
僕は、ずっと笑顔と朗らかな雰囲気をキープしたまま上司や同僚やその家族への挨拶に飛び回っていたので少し精神的に疲れた。
挨拶もひと通り終わったし、肉でも焼きながら少し一人でいよう。
しかし、そんな僕の気持ちを察することなく、美香が近づいて来た。
「矢島、なんか見違えちゃったよね。びっくりするぐらい柔和になっちゃって!昔だったら絶対にこんなイベントに来なかったのに・・・。」
「ははっ・・・。まあ中学の時は反抗期だったというか・・・。」
「えっ?山本さんって、矢島さんと中学生の頃から知り合いなんですか?」
さっきまで肉を焼いていた入庁3~4年目くらいの若手の男性がわざとらしく驚きながら話に入って来た。彼も僕の部下で名前はたしか鈴木くん・・・。
「中学の頃どころじゃないわよ。家が近所で、高校からは別々だけど、保育園から中学までず~っと一緒だったんだよね。」
「へ~っ!幼馴染みってやつですか?それで同じ職場で再会ってなんかドラマみたいですね!これは運命の再会。そして二人は結婚する運命ですかね~!?」
「いや、私もう結婚しちゃって、子どももいるし!キャハハッ!」
「早まりましたね。ハハハッ!」
職場の先輩後輩間での独特のノリに付いていけず、そっと微笑むしかなかったが、その時、ふと母から聞いたもう一つの話を思い出した。
「中学の同級生といえば、那波さんも県庁に勤めてるんでしょ?まだ会ったことないけど。」
「那波さんって、もしかして山本さんと同期のあの・・・。」
「ああ、那波さんは外局に出てるからあんまり接する機会はないかもね・・・。そういえば同じ中学の野球部の1年先輩の中川さん覚えてる?彼は、保健局にいて・・・。」
僕は見逃さなかった。鈴木くんが那波の名前を聞いて顔を強張らせたこと、そして美香が鈴木くんの話を遮ってまで不自然に話をそらそうとしたことを。
「へ~!生まれ育った県ですし、他にも知り合いがいそうですね。あっ、この肉がそろそろ食べごろなんでどんどん食べてください。網の上の肉がはけたら、お子さん達にマシュマロでも焼きましょうか?」
「そ、そうね。大河!マシュマロ焼いてもらえるって~!!こっち来な~!」
那波については何か事情がありそうだが、わざわざ触れて欲しくない話題に深入りして場の空気を壊すことはない。今日は職場の親睦が目的だから・・・。
そう思って、微笑みの表情を維持したまま、職場の同僚やその家族のために肉を焼くことに精を出した。