第四話 運命のオーディション! 悪女流エンジェル、奇跡(ミラクル)を起こせるか!?
重いドアを開けると、広いオーディションルームには長いテーブルが置かれ、数人の審査員が座っていた。その顔ぶれを見て、私は息を呑んだ。
(やっぱり…!)
中央には、ニコニコしているけど目が笑っていない翔太さん。その隣には、『ひだまりのエンジェル』の監督さんと脚本家さん。そして…一番端に座っていたのは、柔らかな表情でこちらを見ている、桜井涼さんだった。
(うぅ…やっぱり審査員だったんだ…! しかも、あんな真正面から見られるなんて…!)
緊張で心臓が口から飛び出しそう。手と足が同時に出そうになるのを必死でこらえ、審査員席の前まで進む。
「し、椎名あかりです! よろしくお願いします!」
声が裏返った! 最悪!
「はい、椎名さん。よろしくね」翔太さんが相変わらずの調子で言う。「じゃあ、早速だけど、課題のシーン、演じてもらおうかな。資料は事前に渡してあるよね?」
「は、はい!」
課題は、主人公の花寺みちるが、雨の中、捨てられた子犬を見つけて優しく声をかけるシーン。天使のような純粋さと、慈愛に満ちた表情が求められる、まさに『ひだまりのエンジェル』を象徴するような場面だ。
(大丈夫。練習はしてきた。私なりの、花寺みちるを…!)
私は目を閉じ、一度深く息を吸い込む。そして、目を開けた瞬間――私は椎名あかりではなく、花寺みちるになる。
セットは何もないけれど、心の中に雨の降る路地裏を思い描く。冷たい雨、震える子犬…。
あかり(みちる役)「あらあら…どうしたの? こんな雨の中、一人ぼっちで…」
優しい声色。自然な笑顔。…ここまでは練習通り。問題は、ここからだ。ただ可愛いだけの天使じゃなく、みちるの「芯の強さ」を表現したい。
あかり(みちる役)「…寒かったでしょう。怖かったでしょう。(子犬をそっと抱き上げる仕草。その目に、強い意志を宿して)…でも、もう大丈夫。私がいるから」
ただ「可哀想」と同情するだけじゃない。この子を守るんだ、という強い決意。それは、私が今まで演じてきた「自分の信念を貫く悪女」たちから学んだものかもしれない。
あかり(みちる役)「さあ、一緒におうちに帰りましょう? 温かいミルク、用意してあげるね。(子犬に顔を寄せ、囁くように)…フフ、あなたは今日から、私の『相棒』よ」
最後の一言。台本にはなかったけれど、思わずアドリブで出てしまった。しかも、ちょっと悪女っぽく、口の端をクイッと上げてしまったかもしれない! しまった!
演技を終え、ハッと我に返る。審査員たちの反応は…?
翔太さんは、相変わらずニヤニヤ。監督さんと脚本家さんは、何やらメモを取りながら、少し驚いたような顔をしている。そして、涼さんは…真剣な表情で、じっと私を見つめていた。
(や、やっちゃったかも…! 最後のアドリブ、完全に悪女の顔だったんじゃ…!?)
冷や汗が背中を伝う。
「…はい、ありがとう」監督が口を開いた。「椎名さん、なかなか…面白い解釈だったね。最後のアドリブは?」
「あ、あの、すみません! つい…! でも、みちるはただ優しいだけじゃなくて、守るべきもののためなら強くなれる子だと思ったので、その…!」
「なるほどね」脚本家さんが頷く。「確かに、君の演じたみちるは、ただの『天使ちゃん』じゃなかった。人間味があったよ」
人間味…! よかった、伝わった…?
「でもね、椎名さん」今度は翔太さんが口を挟む。「君には例の『裏垢炎上』の件がある。世間は君に『天使』のイメージを求めているかな? それとも『やっぱり悪女』というレッテルを貼りたいのかな?」
「っ…!」
核心を突かれた。一番、私が恐れていること。
「私は…」私は必死で言葉を探す。「確かに、悪女役のイメージが強いですし、SNSの件でたくさんの方にご迷惑をおかけしました。でも、だからこそ、この役を通して変わりたいんです。悪女だった私、そして、不器用な素の私…その全部を抱えた上で、それでも誰かの心を温かくできるような、そんなヒロインを演じたいんです!」
言い切った。震える声だったかもしれないけど、今の私の、精一杯の気持ちだった。
涼さんが、ふっと口元を緩めたのが見えた。
「…ありがとうございました。結果は後日、事務所を通して連絡します」
監督の言葉で、私のオーディションは終わった。
◇
廊下に出ると、壁に寄りかかって待っていた美優ちゃんと目が合った。彼女はこれからが本番だ。
「…どうでした?」
「…さあ? 分からない。でも、私なりにはやったつもり」
「ふーん。まあ、お手並み拝見、ってとこですかね」
美優ちゃんは少し意地悪そうに笑って、オーディションルームに入っていった。ドアが閉まる直前、彼女の完璧な「天使の笑顔」が見えた気がした。
(…やっぱり、美優ちゃんの方が、ヒロインにはふさわしいのかもな…)
自信を持って臨んだはずなのに、美優ちゃんの姿を見たら、また不安が鎌首をもたげてくる。
◇
結果発表の日。私は、生きた心地がしないまま、事務所の応接室で翔太さんと向かい合っていた。
「さて、あかりちゃん。オーディションの結果、出たよ」
翔太さんが、わざとらしくゆっくりと封筒を開ける。やめて! そのタメ、心臓に悪いから!
「『ひだまりのエンジェル』主演、花寺みちる役は……」
ゴクリ、と喉が鳴る。
「森崎美優さんに決定しました!」
………。
頭が、真っ白になった。
そっか。やっぱり、ダメだったんだ。美優ちゃんが、選ばれたんだ。
「…そうですか」
なんとか、それだけを絞り出す。涙が出そうだったけど、ここで泣いたら負けな気がして、必死で堪える。悪女は、人前で涙を見せないのだ(今は悪女じゃないけど!)。
「まあ、残念だったね。でも…」翔太さんが続ける。「監督と脚本家が、君の演技をすごく気に入ってね。特に、あの最後のアドリブ。『ただの天使じゃない、強さと危うさを持ったキャラクター』だって絶賛してたよ」
「え…?」
「そこで、だ。君のために、急遽、新しいキャラクターを作ることになった!」
「新しい…キャラクター?」
「そう! ドラマのオリジナルキャラクターで、みちるの前に現れる、謎めいた存在。天使なのか悪魔なのか…最初は敵対するけど、次第にみちるに影響を与えていく、いわば『ダークエンジェル』みたいな役だ!」
ダークエンジェル…?
「この役、君にしかできないって、全員一致でね。どう? やってみる気、ある?」
予想外の展開に、私は呆然としていた。ヒロイン役は逃した。でも、私のための、新しい役…?
(ダークエンジェル…悪女の私と、天使になりたい私…その両方が活かせる役…?)
それは、もしかしたら、今の私に一番ぴったりの役なのかもしれない。
「…やります! やらせてください!」
気づけば、私は力強く頷いていた。涙は、もう引っ込んでいた。
◇
事務所を出ると、偶然、美優ちゃんとばったり会った。
「あ、あかり先輩…」
「美優ちゃん、おめでとう。主演、決まったんだってね」
「…はい。ありがとうございます。先輩は…?」
「私は、オリジナルの役をもらったよ。ダークエンジェルだって」
「ダークエンジェル…? さすが先輩、普通じゃないですね」
美優ちゃんが、少しだけ笑った。
「…オーディションの時の先輩の演技、正直、ちょっと怖かったですけど…でも、なんか、目が離せなかったです」
「え?」
「…私も、負けないように頑張りますから! ヒロインとして!」
そう言って、美優ちゃんはぺこりとお辞儀をして去っていった。
(…そっか)
私たちは、また違う形で、ライバルになるんだ。でも、前とは違う。お互いを認め合った上で、競い合える。なんだか、それってすごくワクワクするかも!
◇
その夜、涼さんから短いメッセージが届いた。
『オーディション、お疲れ様でした。椎名さんの演じたみちる、すごく素敵でした。新しい役、決まったんですね。ダークエンジェル…椎名さんにぴったりの役だと思います。また現場で会えるのを、楽しみにしています』
(…ぴったりの役)
涼さんの言葉が、すとんと胸に落ちた。
私は、無理に天使になろうとしなくていいんだ。悪女だった過去も、不器用な素の自分も、全部受け入れて、私だけの「ダークエンジェル」を演じればいい。
(見ててください、涼さん。私、もっとすごい女優になりますから!)
スマホの待ち受けを、もふもふの猫から、黒い翼のイラストに変えてみた。
悪女の仮面を脱ぎ捨てて、天使の翼を手に入れるんじゃなく。
悪女の強さと、天使の優しさ…その両方の翼で、私はきっと、もっと高く飛べるはずだ。
私の新しい挑戦が、今、始まる。
(第四話 了)