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第22話 

 世界最高峰の映画祭で、史上初のW主演女優賞に輝いた天海あかりと森崎美優。二人が日本に凱旋した日、空港はファンと報道陣で埋め尽くされ、その熱狂は社会現象として連日報じられた。

「二つで一つの天才」「時代の寵児」――世間は、競い合い、そして共鳴し合った二人の物語に酔いしれた。


 舞い込んでくるオファーの数も、桁違いだった。だが、そのほとんどが「天海あかりと森崎美優、二人セットで」という条件付きであることに、あかりは微かな違和感を覚えていた。


「まるで、コインの裏表、か」


 ある日の午後、事務所の応接室で、あかりはテーブルに並べられた海外からの企画書の山を眺め、ぽつりと呟いた。隣に座る美優も、複雑な表情で頷く。


「嬉しい、はずなんですけどね。……なんだか、一人では不完全だと言われているみたいで」


 戦友として、互いを唯一無二の存在だと認め合っている。その気持ちに嘘はない。だが、役者とは、どこまでいっても孤独な個人競技のはずだった。世間が作り上げた「二人で一つ」という美しい神話は、心地よいと同時に、新たな見えざる枷となり始めていた。

 国際映画祭の夜、「一人じゃつまらないかも」と笑い合った言葉が、皮肉な響きをもって二人の胸に返ってきていた。


 二


 そんなある日、世界中の映画ファンを震撼させるニュースが飛び込んできた。

 現代の映像の魔術師と名高い、ハリウッドの鬼才ジュリアン・クロフト監督が、沈黙を破り、新作『ECHO/NARCISSUS』の製作を発表したのだ。それは、一人の天才芸術家と、ある日突然彼女の前に現れた瓜二つのドッペルゲンガーを描く、サイコスリラーだという。


 そして、クロフト監督は、前代未聞の声明を発表した。


「主演女優は、まだ決まっていない。だが、私の心の中には二人の候補がいる。日本の至宝、天海あかりと森崎美優だ。彼女たちのどちらが、私の描く『エコー(反響)』であり、どちらが『ナルキッソス(自己愛)』なのか。それを確かめるために、特別なオーディションを行う」


 そのオーディションとは、都内近郊の森に佇む一軒家で、一週間にわたる合宿形式のワークショップを行うというもの。さらに、その過程は全てドキュメンタリーとして撮影され、全世界に配信されるという。

 それは、もはやオーディションではなく、二人の天才女優を白日の下に晒し、その魂を競わせるための、公開処刑にも似たショーだった。


「……受けるわ」

 企画書を読み終えたあかりは、迷いなく言った。

「面白そうじゃない。監督が仕掛けたゲーム、乗ってあげましょう」

「……ええ」

 美優もまた、強い光を目に宿して頷いた。

「彼が私たちを鏡だというのなら、その鏡に何を映すのか、決めるのは私たち自身です」


 三


 ワークショップの舞台となった森の邸宅は、美しく、そしてどこか人を寄せ付けない空気を漂わせていた。四六時中カメラが回り、二人の一挙手一投足が記録されていく。


 クロフト監督の課す課題は、常軌を逸していた。

「今から二時間、鏡の前に立ち、無言で自分を見つめ続けろ」

「相手の最も隠したいであろう秘密を、即興で演じてみせろ」

「夜の森に一人で入り、己が最も恐れるものを探してこい」


 それは、演技の技術を試すものではない。女優の仮面を一枚ずつ剥がし、その下にある剥き出しの魂を暴き出すための、心理的なゲームだった。監督は、ことあるごとに二人を挑発する。


「天海くん、君のその強さは、本当の君か? それとも、弱さを隠すための鎧かね?」

「森崎くん、君のその優しさは、本物かね? それとも、他人に嫌われることを恐れるだけの臆病さの表れじゃないのか?」


 閉鎖された空間、絶え間ないプレッシャー、そして鬼才監督の揺さぶり。それは、二人を確実に蝕んでいった。かつてあれほど強固だったはずの戦友としての絆に、微かな亀裂が走り始める。食事の席での会話は減り、互いの演技を見る目に、苛立ちと嫉妬の色が混じり始めた。

 そして、その全てが、ドキュメンタリーとして世界に配信されていく。「天才女優、仲間割れか」「やはり友情は本物ではなかった」――世間は、無責任な憶測で盛り上がっていた。全ては、クロフト監督の描いた筋書き通りだった。


 四


 ワークショップ最終日。二人に、最後の課題が与えられた。

「テーマは、『消失』。これから即興で、どちらかが、もう一方の存在を、この世界から完全に『消し去る』芝居をしてもらう」


 それは、どちらかが勝者となり、どちらかが敗者となることを決定づける、残酷な最終試験だった。

 見つめ合う、あかりと美優。その瞳には、疲労と、疑心と、そしてほんのわずかな、かつての信頼が入り混じっていた。


 先に動いたのは、あかりだった。彼女は、美優にゆっくりと近づくと、その頬にそっと手を触れた。

「……疲れたでしょう。もう、いいのよ」

 その声は、美優を消し去ろうとする者の声ではなかった。

「私が、あなたになる。あなたの痛みも、あなたの弱さも、全部私が引き受ける。だから、あなたは、私の中で、静かに眠っていて」


「……嫌よ」

 美優は、震える声で答えた。

「あなたこそ、一人で全てを背負いすぎている。あなたのその強すぎる光が、どれだけあなた自身を焼いているか、気づいていないでしょう。……私に、その光を少しだけ、預けてはくれない?」


 二人の芝居は、対決ではなかった。互いを消し去るのではなく、互いを理解し、受け入れ、そして溶け合おうとする、魂の対話だった。それは、かつて『双貌のヘメロス』のクライマックスで見せた、あの魂の共鳴の、さらに先の境地。


 あかりは、美優を優しく抱きしめた。

「そうね。私たちは、どちらかがエコーで、どちらかがナルキッソスなんかじゃない」

 美優も、あかりの背中に手を回す。

「私たちは、ただ、ここにいる。二人で、ここに」


 二人は、互いを消し去るのではなく、互いを受け入れることで、監督の出した「消失」というテーマを、より高次元な「統合」へと昇華させてみせたのだ。


 五


 芝居が終わった後、長い沈黙が流れた。

 やがて、クロフト監督が、ゆっくりと拍手を始めた。その顔は、驚愕と、そして心からの賞賛に満ちていた。


「……参ったよ。完全に、私の負けだ」


 監督は、そう言って立ち上がると、深々と頭を下げた。

「私は、君たちを競わせ、壊そうとした。だが、君たちは、私の作ったリングの上で、新しい芸術を生み出してしまった。……映画の脚本は、書き直す。主人公は、一人じゃない。最初から、二人だったんだ」


 その言葉に、あかりと美優は、顔を見合わせ、久しぶりに心の底から微笑み合った。

 後日、配信されたドキュメンタリーの最終回は、世界中に大きな感動を巻き起こした。二人の天才女優は、鬼才監督の仕掛けたゲームに勝利しただけでなく、友情と芸術の、新たな関係性を世界に提示したのだ。


 日本の自室で、その映像を見ていた桜井玲二は、静かにテレビを消すと、満足げに呟いた。

「……やはり、二人で一つ、か。いや、違うな。一人と一人。だからこそ、最強か」


 鏡の向こうに、新たな伝説がまた一つ、刻まれた瞬間だった。

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