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吸血姫の緋唇〜氷の皇子と紡ぐ異種族恋愛譚〜  作者: 白瀬 いお


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18.皇太子殿下の恋慕

 空になった小瓶は転送魔術で寮へと送りました。少しだけぼんやりと重かった思考も普段通りに近い動きをするようになりましたね、やはり細々として血の摂取はした方が良いでしょう。


 さて、レーヴェさま。わたくしに向けてそのような熱を含んだ視線を送られるだなんて、もしかして——ええ、きっとそうなのでしょう。その瞳は何度も見て来ました。


 恋慕。恋に焦がれる、その潤んだ瞳。しかし、それを問うことなど致しません。だって、仮に……ええ、仮に。わたくしも満更ではないとしても、人間種とは生きる時間が異なりますから。


「……レーヴェさま。そろそろお早い方はいらっしゃるお時間。ですから、そのようなお顔のままでは、ね……?」

「分かっている、フェリ。——はは、知られてしまったか。ならばもう遠慮しなくても良いな」


 そう言って、わたくしの方へと距離を詰めて来るレーヴェさま。え、お待ちください何故わたくしの唇に触れるのですか。待って、ねえ待って。少し揶揄っただけでしてよ!


 そんな内心の困惑など届くはずもなく、レーヴェさまの親指がわたくしの下唇に触れます。それから蕩けた眼差しは変えぬまま、じっと見下ろしていらっしゃって。


「皇太子としての申し入れはまだ先に、まずは——きみの心を、そして唇を俺のものにしてから」

「あ……」

「フェリ。きみは少々無防備過ぎる。晩餐会でも、バルコニーへ出たきみの元へ俺以外の男が何人も目を向け、近づこうとしていたんだ。その人を惑わす魅力、向けるのは俺だけにしてくれないか」


 レーヴェさまの普段よりずっと甘い、蜂蜜みたいな声がわたくしの耳と響きます。その瞳と声だけで、恋の色はよく分かりますとも。ええ、それは爽やかな色ではない、ドロドロした血のような色なのでしょう。


「レーヴェさま、わたくしは吸血種。血を糧にして生き、その生は人間種の何倍にもなります。あなたは自らの寿命と釣り合うお方を探すのがよろしいかと」

「ならば、その寿命という言い訳さえも消し去る。きみを手に入れるためならば、生き永らえる方法を探すことだって容易」

「——どうして」


 わたくしとレーヴェさまは、出会ってまだ一週間ほどでございます。なのに、どうしてそれほどまでに執着をされているのか、わたくしには全く分かりません。


 そんな様子を見てか、彼はいつもの常春のような微笑みとは異なる、獣じみた笑みを口許へ描かれました。


 ああ、どうして。止めてください、そのようなお顔をされたら、わたくし——お腹が減ってしまいます。


 吸血種にとって、己に執着する者の血はより美味しく感じるのです。だから、味わいたくない。それを知ってしまい、やがて溺れ果てた吸血種の末路を知っているのですから。


「フェリ、ふふ。俺の血はきみにとってとても美味しいものだろう。知っている、なあ……ほんの少しだけ、味わってみようか」

「だめ、いけません……そんなこと、なさらないで」


 唇が震えながらも、拒絶を口にすることが出来ました。ですが、体はどうしても動かすことが出来ません。


 その間にもそっと口を開かされ、はしたなくも牙が合間から覗いていることでしょう。いけない、すぐにでも止めなければならないのに。


 甘美なその血を味わえるかも、だなんて思ってしまいました。知ったら戻れなくなってしまいます、吸血種とはそういうものなのです。ですから、ねえ、レーヴェさま。どうかそんなことをなさらないで。


 今すぐに、彼の腕を掴んで制止しなければならないのに。わたくしはただ胸の前で両手を握って震えることしか出来ないのです。ああ、なんて浅ましい。呼吸がどんどんと、早くなって。


 つぷ。牙に、彼の親指が躊躇いなく触れて、抵抗なく穴が空きました。そこから鮮血が伝っているのでしょう、甘いあまい、とても良い香りが鼻腔を満たすのですから。


 震える舌に、レーヴェさまの指が、そして血が、擦りつけられました。


 あ、あ……、いけない、だめ、ああ。甘くて、濃厚で、少しだけ苦味もあって、いつまでも喉に絡みつくような——おいしい。


 涙が一雫こぼれ落ちたのを、わたくしは感じました。震える両手でその腕を掴み、固定し、溢れ出る血液を舐め取るしか出来ません。


 先程飲んだばかりの血など目でもないこの味、濃厚で堪らないのです。ねえ、レーヴェさま。吸血種の唾液に止血効果と治癒効果があって良かったです。


 そうでなければ、わたくしはずっとこの指を口に咥えることしか出来なくなっていたでしょうから。


 たっぷりの唾液をその傷に擦りつけると、ゆっくり血は止まって行きます。吸血種の牙で肉を刺した時、麻酔に似た効果を与えますから、レーヴェさまは痛みを感じてはいらっしゃらないでしょう。


 最後の一滴まで味わって、丁寧に拭って、名残惜しく感じながらもその手を解放致します。ああ、あなたの恋の味はわたくしを捕らえてしまいました。あんな——深い執着を向けられているなんて。


「吸血種は直接吸血した相手のその血の味から感情を読み取ることが出来る、本当だったようだな。その顔を見れば分かる……俺の恋の味を気に入ったらしい」


 口腔から優しく引き抜かれた唾液塗れの親指を、レーヴェさまは自らの唇に擦りつけました。そんなことをなさらないでと言いたいのに、わたくしは吸血の余韻から抜け出せないのです。


 ヴェールがあって、本当にようございました。そうでなくば、この潤みきった瞳をレーヴェさま以外にも見られていたことでしょう。


 腰が抜けてしまいそうなわたくしは、レーヴェさまの腕に支えられながら椅子へと腰かけます。


 くったりと背もたれに身を預けることしか出来ないわたくしでしたが、人の気配が廊下から感じれば緩慢ながらも普段通りに背を伸ばしましょう。


「——レーヴェさま。後でお話がございます、お時間を作って頂けまして?」

「勿論。ふふ、フェリはそのような怒った顔も、また美しいのだな」

「ありがとう存じます。けれど、それで誤魔化されはいたしませんことよ」

「分かっている。そして誤魔化しもしない、話し合いの場所はサロンルームで良いか?」

「ええ、お任せ致します」


 サロンルーム。あの、お茶会を共にさせて頂いた場所。良いですかレーヴェさま。わたくしからの文句、一つや二つではなくってよ。

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