第42話 人工女神アミュエラ
「待った待った! こんなとこでやりあったら、建物そのものが崩壊する!」
「じゃあ、消しなさい! そんな素材を配信するとか絶対に許さないんだから!」
「へえ、最強の槍と万能の盾でやりあおうっての? いいじゃない、『次元の狭間』に行こうか、玲。これは譲れないね」
「はあ? どうしてそうなるのよ! いまここで消せばいいじゃない!」
「だって、これには仁菜も映ってるからさ。すぐは無理だよ」
「……どういうこと?」
沙也加はスマホをいじって玲が目覚める前後を映し出した。
最初に沙也加が目覚め、次に玲、という順番になるはずだ。
しかし、動画のなかで仁菜が最初に目覚め、スマホを枕元にあったバッグから取り出していじってから、また布団に戻っていた様子が映っていた。
「先に仁菜が起きたんだ。それに気づいてボクが起きた。つまり、仁菜はボクたちのやり取りを全部、知ってしまったってことになる」
「でも、仁菜は動揺した素振りは見せなかったわ」
「ボクと玲のやり取りをただの冗談と思った可能性もあるよ。でも、セナの話とかはこっちの世界とは無関係だ。玲の家族関係を調べられたらまずいことになるよ」
「じゃあ――もう一度、ってこと」
沙也加は重苦しくうなずいた。
あともう一度、仁菜の記憶を操作する必要がある。さらにスマホも調べないといけないし、どこかの誰かに見聞きしたことを伝えていないかも重要だ。
「……早いうちがいいね」
「短期間には無理だよ。記憶操作を短い間に何度もおこなうと、脳機能が損傷する可能性が高いわ」
最速で二週間後、と玲は重いためいきをついた。
友人になってくれた子の記憶をいじるなんて、そう、何度もしたくない。
また玲に対する負の感情を受け止めるのは、気が重くなる。
「二週間後、仁菜とどこかで会おう。その時にやればいいよ」
「気楽に言わないでよ。で、ほかの素材はどうするつもりなの?」
じっと厳しい視線で睨まれて沙也加はさっと視線を逸らした。
玲は無言のままで作り出した光の槍を、さらに大きなものにした。威嚇のつもりだった。
もう逃げられないと諦めがついたのか、沙也加はおずおずと提案を持ちかけきた。
「着替えのシーンは適当に編集してボカシ入れたりする……から。髪乾かしているところとか、寝顔とか、視聴者が喜びそうなところだけ――ね?」
「ええ? そんなの見て誰が喜ぶっていうのよ」
「ボクと玲の密着シーンとかもっといいと思うよ?」
「私たち、そっちの方向性じゃないよ! 第一、そのカメラのアングルじゃ今朝は?」
ああ、それならと沙也加は箪笥の影からカメラを取り出してくる。
玲は冷静に光の槍を射出したのだった。
もちろん高額な器材ではなく、沙也加に向けて……。
「うわっ、あっぶな! 殺す気かああっ!?」
「大丈夫よ。『万能の盾 bouclier universel』が守ってくれるわ。結界を破壊しない程度に威力をおさえたから。でも――」
つぎはないわよ、と玲は新たな槍を生成し始める。
今度はさきほどの数倍は太く、殺傷能力が高そうだった。
制止するように片手を上げて、沙也加は静かに宣言する。
「……玲、我慢してくれ。ボクたちはいま挑戦する時期なんだ。ここで視聴率を稼いで登録者数を増やさないと、もう後がないんだ」
「神大さんがスポンサーについてくれるって!」
「スポンサーが」
「はあ?」
「スポンサーがもし望んだら、どうする? 拒否できないかもよ?」
「ぐっ……」
玲の印象にある俊太郎は最推しの自分ではなく、沙也加と仲良くする浮気者のイメージが強い。
こんなあらわもない姿をさらしても、どんな配信をしても喜んでくれそうで、善悪の判断がつかなかった。
「うまく編集するから!」
「……だめだったら焼くからね、沙也加を!」
「ひいっ、うまくやります……」
光の槍を霧散させた玲は、ノートパソコンを台の上にどん、と置く。沙也加は後ろからああでもない、こうでもない、これは消して! と指示を受けながら動画の編集をする羽目になってしまった。
『アンジュバール 夜の御時間です』と題されたこの回は、玲と沙也加の親密さや女子会のノリで仲良く過ごす二人をうまく捉えた内容に編集されていて、リアルタイムの配信とともに流すと、視聴者からのギフトがどんどんとたまっていく。
その中には十万円単位のギフトをいくつも贈ってくれるアカウントがあって、玲は申し訳なさでいっぱいだった。
さらに、昨夜、商店街であった事件の現場に自分たちも遭遇した、と語りコメント欄には玲と沙也加を心配する声で埋まっていく。
お金、お金、と強欲な沙也加をしかりつつ、俊太郎とのミーティングの時間になった。
交換した連絡先に動画でできる会議用のURLが送られてきて、パソコンの画面を通じて三人は顔を合わせた。
「いきなりであれだけど。今夜の配信さ、ちょっときわどいところを責めてるんじゃないの? アンジュバールはそういう方向性じゃないだけど」
と、古参のファンから手痛い一言をいただき、玲はすいませんと頭を下げた。
沙也加は知らん顔だ。
「私だって反対したんです!」
「玲ちゃんの中身、なんだか違うんだけど。君は誰なの?」
「……信じて貰えるかどうかわからないけど、オルス――あなたの研究しているマルチバースから、わたしたちは精神体になって次元の壁を越え、転移してきたの。この子たち――アンジュバールのなかに」
「……つまり、玲ちゃんだけでなく、沙也加も。詠琉や朱夏、秋帆さんもみんなってことか!?」
「まあ、そうなるかなー。でも玲とボク以外はいまはいないよ」
「なんでそうなったんだ? 玲ちゃんが二週間、表に出てこなかったことと関係があるのか?」
「い、いまはその話は置いておくことにしませんか? 考えたんです。いまはお互いに利害が一致することをするべきだと」
「玲ちゃん……そうだな、時間を無駄にするのは良くない。これを見てもらおうか」
そう言って、画面が小さくなる。俊太郎が、自分のパソコンの他の画面を共有したためだ。
そこにはアニメ風のイラストで描かれた、ギリシャ風の衣装に身を包んだ金髪碧眼の美少女がいた。
「なにこれ? Ttuberのガワみたい」
「ガワ?」
「配信で使う、動くイラストのことだよ。配信者が動いたらそれをトレースして似たように動くんだ」
「へえ」
これを着て? 俊太郎が配信しているのかと思うと、玲と沙也加は不穏な予想しかできなかった。だが、彼は違う、と強く否定する。
「俺の生成した人工知能。つまり、AIだよ、アミュエラっていうんだ」
「あみゅ……えら?」
「だけど、イラストだけでどうするのさ、変なの」
と沙也加が言うと、アミュエラの目が瞬き、視線が動いた。まるで沙也加を見ているようだ、と玲は思った。
『私はアミュエラ。人工知能です。イラストだけではありません』
「うわっ、しゃべった!」
「え、本当に? 言わせているんじゃないの?」
『初めまして、恋水沙也加さん、愛川玲さん。マスターの助手をしているアミュエラです』
と挨拶をして、画面のなかでぺこりとお辞儀をして見せた。
しかし、カメラで映っている俊太郎は両手を頭の後ろで組んでいて、得意気な顔をしてこちらを見ている。そこにはゆるぎない自信がみなぎっていた。
「嘘だよ、いまどき、こんな自律型AIなんて地球の技術でできるはず――」
「可能だよ。それにインターネットを介してさまざまな機器に侵入もできる。たとえば沙也加、お前のスマホにはこんな画像があったな」
『画像を展開します』とアミュエラがいい、パソコンの画面には玲の寝顔を隠し撮りした画像が数枚、ランダムに表示された。
「ああっ、なにこれ? 沙也加―!」
「ちょっ、うそっ。ボクのスマホの中身にアクセスしたってこと?」
『削除も編集も可能です』
アミュエラの言葉通り、画像が編集されて玲の顔が別人になったり、髪色がはちみつ色から黒や赤色に変色した。
「アミュエラ、削除しろ。怪しいのは全部だ」
『かしこまりました、マスター』
「なんだって、そんなことさせない――うわっ、スマホが反応しない……やめろー、ボクのコレクションを消すなあああっ!」
玲が沙也加の手元を覗き見ると、数十枚はあった玲の人前に出せない画像がすべて削除されていく。
「すっごい……じゃあ、私のスマホからいやらしい画像を消したのも――」
『私です。玲さん、あなたたちに関しての猥褻な動画や画像は、アクセス可能な機器やクラウドからすべて削除しつつあります』
冷静な声で言うアミュエラの音声は、本物の少女がそこにいるかのように血の通った生身のものに感じられた。
「どうだ、玲ちゃん、沙也加。これでも俺は役立たずかな?」
ここまで実例を見せつけれては認めないわけにはいかない。二人は顔を見合わせるとゆっくりと首を左右にふる。
「いいえ、現地の協力員として、有能だと思います。でも私たちの詳細を語るには、あなたの過去を視せていただかないと、信用できないのも事実です」
「過去を視るって。つまりどうするんだい?」
「ボクたちの能力――次元の狭間を発生する能力を使って、神大さんの脳にアクセスするの。怪しいところがあったら廃人決定」
「ちょっと沙也加! 脅してどうするのよ?」
「だってこれくらい言っておかないと、逃亡されちゃう。だめだよ、玲。情けをかけたらこっちが痛い目を見るんだから」
「あのなあ……。俺が君たちの敵対する組織の工作員なら、こんな手の内をばらすような真似するはずないだろ。まあ、いいや。覗いてみて、だめだったらどうするって?」
玲は緊張感を持たせるためにしばし無言でじっと俊太郎を見つめてから、口を開いた。
「私たちやオスルに関する――異世界に関する記憶の操作をさせてもらいます」
「それは難しいんじゃないかな?」
「どういう意味ですか……」
こいつさ、と俊太郎は共有画面に映るアミュエラを示すように、指を動かした。
『私は特定の機器に依存して存在しません。インターネット上に構成要素を分散して稼働しています。つまり、インターネットがこの世にある限り、私が消えることはほぼ、皆無です』
「死なない証明人を立てたってことか……」
沙也加が感心するようにうめいた。
アミュエラは沙也加が編集して削除したはずの、今日の配信で使われなかった動画を画面に流した。
今朝の二人きりの会話も含まれていて、玲は俊太郎の術中にはまったと悟った。
もし、玲たちが俊太郎の人格を崩壊させても、アミュエラのデータは消えることはない。異世界を研究したいという俊太郎が嵩じた防御手段を突破する方法は、いまのところ見えない。
神大俊太郎……敵に回したらおそろしい男だわ。
ごくり、とつばを飲み込む。
「じゃあ、これからの俺たちがやるべきことと、それについての詳細な情報を教えてもらおうかな。よろしくな、玲ちゃん、沙也加」
「神大さんって隅に置けませんね」
「俊太郎のくせに……ちぇっ。なんか試合に勝って勝負に負けた気分だよ……」
玲と沙也加は不承不承、頷いたのだった。




