第40話 迫りくる沙也加
「玲、玲。起きろよ、寝坊助!」
「え、う……ん、うん。沙也加?」
闇の果てに見えた光。その先にいたのは親友だった。
夢の中で姉がしてくれたように、玲に戻ったエリカは、布団から手を出してぎゅっ、と沙也加を抱きしめる。
「おわっ、玲、どうしたの」
「沙也加……」
――まだ、私の家族はここにいる。
なにがあっても二人で、いや、五人でオルスに戻ろうと思った。
強い決意は腕に力を込めることでより強力な想いになる。
「玲、く、くるしい……」
「あ、ごめん、つい――」
オートリテ全開で抱きしめた玲の腕力は凄まじく、あやうく沙也加の肋骨が折れる所だった。
離れるとげほ、げほと苦しそうにせき込む彼女の背中をさすってやると、ようやく沙也加は落ち着いた。
「どうしたのさ、いきなり。びっくりするじゃん」
「ごめん……ちょっとこうさせて」
「悪い夢でも見たの?」
座り込んだ沙也加の足元に顔を寄せて、膝上に頭を載せた。
仰向けに寝転がりながら、上を見上げたら沙也加の顔があった。
玲はううん、と軽く首を左右させる。
「セナがね、出てきた」
「セナさんが? 珍しい――あれ以降、一度もそんな話ししなかっただろ?」
「てっきり忘れたものだと思っていたの。でも違った。考えたらセナとの距離が広がっていきそうで、もう戻らないと認めたくないから嫌だったの」
「そっか……何か話していた? ボクのこととか」
「これから大変なことになるって。でも、私ならどうにかなるって。沙也加のことは言ってなかったかな?」
「それは残念――大変なことって? もう忘れてもいいんだよ、玲」
がくりと肩を落として沙也加は、玲に顔を近づける。
すると、玲との関係にどんどん終わりが近づいてくるような気がして、顔がくっつく寸前で近づくのをやめた。
「うん、でもよく分からないの。旅立ったあの日の記憶もあった。みんなでオルスに戻るんだって決めたあの日。私は転移したくなかったのかもしれない」
「……でも、玲。玲はずっとセナさんの仇を追い続けてきたじゃん。ここで諦めたら全部――」
「分かってる。逃げる気はないよ。ただ、違う。違うの、沙也加。家族を失いたくないの。だって、セナは家族だったけどもういない。私にとっての家族は、沙也加とメンバーのみんなだけだよ」
「ボクは玲のこと大好きだよ。こうやって家族って言ってもらえるだけでありがたいと思ってる。玲は?」
「私?」
上から熱い眼差しが降りて来る。真剣な目線を逸らすことができな。気持ちが妙に昂っていて、奇妙な静けさが二人の間に漂い始めた。
「そう、玲は? ボクは本当の家族になりたいけど、玲の同意がないとなあ」
「ばか……。何言ってるのよ、愛の告白みたい。変な沙也加」
「へへ、もしどうだったらどうする?」
「え、もし――? ええ……ちょっ、近い」
玲の頭を抱きかかえた沙也加は、のぼせたような顔をして頬を染めていた。魅惑の香りが玲の脳裏に危険信号を瞬かせる。
「玲……ボク……」
「待った! これ以上はだめ! 何考えてるのよ!」
唇を寄せてくる沙也加の顔を手で押しのけると、玲は慌てて立ち上がり、距離を取った。
部屋の壁際に背中がどんっと辺り、逃げ場がなくなったことを悟る。
あ、まずい――と玲の額に汗が流れた。沙也加は四つん這いになり狩りをする猫のように玲との距離をじりじりと詰めてくる。
「なにってそういうことだよね? 家族になりたいって――くくく……」
「冗談になってない!」
今にも飛び掛かろうと沙也加が狙いを見定めたとき、部屋に第三の声が響いた。
「……仲、いいのね。沙也加と玲ちゃん」
「あ、ヤバっ……仁菜――ちがっ、これは違うのっ!」
「仁菜、起きたのか!」
目を覚ました仁菜は眠そうにしながら、布団の中からこちらをじっと見つめていた。
呆れたような目をして、仁菜は手にしたスマホで抱き着いた二人をカシャカシャと何度も撮影した。
「やめっ、仁菜、だめ――そんなのどこから……」
「沙也加、どさくさにまぎれて抱き着かないで!」
慌てる玲と、玲の両手を押さえて壁に押しつけようとする沙也加。
玲は恥ずかしい姿を十数枚も画像におさめられてしまった。
「バッグが枕元にあったから、それで……いつまで抱き着いているの、沙也加。いい画像がけっこう撮れたよ?」
「やったー! ありがとう、仁菜! これでブログネタが増えたよ!」
「はああ? どういう意味!? ちょっと沙也加!」
「へへ、ごめんごめん。仁菜が起きたのは想定外だけど、これもある意味で良い事故だよね」
暴れる玲の額にキスをすると、沙也加はさっと距離を取った。
キスシーンをすかさず仁菜がカメラにおさめ、玲はフラッシュの眩しさに目を瞑う。
「なかなか良いシーン撮れたよ、沙也加」
「さっすが、仁菜! まさかこんな偶然が起こるなんて奇跡みたいだ」
「わたしは起きたら二人が密着していたから……で、どうなの? そういう仲なの? 別に否定しないし、言いふらしたりしないけど」
仁菜の問いに、調子に乗った沙也加は「もちろんボクたちは愛し合っている――」と口走り、「違う! ただの友人!」と玲に口を塞がれてしまった。
「あら、そう。いいネタになると思ったんだけどな」
「バラす気、満々じゃないか! 仁菜って油断ならないな……」
「まさか、本当に言いふらす気……?」
「そんなわけないでしょ。玲ちゃんのことは大好きだし、沙也加にとられたみたいで面白くないだけ。ところでわたし、どうしてここに寝かされているの?」
はあ、とつまらなさそうにため息をついた仁菜は、スマホを床におくと周囲を見渡した。
「仁菜が泊まりにきたいって言ったんだよ」
「そうそう、広場でバイト帰りのボクたちと会って、そのまま玲と話ししたいって言って泊まってったんじゃん」
「あれ、そうだったっけ……そっか、そうね。ごめんなさい、わたしったら寝ぼけているのね」
「気にすることないよ。仁菜、お風呂に入ったらそのまま寝ちゃったから、あんまりお話できなかったけど」
沙也加がリビングへと向かう。インスタントコーヒーが入ったカップを三つ、運んでくる。
仁菜はありがとうと言って受け取ると、砂糖とミルクを入れてスプーンでカップを何度もかき混ぜていた。
まるで混乱した記憶を整えているようだ、と仕草を見て玲は思った。
昨夜、仁菜を連れて帰宅した二人は、記憶の操作を行った。
仁菜の記憶を元にスマホのロックを解除し、圭司に泊まる旨の連絡をしたら、許可が降りた。
そのまま、エヴォルと出会っただろう、ここ一ヶ月の記憶を何倍速にもして走査したところ、玲が倒れた夜と同じ時刻に、仁菜も天空から飛来したエヴォルに撃たれていた。
仁菜の心には父親に愛されたい、自分よりも目をかけてもらっている玲が羨ましくて、その地位を奪い取ってやりたいといった欲望が秘められていたのだ。
あの夜、ダンスレッスンを受け持っていた圭司が玲を見て、仁菜にしっかりしろとしかったのが欲求を加速化させた。
先にスタジオを出て帰路に着いた仁菜は、エヴォルに狙われたのだった。
その記憶を視て、玲は何も言えなくなってしまった。
なぜなら、転移する前の愛川玲はいまの玲とは違い、言葉遣いや態度が大きかったからだ。
才能を圭司に愛されていることを鼻にかけ、アイドルとしては先輩である仁菜に傲慢な態度と口調で接していたからだ。
「仁菜がしっかりしないからしかられるんだよ。圭司さんはたくさん褒めてくれる。仁菜より、私のほうが愛されてるねー」
くったくの無い笑みで可愛らしく微笑みながら、とんでもない毒を放つ。
過去の自分を見て、玲はオルスの蝶のようだと思った。
とても美しい翅をもつのに、敵に襲われたら猛毒の鱗粉をまき散らして撃退する、オルスの蝶のようだと。
あんな言い方と態度で接されたら、普段から父親との関係性に揺れている仁菜が取れる行動は限られている。
玲を恨んで妬み、怒りをもって接するか。
空気を読んで適当に壁を作って自分の心をすり減らしながら、仲良くするか。
それとも無視して一切のかかわりを絶ってしまうか。
どれかしかないのだろう、と玲は思った。
二つ目の選択をした仁菜は、一ヶ月どころか、もっと昔から心にどす黒いなにかを抱えて生きてきたのだ。
いまの私は過去の玲じゃないよ、仁菜。
だからもう苦しまなくてもいい……。仁菜の深い悲しみを知った玲は、もう彼女を傷つけたくないと望んだ。
「仁菜、ゆっくり眠れた?」
「玲ちゃん? うん、家にいるときより――なんでもない、忘れて」
「え、ん? うん、わかった。この部屋寒いし、風邪ひかないか心配だったから」
「それは大丈夫だと思う。ねえ、ところでまだ朝早いのね。もうちょっと寝てもいい?」
仁菜は枕元にコーヒーを置いた。
沙也加と玲は時計に目をやり、もうすぐ電車に乗る時間だと告げる。
「仁菜―残念だけど、もうすぐボクらバイトに行くから」
「ごめんね、仁菜。あまり時間がないの」
「そうなんだ……分かった。準備する。一緒に出ないと迷惑だよね」
仁菜は壁にハンガーでかかった制服に着替え始める。部屋の暖房がきき始めていたが、まだ、寒さはなくならない。ぶるっと肩を震わせながら仕度を終えた三人は、揃って部屋を出た。
「ねえ、仁菜。さっきの画像なんだけど、送ってもらえる?」
「え、やだよ。あんなお宝映像、どうして沙也加にあげないといけないの?」
「えええっ、だっていいブログネタになると思うよ?」
「駄目。玲ちゃんが困ることに加担できない」
「そんなああっ!」
エレベーターのなかで呆然自失になる沙也加とどこか得意気な仁菜を見て、玲はくすりと笑みをこぼした。




