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第30話 メイドと推しと恋の話

「ねえ、誰?」

「前にはなしたでしょ? 神大さん、玲推しの人」

「ああ、あの科学者の! へえ……そっか、あの人なんだ。私の最推しさんかあ」

「そうそう、玲の最推しの神大さん。お水もっていく?」

「ううん、まだ注文まで教えてもらってないから」


 小声で質問して話題に出ていた人物が目の前にいるとわかると、自分の推しだと聞いていたこともあり、玲は嬉しいような恥ずかしいような、入り混じったような気まずさを感じてしまう。


「そっかじゃあ、ボクが――」

「ボク?」

「いえ、わたし、です」

「まったく……恋水さん! 愛川さんもなにを話しているんですか」

「ひいっ、緑川さん! すいません」

「食器類を回収します!」


 小声で質問して話題に出ていた人物が目の前にいるとわかると、自分の推しだと聞いていたこともあり、玲はなんとなく気まずい気分になってしまう。


「はい、お待たせしました。モーニングプレートです、あとコーヒー! お砂糖とミルクはご自由にお使いください」


 俊太郎の朝はいつもモーニングプレートのA定食だ。目玉焼きも半熟ときまっていて、コーヒーはアメリカンと、こだわりがあるらしかった。


「おう、待ってたぞ。たまには違うのもいいんだけどな――っておい、あれ……」

「はい? どうかしましたか?」


 呼ばれて振り返ると、俊太郎の視線は別の方向に向いていた。

 コーヒーの上にかざしたミルクがどばどばと黒い液体に吸い込まれていく。

 入れ過ぎに気づいて慌てて手を止めるも、中身はほぼカフェオレ状態だ。

 俊太郎の視線は、食器類を回収に励んでいる玲に注がれていた。


「なあ、おい、沙也加……まさか、あの子は――!?」

「あの子?」


 どこかうわずった声をあげる俊太郎は、店内で浮いていた。

 彼が玲推しで、アンジュバール初期からのファンだと知っている沙也加はそうでもなかったが、緑川などは奇妙なものを見るような目をしていた。


「神大さん、神大さん、ここはプライベートですから」

「あ、そ、そうだな! すまない――つい、嬉しくて。そうかあ、玲ちゃんもここで働くのかあ。俺、頑張ったかいあったなあ」

「頑張る? また徹夜していたんですか?」

「おう、そうなんだよ。一昨日の夜から変な投稿が相次いでな――研究所のAIフル稼働で、ネットの大掃除していたんだよ」

「なんですか、大掃除って。また変なプログラム書いて悪いことしてたんじゃ」


 からかいながら俊太郎のそばの机を食器類を回収しつつ、沙也加はいつもの調子で相手をする。

 二人の会話に聞き耳を立てていた玲は、俊太郎と沙也加の仲が良すぎて、「私の最推しだったじゃなかったの」と呆れてしまった。


 そんなに会話が弾むのなら沙也加推しに鞍替えしたらいいのに、とちょっとした嫉妬も湧いてきて、テーブルを拭く手にも力がこもってしまう。

 オーク材で作られたテーブルはどっしりとしていて普通なら動かないのに、玲がごしごしとダスターでこするとがたがたと揺れてしまい、隣の客が驚いた顔をしていた。

 沙也加と俊太郎は玲の不機嫌など気づかないまま、会話が弾んでいく。


「俺が悪いことするような人間に見えるのか? 沙也加はひどいやつだなー」

「すいません、それでどんな大掃除?」

「んー? 特定の画像がネットに掲載されるとAIが感知してそれを削除しにいくんだ。ま、ちょっとしたボランティアだな」

「へえ……神大さんって変な科学者なのかと思ってました。世界征服? とか狙ってそうな」

「んなわけないだろ、どれだけ悪いことさせるつもりだよ。俺には異世界があるってことを証明するっていう崇高な使命があるんだよ!」

「はいはい、また始まった。異世界なんてあるわけないでしょ」


 ないない、そんなもの。両手をあげて首を振って沙也加は否定する。俊太郎を適当にあしらいつつ、コーヒーのおかわりを配って回りながら玲に目で合図した。

 バーカウンターに戻ってきた二人は俊太郎をそれとなく見ながら、コーヒーやグラス、カップ類をまとめて洗い場にもっていく。


「あれがそうなんだ。沙也加と仲良さそうだね」

「そうでもないよ? 異世界――マルチバースってこっちではいうらしいけど、信じて研究しているんだから変わり者だよね」

「ふうん。私の最推しは変わり者で沙也加と浮気する人なのかあ」

「玲、そんなんじゃないってば!」

「はいはい、また緑川さんに怒られるよ。失敗しないでね」

「はーい……」


 玲が冷たいーとぼやく沙也加の背を押して二人はホールに戻る。

 そのまま十時のモーニング時間終了まで、緑川の厳しい指導のもとで玲はへとへとになるまで働き続けたのだった。



「少し休憩を挟んで、そのままディナーもやってみない?」


 と提案されたのは、玲と沙也加がホールの業務を終え、これから着替えようとした時のことだ。

 今日の緑川は朝食が終わるとディナーが始まる時間まで休憩し、そこから再度、ホールを監督するのだという。とても長い拘束時間に呆れた二人だが、沙也加はともかく玲はディナー未体験だ。


 本格英国風喫茶というからには、イギリス料理が出てくるのだろう。

 異世界の異文化に触れてみたいという気持ちは玲に強い興味を与えた。

 しかし、沙也加はそうでもないらしく、玲のスカートの裾をちょいちょいと引っ張って、軽く首を振る。


「なんでよ?」

 小さく問うと「めっちゃ忙しい!」とぼやくようにいわれた。

 沙也加はミスが多く、モーニングだけでなくディナーまで入ると、緑川の怒りに触れるからあまりしたくないのだという。

 しかし、事務所の紹介や家賃の問題もあり、いまは仕方なくディナーに入っているといった。


 玲はそれなら一緒にやるから慣れようよ、と目線で語りかける。

 驚いた顔をして泣きそうな目つきをする相手に、玲は容赦がない。


「沙也加もでるそうです」

「ちょっ、玲!」

「あら、そうなの? 恋水さん、そんなに仕事を覚えたかったのですね。それはいいことです。とてもしごきがいがありそうだわ」

「ひいっ、そんなことないです!」

「あら嫌だわ、怖がることないのよ? ちゃんと教えてあげるから」

「くううっ」


 頬を引きつらせる沙也加に緑川は女王様のような微笑を向け、「じゃあ、二人ともお願いね」といって女子更衣室からでていった。

 緑川がいなくなった途端、沙也加は厳しい目つきで玲に文句を言う。


「玲、ボクを売ったな!?」

「あらー、そんなことしてないわよ? だって、家賃が要るんでしょ? 恋水さん」

「なんでさんづけ!? たしかに家賃は必要だけど――また怒られる!」

「いまは私が不機嫌なの!」

「え、なんで?」


 じろりと半目になる玲が怒る理由が、沙也加にはわからない。

 どんな気に障ることをしたのだろう、と考えをめぐらすとなぜか俊太郎の笑顔が脳裏に浮かんできた。


「理解できない? 十六年近く幼馴染やってるのに? 相棒歴はもう六年近くだよ、沙也加」

「え、まさか――推しと話したから怒ってるの?」


 冗談だよね、あれは仕事だから仕方ないじゃん、と浮気を正当化するどこかのサラリーマンのようなセリフを吐く沙也加。

 玲は反省していないなあ、と呆れつつ「そのとおりだけど」と認めてやる。


「なんで? あの人、ここの常連だよ? ボクと仲がいいのは見ていてそうかもしれないけど、ボクには玲しかいない――っ」

「なによその恋人みたいな発言は? 恋人だったらいまごろ置いて帰ってる。一緒にディナーに入ったりしない」

「あああっ、玲、良かった! ボクは玲の――って、なにもよくないじゃん! どういう意味だよ!」

「そういう仲じゃないでしょ? もしかしてそうなりたいの?」

「いや、違うけど。なんとなく。一番、近しいのはボクだし。特権みたいな?」

「いってる意味がわかんないよ、沙也加。とにかく私の推しを沙也加の推しみたいに扱うのはやめて。ちょっとイラっとするのよね」

「じゃあ、神大さんに玲と話をするようにいっていくよ」

「そういう問題じゃないの! 気がきかない沙也加って嫌い」


 玲はロッカーを開けて着替えを始める。背中のファスナーをうまく下ろせずにいると、沙也加は本物のメイドのように手伝ってくれた。

 玲の三つ編みを解き、髪にブラシをかけてくれる。

 ゆるくウェーブのついた腰までの長髪が、ふんわりと背中に広がってはちみつ色の海を作った。



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